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その時点では

「ななな、なんですってー!?」


 スカーの動揺は、色濃いものである。

 耳をつんざくような叫声は、あたりに響きわたっていた。


 スカーの全身は振動中。

 目と口許は最大限にひらかれており、

 痛ましいものであった。


 さしずめ、スカーといえどもどうにもならない。

 ぐらつくような内情を、秘し隠すことはできなかった。


 まことに、価千金にすぎる。

 価値ある言質を取るにいたった、絶佳なる妖異。


 おおよそではある。

 だが彼の王が耳にしたのならば、

 目が点となるのは請けあいである。


 そのような驚天動地なる切り返し。

 光り輝くような妙手を打つと、

 勝敗の行方を、イーブンへと引き戻した混血鬼。


 さりとて、ともだってヤッカイ。

 きわめてケッタイな性質を持つ、臣下たちではある。

 あるのだが、誠心誠意。

 高水準な頭脳を兼ねそなえる、彼女らには称賛を贈りたい。

 心よりの拍手喝采を、禁じえないものであった。


 なぜならば、

 イビツな心理戦の雌雄。

 行きついた結末とは、またもやドローだったのだ。

 純然たる引き分けに、落ち着いていたのだから。


 しかれども、やはり論外。

 許容してなどはくれないのだ。

 より高みに座す、サディスト。

 彼女のほうは不服のようだ。

 ご満足いただけては、いなかったようだった。


 一見するに、善人。

 ルゥは、温和な面様でたたずんでいる。

 それは、友を思いやるかのような、ぬくもりに満ち満ちていた。


 けれどもそれこそが、トラップ。

 おおかたではあるが、

 水面下に忍ばされた、狡猾なる罠なのだ。

 希代の詐欺師が(ろう)した、落とし穴なのだから。


 とたんにルゥは、

 意気消沈といったご様子である。

 やおら、どこか言いづらそうに述べた。

 もちろんのことだ。

 怪しさの指標は、天を有に突破していた。


「まことに、残念。

 まっこと痛ましいことにだが、な……。

 もうひとつだけ。

 もうひとつだけお前には、懸念すべき事項が存在しているのだよ……」


 それはもはや、

 死刑宣告に類似した責め句であった。


 容姿の件だけでも愕然。

 震撼せしめられているというのに、

 ほかの懸念事項。

 その存在をほのめかされては酷。

 なおのことさら、スカーは冷静ではいられなかった。


「ええ! ええ!?

 その容姿の件だけで!

 天地がひっくりかえったかのような気持ちに! させられている始末だというのにっ!?

 まだ!? この私にはまだ!?

 ほかの懸念があるとでもいうんですか!?」


 スカーは、慌てふためいてしまう。

 それどころか、

 戦々恐々といった心境だ。

 どこか、畏怖めいた感慨すらもを抱いていた。


 はたから見るかぎり、

 ルゥはたいそうにも悔しげだ。

 ギリギリと、歯牙を噛み合わせている。

 臨場感あふれる動作により、ひとつうなずいた。


「……然り。それもまた然り、なのだよ」


「いったい! いったいソレは!?

 ソレはなんだというんですか!?」


「うむ。ソレは……だが、しかし……」


 かけがえのない友に、

 このような真実を告げるのは、心やましい。

 とでも言いたげである。

 思い悩んでいるかのような素振りであった。

 やにわにルゥは瞳を閉じる。

 やんわりと、横へ首を振っていた。


 それにしても、じつに嘘臭い。

 しかしながら、瞳すらもをぐらつかせる。

 という高水準なまでの詐術。演技力には脱帽であった。


 ルゥはどことなく、

 大女優めいた風格すらもを、従えている。

 震える指先により、とある部位を指さした。


「その、戯けきった胸、なのだよ……」


「ええ? むねぇ?

 (コレ)? コレ、ですよねぇ?」


 スカーは理解不能である。

 意にかいせていなかった。


 胸? 胸とはいったい……。

 いきなり、なにを言っているんだろうか?

 この毒舌ゴブリンは。

 もしや、頭のほうが、ほんとうの意味でイカれてしまったんでしょうか……?

 心のうちで、そう毒づいていた。


 ルゥはというと、うら悲しげだ。

 全身をわなわなと震わせていた。

 そのような同僚の様子を、

 スカーはアホの子を見るような目で、眺めてはいたのだが。


「ですがこの胸は、さきほどルゥさんが言っていたではないですか。

 最大の武器になりうる。って痛く満足げにって!

 ……ああ! そ、そう言えば!

 た、たしかに! あの時アンリさんは……。

 でしたら私にも思いあたるふしが、でしたらもしや……、でしたら」


 でしたら。

 という連呼は、痛恨なまでにはかない。

 無惨なほどに、内情はあけすけとなっていた。


 むろんのことである。

 知恵者たるスカーは、気づいてしまったのだ。

 このような苦境におちいりながらも、活動している。

 その聡明なる頭脳が、休むことはなかったのだから。


 無音なる水泡内。

 スカーはほのかな、若葉色の明かりに照らされている。

 目や口の開閉は、矢継ぎばやに繰りかえされていた。


 思いかえされるのは、過去。

 顔から火が出るようなまでの、思い出である。

 それはあられもなさすぎた姿を、

 まじまじと凝視される、という騒動であった。

 内心で独りごちる。



 た、たしかに、そうだ。

 そう、だったんでした。


 私はそこまでとは、決して思ってはいません。

 いませんが、ルゥさんいわく、

 傾国の美女らしい、私の裸を目撃したんですよ?


 そのような状況。

 ふつうの男の子であるんならば、当たり前に赤面するはず。

 それこそ、リビドー的なナニカが、

 あふれでないはずは、ないんですよ。


 ところが、ところがです。

 あのアンリさんは、いたって無表情。

 いっさい、気にもとどめてはいなかったような……。

 ということは、ソレは、でしたら……?


 救いを求めるかのようだった。

 スカーの視線は、ひとりでに動きはじめる。

 たどりついたさきは、言わずもがなであった。


 けれども、やはりと言うべきか。

 かけがえのない大親友の表情は、一変としていた。

 待ち詫びていたかのように、述べたのである。


「うむ。そのでしたら、なのだよ」


 さすがの観察眼に、洞察力である。

 だだ漏れになっていた、内情の推移。

 思考の変化を読みとるなど、ルゥにはぞうさもなかったのだろう。


 もはや、演技は不要とばかりだ。

 ふいに、ルゥは目をかっぴらく。

 ニヤリと、口角を吊り上げてみせた。


 それはそれは、馴染み深いものである。

 底意地の悪い嘲笑は、

 うす暗闇のなかで、異彩を放ちすぎていた。


 鷹揚な動作により、

 両手を広げていく風姿はスマート。

 日々、醜怪な面貌の下半分を、

 覆い隠している絹のマフラー。

 その不在が、気にならないほどである。

 それはそれは、優雅な立ち振舞いであった。


 まずい。これはいけない。

 完全に、ノッてきているのだ。

 自明なことにである。

 おってご披露されたのは、お決まりのポーズだった。


 真っ白な手袋につつまれた、右手。

 人差し指を一本だけ立たせると、見せびらかした。


「そう、誤想してはならない。

 決して、違えてはならなかったのだよ。

 なぜと問うに僕は、このように条件づけていたのだから。

 ソレは、風穴を空けうる武器にほかならない。

 しかし普遍的な、卑しき男どもであるのならば、とな」


「え、ええ、ええ。たしかに。

 コレはいけません。いけませんねぇ。

 私はかんぜんに舞い上がっていた。

 いや、有頂天にさせられていたようですねぇ」


 熟考せざるを得なかった。

 ことによる思わぬ効能。

 いくぶんか、スカーは、落ち着きを取り戻しつつあった。


 聡明かつ、勝ち気な少女然とした声色で、

 抗弁していく。


「ようするに、ルゥさんが言いたいのはこういうこと、なんです。

 普遍的なソノ枠のなかには、アンリさんは入ってはいないんだ、と」


「うむ。正解なのだよ。

 すばらしい。すばらしいぞ、スカー」


 えらい。えらい。よくできました。

 とでも優しげに、

 幼子を誉めているかのような、台詞であった。


「なぜ問うのは、単純明快。

 アンリ様はこのように、おっしゃっていたのだからな。

 そのやんごとなきお口から、明確なまでに、だ。

 スカー。お前には、なんら興奮しないんだ、とな」


「で、ですが、ソレはですよ?

 思春期的な羞恥心による強がり。

 そのような感情からなんだろうなぁ。

 などと思いこんでしまっても、私に落ち度な」


 制するようにルゥは言った。


「なるほど。たしかに。

 そのように仮定するのならば、お前に落ち度はない。

 そのように思いこんでしまうのも、無理からぬことだろう」


「そ、そうでしょう? ですか」


「だが、しかしだ。

 その時点では。

 という、枕詞(まくらことば)が付随されてはしまうが、な」


「…………」


「そう、その時点では、だ。

 そして、お前には興奮などしない。

 つまりはなんら興味がない。といった科白は、嘘偽りではないのだよ。

 それを物語るようなまでの顛末を、僕は確認している。

 それこそ、その場にいたお前も、うなされるほどに、だ。

 視認させられていたはず、なのだがな」


 ルゥは、まことに手強い。

 したたかにすぎる女性であった。


 見えざる場の主導権は、握られてしまっている。

 スカーではとうてい、奪い返せそうにはなかった。


 理解してはいたが、やはりイカれている。

 その隙のなさは、エグいほどであった。


 無慈悲なまでの責め句は、果てない。

 スカーの額には、脂汗がにじみはじめていた。


 その時点では。

 というキーワード。

 そして、それを物語る顛末。

 むろんのことである。

 スカーはとうに、思いおよんでいたのであった。


 ルゥさんの言うとおりだった。

 その時点で私は、気づけていたはずなんだから。


 だというのにもかかわらず、

 気づくことができなかった。

 その理由は、邪魔されたことからの怒り。

 それにより、さまたげられていた。

 だからこそ暴走してしまった。

 という私自身に、ひどく腹が立つ。


 胸のうちで、

 頑固者の性分がさわいだ。

 なればこそ、性にあわない。

 ただただ、言われっぱなしのままでいるのは、

 我慢がならなかった。


「その時点では。

 とは、ついさきほどの顛末。

 アンリさんがひどく酔ってしまった、あのヒトコマですよね?」

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