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2.偽りが見ていたもの

<side Falsa>

ぼんやりとした目で、冷たい夜空の月を見上げる。まるであの女のようだと思った。高く冷たく輝き、人をその刃で切り裂くナイフのような三日月。

最初は控室に閉じ込められていたが、アイテールが自決してからしばらくして、青い顔をしたクーラ王子が部屋に数人の兵士と共にやってきた。

「クーラ王子!」

いつものように満面の笑みで迎えるが、王子の表情は極めて厳しかった。

「反省の色は無しか、ファルサ。衛兵、この者を地下牢へ」

「え?地下牢?」

兵士に両腕を取られ、どれほど嫌がっても離してくれず、強引に牢に放り込まれた。

「私は、お父様の言う通りにやってきたのに…」


思い出すのは、今となっては遠い過去。あれは私がまだ3つかそこらの頃か。

『良いかファルサ。お前は、我らが希望なんだ』

『希望?』

『そうだぞ。ずっと産まれる事の無かった、特別な血を持った娘なんだ』

お父様…ニゲル伯爵は、私を見ているようで、私の後ろに何かを見ていた。

お父様曰く、この家に待ち望んだ娘なのだとか。

ふと牢の中、私は首筋に手をやる。そこには、我が家で密かに作られた、秘密の香水が付けられていた。

秘密の…伯爵家で密かに、作られていた禁断の植物から抽出された成分入りの。

禁断の植物の名前はケルス…。

禁制の植物…悪魔の薬と呼ばれた…魔薬。


我が家でははるか昔から秘密裏にケルスが作られていた。表に出すことはなく、王城のみで使用されていた。外国では、その薬の持つ酩酊作用から、ケルスを欲する者は居た。しかし、王城が必要とした目的は、薬を嗅がせて判断力を奪い、犯罪者から情報を聞き出すため。最初は純粋に、本当にそれ目的だった。しかし、王家から信を得ていたニゲル家は、いつしか欲を持った。時の当主は、ケルスをもっと活用することを考えるようになった。王家からはケルスより効果があり、人体に安全な自白剤が出来たからと、ケルスは処分するように指示された。ケルスには強い依存性と、ほんの少しの増量で人を心身共にあっという間に壊す強い毒性があったから。しかしニゲル家は、処分するどころか王家から指示された量の何倍も密かに作ると裏社会へ横流しした。すると、すさまじい勢いで売れたと言う。ケルスを作れるのは国内では唯一種を持つ我が伯爵家だけ。しかも国外で作られたものは土地が貧しい場所で作られて質が今一つなので、伯爵家の豊かな土壌で作られた最上級のケルスはブランドとなった。大金を得た当主は、やがて権力を欲した。より高い地位を。いずれこの国を、と。しかし王家がケルスに毒されることは無かった。食事に混ぜようにも毒見が必ず居る。婚約者とでもならなければ、一緒にお茶なども望めない。

そして、伯爵家には時々、ケルスに対して高い耐性を持って産まれる者が出る。

判断は簡単。ケルスを煮出して、そのエキスを一滴、心臓の位置に垂らすだけ。普通の者はそのエキスが触れると肌がしばらく赤く変わる。耐性のある者は肌の色が変わらない。この抽出物が肌に触れたら赤くなるのに、これを飲んだところで全身が赤くなったりしないのが、不思議ではあるけれど。

伯爵家は代々、男女問わず産まれた子供にはこの適性検査をする。しかし何故か、男にばかり耐性があって、女で耐性があるものはほとんど…過去、2、3人しか出なかった。

王家に送り込もうにも、王女には王位継承権は無い国。王配にすらなれない。だから、王太子となる王子に「娘」を送り込む必要があった。

そして、とうとう産まれた、ケルスに耐性を持つ娘。それが私…ファルサ・ニゲルだった。


金の巻き毛に緑の瞳、愛らしい顔立ち。ケルスの耐性を持って産まれた娘が愛らしく育ち、伯爵は夢を見たのだ。「娘を王太子の婚約者に」と。


「いいかファルサ。何としてでもクーラ王子の目に留まるんだ」

「わ、わたし頑張る」

王子が7歳になった時、適齢期の上位貴族の令嬢が婚約者候補として集められた。

公爵家、侯爵家、伯爵家。何人もの令嬢が集まった。家では蝶よ花よと育てられたファルサであるが、会場に立った途端に、その自信は崩れる。自分が飛びぬけて可愛いとは思えなかった。それほどまでに、会場の少女たちは誰も可愛らしかった。

その中でも、一際目を引く少女が居た。

「あの子…とても…綺麗」

その少女は、7歳にして「美しかった」。可愛らしいではなく、既に美しい少女だった。

その名は…アイテール・アルブス。公爵家の長女。

7歳にして漂う気品、輝く髪、整った顔立ち。現段階でも美しい少女は、あと数年すれば絶世の美女となるであろうと確信出来る程に、綺麗だった。

会場に居た誰もが、白旗を上げた。誰もが叶わないと、諦めた。そして順当に、王子の婚約者として決まったのはアイテールだった。

「…そうよね、そうよ…」

元々、家格が高い家の者から王子に挨拶する。真っ先に挨拶するのがアイテールなのだ、王子にとって女の子の基準がアイテールになる。それ以上の娘が来なければ、王子の婚約者の座など揺らがないのだ。家格も美貌もマナーも何もかも、彼女以上の少女など、この場には居ない。

王子も、最初の頃は真面目に挨拶を返していたが、何人も挨拶をしていれば、次第にだれてくる。

侯爵家の少女でも、少し気が抜けた挨拶を返している程だ、伯爵家の…伯爵家の中でも中堅より少し下のニゲル家の娘など、まともに返事も無い。

後に学園で王子と再会した時も、その時に挨拶した事など、当然のように覚えていなかった。

しかしながら、それを恨む事は出来なかった。

だが…ファルサは思ったのだ。

「もう二度と私を忘れさせてなんてあげない、どんな手を使ってでも、貴方を私のものに」


その日から、ファルサはケルスの事を父から真剣に学んだのだった。魔法など使えないこの世界で、アイテールに対して素直では無いものの、問題ない関係を築いているクーラ王子。その王子の心に忍び込むのは、なかなか難しいものである。

「どうしたら…そうね、結局はケルスの力を借りることになるわね」


あれから10年の時が過ぎ、私、王子殿下、そしてアイテールは17歳となっていた。

同じ学院に通うものの、特別クラスに所属する王子殿下、アイテールと、顔を合わす機会さえ、なかなか持てなかった。そんなある日、渡り廊下の向こう側から歩く王子殿下を見かけた。

これはチャンス。いつ何が起きても良いように、常に準備はしていた。

「王子殿下、ご尊顔に拝謁の機会を頂けた光栄に喜びを感じますと共に、突然話しかける無礼を平にお許しください」

校内で、クーラと護衛が二人付いているだけの状態、そんな機会はなかなか無い。その機会に、ファルサは恵まれた。クーラの前で、膝を着き深々と頭を下げる。その深いカーテシーに、護衛の二人も苦い顔をするだけで、ファルサをクーラから引き離す真似はしなかった。

「貴女は確か、ニゲル伯爵令嬢ですね」

護衛の一人がファルサに問う。

「はい、ファルサ・ニゲルと申します」

深く頭を下げたまま、ファルサは答える。

「良い、ここは校内だ。そこまで畏まる必要もない、直答も許す、立ちなさい」

クーラは告げた。

「はい、寛大なるお心に深く感謝致します」

ファルサは頭を下げたまま、ゆっくり立ち上がり、そっとクーラの顔を見上げる。クーラの表情は柔らかい。しかし、これが表情を抑えたアルカイックスマイルである事をファルサは知っている…遠目からいつも、クーラを見ていたのだから。アイテールの前で見せる、しどろもどろな有様とは天と地である。

「それで、どうしたのかな」

「はい…。あの、アルブス公爵家ご令嬢の事で…」

「アイテールの?」

クーラにアイテールの名を出せば、少なくとも反応することを、ファルサは知っていた。

『さあ、一世一代の大舞台の始まりよ』


「…どうぞ、我が家のお茶で申し訳ございませんが」

密かに借りた部屋、途中で自室の茶器と茶葉を持ち出した。

「変わった水色のお茶ですね…見た事が無い」

「ええ…私が育てているハーブが入っていますので、少々見た目が悪いかもしれません」

自分と王子と、護衛に同じポットから茶を注ぎ、好きなカップを取ってもらう。自分の意思でカップを選んでもらうことで、茶に何かを入れたと思わせない為に。

そして、まずは自分がカップの半分くらいお茶を飲む事で、このお茶には悪いものが入っていないと示す。私が飲み、その後に護衛の二人が口を付け、王子に頷く。そしてやっと、王子がお茶に口を付けたのだった。

「そこで。アイテールの話…でしたね」

「…はい…。私は、アルブス公爵令嬢様に、王子殿下に近寄るなと…その言葉と共に、水を掛けられました」

「…アイテール、が?」

「失礼ながら…私は王子殿下に初めてご挨拶申し上げた幼少の頃から、心密かに王子殿下をそっと見つめておりました…凛々しく、美しく…なんて素敵な方なのだろうと。しかし、同時に、公爵令嬢様の美しさもまた…幼少の頃、初めてお見かけした時から、決して敵わぬと、格の違いを痛切に感じておりました故、決して…この想い、表になど出すまいと…密かに、心の中で思うだけならば…構わないと…そう思っておりましたのに」

俯き、机の下で、ぎゅっと両手を握りしめる。嘘を並びたてて、王子殿下の関心を引く。実際は、話した事すら無い。

「お美しい公爵令嬢様…私などに何もなさらなくても、私は王子殿下に何を出来るのでしょう」

「アイテールが…信じられない」

くらり…と、王子の身体が揺れる。それと同時に、護衛の二人もふらふらと揺れだした。

「…な、何を…した」

私は何も言わずに、そっと微笑んだ。

「そなたが飲み、護衛が毒見もした茶を…何故」

護衛は二人とも、床に倒れた。クーラも床に倒れそうになったところを、ファルサが抱きかかえた。

『何度も実験したもの…ケルスが効いてくるまでに時間はかかるけれど、確実に効く量と方法…それが、少しだけ紅茶に混ぜて5分抽出する、よ』

内心思いつつ、微笑んで。

腕の中のクーラの顔は苦しそうに青ざめているが、間近で見るその顔は、やはり麗しかった。

「クーラ王子…こうしてお名前で呼べる日を、心より待っておりましたわ」

伯爵令嬢と言えども、王子の名を呼ぶなど不敬罪に当たる。王子の名を呼べるのは、王家の者と婚約者、そして、王子が許した者だけ。

ファルサはクーラの耳元で囁いた。

「クーラ王子、私、ファルサ・ニゲルはあなたの恋人。だから名を呼ぶ事も、手を取ることも、傍にいることも、抱き寄せる事も当然だわ」

現在の王家の者は、ケルスに耐性が無い。その為、特に初めて摂取する機会は、余計に効く。その分、一番暗示にかかりやすくなる。

そっとクーラを横たわらせると、倒れている護衛の耳元にも吹き込む。

「私は王子の恋人、だから二人で居る事も当然、王子はアイテール嬢よりも私を愛しているわ」

「あなたたちは私たちから少し距離を取っていて」

護衛の二人はやがて目を覚まし、ファルサの指示通りに部屋の隅、二人が話しても声が届きにくい場所に立った。

そしてファルサは王子にハンカチを渡した。ケルスを煮出した汁で染めたもので、微かな香りがする。自分が傍に居ない時に暗示をかけ続けるために、渡したのだ。

「どうか、いつも密かに持っていてください。誰にも見つけられないように、けれどいつも持ち歩いてください。私だと思って」

そして目を覚ましたクーラは、ぼんやりとした目のままで、ファルサを抱きしめたのだった。

「…ファルサ…私の名前を」

「はい…クーラ王子」

王子の腕の中、ファルサはひっそりとほくそ笑んだのだった。


そこからは早かった。アイテールの嘘の所業を散々吹き込み、クーラがアイテールから距離を置くように仕向けた。クーラにかけた暗示は、持たせたハンカチを定期的に取り換えて、決して切れることが無いようにした。自分自身が傍に居られる時は、首筋に付けたケルス入り香水の香りを嗅がせて暗示をかけ続ける。クーラ自身の口から護衛に「ファルサを決して邪険に扱うな、これは私の大事な娘だ」と言わせれば、護衛達も口出しは出来ない。そうして、順調に距離を縮めていった。ファルサとクーラが距離を縮めれば、必然的にアイテールとクーラの間は開く。

「惨めですわね…アイテール様。クーラ様は、私のものよ」

今は膝枕で眠るクーラの柔らかい髪をそっと撫でる。

「………ル…」

眠りの中では暗示が弱まるのか、クーラの閉じられた目から、涙が一つ伝う。口から零れた名前に、ファルサは顔を歪ませる。

「クーラ様、貴方の恋人はファルサですわ」

夢の中も私で溢れていて欲しいのに。


全てが上手く行っていた…そう、思っていた。

婚約破棄の会場にも、念には念を入れて、王子を操ってケルスをお香に仕立てたものを設置した。微かに漂う香りが、会場の人間の判断力を奪う。濃い香りではないので、ほんの少し奪うだけ…でも、それで十分だろう。そう、思って。

しかし、アイテールの「命懸けの想い」が、ファルサの企みを阻止した。

ケルスの事を学んだ時に知ったのだ。ケルスの暗示を解くには、非常に強い精神的負荷を与える事。アイテールがそれを知っていたかどうかは定かではないが、クーラ王子の心には、アイテールの行為は非常にショックを与えたのだ。…それはそうだろう、そうでなくとも自分の目の前で胸に刃物を突き立てられたら、誰でもショック。ましてやそれが、本心では愛している相手なら。

目の端に映る、真っ青な顔の父。ぼやけた焦点が合っていくクーラの瞳。「幼い頃に憧れたクーラ王子」の綺麗な目は、自分が曇らせた。隣に居たのは、クーラ王子の紛い物だった。その刹那に理解して。


「所詮は偽物、砂上の楼閣」

遠くに見える月を眺める。

愛していたのは、クーラだったのか、王子だったのか。

ファルサの目から零れた涙は、何を意味するのか。それはファルサ自身にも分からなかった。


ケルスは、「罪=スケルス」から取りました。


「魔」薬なのは、材料が麻じゃないから、と言う裏設定です。

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