ルゥの一人遊び
年がら年中。
悪意の入りこむ隙間のない領域。
じつに安穏なる、無実なる隠れ家。
ここで一風変わった主従が、
暮らすようになってから早くも、数日の時間がすぎていた。
現在は威度A級までの、六部屋が解放されている。
そのために、生活の水準は満足のいくものとなっていた。
バリエーションに富んだ部屋。
あらたに追加された施設の名称は、以下のとおりであった。
ダイニング。キッチン。
図書室。大浴場。
修練場。菜園。
自明ではあるが、
これらすべての部屋は、招かれたお客様専用のものであった。
だというのにもかかわらず、スカーは傲岸不遜である。
客など来るものかと一蹴。
自暴自棄という暴走により、かってに使用していた。
ほかの部屋は、清掃をおこなえばいいだけだ。
しかし菜園はというと、
取りかえしのつかない状態となっていた。
本来の名目はお客様が、
ガーデニングなどを楽しむための施設である。
だが現状の菜園は、地面の土も見えないほど。
植物がうっそうと生い茂っている。新緑の匂いが充満しきっていた。
スカーに取ってそれはみな、
苦節二百年の時をともにすごした、かけがえのない我が子のようなもの。
「お願いします! 初期化しないでくださいっ!
アンリさん! 慈悲を! お慈悲をー……!」
とスカーは、守るように両手をひろげる。
多種多様の野菜たちを背に、
痛切に懇願していた。
じゃっかん、ひいているルゥ。
彼女に見下げられてはいたが、
アンリはあっけなく快諾。
感動にうち震える、という場面もあった。
しかし膨大な野菜のおかげで、
半永久的に、餓死するような事態にはおちいらないだろう。
そして物語りの時点は、移っていく。
隠れ家での生活に慣れはじめてきた、とある早朝に。
またもや、全面が鏡ばりとなっている修練場。
そこから廊下へと、
ルゥの荒い息づかいがもれ響いていた。
もはや、ここ最近の慣例となりつつある姿だ。
それは日々早起きをかかさない、ルゥの日課であった。
じつに奇っ怪ではある。
だが自身のランクはC級へと、
三段階もステップアップしていたのだ。
そのような経緯から、
ルゥはもしやと考えていた。
なればこそだ。
こうして、今現在の自身にも気づけない、
こまかな変化を調査していたのであった。
これは余談ではあるが、
ルゥは、己のめざましき成長にかんして。
アンリ様の高貴なる勢威。
慈悲深き魔力の波動が為した、奇跡の御業にほかならない。
うんたらかんたら。
などと、意味不明な理論をつぶやいていた。
耳にしたスカーを、ドンびかせてはいたのだが。
進化などの行程を経ていけば、別ではある。
あるのだががんらい、最下級小鬼族に、
魔法があつかえないのは通例だった。
ご多分にもれず、
ルゥにも魔法はあつかえない。
そのうえ自身が、進化するような予兆なども感じとれてはいなかった。
しかれどもである。
刻下の僕ならば、可能性はあるのではないか。
との考慮から、いまもなお、試行のまっ最中なのであった。
ルゥの額に、数滴の汗がにじんでいる。
人差し指を一本だけ立てたまま。胸の前にかざしていた。
それを強烈な目力で凝視する。
なんか出ろ! なんか出ろ!
と、狂ったように念じていた。
しかし、現実は非常である。
ピクリとも、指先は反応しなかった。
ルゥはながめの嘆息をする。
「やはりいまの僕では力不足、か。
ああ、アンリ様。僕は初級魔法すらも行使できない、ダメなゴブリンのようです……」
だが、落胆している時間こそが無為。
不要そのものなのだ。
と、己をつよく一喝する。気を取りなおした。
図書室から、許可なく拝借してきた書物。
その道をきわめる者にとっては、
垂涎ものの古びた魔法書をひらく。
その魔法書の内容はすでに暗記し、熟知してもいる。
だが、わらにもすがる思いで、ページをめくっていった。
おおまかなルゥの一日は、これよりはじまる。
毎日毎日飽きもせずに、魔法関連はもちろん。
ブラックステッキや、長鞭をあつかう訓練もつんでいた。
例外といえば、
スカーが調理し、アンリが手伝っている食事時だけ。
それ以外の時間は、
疲労により気絶しそうになるまで訓練をする。
そして大浴場で一日の疲れを、汗をながすのであった。
むろん、夜も言わずもがな。
王の一声以外は、すべてをないがしろにしていた。
この世のありとあらゆる書物を、
かき集めたような図書室にこもりっきり。
知識の探求に目を輝かせて、
精神異常者のような笑みをたずさえつつも、
さらなる勉学の道を歩んでいた。
まことに、涙ぐましい努力である。
そのすべては、果たすべき宿願のため。
亡き母上のため。
そしてほかでもない彼の王。
アンリのお役に立ちたい、という一心から作用されていた。
どこぞの神算鬼謀の王。
比類なき大妖魔にも、見習ってほしいものだ。
くだんのアンリはというと、
いまだに寝室で、まぬけな寝姿をさらしているのだろう。
それはそれで、ルゥの原動力の源となってはいるのだが。
あ、アンリ様の向きが、またもや逆さまになっているではないか。
な、なんという、愛らしさか。
心をくすぐるような、寝相なのだろうか……。
僕は忘れない……。
この時を決して忘れないぞ!
このお方のためならば! 僕は死ぬ思いで研鑽を……、いや、死ねる!
と、同部屋で寝起きしているルゥ。
彼女は毎朝、
魅力的といってはばからぬ寝姿を、拝見しているのだ。
はたから見れば、悪巧み。
邪悪なる嘲笑をたずさえつつも、日々の励みとしていた。
今日も今日とて修練場へと、
奇声をあげながらも、
猛烈な勢いのままに、突進してきたのである。
これは余談ではあるが、
同部屋についての問題もあった。
お二人をいっしょの部屋にしては、
奔放なおこないの歯止めがきかない。
との至言を、スカーが示したからであった。
しかし、不可視の壁が水をさす。
螺旋階段付近の管理室へと、
ルゥを招くことはできないのであった。
したがっていまは、別々だ。
寝室に、ならんで配置されているふたつのベッド。
そこにアンリと、女性陣の組み合わせで寝ていた。
そのさい、ルゥの身が危ない。
と、アンリは決定に異議をとなえてはいたのだが。
「あなたは! またしてもわけのわからないことを言って!」
との、スカーのツッコミ。
猛烈なる抗弁にあい、撤退を余儀なくされていた。
アンリの一日の仕事は不確定だ。
おおまかには、スカーの家事のお手伝いであった。
それが暇になれば、ルゥのもとへとおもむく。
その尋常ではない努力のほどを、
感きわまりながらも、凝視する生活をおくっていた。
されども、ひとつだけ。
アンリにしかできない仕事も、存在していた。
それは、漢たる者の本職。
外界に出ての狩猟であった。
もちろんのこと、
隠れ家では野菜にこまることはない。
だが、肉類や果物などはないのだ。
そのうえである。
引きこもりは外出しようとはしないために、その役目はこなせなかった。
なればこそ、ほぼ毎日。
アンリは意気揚々と狩りに出かけていた。
だが、一人で出かけたことはない。
どこからか、嗅ぎつけたルゥ。
彼女が、風のように飛んでくるからであった。
片手にはブラックステッキ。
ベルトのように、長鞭も腰に巻きつけた風体。
最強装備の出で立ちにより。
そしてどことなく、
不安そうにこちらを見つめているスカー。
彼女を背に、逃避への扉をひらくのだった。
すると毎度のことながら、
最初に目に飛びこんでくるのは、面妖なるシロモノ。
うず高く山盛りとなっている、劣等種たちの貢ぎ物であった。
当然のように大きな虫の死骸や、
血みどろの臓器らしきものは無視。
食べられそうな果物などを、
アンリはハテナ顔で回収していく。
そののち、である。
不敵にも口許を曲げつつも、
さっそうと全裸となり、川へとダイブするのであった。
それだけで、狩猟は終わりである。
けた外れた、魔力の波動にあてられた魚は気絶する。
水面へと、プカプカと浮いてくるのだから。
スカーの一日はというと、満ち足りたご様子である。
やかましき叫声をひびかせつつも、
家事や、菜園の我が子たちの生育におおいそがし。
ここ最近のおおきな仕事は、
自らが荒廃させてしまった、衣装室の修復作業ではあったが。
修練場は広々としていた。
動作の確認をしやすいように、全面は鏡ばりとなっている。
照明などの光源は見当たらない。
だというのにもかかわらず、きわめて明るかった。
中心部には百八十センチほど。
真っ黒な皮膚を持つ、マネキンが直立していた。
そう、これこそが目玉商品である。
打ちつけてよし。凪ぎ払ってよし。
完全修復機能を完備した、マジックアイテムであった。
くわえて、修練場にはもうひとつ。
とんでもない機能が導入されているのだ。
マネキンへと使用者が触れることにより、
自動的に記憶を読みとる。
そしてなんと、
いままでに邂逅したモンスターや敵などに、姿を変えるのであった。
いたれりつくせりの、戦闘訓練が行えはする。
だが弊害もあった。
それは使用者の観察眼である。
相手を見極める力量のほどが、如実に表れてしまうのだ。
なればこそである。
視認した魔法などしか行使しない、という側面も存在していた。
修練場のなかで、
ルゥはイラだっていた。
初級魔法すらもあつかえない。
というていたらくにより、落胆しているのであった。
顔中を濡らしている汗。
それを折りたたまれたハンカチで、忌々しげにぬぐう。
「ふむ、僕の潜在能力の浅さには、ほとほと愛想が尽きる、な」
出入口近くの床。
そこには難解な書物の数々が、
綺麗に整頓されて、壁へと立てかけられていた。
ルゥは腰を曲げて、
ぶあつい書物を二冊だけ手にとる。
頁をめくっていった。
それは初心者にもわかりやすい、絵つきの本。
武器の扱い方が解説された、指南書である。
タイトルは以下のとおりであった。
「あのゴブリンでも三日でマスターできました! 洗練されし棒術!」
「あのゴブリンでも今日から妖艶な女王様! きみも華麗に鞭をあやつろう!」
なんとも手厳しいものだ。
小馬鹿にされているかのようなタイトルである。
しかれども俗世においては、
ゴブリンという種族の立ち位置は、そうとうに低いのであった。
ルゥはこれを見つけたさい、即座におかんむり。
子供のように激昂しては、
地団駄を踏んでいたのは言うまでもなかった。
もしや、魔王とやらは……。
僕がここに来るのを、知っていたのではなかろうな?
などと、疑心暗鬼におちいっていた。
しかし、どれだけ探しても無駄骨。
背に腹は変えられないのだ。
関連する書物は、これだけしかなかったのだから。
現在もだが、
ルゥにはとある心得があった。
自我を喪失しそうになるおりには、
威風堂々なる大妖魔。
我が王のお姿を、まぶたの裏に思い浮かべてはうち消していたのだ。
その心得の効力により、
ハッと、ルゥは我にかえる。
壁の鏡面に映りこんでいた自身と、目があった。
ニヤリと口角を曲げていく。
右手にたずさえたステッキ。
それを器用にも、
手首のスナップだけで、縦方向に回転させた。
ふいに半円状のまなこが、輝く。
妖しくきらめいた、瞬間である。
睨みつけられたマネキンは、その姿形を変えていった。
そして、怨敵のご登場である。
憎悪の念すら覚えている、毛むくじゃら。
隻眼の大猿が、この場に出現していた。
しずかに呼吸している様は、生物のごとく。
陽炎のような、透明な闘気をまとう外形。
隻眼の風貌から、繰りだされる威圧はすさまじい。
それは記憶にあたらしい、密林の覇者そのものであった。
彼は、ルゥのお気にいりなのだ。
のきなみ修練のお相手は、この大猿がつとめていたのだから。
スカーに理由を質問されたさいには、
悦楽に染まる形貌のまま。
以下のように答えていた。
「いっさいの哀憐の情を抱かずに、害せる敵手はそうはいないから、な」
しかしながら、
より遺恨の残っているはずの宿敵。
その風体は、ただの一度も出現してはいない。
なぜならば、
視界にいれたくもない汚物や、
害虫レベルにまで達しているからであった。
もちろん、ルゥと隻眼の大猿。
両者には、実力におおきなへだたりがあった。
なればこそだ。
だんじて身動きのとれない、静止モードでの対峙となっていた。
やにわに、ルゥは重心を低く落とす。
走り出すまえのかようだ。
前傾姿勢となると、足を前後にひらいた。
ステッキを逆手に握る。
右腕だけを後方へとそらした。
この構えは未完成ではある。
だがここ数日間で、
悩みに悩みたどりついた自己流であり、苦肉の策でもあった。
最下級ゴブリンだというのに、
不思議にも威度は破格のC級。
D級のものに比べると、身体能力はきわめて高かった。
しかし、目指すべき目標も高すぎるのだ。
それはアンリやスカー。
比類なき大妖魔や、妖異であったのだから。
だからこそである。
自身には、かぎりなく腕力が足りない。
と思い悩んだすえに、
速度や遠心力などを軸とした、
戦闘方法を模索し鍛練していたのだった。
「素晴らしい。まことに素晴らしいぞ。
その腹立たしき容貌は、夥しき被毛は、僕に怒りを与えてくれるのだから、な……。
むろん、貴様の卑しき思惑は、手にとるように事解している。
しかし、許さん。許さんぞ、悪しき毛むくじゃらめ。
アンリ様の崇高なる貞操を奪いたい。
そのようにせつに願うのならば、この僕を滅してからにするのだな」
まさしく、冷厳たる混沌。
混沌なこと、このうえない科白であった。
彼の王が盗み聞きでもしていたら、目が点。
愕然となってしまうことは、請け合いであった。
一拍ののち、である。
思いきり床を蹴ったルゥの姿が、こつぜんとかき消えた。
いや、違う。
目にも止まらぬ速度で、行動しているのだ。
まるで、幻惑でもしているかのよう。
不気味にも、残像をのこしつつも、
動かぬ大猿の周囲をまわっていた。
一足飛びで、壁を強く蹴る。
その勢いを利用しつつも、目標へとステッキを振るった。
的を絞らせないように、
また相手の周囲を、不規則な動きで走りぬけていく。
一撃一撃の攻撃はじつに軽い。
さりとて、隙ができれば攻撃を繰りかえす。
そのような様は効率的な、ヒットアンドアウェイ戦法であった。
大猿の巨体へと、殺到していく打撃。
もはや気の毒にすら思えるが、
苦悶の表情により、うめき声を上げつつも耐えつづけていた。
心臓や腹部、股間。
目や喉元にいたるまで、
急所の部分が、ことごとく狙われつづけていた。
それにしても手ひどい。
執拗なものである。
悪魔的なまでに、非道な仕打ちであった。
なぜならば、七対三の割合で七。
股間ばかりを、集中的に狙っているのだから。
かわいた衝撃音が、
断続的に鳴りひびいている。
粘着質にも、攻めつづける姿勢は悪鬼そのものだ。
かぎりなく残虐。サディストたる片鱗がかいま見えていた。
首許に巻かれた絹のマフラー。その先端。
のこった縦糸のフリンジが、ひらひらとなびいていた。
マフラーのおかげで、
醜怪な面貌は隠されている。
そのために、じつに優雅であった。
見え隠れする、愉悦に染まる口許。
舞い踊るような動作は、クールでスタイリッシュだった。
ようやく、気が済んだのか。
力強くも壁を蹴る。転がりつつも距離をとった。
その惰性により、
滑ってしまうが重心を落とす。
前傾姿勢のまま。前後にひらいた両足により、勢いを殺した。
ルゥはゆっくりと立ち上がる。
最大限に目をかっぴらいた。
「ハーハッハッハッ!
もとより! 下賎な毛むくじゃらごときが! 僕に敵う道理などなかったのだよ!」
身動きをとれない弱者。
無害な相手だというのに、まことに卑劣な台詞であった。
「フッ。いいだろう。
いまだに戯れ言を宣う余力が、残存しているとは、な。
じつにご立派なものだよ。
で、あるのならばこの僕が、直々に引導をわたしてやろうではないか」
言うまでもない。
隻眼の大猿は無言をつらぬいている。
はあはあと、荒い息づかいをこぼしているだけだった。
渇望する妄想により、
幻を見ているルゥは、横へと手首をまわす。
小気味のいい音が鳴った。
ステッキの部分だけが外れて、床に落ちていく。
あらわになるのは、
装飾のすくない簡素な短剣だ。
スティレットの銀色の刀身が、明かりを反射する。
妖美なるきらめきを帯びていた。
鞘となっていたステッキ。
それが床へと落ちていく。
落下した音がひびいた、刹那であった。
ルゥは無表情のまま。
自身の最大限の力でもって、床を蹴りあげた。
目標に向かって、直線的に突っ込んでいく。
その様はまるで、射出されたボウガンの矢のようだった。
そのまま一度も、
床に足をつけることはなかった。
隻眼の大猿の喉元へと、
呑みこまれるように、スティレットの刃が突き刺さった。
その状況のまま。
片手だけでぶらさがる。
恍惚とした面持ちで懸垂した。
焦げ茶色の瞳は、酔いしれるように標的を見つめていた。
そして、怜悧なる混血鬼はつぶやく。
粛然とした吐露をこぼした。
「絶息し、贖うがいい」
またもや、ケッタイな科白である。
偽物の大猿が死ぬ理由もないし、罪を償う道理もなかった。
ひるがえって、ルゥは上機嫌である。
たっぷりと余韻を愉しんでから、
ゆるりと、スティレットを引きぬいた。
華麗に着地してみせる。
虚脱したような足取りで、後ずさっていく。
エナメル靴の足音が、あたりに響いていた。
大猿は、なにごともなかったかのようだ。
戦闘の傷痕を、修復しはじめていった。
つい先刻の二重人格ぶり。
板についた、劇役者ぶりはどこにいったのだろうか。
ルゥは能面のような顔である。
やおら、両腕を組む。自己を分析しはじめていった。
「うむ。そうだ、な。
わずかに強くなってはいるようだが、まるで心許ない。
僕の目標はひとつ。
指先さえもとどきはしない、天高き絶対の境地を歩む大妖魔。
アンリ様なのだから、な。
第一にだ。僕が存命中に、そこまでたどりつけるわけなどない。
が、ほんの少しでも近づこうとすることこそが、重要なのだよ。
日々のたゆまぬ研鑽こそが、肝要と言えるのだから。
なればこそだ。
まずはCC級を指標に、果てはB級を目指すのだよ。
どれだけの時間を要するのかは、見当もつかないが。
もしも、B級に昇格した暁には……。
フッ。本物の悪しき毛むくじゃらを、この手で血祭りに……。
ぬ、いかんいかん。妄想にひたっている時間すらもが、惜しいのだよ。
一足飛びにC級まで上昇したのだ。
希望的観測ではあるが、またもや同様の事象が起きない、とはかぎらんのだからな。
それにはやはり、一にも二にも鍛練にほかならない。
それならば明日から、よりいっそうの負荷をかけるか?
この、下賎なる毛むくじゃらを動かしてみるか?
だが、うーむ。いまの僕の実力では、一瞬で滅されてしまうのは明々白々なのだよ。
むろん、滅される向後には、静止する設計となってはいる。
だから傷は、スカーに治癒してもらえばいいだけなのだが、な。
しかしそれでは、卒倒しかけたアンリ様に、またもやご心労をおかけすることとなるやもしれんし……。
うーむ。悩みどころだ……」
むろんながらである。
その道をきわめた達人とは、比べるべくもなかった。
だが、たったの数日間で、
ここまで棒術を自分のものとしているルゥ。
彼女は天才と呼んでも、なんら差しつかえなどなかった。
おおきな要因は、怜悧なる頭脳。
くわえて、驕ることのない精神。
そして、たゆまぬ努力の賜物であった。
指南書の文面を一語一句記憶し、
己の体躯の動かし方へと、理論的に組み立ていく。
戦闘というものは、情報量によりさだまる。
との持論を、ルゥはかかげていた。
一にも二にも、情報なのだ。
弱点は当然だが、
好きなものや嫌いなもの、
得意技や必殺の魔法の属性など、
敵対者のすべてを知り尽くすことこそが肝要。
あたかも、
目前に存在しているかのように、脳裏に描く。
仮想戦闘を繰りかえすことこそが、
勝利への道筋になるのだと、信じて疑っていなかった。
あれこれと、ルゥは思慮に没頭してはいた。
だが突然、微量の魔力をこめて念じる。
するとスティレットだけではなく、
床に転がっていたステッキも、こつぜんと消滅した。
つかの間のすえである。
装いは燕尾服のままだが、
右手には、長鞭のグリップが握られていた。
左手には何重にも、
ぐるぐる巻きにされて、輪となった黒色のボディ。
テールには紫色の装飾。
藤の花が、妖艶にもあしらわれていた。
ボディには銀色の鋭利なトゲだ。
ぎょうぎょうしくも突きでており、
獰猛な息吹をこれでもか、と匂わせていた。
この数日間により、
ルゥは長鞭の扱いも、ある程度は習得している。
初期は大変な難易度に四苦八苦。
燕尾服は裂傷によりズタズタ。
あわせて肉体も、血みどろになる始末だった。
しかし血のにじむ努力により、
かろうじて自傷を負わない程度には、成長を果たしている。
余談ではあるが、
血だるまとなった姿を目撃したアンリが卒倒しかけ、
スカーに説教されながらも、
治療してもらうという騒動もあったのだが。
平穏無事とたたずむ大猿。
それを、ルゥは黙して見据える。
ついで右腕の力だけで、指揮者のように腕を振るった。
長鞭のテールが、
視認できないほどの速度で振りまわされる。
ルゥを軸に四方八方から、
不規則なリズムにより、破裂音がこだましていた。
態勢と動作を維持しながらも、
ゆっくりと目を閉じる。
沈思黙考していった。
脳裏にさっそうと浮かびあがるのは、威度チェック時の顛末だった。




