表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/69

賽の出目

 またもや、一室は鏡ばりだった。

 見飽きたシャンデリアも、

 空中に浮游する品性の水晶玉キャラクター・クリスタルも、ひとしく備えつけられている。

 ご多分にもれず、ほかの調度品の類いはなかった。


 間違い探しの遊びならば、そうとうな難問である。

 ルゥへとあてがわれた部屋は、

 アンリがいる隣室と寸分たがわなかった。

 臭いはない。

 壁面の鏡はつややかで、汚れひとつもない。

 おごそかな精白さをにじませていた。


 ただ全部が全部、すべからく同じではない。

 不一致のものも存在していた。


 水晶玉の護衛。

 両横にて侍る、二対のマネキンの装いである。

 むろんのこと、威風堂々な荒々しき服。

 格調高雅な夜陰の衣。

 それらを着用しているのではなかった。


 ルゥの備える個。

 もしくは、つちかってきた経験則から反映されたのだろうか。


 奥底で相反して反発しあう、

 現実主義者(リアリスト)と乙女思想。

 品性にあやかって現れた衣装は、

 クールな燕尾服。

 ひいては、ラブリーなゴスロリドレスだった。


 燕尾服は黒い。

 左の胸元には桔梗の花を模した、

 星形の白色のコサージュがいろどられていた。

 ふくらむ裏ポケットには、

 こまかな鎖のついた銀色の古めかしき懐中時計。

 タイもベストも手袋も、

 首に巻かれた絹のマフラーでさえも真っ白であった。


 光沢のある黒のエナメル靴。

 黒檀製の簡素なブラックステッキは、八十センチほどの長さ。

 マネキンの右手に、しっかりと握られていた。


 いわゆる、ガジェット・ケーン。

 裏社会では、そのように呼称されている仕込み杖である。

 刺突武器に分類される、スティレットが内蔵されていた。


 マネキンは、とにかく奥ゆかしい。

 左手を腹部にあてて、

 右手は後ろにまわした態勢で礼をしていた。


 黒と白を基調とした、

 格式高い衣装は男性的で、クールでスタイリッシュの一言である。

 しかし、上品な桔梗のコサージュが明媚なアクセントとなっており、

 フェミニンな印象をきわだたせていた。


 もう片方の衣装。

 乙女思想を忠実に再現されたゴスロリドレスは、

 初雪のように純白であった。


 まさにフリフリ。

 やかましいほどにフリフリである。


 ノースリーブのジャンパースカート型。

 ドレスのいたるところには、

 藤の花を模した、黒色のレースが装飾されていた。


 胸元の白ジャボの飾りは、ひだひだである。

 左の側頭部には、黒いミニシルクハット。

 そこからは、藤の花を模した白色のレースがたれていた。


 首許のブラックケープ。

 股下からのぞくガーターベルト。

 足許は白黒ストライプのオーバー・ニーソックスだ。

 うるわしくも、

 真っ白なプラットホームシューズでかためられていた。


 きわめつきは、右手ににぎる武器。

 リボン型のおそろしき長鞭であった。

 白いグリップ。

 紫色の藤の花があしらわれたテール。

 真っ黒なボディには銀色の、

 金属の鋭利なトゲトゲが、ぎょうぎょうしくも突きでていた。


 またもや、白と黒をテーマとしたのだろうか。

 風光明媚なゴスロリドレスは、

 ラブリーな雰囲気がふんだんに詰めこまれてはいる。

 いるが、可憐とは不釣り合いな長鞭のトゲは、

 にぶい輝きを放っている。

 うちに秘める獰猛な息吹きをただよわせていた。


 スライムとゴブリン。

 奇っ怪なる両者は、

 マネキンの御前により、思い思いの表情でたたずんでいた。


 どうやら、スカーは上機嫌のようである。

 ナニカが、その琴線に触れてしまったのだろうか。

 ヒャーヒャーと節操もない。

 あちらこちらの中空を、縦横無尽にも飛びまわっていた。


 ルゥはというと、顔中が真っ赤である。

 苛烈な羞恥心により、

 この世の生き地獄を味わっていた。


 目許はかっ開かれており、

 ゴスロリドレスへと釘づけである。

 しずかな怒りをともない、

 わなわなと身体を震わせていた。


 なんなのだ、このドレスは!

 意図がつかめん……。

 まったくもって、意図がつかめないぞぉ!

 このようなフリフリしたドレスが!

 僕の有する品性から!

 品性にちなんで(あらわ)となっただとぉ!


 一体、どうなっているのだ!

 このような少女趣味は、僕には断じてないのだぞぉ……!


 それにしてもフリフリ、フリフリと……。

 フリフリしすぎではないかぁ?

 暇さえあればフリフリと……。

 一体、どこまでフリフリすれば気が済むのだぁ!


 許さん! 許さんぞぉ!

 断じて、許容などしてやるものか!

 僕は信認などしない!

 これはイカサマだ! 何者かの詭計に異ならないのだぁ!


 このような馬鹿げた衣装など!

 たとえ着なければ滅すると!

 この世の絶対者に命令されたとしてもだ……!

 僕は返す刀により!

 総てを失う覚悟でもって、破壊しつくしてやるからなぁ!


 ……それにしても、やるではないか。

 まさか、この僕が煽られているとはなぁ……!


 翼粘体(コイツ)め。

 うす汚い性悪スライムめ。

 よもや、面白半分などで画策し、

 コイツがこのドレスを出現させたのではあるまいなぁ……?


 それが真実だとするのならば、

 絶対に許さん。許さんぞぉ……!

 隻眼の毛むくじゃらと同様だ!

 刻下として、コイツの名は記されたのだ!

 どのような手段を用いてでも、必ずや滅してやるリストへとなぁ……!


 これぞ、怒り心頭である。

 頬どころではないのだ。

 ルゥは顔中を上気させており、

 ギリギリと歯牙を噛みあわせていた。


 その姿はまるで修羅のようだ。

 体躯をこきざみに振動させながらも、

 射殺さんとする眼光はにぶく輝いていた。


「ヒャー!

 とんでもない逸品ですー!

 へんてこりんではないのが残念ではありますが、これはヒャヒャーに違いがありませんよー!」


 ヒャヒャーである。

 スカーは奇異にすぎた新言語を召喚しつつも、

 なおも有頂天のようであった。


 鏡に映りこむ、粘液の体躯。

 それは、蒼天じみた色彩によりきらめいていた。

 蝙蝠の二翼は、軽快にはためいている。

 空の旅路。アクロバティック飛行を堪能していた。


 だが、しかしだ。

 現下の僕では力不足なのだ。

 ヤツを確実に滅するには、

 用意周到なる計画を練らなければならないのだから。

 とルゥはうらみつらみ満載である。

 猛然としすぎた威風を放ってはいた。


 しかし、このままではいけない。

 ルゥには、為さねばならぬ事柄があったのだから。


 なればこそ、緻密に冷静に。

 たける激情を鎮めようと、

 深呼吸を繰りかえしてはいたのだが。


 いぜんとして、

 響きわたる意味不明な言語(ヒャー)

 おおいなる嘲りの叫声は、まるで猛毒のようだった。


 虚弱なルゥへと、からくも感染を果たす。

 少なくはない、如実なダメージを与えつづけていた。


 しかし、ここでひとつ。

 怜悧なる頭脳が輝きを放つ。

 どうにかこうにか、苦肉の策をこうじたのであった。


 なんと、連続で吐きだされる猛毒(ヒャー)を、

 他国語に変換することにより対処したのであった。


 効果のほどは微々たるもの。

 ではあったのだが、

 我関せずと燕尾服のほうへと歩みよった。

 おもむろに左手を顎にそえる。満足げにうなずいた。


 うむ。悪くはない、のか?

 正直にわからないのだよ。

 これまで服装になど興味はなかったし、

 僕の保有しているセンスなどは信用に値しないのだから、な……。


 なればこそだ。

 同様の性別であるスライム。

 たわけきったヒャーの伝道師とやらに、ご協力を願いたいのだが。

 どうせ、面白半分でドレスを押すに決まっているのだ……!


 そうだ、な。

 もとより、あのようなフリフリは論外のきわみ。

 そうであるのならば、燕尾服(こちら)、か……。


 つぎの瞬間だった。

 狂喜乱舞の舞いをご披露していたスカーは、

 とある異変にでも気づいたのだろうか。

 まさに一目散である。

 ルゥの眼前に急停止すると、

 濃い紫色により点滅したのであった。


「……る、ルゥさん。

 まさか! ま、さ、か、ですよ!

 こちらの! どのように見ても男性的な!

 忠義の燕尾服を選ぶとでもいうんですかー!?」


 騒がしき叫声に、ルゥは辟易(へきえき)としている。

 眉間には深いシワがきざまれていた。

 然りではないか。

 と燕尾服にむかい、人差し指をさしたのだが。


「ええー! ええー!?」


 スカーには意外だったのだろう。

 粘液の体躯は怪しき光を。

 紫色のきらめきを放射しつつも、

 グニョグニョと変形していた。

 力一杯に、絞りあげられているかのようである。

 まさに驚天動地。神様。仏様。

 などと言わないばかりに声をあらげた。


「そんなー! そんなわけがあってはいけませんよ!

 女の子、なのにっ! ルゥさんは女の子なのにー!」


 スカーはまるで、

 火あぶりにでも処されているかのようだ。

 揉んどりうちながらも、激しい抗議をしていた。


「…………」


 ああ、これはそうだわ。

 面白半分で完全に煽られているわ。


 そのように想察したルゥは、怒髪天をつく勢いである。

 悪鬼羅刹と化した眼光は鋭利。

 明らかな殺意の色彩をひけらかしていた。


 それもそのはずである。

 ルゥに取っての禁句。

 許されざるワードが、無遠慮にも放たれていたのだから。


「ギーギ! ギギギギ!」


 女の子……! 女の子、だとぉ……!

 貴ぃ様ぁ……!

 黙していればいけしゃあしゃあと!

 お前はなにを! たわけたことを吐いているのだ!


 さもありなん、直訳である。


「たわけてなんかいませんよっ!

 燕尾服は着るのはおかしい!

 まるで男の子みたいじゃないですかー!

 認めません! スカーは認めませんよ!

 天地がひっくりかえっても、認めてなんてあげませんからねっ!

 さあ、さあ! こちらの執着のドレスにしましょう!

 そうしましょう!

 だってルゥさんは女の子! 女の子なんですからっ!」


「ギィギ! ギ! ギギキギ!」


 なんだとっ!

 許可するのは僕のほうだ!

 僕がなにを着ようが、貴様にはいっさい関係などないのだ!

 決定権は僕にある!

 決して貴様ではないということを、努々(ゆめゆめ)忘れるのではないぞっ!


 それに、またしても女の子とっ!

 女の子と言ったな!

 二度と宣うのではない!

 というか、何度宣うのだ!

 かれこれ、もう四度も宣っているのだぞ!

 つぎに女の子と発言してみろ!

 そのお望みのドレスとやらの長鞭で!

 いい加減にブッ叩くからな、貴様!


 純然たる、直訳である。


「ひ、ヒィー。

 こ、怖い……。ルゥさん、怖いですよっ!

 あなたがこんなに怖い人だったなんて……。

 ですが、はしたなくてはいけませんよっ!

 ルゥさんはおん……! はっ!

 いえあの、その、お……、おんとうに!

 ルゥさんのことを、スカーは心から想っての……」


「ギッ! ギギギ! ギギーギ!」


 あっ! いま、女の子と言いそうになった!

 絶対に、完全に言いそうになった!


 なにがおんとうに、だ!

 本当に、だろうが!

 いい加減にするのだ!

 誠にその翼をもぎ取るぞ、貴様!


 僕をバカにしているのか!

 感づけない道理などないではないか!

 それにしてもなんなんだ、その明滅は!

 なんとか隠しとおせたようで一安心ですー。

 みたいな腹が立つ点滅を即刻としてやめろ!


 恐悦至極、直訳である。


「ヒィー……。ば、バカになんてしていませんよー。

 スカーはおんとう……」


「ギ!」


「ではなくて!

 ほんとうにスカーは……。

 ああ、ルゥさん、ごめんなさい。ごめんなさい」


 戦闘能力にかんしては歴然。

 瞭然なまでの溝があるというのに、

 奇っ怪なる子女たちのイビツなトークバトルは、

 ルゥの圧勝により幕を降ろした。


 スカーは萎縮でもしているのか。

 体躯は深緑色に点滅している。怒濤の平謝りをしつづけていた。


 ルゥはあいも変わらずである。

 醜怪な顔もとがった耳も、

 褐色の皮膚もすべからく、ゆでダコのようではあったのだが。


 このままではまずい。

 殺意が暴走しかねないのだ。

 それでは逆に、僕が命を落とすこととなる。


 と、ルゥは自己を戒めていた。

 すみやかに、痴れ者(スカー)を意識外に追いやる。

 すると脳裏には、とある疑問が生まれていた。


 アンリ様は、どちらの衣装のほうがお好みなのだろうか、と。


 うむ。そう、だな。

 まがうことなき事実なのだよ。

 アンリ様が、一風変わった偏向を有しているのは。


 なぜならば、麗人などではない。

 醜怪な面貌こそが、お好みであるのは明々白々。

 灼然たるものだったのだから。


 そ、それならば、だ……。

 ぼ、僕が、このようなフリフリを。

 フリフリの権化かのようなドレスを、着用しても……。

 も、もしかしたら、許される、のだろうか……?


 ところがである。

 怜悧なる頭脳は否と即答した。

 ルゥはうなされるほどの熱を感じながらも、

 勢いよく首を左右に振る。


「お、おお……!

 る、ルゥさん……?」


 スカーはギョッとしているようだ。

 しかしルゥは、当然のように無視をした。


 い、いいや! 違う!

 これは暴走に近い推測なのだ!

 憶測で動くには、情報が僅少にすぎているのだよ!


 ……そうだ。僕は弱者なのだ。

 なればこそ、緻密に冷静に。

 そのようなモットーを念頭に、

 綿密に行動をしつづけなければならないのだよ。


 つまりは、なにはさておき無難に。

 けっして、致命的なミスを犯してはならない。

 そう、じょじょにゆっくりとだ。

 ことを推移させていくのが僕のやり方なのだ。

 よもやアンリ様に笑われでもしたら、

 比喩ではなく、僕は生きてはいけなくなるのだから。


 う、うむ。そうだ、な。

 まずは、為すべきことを為そう。

 総てはそれから、なのだ。

 終局となった向後に、さりげなくだ。

 アンリ様の反応を、見定めればいいだけなのだから。


 しかし、もしも……。

 なんらかの手応えを掴んだ暁には、フリフ……。


 眼前の執着のドレス。

 フリフリさは手強いものである。

 ルゥの脳裏に、鮮明に焼きついては離してくれなかった。


 しかれども、ルゥは振りきる。

 燕尾服を見やると、着衣(クロージング)と念じた。


 身体中が異様に輝くことはない。

 不可解なオーラにつつまれたりもしなかった。


 ただただ、またたく間にである。

 ルゥの装いは、燕尾服へとチェンジしていた。


 もちろん、感謝の言葉などはない。

 ルゥは即座に首許へと、右手をすべりこませていく。

 忌々しき残存物。

 巨大化モンステラの葉を引っこ抜く。

 そのまま荒々しくも、床に叩きつけたのであった。


「ああ、ああ!

 ルゥさん! ルゥさん!?

 ここはゴミ箱ではありませんよっ!

 ほんとうにこまった娘ですねー。

 でしたらもう、この葉っぱは不要のよう。

 スカーがちゃんと処理しておきますからねっ!

 まったく、とんだヒャーなんですから……」


 スカーはきれい好きなのか。

 プンプンと、

 擬音を発しているかのような調子であった。


 魔法か。

 それとも特技、特性なのだろうか。


 無惨にも放棄されている葉を、

 スカーは空中へ浮遊させていく。

 何重にもちいさく折りたたむ。

 バイオレットに点滅する、粘液の体躯へと取りこんでいった。


 響く、肉が焼けるような音。

 一室には、微量の煙りがただよいはじめていた。


 それにしても、ルゥは傲岸不遜である。

 いっさい気にもとどめてはいない。

 壁の鏡面の前で、燕尾服のチェックをしていた。


 首や腕をまわしたり、跳躍してみたり。

 手袋の感触をたしかめようと、

 手のひらの開閉を繰りかえしていた。

 ついで、懐中時計に存在に気づく。

 取りだしてゆっくりと眺めた。


 そののち、主の到来を待ち望んでいるのだろうか。

 中空に浮游したままだったステッキを、右手で握りこむ。

 床の鏡面を、杖の先で軽くつっついてみた。

 小気味のいい音が鳴る。


 ああ、傷がついちゃいますよっ!

 と、わめくスカーも華麗にスルー。

 満足げにうなずいていた。


 うむ。着心地も悪くはないし、やけに機能的だな。

 まがうことなき対者ではあるのだが、

 コイツには真正直に感謝してやってもいいだろう。


 率直にいって葉には、

 鬱々としていたところではあるし、な。


 まあ、この格好でだ。

 密林におもむくのは自殺行為。

 脱水症状により、

 こと切れてしまいそうにも思えるが、

 その場合は何枚か脱げばいいだけ、か。


 それにしても、だ。

 桔梗の花飾りが、良いアクセントになっている。

 ように思えてならなかった。


 ……これで、どうにか。

 アンリ様の傍らに侍る者として、

 恥ずかしくない装いとなれたことだろう。


 そののちルゥは、

 マネキンの礼を模倣していた。

 ああでもないこうでもない。

 と、ポージングの仕上げに余念がなかった。


 そのようなあいだも、

 刻々と鏡面に映しだされる、忌み嫌っていたはずの容貌。


 ルゥは気づけなかった。

 たどりつけはしなかったのだ。

 本来ならば、

 熾烈なる嫌悪感にさいなまれているはずの自身の瞳。

 そこには喜色の色が、

 らんらんと光りを放っているという真実に。


 さきほど激怒されたことが、

 よほど効果的だったのだろうか。


 スカーは話題の転換。

 シフトチェンジを狙ったのだろう。

 誉め殺しというオフェンスへと、着手しはじめたようだった。


「おお、おお!

 良いですねー! 素敵ですよー、ルゥさん!

 いやースカーは痺れちゃいましたよっ!

 ほんとうにルゥさんは、なにを着ても似合いますねー!

 おおいなるヒャーの念をあげちゃいますよ、コレはっ!」


 しかし、現実(ルゥ)は甘くないのだ。

 壮絶なる裏目である。かんぷなきまでに逆効果であった。


 唐突になんだ、コイツは?

 つい先刻までは、燕尾服など似合わんとていしていたではないか。


 それにまたしても、

 大いなるヒャーの念などと、意味不明にすぎる言語を……。


 そのような不要品(ゴミ)は、

 もしも第二の人生が幕開けたとしても、

 開口一番に処分するのはあきらかだ……。


 ならばもしや、新たなる狙い。

 悪しき(くわだ)てをしているのではあるまいな。

 とルゥの警戒心は、飛躍的に跳ね上がっていた。

 つづけて、内心でつぶやく。


 しかし、ここに到着してから。

 一体、どれほどの時が経ったのだろうか。


 まことに、用意周到なヤツだ。

 隠匿されている邪悪な尻尾は、

 いまだ、姿形を(あらわ)としてはいないのだ。

 それどころか、

 昵懇(じっこん)の仲かのように、振る舞ってくる始末なのだから。


 やはり、じつに強敵だ。

 まがうことなきやり手に、相異などないのだよ。


 アンリ様の甚大なる偉力のほど。

 魔力の波動は、隣室から変わっていない。

 微動だにしてはいなかった。


 ……ああ、つまりは。

 ことの推移を推し量っている。

 アンリ様を、お待たせしているのだ、僕は……。


 これでは永続的な膠着(こうちゃく)状態。

 このままでは、変化など起きないように想察されていた。


 それならば、動くか?

 状況を打破せんと、こちらから仕掛けてみる、か……?


 しかし、それは危うい。

 深刻な事態となりうるのだよ。

 然りではないか。

 死ぬ。一瞬で死ぬのだよ。


 アンリ様という後ろ楯のない、

 刻下の脆弱にすぎる僕では……。

 抵抗などなんの意味も持たない。

 たあいもなく落命するのは、昭然たるものなのだから……。


 なればこそ、緻密に冷静に。

 慎重に慎重を重ねつづけなければならぬのだよ。

 蛮勇じみた決断は潰える。

 すぐさま、抗いきれぬ死へと直結してしまうのだから。


 だが、しかしだ。

 このままでは為せない。応えられないではないか。

 アンリ様の……、

 いちじるしき期待に、応えられないではないか……。


 僕は、怖い。

 真正直に震えおののいてしまうのだ……。

 鮮血の翼粘体スカーレット・スライムにではない。

 正体不明の超越者、リオにでもなかった。


 以前の利用価値などない、ただの小鬼族(ゴブリン)に。

 存在の稀薄な僕へと、回帰してしまうのが……。


 いやだ。

 ただ、寄りかかっているだけの塵に戻るのは。

 ただ、守られるだけの小娘で在りつづけるのは……。


 そうだ。……覚悟をきめるのだ。

 もはや後戻りなどできない。

 とうに、賽は投げられているのだから。


 僕は確認しなければならぬのだ。

 中空で回転する、三つのサイコロの出目を。


 なればこそだ。

 もとより、この命はアンリ様のもの。

 その潰えていたはずの命を賭して、

 揺さぶりをかけてやろうではないか……。


 そう、信じるのだよ。

 僕ではなく、あのお方を。

 慈悲深き大妖魔は、

 神算鬼謀の主は必ず、危機におちいろうとも僕を……。


 ステッキを握る手に力がこもる。

 ようやく、ルゥの瞳には光りが戻りつつあった。

 脂汗をかきながら思う。


 おおよそ、ではある。

 取るに足らない憶測ではあるが、

 僕が大声を出さなければ……。


 たしかに、コイツには了知されてしまうだろう。

 だが、ことは単純にすぎるのだ。

 もしも共闘しうるのならば口止め。

 そして、対者となりうるのならばなおのことさら、

 単純明快なことこのうえないのだから。


 僕と敵、なのだぞ?

 アンリ様が、どちらの言を信認するかなど明々白々。

 それに、現下の僕には思いつかなかったのだ。

 これ以上の方策、風穴を空けんとする揺さぶりなどは……。


 押し潰されるほどのプレッシャー。

 止めどない流汗。

 ルゥは精神を鎮めるように、

 こまかな息を吐きだしつづけていた。

 (そで)で額の汗をぬぐう。

 その一拍ののちであった。


 いまだに誉め殺ししているスカー。

 比類なき妖異へと、

 ルゥは意を決して口をひらいた。

 その声色は、変声期前の少年かのよう。

 まるで凛として咲く、一本の(すみれ)をほうふつとさせていた。


「スカー」


「は、はい! はい!?

 スカーの誉めごろ……いえっ! そうではなくて、どうかいたしましたか!?」


「もう止せ。そのような末梢的な事柄ではないのだ」


「……では、なんでしょうか?」


「……驚いて、いないようだな? と言いたいのだ」


「……えーっと、それは!

 ルゥさんがほんとうは亜人語を話せるのに、ということにですかね?」


 ほう。やはりやる。

 とルゥは内心で感心していた。

 脅威への指標がさらに一段階、引き上げられていく。


「そうだ。

 スカーは了知していたのだな?」


「ええ、ええ!

 スカーはやる淑女なんです! 甘く見てもらっては困りますよー!

 だって、ルゥさん。

 そんなりゅうちょうな亜人(イングリード)語で、思念を送ってはいけません!

 バレバレですよっ!」


「うむ。そうか。

 送信したつもりなど、ひとカケラもないのだが、な」


 亜人(イングリード)語での初会話が、心嬉しかったのだろうか。

 照れたように、粘液の体躯はブルブルと振動している。

 ルゥは相手を注意深く観察しながらも、言葉をつなげた。


「スカー」


「はい、はい!」


「まことに感謝している。ありがとう」


「へ! ……ええ、ええ!」


 突如として飛びだした謝意。

 深々と下げられた頭。

 スカーは絶句しているようだった。


 ルゥの頭がゆっくりと戻っていく。

 その口許には害意も毒気もない。

 会心の照れ笑いが浮かべられていた。


「まあ、アンリ様は偉大なる大妖魔。

 彼とともに在るのならば、たとえここに来なくとも、どうとでもなってはいただろう。

 しかし、だ。

 スカーの善意に、無償の慈悲に、僕が救われているのは明々白々……。

 なればこそ、言っておきたいのだ。

 嘘偽りなどなく、僕はスカーへと、とほうもなき感謝をしている、とな」


 スカーには予想外。

 あまりにも、想定外の事態だったのかもしれない。


 はためくのさえも忘れた両翼。

 動揺でもしているのか。

 粘液の球状は、晴れやかな桃色に光っている。

 頻繁に、こまかな震動を連続させつつも、

 大慌ての様相で声を上げた。


「いえ、いえ! 

 そ、そんな! す、スカーはお仕事を、当然のことをしたまでで……」


 ルゥはさえぎるように言った。


「まことに、不思議なものだな」


 穏和な眼差し。

 もの柔らかな声。

 劇役者のような身ぶり手ぶりをもちいて、

 ルゥは言葉を繋げていった。


「いまだに出会って幾許か。

 それだけの時しか経っていないというのに、だ。

 僕はスカーを、いつの間にか、心の底から信認させられていたのだ。

 その事実にいましがた、気づかされたのだよ。

 まるで、前々から親交があったかのよう。

 スカーの持ち前の天真爛漫さ、とでも言うのだろうか?

 おおよそ、それが作用しているのだろうな。こちらまで、明るい気分にさせてくれるのだから……」


「は、はぁー……。

 そうだったんですかぁ!?

 てっきりスカーは失言をしてしまい、嫌われてしまったかと猛省していたんですっ!

 スカーも、ルゥさんとの会話は楽しいですよ! 天にも昇る心地とは、このことなんです!

 苦節、二百年のあいだ、スカーはひとりぼっちでしたので……。

 それに、おまけにですが。

 いえおまけでもないんですが、底が見えない変態野郎との会話も……」


「嫌う道理などないではないか。

 ひとえに、僕は感謝をしているのだから、な。

 まことにありがたい、ものだな。

 このような脆弱で醜怪なる小鬼族(ゴブリン)を。

 吹き上がる塵にひとしき忌み子の僕を、そのように扱ってくれていたとは、な……」


 言い終えて、ルゥは頭を垂れた。

 泣き顔を隠している。

 とでもスカーは受けとったのか。

 焦りと、怒りをともなった大声を張りあげた。


「関係ありませんよっ!

 脆弱だとか! 忌み子だとか!

 ルゥさん! 大事なのは、大切なのはその人の心なんです!

 る、ルゥさんは。そ、その、ほんとうに器のおおきなゴブリンさんですし……。

 い、いっしょになって、嘘つきの変態野郎を糾弾する仲間。

 みたいなものだとも思っていますし……」


 翼粘体(スライム)小鬼族(ゴブリン)の穢れなき友情。

 まさに、感動を訴えかけるよう。高尚なる光景であった。


 スカーは感極まってでもいるのか。

 体躯からは涙のように。

 一滴、二滴と。

 微量の粘液がこぼれ落ちては、床を溶かしていた。


 ルゥは鼻をすする。

 焦げ茶色の瞳は、微量の水分でにじんでいた。

 もの柔らかな笑顔のまま。

 真摯なるまなざしにより、スカーを見据える。

 そしてゆっくりと、右手を差しだした。


 スカーは意図が掴めなかったのか。

 ちいさな手を前にして、体躯を硬直させていた。


 やがて、友情の握手。

 そのように判断したのか。


 おお、おおお!

 とオーバーリアクション気味に、粘体を上下に弾ませた。

 桃色の体躯は、きらめきの濃度を高める。

 射られた矢のような速度により、点滅しつづけていた。


 さながら、神聖な逸品に触れるかのようだ。

 おずおずと、こぶりな右の翼を近づけていった。


 手と翼だ。

 手と手ではなかった。

 しかし、種族は違えど友情は成立するのだ。

 そう、証明せんとするかのような握手は、はかない。


 だが掴むか掴まないか。

 触れるか触れないかの瞬間だった。

 それはスカーの予想をはるかに越えて、転じたのだろう。


 妖異から視線をはずさぬままに、

 ルゥは穏和な笑みを浮かべる。

 そして、無慈悲なる切り札をきったのであった。


「それで僕たちをどのように悪用しようとしているのだ?」


「そうですねー。

 ルゥさんたちは、スカーがって! ……ええ!?」


 冷厳たる誘導尋問である。

 そう、この時を待っていた。


 この瞬間にたどりつくためだけに、

 内心の(あざけ)りを隠して、

 したくもない演技をしていたのであった。


 なればのこその勝ち誇った顔。

 ひらく口許。

 ギザギザの歯牙があらわになる。

 断罪でもするかのように、

 ステッキの先端で敵手を差した。


「やっと、その正体を(あらわ)としたな!

 悪しき、鮮血の翼粘体スカーレット・スライムめ!」


「い、いえ!

 いまのは誤解ですっ! つられてしまっただけなんです……!

 信じて下さい! スカーは」


「なにを白々しいことを!

 さあ、さっさと吐け! 吐くのだ!

 無実なる隠れ家(ブラン・カシェット)とはなんだ?

 一体、何の目的でつくられた?

 リオとは何者だ? 貴様の真の目的を吐くのだ!?」


 策を(ろう)する隙など与えない。

 ルゥは烈火のごとくだ。

 うむを言わさぬように、まくし立ててはいた。


 だが、ルゥもバカではないのだ。

 よもや、このような陳腐な策略。

 誘導尋問ごときで、

 対者の本懐を察しうるとはみじんも考えていなかった。


 とにかくゆらせ。ゆらがすのだ。

 奥深き心胆を推しはかるには、

 隠された悪しき尻尾をつかむには、感情の暴走こそが必要不可欠。

 そのように考察していたからであった。


 スカーは驚愕しているのか。

 どんよりとした、

 深緑色に光る粘液の体躯。

 なおも、かすかに震える声色でつぶやく。


「そ、そんなぁー……。

 で、ですから……、スカーはぁ」


 肝要な点はひとつなのだ。

 当然である。

 なににおいても、説得力がなければお話にならないのであった。


 けれどもルゥは知っている。

 ほかならぬ神算鬼謀なる王。

 アンリから教示されていたのだ。


 不可解な笑み。

 いや嘲笑こそが、たける疑心暗鬼を生むのだ、と。

 奴はどこまで察しているのかと、

 脳裏にいやというほどに焼きつくのだ、と。


 付けこむ。総てを利用するのだ。

 なればこその、いちじるしき上昇を狙おうではないか。

 とルゥは自信満々にも、ニヤリと口角を吊りあげた。


「フッ。児戯は止すんだな。

 気づいていないとでも思っていたのか?

 残念ながら、現下の貴様の状況はもはや詰んでいる。

 薄氷の上にすら立ってはいないのだよ。

 なぜならば現下の貴様は、ただの迷える子羊に成り下がってしまったのだから」


 ふいに、スカーが黙りこくった。

 異様な重圧を、

 ルゥは肌にヒシヒシと感じていた。


 黙してはならない。

 貴様は、弁解しなければならぬ立場にあるはずなのだから。

 それでは、認めているようなものではないか。

 とルゥは目を細める。

 あと一息だと口をひらいた。


「教示してやろうではないか。

 貴様はしてはならない失策を、ひとつだけ犯していたのだ。

 それは単純な感情。……侮り、だ。

 僕だけならばいざ知らず、貴様は慢心からか。

 あのアンリ様さえもを、愚者だと断定してしまったのだよ。

 その瞬間に、貴様の命運は尽きていた……。まさに、早計と言わざるを得ないな。

 決して軽んじてはならない。

 見くびってはならなかったのだよ……。

 比類なき大妖魔。

 アンリ様の頭脳はもはや、天上人と呼んでも差しつかえなどない。

 邂逅したせつなには、いや邂逅を果たす以前から、隠秘されていた邪悪な心根は、いとも簡単に鷲掴まれていたのだから、な」


 言うまでもなく誰も、

 隠秘されている悪巧みなど掴めてはいなかった。


 しかしルゥは、抽象的な言葉をならべ立てつづける。

 意味ありげな、侮蔑の笑みを浮かべつづけるのだ。


 それは一種の賭け。

 そして、苦肉の策といえよう。

 したり顔でのたまうのだ。

 僕は、僕たちははなから、

 お前の卑しき奸計(かんけい)など了知していたのだぞ、と。


 結末はいかに。

 中空に投げられていた三つの賽。

 床に落下して転がり出た目は、一二三(ひふみ)であった。


 一世一代。

 身命を賭したルゥの渾身の賭けは、

 ついぞ、成功へと導かれたのであった。


 空虚なる鏡ばりの一室。

 その雰囲気が、ガラリと変わったのであった。


 一変させた張本人。

 中空で浮遊する粘液の体躯は、

 マグマじみた沸騰を繰りかえしていた。

 おどろおどろしい闇色のきらめきが放散されては、

 たち消えている。


 抑圧されていた、

 まがまがしき魔力の波動。

 明確なまでの殺意は、

 空間を征して歪曲(わいきょく)させると、氾濫していた。


 むろんながら、

 ルゥにはひとたまりもない。

 歯牙を噛み合わせている。

 震える膝を隠しとおしつつも、相手を睨みつけていた。


 一拍ののちだった。

 純粋さあふれていた声質が。

 あまつさえ特徴的な一人称さえもが、とたんに切り替わったのだ。


 甘々な響きの名残はある。

 あるが、きわめて低い。

 まるで地獄の底からひびいてくるかのような、

 怨嗟の声をほうふつとさせていた。


「フフフ。教えてくれませんか、ルゥさん。いったい私は、どこで間違えたんでしょうか?

 (はかりごと)は万事うまく進行していて、てっきりあなたたちこそが、迷える子羊だと決めつけていたんですがねぇ……」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ