スカーハーレム
廃屋めいた部屋内はうす暗い。
じつに閑散としていた。
まるで混沌という言語が自我を持ち、
さっそうと走りまわっているような、一時が展開されている。
露出狂とショタコン。
という特殊性癖の両刀使い。
それはきわめて、残念にすぎる二刀流であった。
無実の罪で投獄されている、
聡明な頭脳をたずさえる囚人。
彼女をもってしても、
不本意な誤解の払拭はむずかしい。
八方塞がりの様相をていしている。
難儀なことこのうえなかったのであろう。
あいも変わらずである。
アンリの目と鼻のさきに、スカーは浮遊していた。
まことにお気の毒なものだ。
二翼は微動だにせず空虚。
呆然自失といった有り様により、絶句していた。
粘液の体躯は、ゆったりと明滅している。
外周を暗闇に縁どられた、紫の色彩により。
一方アンリは、温和な雰囲気をかもしだしている。
慈愛に満ちたまなざしのまま。囚人の姿を見守っていた。
しかし、それは表面上だけだ。
張りつけられた演技の仮面なのだ。
いらぬお世話ではあるのだろうが心底、
アンリはスカーを思いやっていたのだから。
特殊性癖という名の難事。
それに正面から相対さんとする、誠心誠意な心持ち。
それも当然である。
スカーに対する多大なる温情。
感謝の気持ちはひとえに、果てないものなのだから。
それは腰に手をあてているふりで隠す、
左の指先だけが、こきざみに震えている。
という事象により、あきらかとなっていた。
もう一方、ルゥは感無量のようだ。
目をわずかにうるませた状態で、たたずんでいた。
緻密に冷静に。
生来から掲げつづけてきたモットーは、どこへいったのだろうか。
しかし、いたしかたないのだろう。
手を伸ばすだけで触れる。
そのような位置にある、信奉しきった王の背中。
それはまるで自らを盾とし、
露出狂の魔手から守護せんとする、騎士のようだったのだから。
むろんのこと、ルゥがである。
そのように思慮しているのかは、さだかではない。
だが、魅入られているような面持ちには、
獰猛なる牙は抜け落ちている。影も形もなかった。
正体を露呈しているのは、
ありのままの素顔。
根深き心奥にひそんでいた、無垢な乙女の容貌であった。
どうあがいても無駄骨。
わずかな快方にすら、むかいそうもない均衡状態である。
しんと静まりかえる室内には、
いたたまれぬ雰囲気がただよっていた。
しかれども、許さない。
したたかな淑女は、断固として許容しないのだろう。
再起動を果たしたスカーは、
雪辱を晴らさんとしているのか。
面目躍如を切願しているのは明白。
そのような粘液の体躯が、ブルリと震えたのだ。
ひとたび濃度の高い、桃色のきらめきを放射する。
甘々な叫声が、あたりに響きわたった。
おおよそそれは、
話題の方向転換にほかならない。
苦肉の謀を、弄したようであった。
「と、というか! というかですよ!?
どうしてあなたは! たおやかな淑女の!
あられもない姿を見つめていたクセに! 平然としていられるんですか!?
これではなんだか、アレでしょう……。
どうしてか、スカーのほうが負けてしまったかのよう……。
もっとこう、ないんですか!?
恥ずかしさから顔をそむけてしまう、とか!
まだ子供とはいえ!
なにやらよろしくない衝動が! からだをつらぬいたりだとか……!」
いまやもう、あけすけである。
直球にすぎた科白は、ひどく痛々しかった。
どこが、たおやかなる淑女なのか。
下劣で下品なスライムの、間違いではないのか?
などと、ルゥは言わないばかり。
やにわに眉をひそめる。
非難めいた半目により傍観していた。
あたりには、静寂が。
いたたまれぬ空気が蔓延していた。
スカーの精神的ダメージは甚大。
そのように予測されたが、
話題の方向転換、という策は実ったのであった。
しかれども、お相手が悪いのだ。
思春期の少年であるのならば赤面。
泡を食ってしまうような詰問にも、
アンリは眉ひとつ動かさなかったのだから。
いたって、無味無臭である。
わずかな感情すらも読みとれぬ目。
視線は、スカーを辱しめているかのようだった。
ほどなくして、
アンリは口をひらく。
まさしく無慈悲なる一閃だ。
切れ味するどい言葉の刃により、斬って捨ててみせた。
「いや、だってスカーはスライムだし」
「い、意味がまったくわかりません!
な、なにを言っているんですか、あなたはー!?
たしかにスカーは亜人ではなく! スライムなんでしょうね!?
ですがさきほどは、見目うるわしい少女だったでしょうにっ!」
怒りをともなったのか。
もしくは、自身で自身を誉める。
という行為に、羞恥を感じているのか。
真相は闇のなかである。
だが、球状の体躯はきわめて真っ赤。
ドロドロとうごめきつつも、ひっきりなしに点滅していた。
ところが総じて、
世とは無情なものである。
怒髪天を衝かれている目標。
大妖魔はなんら意にかいさない。
スカーと目線を、合わせてすらもいなかったのだ。
あろうことか。
アンリはもの優しげなまなざしにより、
ルゥを見つめていたのだから。
「な、なんという放置プレイなんでしょうか……。
いまならばわかります。
グレてしまう子の心境が、手に取るように……」
然りである。
アンリはアンリで、とても忙しいのであった。
なぜと問うに、
うろんげな希望的観測ではある。
だが、これまでのスカーの行動をかんがみるに、
危うい状態は脱していた。
幸運にも、ラインは越えていない。
踏みとどまってくれているように、思えていたのだ。
アンリは特殊性癖を。心の病を。
決してバカにしてはならない。
一朝一夕で完治する見込みのない、
きわめてデリケートかつ、壊れやすいものだ。
とも踏んでいたのであった。
なればこそだ。
これから、気が遠くなるほどのながい時間をかけて、
治療をほどこしていかなければならない。
微力だが自身も力を貸して、
みなで協力しあって、
乗り越えていくべき課題、だと考えていた。
それならば現状として、
最優先するべき事柄はひとつなのである。
それはルゥの心に巣くう闇。
青少年の青きトラウマにほかならなかった。
ルゥの将来をかんがみるに、
女性不信という名の傷跡が。
トラウマが、深々ときざみこまれてからでは遅いのだから。
だからこそである。
どうにか、安心だけでもさせてあげられるように。
との意思によりアンリは、
苛烈な焦燥感に駆られつつも、
ルゥへと微笑みかけていたのであった。
さもありなん。
ルゥはというと、赤面しまくっていた。
尊敬してはやまぬ王。
その微笑みが近くにあるのだ。
そこはかとなく、アワアワである。
あわてふためいてしまうのも、自明の理であった。
アンリは焦慮しつつも、内心で思う。
これはまずい。まずいぞ。
それにしてもなんという、真っ赤さなんだろうか。
じつに、おいたわしい……。
俺はどうにか、
追っ手を振りきったと過信してはいたんだけど。
悪しき風邪の魔の手は、
すぐそばまで来襲していたようなんだよ。
もしくは、フラッシュバック。
知人の女性に襲われるという過去が。
凄惨にすぎるトラウマが、
フラッシュバックしているのかもしれない……。
ああ、ルゥ。すまない。
俺はいったい、どのような手段をもちいればきみを。
わかっているんだ。
早急に手を打たなければならない。
そんな事態だというのは、わかりきってはいるんだけど……。
暗雲晴れるかのような光明。
打開策を、アンリは模索していく。
しかしそのような難題を、
解決する術など、すんなりと見つかるわけもなかった。
あまつさえである。
大恩あるスカーへの返答も、いまだしてはいなかった。
寝ても覚めても礼儀。
礼をかかしてはならないのだ。
目前のちいさな頭をなでつつも、
スカーへと顔だけを向ける。
平坦な声色により返答をした。
「ああスカー、すまなかったね。
えーっとなんだったか。うん。そうか。
たしかにさきほどのきみは、きわだつほどに見目麗しい少女だったよ。
俺はまだ十年しか生きてはいないから、お目にかかれたことは幸運といえるほどの、ね」
ついぞ、ながらくの待ちぼうけ。
放置プレイから解放された、
粘液の体躯は、満足げにはずんでいた。
「そ、そうでしょう! そうでしょう!?
フフフ。幸運なほどにきわだった、見目麗しき少女、ですかぁ?」
「ああ、ほんとうだ。決して嘘なんかじゃないよ」
「そうですかー。そうですかー。
ええ、ええ。なにやら、スカーは誤解していたようです。
異様にませたアンリさんにも、ほんの少しは、かわいげが残っていたようですねぇ……。
かくいうスカーは、プロポーションに少しばかり自信があ」
「しかし、わかってくれスカー」
「はい?」
「スライムだからか。
ほんの少しも興奮はしないんだよ」
「キィー! キィー!」
もはや、怒りなど通りこしている。
激昂により、燃えさかっているかのようだった。
球状の内容物は、ゴボゴボと沸騰している。
つぎつぎと飛散していく、紅の粘液。
飛沫は内壁にぶち当たる。ゆるやかに這いずり落ちていった。
名称のとおりである。
鮮血じみた色彩により、
矢のような速度で明滅している。
周囲を凍りつかせるような、低音の声音をもらした。
「そよ風をぶつけつつも、まじまじと、舐めるように、見ていたクセに、そんなたんたんと……!」
心外なこと、
このうえない台詞であった。
アンリは返す刀で弁明をはじめる。
「すまない。すまなかったよ。
それはスカーの言うとおりだ。
少しばかり、不躾な目線だった。
俺もつよく反省してはいるよ。しかし、そこに他意はないんだ。
どうか。どうか、信じてはくれないだろうか……?」
アンリは深々と頭を下げた。
一拍ののち、顔を上げる。
「あれは好奇心、からなんだよ。
目を離しているあいだに、さ。
スカーが、あまりにも変貌を遂げていただろう?
だからこそ、見つめてしまっただけなんだよ。
なんなら、俺は身命を賭してもいい。ここに宣言しようじゃないか。
だんじてよこしまな感情は、ひとかけらもなかったんだ、と」
たんたんと述べられた弁明。
真摯にすぎた声音が、あたりに響いていた。
しかしながらである。
説得力のある双眸とともに、
明言された弁明は、逆効果のきわみであった。
それはもちろん、
誠意がこめられた謝罪にほかならないのだ。
しかし裏をかえせば、こうなる。
そのような意図がなくとも、このような側面が存在していたのだから。
見目麗しき少女だろうが、
よこしまな感情すら覚えぬ裸である、と。
ようするに、女性的な魅力など皆無の全裸である、と。
そのように、宣言しているにひとしかったのである。
さすがのアンリ様だ。
不要なる脂肪のかたまりかつ、
なんの意味もなさない胸に、拐かされないとは、な。
まことに驚嘆に値する。
やはり、比類なき士君子にほかならない。
などと、ルゥは言わないばかりだ。
キラキラとした目のまま。
身体をこきざみに震わせていた。
つのりゆく感動。
熱狂をおさえられないのか。
弾かれるように、
前面に出されたのは両手であった。
つまりは、またもやの大歓声。
賛美なる、スターティングオベーションのご完成であった。
「またしてもいきなりだな、ルゥ」
はつらつと鳴りひびく拍手喝采。
快音に困惑するアンリ。
プルプルと震えているご様子のスカー。
まさに混沌である。
混沌といわざるを得ない、一時であった。
ほどなくして、
拍手の音が静まっていく。
完全アウェー状態のスカー。
彼女は、気分を逆なででもされたのだろうか。
限界を超えた真っ赤な体躯。
明滅により、
なみなみならぬ激情をあらわにしている。
円球の塊まりはまるで、
収穫間近の、熟れたリンゴかのようだった。
「ななな、なんという暴言を……!
ここ、これは問題です!
問題発言に違いなんてありませんよ、コレはー!」
「暴言……?
いったい、スカーはなにを。いや、俺はさ」
「ええ、ええ! フザけすぎた弁明なんてまるで不要!
スカーはあなたの品性を、よーく理解していますので……!」
そうか。わかってくれたのか。
とアンリは安堵の息を吐く。
「そうか。やはりさすがのス」
「やっぱり、あなたは王!
王なんですよ! そうです!
人を怒らせることにかけては天下一品!
他の追随をゆるさない! イカれきった変態の王に!
違いなんてありませんよ、コレはー!
かえして! スカーの純潔をかえしてー!」
「またしてもおう……? オウ?
ああ、王なのか?
だけどまあ、今は些事だろ。
それにしても、純潔をかえせと言われてもなぁ……」
「スカーは! 純潔を! うばわれたんですよ! みなさーん!」
「ええ……」
まるで、何者かが憑依したかのよう。
スカーは発狂しきっていた。
荒廃しきった部屋内。
そのあちらこちらの中空を、飛びまわっていた。
よからぬ疑惑を生みそうなワードを、喧伝している。
取りつく島もないとは、このことであった。
な、なんという濡れ衣、なんだろうか……。
どうしてスカーが、怒っているのかはわからない。
皆目見当もつかないけど、
とんでもない罵倒じゃないか。
王は王でも、だ。
イカれた変態の王、とかいう蔑称はまずいだろ……。
純然たる自業自得である。
だがアンリは、困り顔で肩を落としていた。
当然のように、
ガラスの心臓もズタズタである。
傷つけられるどころか、爆砕の憂き目にあっていた。
だがどうにか、
アンリは気を取りなおす。
真摯なまでに猛省しまくっていた。
なぜならば、スライムではある。
けれども、スカーは女性なのだ。
不可抗力とはいえ、
全裸を見てしまったのは事実。
それに、女性に対して向ける視線ではなかった、と。
「スカー、すまない。
ほんとうにすまなかったよ。
暴言にかんしてはアレだけど。
目線にかんしては完全に俺が百、悪かった」
謝意の言葉に、
スカーが舞い戻ってくる。
アンリは心の底から、謝ってはいたのだが。
「そうですかって!
な、なんなんですか! その謝る気がぜんぜん感じられない顔はー!」
その表情のなさが、災いしてしまった。
「さ、さすがの狡猾さ。
神算鬼謀の頭脳ですねぇ……。
そのような腹が立つ表情を、見せつけたいがためだけに!
スカーをわざわざ戻って来させるとは……!
グッ! やっぱりこの大妖魔は性格破綻者ですー!
天賦の才をもった! イカれ野郎なんですよー!
みなさーん! この人はー!」
しんさん、きぼう?
とアンリはとまどっていた。
しかしすぐさまである。
ペコペコと平謝りしはじめたのだが、時すでに遅し。
スカーは中空の旅路へ。
アクロバット飛行を駆使しつつも、喧伝しつづけていた。
ルゥは、口を真一文字に引き締めている。
なにやら思慮にでも、没頭しているかのようだった。
奇異にすぎるヒトコマである。
それはながらく継続されていたのだが、
ようやくクールダウンした。
スカーは疲れたのだろうか。
アンリの目の前で、荒い息づかいをこぼしていた。
天賦の才を持った性格破綻者。
イカれ野郎はというと、
かすかに目を見開いていた。
この場にそぐわぬシロモノ。
奇っ怪なる衣装が、視界にちらついたからであった。
それは部屋の中央の人形。
水晶玉を護衛している、二対のマネキンであった。
もちろんのこと、
なにも着ていないほうではない。
ラブリーな雰囲気をまざまざと放っている、
執着のドレスであった。
アンリは小首をかしげつつも思う。
なんなんだ、あれは?
なるほど。わからない。
まったくもって、意図が掴めはしない、
あの、ゴスロリドレスはいったい……。
ええ? 水晶玉は、さ。
その人の品性にちなんだ衣服を、用意してくれる。
そう、説明されていたんだけどなぁ。
じゃあ、アレもそうなの?
ルゥの品性にあやかって、出現したものだとでもいうの?
たちどころに、
アンリは当惑しまくっていた。
その視線はひとりでに、ルゥへと向かっていく。
ええ……?
いやいや、おかしい。それはおかしすぎるだろ?
だって、ルゥの性別は男の子。
まがうことなき少年、だったんだからね。
うん。まあ、なるほど。
たしかに、最愛の弟はかわいいよ?
まるで女の子じゃないか。
と見まがってしまうほどの、愛らしさにあふれてはいるんだ。
だけどそれは、まずい。
まずいじゃないか。
ゴスロリドレスを出現させてしまうような品性は、
まずすぎるんだよ……。
いや、待てよ。
もしかしたらアレは、男性用という可能性も……。
だが、しかしだ。
どのような角度から観察してみてもスカート。
そのうえ、そのような少年用のドレス?
そんなものが、この世に存在するんだろうか?
これはまいった。まいったぞ。
まったくもって、よろしくはない。
道理に反していると、言わざるを得なかったんだから、ね。
これでは。
「お兄ちゃん。
ほんとうの僕は、アブノーマルな男の娘だったのです」
的な、バカげた未来。
不穏な将来が待ちうけていても、不思議ではないじゃないか。
ハッ。だけど、苦笑せざるを得ないよ。
そのようなわけがないんだ。
なぜならば、ルゥはノーマル。
ノーマルなのはあきらかなんだからね。
しごく、当然じゃないか。
まず、一人称が僕、であることは知っている。
そのうえ現に、燕尾服を選び着用しているんだよ?
もしも、ルゥがだ。
女装癖などという性質。
アブノーマルな趣向を有しているんならば、
あのドレスを選ぶのは明白なんだから、ね。
そうか。やはり、か。
そうだと仮定するのならば、これはなにかの間違い、か。
やってくれる。
やってくれるじゃないか、水晶玉め。
あぶなかった。
いやー、ほんとうに良かったよ。
最愛の弟が。
ルゥが同性愛などという、
特殊な癖を持っていると疑うところだったよ。
アンリは深く安堵する。
自然と、ほくそ笑んでいるほどであった。
期せずして、
罵詈雑言の嵐も過ぎ去っている。
アンリの目前にて、
スカーは青色を発しつつも言った。
「それにしても、とんだヒャーですよねー。
まさか、まさかですよ!?
その! 荒々しき服を気にいるだなんてっ!
やっぱり、さすがの変態の王と言ったところでしょうか!
フフフ。その野性味のあふれた品性にピッタリな、おかしな衣装ですぅ!」
「そうかい?
俺はすごく心惹かれたんだよ。
もはや、これしかない、とまで思えたんだけどなぁ。
釘バットもほら、すごいじゃないか」
「いえ、いえ! なにもすごくなんてないですよ!
あまりに抽象的すぎて! なにがすごいのかもわかりませんし!
このさいはっきりと言いますが、あなたのセンスは壊滅的です!
そのようなものを着るには、やっぱりどこかイカれていないと!
ムリなんですからねっ!」
「ギ」
さしもの王盲信派の新鋭。
ルゥもこの意見にだけは、賛成だったようだ。
腕を組んだまま。何度も深くうなずいていた。
えっ? 俺のセンスって壊滅的なの?
ほんとうか、ルゥ?
とアンリは、多大なるショックを受けていた。
「そうかなぁ……。俺にはそこまでおかしくはないと思」
「いえ、いえ! まさしくへんてこりん!
イカれたセンスの持ち主に! 違いなんてありませんよ!」
王罵倒派の重鎮。
スカーは、鬼の首でも取ったかのようにまくし立てた。
「ほら、ほら! ルゥさんの、このうなずきようを見てくださいよ!
そのように考えているのはあきらかです!」
「ほ、ほんとうに?
ルゥ。いまの俺の格好は、そんなにおかしいのかい?」
「ギ」
じつに臨場感あふれる首肯であった。
まさに驚天動地だとばかり。
アンリは放心しきった顔で、天をあおいだ。
「な、なんということだ……」
アンリの全身は脱力しきりだ。
自然とポロリである。
釘バットが手放されていく。
緩慢な動きで宙をたゆたう様は、
寂寞感に満ち満ちていた。
どことなく、スカーは悔しそうだ。
勝ち気な少女然とした声音により、抗議した。
「ど、どうして!
ルゥさんの姿だけに! ショックを受けているんですか!?
さきほどから! スカーも同じことを言っているでしょうが!
ほんとうに、なにか釈然としない人ですねっ!?」
そのようなおりルゥは、
スカーのそばへと近づいていった。
おもむろにギーギーである。
おおよそではあるが、
通訳を頼んでいるのだろう。
「ギギ」
「はい、はい。ふむふむ。わっかりました!
アンリさん、アンリさん。ルゥさんがこう言っていますよ?
もうひとつの衣装、夜陰の衣を装ってみてはいかがでしょうか? と。
ついでではありますが、スカーもそう思」
「や、夜陰の衣、なのか……?
ルゥ、そうなのか?」
口から魂が抜け出ているかのよう。
そのような有り様の彼の王。
アンリであったが、
弾かれるようにルゥを見据えた。
またたく間に、戻りつつある生気。
まるで一筋の救いの糸でも、
探りあてたかのようなまなざしであった。
「壊滅的らしい俺のセンスでは、よくわからない。
だけどそちらのほうが、似合うと思うのかい?」
「ギギ」
洗練された所作。
品の良いたたずまいにより、ルゥは深々と首肯した。
「そうか。そうか」
「こ、コレはひどい……。
なんという、寒々しい疎外感。
スカーはいらない淑女なんでしょうか……?」
まさしく無情なほど。
完全なる無視であった。
ひとり、置いてけぼりを食らっているスカー。
その体躯はグニョグニョである。へこませながらもいじけていた。
ルゥはというと、
柔和な微笑みを浮かべている。
しかし、はたから見れば醜怪の一言だ。
なにやら、悪巧みをしているようにしか見えなかった。
ところがアンリは。
な、なんてかわいらしいんだ。
も、もはやわけがわからない。
と、悶えている。
みるみるうちに、元気を取りもどしていった。
主従の良好な関係性とは、対照的。
スカーは怒り心頭のようであった。
自身に気づけ。とばかりだ。
こぶりな二翼をはためかせる。
静かなる陣風を発生させていた。
一見、もの柔かな風がそよぐおり、である。
居ても立ってもいられない。
と、アンリはすばやく行動に移った。
「よし、善は急げというしね。
さっそく、俺は着替えてくるよ」
隣室へと、
小走りしようとした時であった。
スカーがあわてて先回りする。呼び止めたのであった。
「ど、どこへ行こうというんですか?」
「え? となりの部屋にだけど?」
「ああ、そうでしたか!
すみません。説明していませんでしたかね?
したような気もするんですが、着替えはここでもできるんですよ!」
「ほんとうに? そうなの?」
「そうなの? の時に、どうしてルゥさんを見てたずねているのか。
それは、ほんとうに釈然としませんが……。
もう登録されていますので。
夜陰の衣をイメージして、念じればだいじょうぶなんですよ!」
「これはありがたい。
ほんとうに素晴らしい逸品じゃないか。
よし、それならば」
さすがの即断即決であった。
アンリは念じてみる。
するとつぎの瞬間には、夜陰の衣を着用していた。
「おお、すばらしいじゃないか」
高級感のある青碧と闇色。
それらを基調としているビロードマントと和服は、
格調高雅な雰囲気をまとっている。
アンリの異質な個とあいまって、たいそうに映えていた。
我が王を切望しているかのよう。
かたわらに浮遊していた鉄扇。
高扇を右手に掴んだ。
少々、気恥ずかしい心地のまま。
おそるおそるルゥにたずねてみた。
「ルゥ、どうだ?」
いっさいの返答はなかった。
然りである。
ルゥは顔中を真っ赤にしたまま。固まっていたのだから。
おおよそ、単純に見とれているだけなのだろう。
しかしアンリは不安である。顔をくもらせた。
「うーん。似合わない、のかな?」
「アンリさん、違いますよ!
どうせルゥさんは! あまりのカッコよさに固まっているんですよっ!」
「そ、そうなのかい……?
う、うん。それならば、いいんだけどさ」
アンリはほのかに照れている。
だがルゥは、さらに照れているようだった。
えっ? なんなの?
この私が、邪魔みたいな雰囲気は?
とでも、スカーは言いたげなご様子である。
見るからに、やる気のない態度のまま。
覇気の感じられない調子で述べた。
「でもたしかにー。
ほんとうに黙ってさえいればー、有望株ですよねー。
どうですか、アンリさん。
ここはひとつ、カッコいいポージングなどをしてみては?」
「ポージングかい?」
「そうです! たとえばこうです!
バッと! 鉄扇をひらいてみたりだとか!」
「ええーっと、こうかな?」
かくいうアンリは、
ムダに器用なのである。
胸の前に右腕をかざす。いきおいよく鉄扇をひらいた。
ブラックビロードマントがひるがえり、波打つ。
扇面が、鮮明にあらわとなった。
背景は闇夜だ。
下半分を、暗雲により隠された満月が描かれていた。
そしてひときわ、
異彩を放っているのは漢字である。
蒼く描画された混沌、であった。
「ギギ! ギギギ!」
「わわ」
「とうとつだな、ルゥ」
「ギ! ギギギギ!」
ルゥは狂乱したかのよう。
おおげさな身ぶり手ぶりを駆使しつも、
褒めたたえているようだ。
頬は朱に染まりきったまま。
またしても、スタンディングオベーションであった。
「おお、そんなにか。
まさか、まさかだよ。
そこまでのボディランゲージを、もちいてくれるだけでは飽きたらず。
スタンディングオベーションのおまけつきとは、なぁ……。
だけどどうやら、こちらの服だったようだね。
やはり俺のセンスは、壊滅的におかしかったようだ。
ハッハッハッ」
「ギィーギ!」
「そちらのほうもへんてこりん。
だと思っていましたが、着てみるとなかなか悪くはないですねー。
い、いたい! いたいですよ、ルゥさんっ!」
スカーの片翼をむんずと、
ルゥは力強く掴んでいる。
通訳しろと、命令しているかのようだった。
「わかりました! わかりましたから!
私のデリケートな翼が、折れてしまいますよぅ……」
「ギ! ギギーギ!」
「ええっ?
脆弱な僕の力ごときで、折れるわけがあるか!
そのような戯れ言を吐いているヒマがあるのならば、いいから早く通訳してくれ! 頼む!
ですって?
ほ、ほんとうに、しようのない娘ですねー。
ええっと、アンリさん。ルゥさんがこう言っていますよ。
判別のつかない文字が、ひときわ異質で気にはかかるが、これぞ士君子の装いにほかならない、と。
まことに流麗にすぎるのです。
と太鼓判を押していますよ!」
士君子という単語。
その意味は、アンリにはまったく理解できないのだが。
「ハッハッハッ!」
褒められているんだろう。
と、快活な高笑いをあげた。
上機嫌なご様子により、
さまざまなポージングを織りまぜながらも、口をひらいた。
「ハッハッハッ。
いやいや、そこまで気に入ってもらえるんならば、最初から和服を着ていれば良かったなぁ。
それにしてもルゥでも、この漢字を知らないのかい?」
扇面の混沌という漢字。
それが鮮明に見えるように、ルゥの眼前にかざした。
「ギィ?」
かんじ?
とでも言っているかのよう。
ルゥは小首をかしげていた。
な、なんて愛らしいんだ……!
俺はこの笑顔をまもるぞ! かならずだ!
とアンリは、猛々しくも奮起していた。
その表面上には、おぼろげにも出てはいなかったが。
「そうか。そうか。
俺にも、さ。どうして、知っているのかはわからないんだけど、ね。
なんていうかな……。たんてきに言うと、読めるんだよ。
これは漢字、という文字でね。
亜人語では混沌、と書いてあるんだよ」
「ギィー」
「さきほど着ていた特攻服にも、同じようなのがたくさん、刺繍されていただろう?
あれも漢字なんだ。
俺は多ければ多いほどいいと勘違いして、特攻服を選んでしまった。
というわけだったんだよ」
ルゥは聞きいっている。
興味津々といった面持ちであった。
「へー。アンリさんは、ものしりですねぇ。
それではスカーの衣装の、似たような文字もわかるんでしょうかねー?
それにしても混沌ですか……。いいえて妙ですよねぇ。
混沌が、服を着て歩いているような王ですし!」
「ギィ」
「もしよろしければ今度、僕に教示していただけないか。
と、ルゥさんが言っていますよ」
「ハッハッハッ。
そうか。なるほど。ハッハッハッ」
アンリは有頂天であった。
なぜならば、
ルゥが喜んでくれているようなのだ。
そのうえ賢い弟へと、
自分が教えられる事柄が、存在していたのだから。
それがゆえにである。
盛大な高笑いはこだましていく。
言葉が饒舌となっていくのは、自明であった。
「ハッハッハッ。
すべてが理解できる、とは断定できないけどね。
ルゥのためならば毎夜毎晩、いくらでも教えようじゃないか」
毎夜毎晩という響きからか。
ルゥはとたんに赤面する。全身を硬直させていた。
「こ、孤立無援感がエグいんですが……。
といいますか! さっきからわざとやっているんですか!?
スカーも自分の衣装の! 漢字みたいなものについて、投げかけたでしょうにっ!
それなのにどうして、ルゥさんの言葉だけに嬉しがるんですか!?
ちくいち、スカーだって誉めつづけているでしょうが!」
「おお、それはすまなかったね。
ほんの少しばかり興奮していて、気づけていなかったようだ」
ピカピカと点滅しつつ、
グイグイと迫りくるスカー。
彼女に、アンリはたじろぐ。
両の手のひらを前に出す。気勢を削がんとした、その時であった。
「おお」
突如として、
アンリの細身に悪寒が走ったのである。
それは強大なる悪鬼羅刹と、
相対する瞬間にも起こり得なかった、身震いであった。
な、なんだぁ?
このスカーの異様な圧力は……。
まるで獲物をまえに、
舌舐めずりでもしているような躍動感。
ひいては、好きな人に褒められたい。
とでも願う、少女のようじゃないか。
ま、まさか。まさか、だよ。
もしかしてスカーは、
ルゥだけでは飽きたらずに、
この俺の身をも、狙っているんじゃなかろうな……?
そうだと仮定するのならば、
なんたる肉食系スライムなんだろうか。
なによりも、意味が違ってくるんだよ。
男に誉められるのと、女に誉められるのでは、ね。
そういえば忘失、していた。
俺自身もいまだ十歳。
身長も百五十センチほどでしかない、子供だという事実を。
もちろんのことながら、
スカーがショタコンであるのは、周知の事実なんだよ。
つまりは両手に花、か。
大それたことを発想する、スライムじゃないか。
そう、だったんだ。
目前のスカーは、
可憐なる少年たちを集めて、
ここに、スカーハーレムをつくろうとしていたんだよ!
それにしても、たまげたなぁ。
まさか、この俺すらもが、ハーレム要員の一人だったとは……。
だがしかし、だ。
愛らしさは天上の域。
というキャッチコピーをもつ、ルゥとは違ってだ。
こんなみすぼらしい風貌の俺は、
ほんとうに、ハーレム要員たりえる容姿をしているんだろうか?
ほとんど筋肉もない。
こんな骨ばった身体では、男性的な魅力などないように思えるけど。
うん。正直にわからない。
俺はおじいちゃん以外には、ほぼ会ったことなんてないんだよ。
さきほどセンスが壊滅的。
と思い知らされたように、
盲信していた美的感覚なども、変な可能性が多分にあった。
だが、しかしだ。
よくよく思いかえせば、だよ。
たしかにおじいちゃんは、
お髭をたくわえる、ナイスミドルであったように感じられていた。
父には、
会ったことすらないからわからないけど。
行方不明の母は、赤ん坊ながらに美しかったような……。
あまつさえだ。
忌み子とはいえいちおう、俺の種族はエルフなんだよ。
うるわしき亜人ばかり。
そんなふうに聞きおよんでいたし、
DNA的には優れているんだろうか?
うん? ディーエヌエーって、なんだ?
漢字もそうだけどこのごろ、
よく理解できない単語が頭に浮かぶけど、今は些事だ。
ルゥのトラウマも軽傷。
なんとか鎮まったいま、
また新たなる難題に直面してしまうとは、なぁ……。
さすがに兄弟そろって、だ。
スカーハーレムの一員になるのは、ごめんこうむりたかった。
いやはや、困ったものだよ。
スカーの心の奥底に秘められていた、酒池肉林の野望には……。
アンリは眉をひそめる。
ああでもない。こうでもない。と思案に明け暮れていた。
スカーは気を取りなおしたのか。
頭上高く舞い上がる。
ハツラツとした語気のままに、宣言した。
「さあ、さあ!
説明していませんでしたが!
おつぎはお待ちかねの! 威度チェックとまいりましょうか!?
その結果いかんで、ほかの部屋が解放されていくんですっ!
もちろん、生まれてからつちかってきた称号や!
稀少種である! 加護持ちなんかもわかる優れものなんですよ!
それではまだ、ご案内していない寝室にて、執り行いましょうかっ!」