人生の教訓
時として人は、何かをしようと思う。
思うが、行動するかどうかについては定かではない。
脳の中でするべきことの完成系を思い描いては、それで満足してしまう事もしばしばである。
満足? 頭の中で想像するだけで満足? それでオールオッケー? ノープロブレム?
おいおい、冗談? そいつは冗談だろ?
この手で感じてもいないのに? この肌で味わってもいないのに?
嫌だね
俺はそんなの嫌だね。
むしろ考える前に、手を上げ、足は走り出してしまう。
まぁ、そんな気性のせいでトラブルに巻き込まれる事もしばしばだが、そんな事は一切気にしない、それこそノープロブレムだ。
俺の目の前に、一人の女がいるとしよう。
どんな女かって? イカシタ女に決まってる。
なぜなら、どうでもいい女が俺の目の前にいたとしても、俺はその存在を認知しないからだ。ゆえに、俺が目の前にいると思える女は、すべからくイカシタ女って事になるって寸法だ。
だから、俺はその女と熱い口付けを交わしているわけだ。
問題点として、言葉を交わす前に行為に及んでしまったばかりに、面倒にまきこまれてしまったりと、そんな事もある。
人気のない路地裏に押し込められ、ケツには冷たいコンクリートの壁がひっつき、四方八方が塞がれ、ありゃこいつは蟻の子一匹這い出る隙間がないってやつか? なんてたとえを思い出してしまう、そんな時もある。
そう、それが今だ、今この時点の現実だ。
「おいおい、確かに、お前さんの女だと知らずに手を出した事は詫びよう。しかしな、悪いのは俺だけじゃないぜ? 俺の身体を突き動かさせてしまうほどの魅力を隠しもせずに街を歩いていたその女も悪いってもんさ」
俺を取り囲む6人のいかつい男たちは、まるで耳が付いてないのかと言いたい位、俺の言葉を聞き流した。
「だからさ、俺がちょいとばかり頭を下げるってことでチャラにするってのはどうだい?」
どうもこの空間には空気って奴が存在しないらしい。俺の足りない頭でも知っている、音ってやつは空気の振動で伝わるって事を。きっとここには空気がないせいで俺の言葉が伝わらないに違いない。あれ、ちょい待てよ、なら俺はこいつらに殺されなくても窒息して死ぬって事になるわけだな、うん、そいつはまずいな。
俺は大きく息を吸ってみた。生ごみの匂いのする空気が俺の肺の中いっぱいに満たされる。どうやら、空気はあるらしく、窒息で死ぬ心配はないらしい。
俺が空気の有無を確認し終えた頃、いかつい男のひとりが口を開いた。
「お前は、二つのミスを犯した。一つは声をかけてはいけない女性に声をかけてしまったこと。もう一つは今俺の目の前に居てしまっていることだ」
長身で黒い小洒落だスーツに身をつつんだ男は、まばたき一つの動きもせずに、ただ唇だけを動かして俺に告げた。
なるほど。俺は三つばかり納得した。
一つは、世の中には声をかけただけで命を奪われてしまう相手がいると言う事。
もう一つは、いとも容易く人の命を奪える男が目の前にいると言う事。
そして最後の一つは、この状況が少しばかり俺にとっては良くないと言う事。
そんな事を考えている間にも、俺のおでこには黒くて固いものが突きつけられてしまっている。
ゴツゴツとしたその物体は、どうも引き金って奴を引くと鉛の塊が飛び出すって言う物騒な代物である事は間違いない。
『こいつで頭に風穴を開けられたら、さぞ俺の脳みそは風通しがよくなるだろうな』
しかし、今は空から雪が降ってきてもおかしくない冬だ。風通しがよくなれば、俺の脳みそは風邪を引いてしまうかもしれない。ゆえに、そんな事になるのは願い下げだ。
さらに、この男臭いやつらに取り囲まれ、威圧され続ける事にもいささか飽き飽きして来た。
俺がそんな事を思っているわけだから、取り囲んでいる方の連中も秋が来ているに違いない。
飽きてきたらどうする? そう、はやい所事を済ませて、そのままバーにでもいって美味い酒でも飲みたいと思うのが人ってもんだ。
事を済ませるってのはどう言う事かと言うと、俺の頭に突きつけている物の引き金を引いちまうって事だ。
「お互い、この状況にはうんざりだろう。だから、終わりにさせてもらう」
言葉の最後は良く聞こえなかった。なぜなら、銃声によってかき消されてしまっていたからだ。
狭い路地に響く銃声って奴は、頭の奥底をガンガンさせる。
倒れた。
ああ、倒れたのは俺じゃない。俺の目の前で偉そうにしていた男のほうだ。
そう、銃声ってやつもその男から放たれたものじゃない。なぜなら、俺の脳みそは一向に風通しがよくはなっていないからだ。
男たちは、二つばかりミスを犯していた。
一つは、彼らは背中に目が付いていなかった。
もう一つは、俺が一人だと思い込んでいたことだった。
続けて2度3度と銃声が響いた。その音が響くたびに俺を取り囲んでいた男たちは、一人、また一人と倒れていった。
そうして、俺の目の前がすっきりして見通しがよくなったころ。
「なんでそんなに殺されかけるわけ? もしかして、アンタそれって趣味なの?」
見通しのよくなった先には、一人の女が立っていた。勿論、俺が認識するのだからイカシタ女に決まっている。
「いやいやいや、そう言う趣味を持った覚えはないんだけどね。もしかして、俺の顔は殺したくなるほどの色男ってやつなんじゃないのかな?」
顎に手を当てて、俺はちょっとばかりポーズを決めてみる。
「なるほどねぇ、その色男さんはまたまたそこらの女に手を出したってわけなのよね」
カチャリ
ああ知っている、これは銃の撃鉄を起こす音だ。
「ねぇ知ってる。アンタの左手の薬指にはめてるのが何か?」
俺の左手の薬指には、燦々と輝く指輪がある。
「そして、さらに知っているかしら。あたしの左手の薬指には、偶然にもアンタと同じものがあるって事を?」
そう、その女の指にも同じ指輪が光っている。
なぜかって? そんなのは説明する必要もないだろ?
俺と、そいつは結婚しているからだ。
「でもさぁ、アンタはわかってないわよねぇ。絶対にわかってないわよねぇ。永遠の愛を神様の前で誓ったのに、それをわかっていないわよねぇ。だってそうよね、わかっていたら、他の女にホイホイ手を出すわけなんてないものねぇ」
俺のおでこにはほんの少し前と同じ感触が戻ってきている。
しいて違う所をあげるならば、さっきよりも数倍殺気のこもった銃口が向けられている。
「ねぇ知ってる? 神様に嘘をついた人がどうなるのか? 罰を受けなきゃねぇ?」
「愛してる!」
「愛? あらぁ愛って何かしら? それってアンタにとっては、いい女を見たらどこにでも発生する安っぽい代物なんでしょ!」
痛い、額がとても痛い。グリグリと銃口を力いっぱい押し付けられるのはとても痛い。
「本当に・・・・・・。ばかああああああああああああああああああああああああああ!」
撃鉄はおされシリンダーがまわる。
そして銃弾は俺の脳みそにさわやかな風を吹き込んでくれ・・・・・・はしなかった。
よく考えて見れば、俺に突きつけられていた銃は6発装填型。俺を取り巻いていた男たちは6人。そう、弾はすでに撃ちつくしていたのだ。
脳天が風通しよくなる事はなかったが、俺の股間は少しばかり湿り気を帯びる事となった。
「今度浮気したら、アンタの身体を3センチ単位にこまぎれにしてやるからね」
笑いながらのその言葉だが、目は一つも笑っていなかった。
俺はここで三つの教訓を学んだ。
一つ、女に対するときだけは、頭の中で想像するだけでやめておいたほうがいい。
もう一つは、女に対するときだけは、よく考えてから行動にうつしたほうがいい。
そして最後は、女ほど恐ろしいものはいない。
俺は襟首を愛しのマイハニーにつかまれ、引きずられるように車に連れ込まれた。
世界ってのは、いついかなる時も教訓に溢れている。
しかし、今は助手席から、運転席のマイハニーの綺麗な顔を眺めている事が、俺の世界の全てだ。
終わり。