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1.アイスドールと紅い薔薇

<side Aether>

誰が呼んだか、「氷の人形(アイスドール)」。

銀糸の髪は真っすぐに腰まで伸び、瞳の色はアイスブルー。

白い肌に差す赤みは唇と、微かに頬のみ。

何よりも、笑みを浮かべることが無い、整いきった表情が、冷たいを通り越した、凍えるような印象を与える。

大きな胸と細い腰と言った、抜群のプロポーションも、作り物めいた印象を与える。

この国の公爵令嬢、アイテール・アルブスの印象と言われたら、一般的にはそのような印象だ。

その私、アイテールと婚約をしているのは、この国、カヌス王国の第一王子であるクーラ・カヌス。

整った顔立ちと正妃と王の間に産まれた由緒正しい王子。

しかしながら、少なくとも婚約者として、月に一度はお茶をする程度の関係を築いていたはずなのに、ここ数ヶ月、急激に様子がおかしくなっていった。

原因ははっきりしている。

それは…とある一人の伯爵令嬢、ファルサ・ニゲル。

偶然やさりげなさを装ってクーラ王子に近付いて、いつしか当たり前の顔をして、彼の隣に居座った。私とは正反対の、蜂蜜色の長い巻き毛に、春の草原色の瞳。桜色の頬と、桃色の唇。冬のような女よりも、春の娘を傍に置き、温もりを感じたいと思っても仕方のない事かもしれない。

伯爵令嬢であれば、ぎりぎり王妃になる事も許される身分である、この国では。

「はあ…」

姿見の前でぼんやりと自分の姿を見ていた。ファルサ嬢と違って可愛らしさの欠片も無い外見。

「昔、クーラ王子にも言われたものね…」

『その可愛げの無い顔を、私に見せるな!』

その時を思い出して、首を振る。

私には分かる。

…今日、彼から審判が下る。


「お嬢様、アイテールお嬢様。お時間でございます」

「…分かったわ」

メイドが私を呼びに来た。今日は、王宮で発表がある。それは、私アイテールとクーラ王子の挙式日の発表。今までも婚約者であったが、正式に結婚する日が発表されるのだ。おそらく…いや、高確率で王子はそれに反発する。

メイドに先導され、私は応接室で待つ家族の元へ向かう。私を大事に思ってくれる父、その父に大切にされている母、そして、義兄。

この義兄、クラルスは、まだ私が産まれる前に、両親が引き取った子である。

母のいとこで、隣国の王妃に当たる女性がいるのだが、彼女に双子の男の子が産まれたのだ。既に男子を二人産んでいる上にもう二人男児が増えたこと、さらに隣国では王族の双子は何故か不吉とされていて、後から産まれた方を国外に追放する事になっている事が重なって、そこで、国外居住で親族である母が引き取ることに決めたのだった。

私からしたら、またいとこに当たる。

先方の父親に似ていると噂がある、その外見は、優しい麦穂色の髪に、澄んだサファイアの瞳。優しい顔立ちの彼は、またいとこである私と、顔立ちは似ていない。私もこんな、優しい顔立ちであったなら、王子にもう少し好意を持ってもらえたのではないかと嘆息する。

「アイテール」

「はい、お義兄さま」

クラルスの優しい微笑みを見ていると、癒される。正直、クーラ王子は私に対して昔から当たりがきつい。正直、義兄の優しさの半分も私に向けてくれていたら、もっと穏やかな関係が築けるのだろうに。

「アイテール、今日は君の挙式日の発表だ。これをもって、正式に君は王子妃の教育が終了となる。よく頑張ったね」

「…はい」

「だけどね」

クラルスの微笑みに、やや暗いものが漂った。ちょっと怖いです。

「おそらく、あいつは…いや、失礼か。クーラ王子は、君との結婚を拒むだろう。色々準備はしたが…どうにもならなくなったら、これをお守りにしなさい」

そう言うと、クラルスは太いかんざしを差し出した。鈍い銀色のスティック型の飾りかんざし。アメジストの飾りがついた、美しいものだ。クラルスは、ハーフアップに結い上げた私の髪に、それをそっと刺してくれた。


王城に向かう私と義兄、そして父アルブス公爵。本来ならばエスコートとして家に迎えに来てくれるはずのクーラ王子は、迎えに来なかった。誰もが、来ないことが分かっていたので、時間になったらさっさと家を出た。

「…茶番、ですわね」

「そうだな。でも、王からの呼び出しを無視する訳にもいかないからな…正式な呼び出しだからね」

最早、王子が迎えに来ない段階で、完全に我が公爵家は王子を見切ったと言っていい。いくら正妃の息子だからと言っても、第一王子だからと言っても、何でも横暴が許される訳じゃないと、18にもなるのに気付かないのか、あの王子は。伯爵令嬢に随分と骨抜きにされたと見える、と父が憤る。

ぼんやりと、近付いてくる王城を眺める。

あれは私の、最大の舞台。

今日のドレスはボトルネック型。胸元は白く、ウエストあたりから裾にかけて、白から黒へのグラデーション。裾には銀糸で豪勢な刺繍が施された、美しいドレスだ。エスコートしてくれる義兄も黒のタキシード。優しい顔立ちなのに、似合うと思う。


「アイテール、貴様との婚約を破棄する!」

顔を合わせて早々に、クーラ王子は捲し立てた。

王子妃教育の終了を王に告げられる間もなく、本日の主役である私が到着して、会場のドアが開くと同時に指を差されて告げられた。私をエスコートする為に横に立つ義兄クラルスも、後ろに立つアルブス公爵である父も、会場のドアが開き、まだ会場に足を一歩も踏み入れない状態でのそれに、固まらざるを得なかった。

我がアルブス公爵家以外にもある他の公爵家、侯爵家と、もちろん王と王妃、側妃と第二・第三王子と、国の錚々たる面子がそろった場での一言である。その腕の中にファルサ嬢を抱えて。

金の巻き毛を光らせ、可愛らしいピンクのドレスを纏いながら、こちらを見る表情には微かに勝ち誇る何かが混じる。

「貴様はファルサに様々な嫌がらせをしたと聞く。見た目だけでなく心まで凍った女だな!そんな女を王子妃、ひいては王妃になどしてたまるか!」

「はい…私…アイテール様にとても口に出せない、ひどいことをたくさん言われました…」

先ほどの表情をきれいに消して、儚げな、庇護欲を誘う表情を浮かべるファルサ嬢。

「ああ、気の毒なファルサ。公爵の父の身分を笠に着て。自分自身に権力があるでもないのに、なんと思い上がった女なんだアイテール!」

「……。」

私は何も言わず、黙ったまま、会場の入り口で立ち尽くす事に。

「アイテール!そこに跪き、ファルサに謝罪しろ!その色味のない辛気臭さも、愛想も愛嬌も無い見た目も!腐った性根も何もかも!ファルサに及ばぬとな!」

自分に色味が無い事は知っている。銀の髪、白い肌、薄い色の瞳。唇は赤いが頬の色も薄い。

クーラ王子はどうやら可愛らしい印象のものを好むのか、一応の婚約者の義務としてドレスを贈ってくれた事があるが、そのドレスがまた可愛らしいものを贈ってくる。私に決して似合わないものを。仕方なく着て行っても、「似合わない」と鼻で笑われるので、いつしかドレスの贈り物など要らないと断るようになってしまった程。

しかしながら、腐った性根などと言われるが、昔から当たりが厳しい為に、あまり王子と話すことは無い。お茶会でもお互いあまり話さないか、嫌そうな顔をされるかのどちらかだ。お互い、政略結婚であり義務であることを理解はしていたので、嫌でも顔は合わせる。それだけの関係だ。

つまり。

「私は王子とすら、あまり話したりしておりません。ましてや、ファルサ嬢と二人きりで会ったことすら無く、話しなどしたこともございません。そのような間柄で、どうして嫌がらせなど出来ましょう」

ファルサ嬢は私にひどい事を言われた、などと泣いているが、そのような事実など無いのだ。

「あんまりです、アイテール様!私、あんなに怖かったのに!」

そう言うと、クーラ王子の胸に、わっと泣きながら飛び込む。ファルサ嬢が胸に飛び込むと、王子の青い瞳が、微かにトロンとする。

「心配するなファルサ。もう二度と、ファルサにこの女を近づけたりはしない」

そうして王子は私を指差しながら、こう宣言したのだ。

「貴様のような毒婦は、この国に在ることも許せぬ!公爵令嬢であることも許せぬ!平民となり、今すぐこの国から出ていけ!」

「……。」

突然の事に、王侯貴族の誰もが、口を挟むことすら出来ずに立ち尽くしていた。

そんな中、いち早く我に帰ったのが、父だった。

「クーラ王子。娘が、アイテールがそのような事をした証拠でもあるのですか」

「やかましいアルブス公爵!臣下が王族に口答えするとでも言うのか!」

「王子…」

痛ましい目で王子を見返すしか無かった。この国の王権は強い。王族は絶対なのだ。

しかしながら、王権が強くとも、これはあまりにも。ただの独裁者だ。

「…王子」

私は王子に一歩近づく。

「近寄らないで!また私に何かするとでも言うの!」

ファルサ嬢が王子に抱き着きながら叫ぶ。そんなファルサ嬢を抱きしめるクーラ王子の表情はまるで…まるで、


人形のようだった。


「…アイテール…」

クラルスお義兄様がそっと声をかけてくれた。私たちは、この婚約がどうすることも出来ないケースへ進んでいる事を改めて悟ったのだ。

「お義兄さま。私は私の義務を果たします」

カツ、とヒールを鳴らして、私は王侯貴族がざわめく中、クーラ王子へ近づいた。

「王子」

カツン。王子の数歩手前で足を止め、王子を見やった。

怯えたふりをしながら目に勝ち誇る色を浮かべるファルサ嬢と、今も何を見ているのか、うつろな表情で私を見るクーラ王子と。

何だろう…周囲の景色が歪んで見える気がする。きらめくシャンデリアの光もチカチカと遠くで光っているような気になる。王様や王妃様、周囲の誰かが何かを言っている気がするが、何を言っているのか…それもやがて消えた。

王侯貴族さえも口を噤んだ、しんとした空気の中。私たちは見つめ合う。

「王子…公爵令嬢である私が身分を落として平民となり、この国の庇護さえ失って国外に投げ出されて、どうして何をして生き永らえられるのでしょう」

「……」

「王子の宣言は、実質の死刑宣告」

「……」

「お優しさですか?ご自身の手を汚されるのがお嫌なのですか?自分の目の前で死なねば、それで良いのですか?」

「……」

「公爵令嬢としての誇り、立場。お父様、お母様、お義兄様との家族の縁。この国の民である、今までこの国で生き、成してきた全てを失うのなら」

「……」

「私はアルブス家の一員のまま。公爵令嬢の矜持を抱いたまま、逝きとうございます!」

後頭部から、お義兄さまが挿してくれたアメジストの簪を抜く。それは実は細いナイフで、鞘を投げ捨てると、私はそれを一気に胸元に突き刺した。

白いドレスの胸元に、真っ赤に咲く紅い薔薇。

血に染まる胸に、アメジストのナイフがきらりと光っていた。

私は足元から崩れ、床に背中から倒れた。

「…アイテール!」

クラルスがアイテールを抱き上げる。それと同時に、ドサリ、と倒れた人間が居た。

クーラ王子だった。

「アイテール…う…」

顔を真っ青に、脂汗を流し、苦痛に耐えるように頭を押さえるクーラ王子。王子は傍らに立つファルサ嬢を見上げると…告げた。

「誰かこの女、ファルサ・ニゲルを捕らえよ!」

「え」

「ファルサ…貴様…私を操っていたな?アイテールが与えてくれたショックで操りの糸は切れた」

「…!」

そうしてファルサ嬢は捕らえられ、別室に監禁された。アイテールは…王城の医務室にクラルスの手で運ばれた。

「アイテール…」

医務室でアイテールの髪をさらりと撫でるクラルス。

「帰ろう。家へ」

胸にナイフが刺さったままで…クラルスはそっとアイテールを抱き上げた。

顔色悪く、ふらつく足でクーラ王子が医務室に辿り着いた、事件から一刻と経たぬ時間。医務室に足を踏み入れた王子が見たのは…誰も居ない部屋だった。


古代ラテン語で

アイテール=上天 アルブス=白

クーラ=不安 カヌス=灰

ファルサ=偽り ニゲル=黒

クラルス=清浄な

と言う意味です。

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