7話 白濁の琥珀亭
「なるほど、大きくて白い水泡のようなもの以外は澄んでいる……立派な琥珀だ」
向こうでは見たことも無いような大きな琥珀を看板代りに飾った店構えは堂に入ったもので、これで宿として中堅どころとは恐れ入る……ここの人の価値観を知る必要がありそうだな。
日が傾くまでギルドで情報収集やステータスが成長していないか確認して変化がないことに落胆したりしていたのだが、案の定の展開ながら目を覚まさない杏里を背負い、俺は落ち合い場所である白濁の琥珀亭へと来ていた。
道行く人もまだ多い時間でそれなりに目立つかと思っていたのだが、酔っ払いを担いで宿に向かうなどこの街ではありふれた光景だったようで特別目を引くことは無かった。
それでも服装による文化の違いという特異さで、物珍しいようなそんな視線を感じないわけではなかったのだが、それは恥ずかしいものではないので許容できる。
目を引く、という意味では彼女も同じなのだろう。
金の髪を靡かせて綺麗な姿勢で歩く甲冑の美少女――周囲の視線を辿った先にエルザを見つけた。
「ああ、七哉。 丁度来たところだったのだな……杏里はまだ寝て…………杏里?」
「――かぷっ」
「――――!!??」
唐突に耳に生温かい感触と堪え切れないくすぐったさを感じ、思わず杏里を振り落としそうになるが反射的に踏ん張って耐えきる。
「杏里よ……いつからタヌキ寝入りを?」
「んー、七哉が『まったく、まだ起きないのか……仕方ない背負って行くか』って言ってたあたりかな?」
「馬鹿な――ギルドを出るときから起きていたのか!?」
怒りと呆れで震えながら、仕返しとばかりにパッと支えている手を離すが、酔いを感じさせない動きでしゅたっと華麗に着地されてしまう。
「だってだってー、七哉が背負ってくれるって言ってたんだもん。
ここで起きたら絶対損するやつだ!って思ってさー」
「なんという奴だ……次からは絶対見捨てて行くからな……!」
「むぅ……お姉さんをそんな扱いしちゃうんだ? イケナイんだぞ?」
そう杏里が甘え九割不安一割くらいの表情と声色で詰め寄って来る。
エルザは「ああ、これが平常運転なのだな」という顔でジトッとした目を向けているだけだ。
「はぁ……このまま宿の前で揉めていても迷惑だろう。
さっさと宿泊の手続きを済ませてしまおう」
「さんせーい!」
宿に入ると、中はアットホームな雰囲気と活気で溢れていた。
一階のカウンターから覗ける酒場スペース陽気な冒険者なのだろう人達で溢れ誰もが楽しげで、ここがいい宿なのだろうということが感じられる。
「へいっ、らっしゃい――ご宿泊かい!」
「肯定だ――男1名、女2名で……とりあえず1泊お願いしたい」
すぐに声を掛けて来たのは精悍な顔をした気の良さそうな30代くらいの男だ。
たち振る舞いから察するに、ここの亭主なのだろう。
客に対する態度にしてはどうだ、と思わないことも無いが宿の雰囲気を見るに問題ない、むしろ好感が持てる接客なのだろう……なるほどやり手のようだ。
「ひゅうっ、兄ちゃん! 綺麗で大人しそうな顔して両手に穴たぁ見かけによらずやるねぇ!」
「ん? それを言うなら両手に花ではないのか?」
「ほ、本気か兄ちゃん……この手の話ってからっきしか?」
誤りを訂正しようとする俺に杏里がやれやれといった表情で「もー七哉。あの人が言ってるのは『あなたには2人も一緒にえっちできる美人な女がいて良いわね』っていう下ネタよ」と耳打ちする。
「……おい、今度俺の前でそのような品の無い言葉を――」
「――はーいはい! そのくらいの下ネタでいちいち突っ掛かってたら社会に出て苦労するわよ。
ごめんなさいねーウチの子ちょーっと潔癖というか神経質なところがあってー」
「いやいや構わねぇよ!
――ってか、店の人間が客を不快にさせちまうのはまずったよなぁ……悪ぃな兄ちゃん!
ちっとマけるから許してくれっ、なっ?」
大らかというか雑というか……見方によっては愛嬌のある顔で謝罪のジェスチャーをしている。
すぐに謝ることが出来るあたり悪い人間ではないのだろう。
「……いや、俺の方こそすまなかった。
改めて、宿泊をお願い出来るか?」
「もっちろん! 3人部屋なら1泊銀貨4枚ってとこだな……んでマけ分で銀貨3枚! どうだ?」
「よし! それで泊まるわおっちゃん!」
「ほい承った!」
とノリノリになってる杏里を抑え、エルザに渡されていた銀貨を確認する。
……4枚きっかりか……ということはエルザも一部屋しか借りるつもりはなかったということか……いやでも彼女も抜けてる所がありそうな気配があるしな。
「エルザ、借りる部屋は1つで構わないのか?
男女で分けた方が良いのでは?」
「いや、私は特に構わない。 聖騎士に任命される前にまでは、他の男の兵士と同室に纏められることはザラだったし、恐れを知らず不埒な真似を行おうとした者は全て手酷く制裁を加えているので慣れている……それに宿代も嵩むのでな……」
なるほど、兵士としての過去が有ればそういうものか。
エルザは俺と同じく男女別室を主張するかと思っていたので、予想外な味方を失ってしまった。
杏里は見ての通り、同室どころか同衾まで主張しかねない。
「……だが、エルザよ。
一兵士なら返り討ちに出来たであろうが、先の通り、俺ならばお前を指1本動かすことも許さぬままで好き放題できる実力があるぞ? それでも安心して休息を取ることが出来るのか?」
悪足掻きではあるが、俺は最後の抵抗を試みる。
「ゆ、指1本も動かせぬまま、めちゃくちゃにされる、だと……ごくり」
いや微妙に表現が異なっているのだが、ニュアンスはそう差異はないので、問題ないのか?
というより、昼間のことがフラッシュバックしているのか、顔色が少しおかしい。
「すまない……思い出させてしまったな」
「いや、問題無い……それに、七哉はそのようなことをする人間ではないだろう?」
「そーだそーだー! 七哉にそんな甲斐性があるなら、お姉さん三児の母くらいになってるわ!」
「言わんとすることは解るが、杏里はもっと自重と貞淑さを覚えるべきだ」
自分に都合の良い流れをみてかすぐさま援護射撃が飛んでくる。
元から解っていたが、形勢不利――宿代も安く済むので理論的に考えても俺が考えを曲げるべきだろう。
「解った……では3人部屋で頼む。
ベッドは人数分あるのか?」
「なんだぁ? やっぱお召しもんからして、良いとこの出かぁ兄ちゃん?
ウチはそんな贅沢な宿じゃねぇーよ。
一応二台は置いてるがぁ宿によっちゃ一台とかザラだぜ?」
「……そうか」
「悪りぃなぁ、ほいじゃあこれがキー。
上がって奥に3つ進んだ右手の雷鹿の部屋だ、毎度っ!」
ベッドが二台と聞いてからの杏里のにひひと笑う顔、荒れる予感がするなぁと思いつつ部屋へ向かうのだった。
「まず明日の話だが、朝から今日作り損ねた冒険者の資格を取りに行こう」
「そうね、まずはちゃんとお金稼がないとお腹すくものね。 いつまでもエルザちゃんにたかるのも悪いし」
良かった、人並みの罪悪感を杏里も持っていたか。
「私は暫くは致し方あるまいと思っているのだが、幸い贅沢しなければ蓄えもある。
甲冑や剣が没収されなかったので、特に浪費する物も無かったのでな」
「そういう訳にもいかないだろう。
それに、別に俺たちは戦えない訳でも無いしな。
いつまでも甘えていては魔術師の名が廃る」
「相変わらず真面目ねー七哉は。
でもお姉さんも賛成、だらけてばっかりじゃつまんないしお腹も心配!」
お肉を摘むような仕草を見せるが、杏里がダイエットとかに勤しむ姿を一度も見たことがない……。
俺が連れまわすせいか不要なほど引き締まっているしな。
「もー、どこ見てるの七哉のえっち」
「……性的な目では一切見ていないのだが?」
そう言うと「じゃあどんな目なのよー!」と話しが進まない。
「では、先ずは冒険者としての登録を済ませ、そのままの足で依頼をこなして資金を貯めるという方針で良いのだな?」
「肯定する。
ちなみにエルザは上長の許可は得られたのか?」
「……ああ、昼間の噂は瞬く間に広まっているらしく、街側としても強大な力を持った者が味方なのか敵なのかを見定めたいらしい」
「成程、真っ当な判断だ。 相手が中立、自分が人間だとを主張しているうちに思想や行動理念を分析し、相入れそうなら味方に引き込む……俺でもそうするだろう」
「そうねー、パッと見た感じお姉さんたちをどうこう出来そうな人居なさそうだったし、ここの偉い人たちは案外マトモなのかもね」
「うむ。伊達に実質魔物との最前線に位置する街の長では無い」
「なんだ、やはりここは1番魔物が多い所だったのか? ここより先に街が見えないなとは思っていたが」
「そうだ、この街より東には人間の街は無いからな。
ここから西へ王都の方へ連なる街々にはそれなりに人通りがあって開拓されているから、国中に点在する迷宮などを除けば魔物の数や質は大したことないないのだ」
ということは、俺たちは1番過酷な場所からスタートしたのか……少なくとも人間から見るならば。
それを踏まえて俺や杏里のステータスを見ると、これは人類最強クラスなのではないか?
「エルザはその最前線の街の中でどれだけの強さに値するんだ? 出来れば王都やこの国の中での位置も知りたい」
「私か? うーむ……自分で言うのは憚られるが、この街においては恐らく私は最強だ。
騎士の時点で冒険者のランクでC相当、聖騎士でB相当と言われていて、私は実力だけならAに値すると周りから言われていたからな……無論、街の外に出るなら単純な戦闘力だけで無く経験や知識が重要なので一概には測れないのだが」
周りの冒険者たちとは比べものにならない程のステータスだとは思っていたが、それ程までの実力者だったのか……これは思っている以上に目立ったしまったかもしれないな。
「それで、国レベルで言うと?」
「……私よりも強い者が最低でも5人はいる。
王直属の五剣と呼ばれる者達だ。 彼らの強さは別格だ。 七哉たちと同じく人類なのかすら疑うレベルだな……底の知れなさを感じた。
後はSランクとされる冒険者と表に出てきて居ない強者がどれだけいるかだな。
冒険者については私もずっと王都の城勤めだったから詳しく無いが、Sランクともなるのはそういないはずだ」
好き放題振る舞うにはこの五剣というのの実力を把握してからのが安全か。
後は個の力が弱くても、数で戦うとなった時に俺のマナでどれだけ戦線を維持できるかだろうな。
杏里はスタミナも爆上がりしているだろうから、個人で半永久的に戦い続けられるかもしれんが……そもそも覇王だし物理ダメージに関しては完全に無効化してしまうし……。
どちらにせよ今すぐに国を敵に回す予定は無いし、後々の課題に回しておこう。
エルザが「なぜそのようなことを聞くのだ?」という顔をする。
「冒険者のランクを馬鹿正直に最低ランクからやるのが面倒だったが、エルザがAランク相当というのなら、経験や知識不足などを抜いてBくらいからスタート出来ないものかな……ギルドで聞き耳を立てていた限りだと、ランク相応の依頼しか受けられず、初めはたいした金にならないらしいからな」
「うーむ、それはどうだろうか……。
最低ランクからは回避出来るとは思うが、良いところでC辺りな予想だ。
私自身冒険者の経験も無いし、七哉たちは強いとはいえ色々未知数だからな」
「そんなものか……だがCでとしても上々だ。
少なくとも衣食住に困ることは無さそうだ」
これで大体の方針決めと確認したいことは終わっただろう。
「それじゃー、難しい話も終わったみたいだし!
誰がどのベッドで寝るか決めるわよ!」
タイミングを見計らってそう叫ぶ杏里を見越して俺は既に扉側のベッドを確保し、全員に浄化を施した後に自らのベッドに香を撒いて寝転んでいる。
ここでは入浴という習慣は無く、身体を拭うようの水を張った桶とタオルが用意されるというのかま一般的らしい。
浄化した後ではむしろ汚れてしまうような気がするが、やはり気持ち的に拭いておきたかった。
まあそれも、異性のいる同室で行うべきではないので自重しておいた。
ギルドを見た感じ魔術師風な装いの人間も見えなかったから、俺たちみたいに魔術で浄化したりするのも一般的では無いんだろうな……ついでに掛け布団も空気を足してフカフカにしておこう。
「もー七哉フライング……でもまぁー今日は七哉ではいっぱい遊んだから許してあげようかしら。
せっかく新しい子も居るわけだし、ね?」
「杏里、それはどういうことだろうか――なぜ、私の甲冑を!?」
「いやぁー、それ脱ぐの大変そうだからお姉さん手伝ってあげようと思って?」
さっそく飛び火した対岸を横目でチラリと確認し、俺は我関せずモードに入る。
「だ、大丈夫だ! いつもの事なので慣れている!
逆に人にされる方が慣れんのだ!」
「ほらほらそんなこと言わず〜、大人しくお姉さんにお世話させなさいっ!
……おおー、下はそんな風な麻のインナーを着てるのね、お姉さん的にはもっと色っぽいデザインとカラーの方がいいと思うなー、女の子なんだし?」
「いや、私は女である前に騎士なのだ。
華美な装飾や装いは不要……というか普段は甲冑で全て隠れてしまうしな」
「甘い……甘いわっ! 今のは大減点よエルザちゃん!!」
「あ、ああ……それほどだろうか?」
「そうよそうよ! 男の子がいざ、いただきますしようとしたときに、こんなよれよれの灰色インナーじゃ手もつけずにご馳走さまよっ!! ねぇ七哉!?」
「――同意しかねる。 だがしかし、身嗜みに気を遣え、という一点にのみであれば肯定的だ。
見栄え全般には内面が滲んで見える……杏里をみれば、それだけで奔放でいろいろ緩いのが伝わってくるだろう? 普段目に見えない衣服も油断は出来ん」
「まさか、七哉も肯定的なのか……これは一考の余地ありかもしれない」
「なんでー!お姉さんの意見は!?
というかいろいろ緩いって何よ七哉!!」
「……主に思考というか楽観的なところが」
「頭が」という言葉が口から出かかったが、そんなことを言えば後の展開が非常に面倒そうなので適当に誤魔化す。
「んー、いっか! 今はエルザちゃんで遊――拭いてあげるのが優先ね!」
「杏里、今遊ぶと――」
「お姉さんなんのことだかわっかんないなー!」
「ちょ、杏里、何をっ――!?」
バサッという布音と、バタバタともがく騒音が聞えてくる。
俺は誤っても視界に入らないように扉側を向くように寝がえりを打ち、何も聞えないように心がける。
「杏里、自分で出来る! というより七哉が既に浄化してくれているので不要なのでは!?」
「その心がダメなのよエルザちゃん! 若干正論な気もするけど乙女としての心意気というかハートを忘れてはいけないのよ! 背中とか自分では上手く拭けないでしょう? ほらお姉さんに任せて!」
「いやいや、杏里は前しか拭いていないではないか! せめて前は自分で――そもそもタオルは!?
素手でまさぐっているだけではないかっ!!」
――本当に何をしているんだ杏里は……。
三人寄れば姦しいと言うが、2人でも十二分だな……杏里が2、3人分占めているようなものか。
「ああ!!ちょっとそこは――、なんで!!何故ソコばかり執拗に!!!」
「うりうりー、やー憎いわね! 聖騎士なんてやってるからもっと筋肉質かと思ったけど、モデル顔負けね…………ホントに憎くなってきたわね」
「やめ――、助けっ、助けてくれ七哉!!
この変態女を止めて――ああっ、ああああああ!!七哉ッ!七哉――ッ!!」
どうやら危険域までエスカレートしているようだ。
だがエルザ、お前は一度ギルドで俺を見捨てたことを忘れていない……これでイーブンだ。
助けを聞くという気はないというポーズで、掛け布団をガバっと頭まで被り丸まり耳を塞ぐ。
「おっと、変態女とか言うのはこのお口かしらー?」
「ヤ、ちがっ――ソコは口ではッ!! ッ―――!!」
耳を塞いでいたというのにその後、暫くエルザの絶叫と荒い吐息だけが室内に響いていた――。