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八方塞がり

 荒れはてた室内はほの暗い。

 荘厳なる雰囲気をにおわせていた。


 もはや、故障していないのが不思議なほどだ。

 シャンデリアはときおり漏電している。

 焼け焦げた匂いをただよわせつつも、

 ちいさな閃光を、不規則にまたたかせていた。


 いくえにも傷つけられた壁の鏡面。

 それは不鮮明にも、

 奇っ怪なる一座の様相を映しだしていた。


 ルゥは泡でも食っているのか。

 醜怪なる面貌は朱に染められている。

 小柄な体躯は、こきざみに震えていた。


 そのうえ、直立不動である。

 立ちつくしているのだが、しごく当然なのだろう。


 信奉する王の尊き両手。

 それはいまや、

 その華奢な両肩を、やんわりと押さえているのだから。


 ルゥが流麗と言ってはばからぬ容貌。

 それもまた、

 息がかかるほど間近に存在しているのだから。


 スカーはというと不変である。

 あいも変わらずだ。

 あられもない姿形をさらす石像へと、成り下がっていた。


 黒き両翼はこゆるぎもしていない。

 どうにか動けているのは、

 胸郭上の斜方形のみ、という有り様であった。


 光沢のある桃色の閃光を、

 せわしなくも明滅させている。

 まるで緊急事態警報の発令を、

 声高らかに叫びあげているようだった。


 とうに、時刻は未明。

 睡魔という魔物(モンスター)との争い。

 血で血を洗う闘争にやぶれて、

 つい先刻まで、立ったままで器用にも眠っていた王。


 アンリはというと、いたたまれぬ雰囲気である。

 眼前にたたずむルゥを、正視しつづけていた。


 能面のような表情のまま。

 アンリの内心は、多大なる後悔の念でいっぱいだった。


 その要因はひとつ。

 スカーを、無条件に、信用しすぎてしまったことに尽きる。

 己の思考の浅さにイラだちつつも、

 自身に喝を入れつづけていた。


 間違いない。間違いがないんだ。

 これはトラウマ。純然たるトラウマに、ほかならないんだよ……。


 指し示すかのように。

 俺の両手にはひしひしと、伝わってきているんだから。


 ルゥの身体の震えが。

 狼狽(ろうばい)してはやまない、心のゆらぎが。


 それに、なんということだ。

 お顔はまるで、熟したリンゴのようになっているじゃないか。


 凝視すれば凝視するほどにだ。

 愛らしいことこのうえないお顔は、

 じょじょに赤みを増していくんだからね。


 当然だ。当たり前じゃないか。

 どれだけ賢かろうが、

 博識であろうが、ルゥはいまだ子供にすぎない。


 およそ性の芽生えすらもまだ。

 そんなふうにすら思われる彼には、酷だった。

 想像だに絶するような、恐怖体験だったのはあきらかなんだから……。


 しかも、相手が悪すぎるんだよ。

 この神気をやどしまくる森に、

 ほかの女性がいるのかはわからない。

 だけど、見知らぬ女性だったんならば、まだ傷は浅かっただろう。


 しかし、無慈悲にもだ。

 邂逅を果たした露出狂は、知人も知人。

 信用しきっていたはずの、スカーだったんだから、ね。


 裏切られるだけでもキツい。

 のちのトラウマとなりうるというのに、

 惜しげもなく、その悪しき全裸をひけらかされたんだぞ?


 あまつさえ、神の存在を疑うほど。

 そんな巨大な胸を、だ。

 ムリヤリ押しつけられる。

 という蛮行、ゆるぎのなき凶行におよばれたんだから。


 ルゥが怯えきるのも当然。

 ただただ、震えてしまうのも自明の理じゃないか。


 募りゆく恥ずかしさにより、

 顔中が、リンゴ状態となってしまうのも必然といえた。


 もちろん、これは事実だ。

 愚にもつかない、憶測なんかじゃないんだよ。

 物語るようなまでの行動を、俺は目にしていたんだからね。


 それはついさきほど。

 ルゥへと呼びかけた時のことだった。


 あの常時冷静。

 沈着冷静を売りにしているような弟が、だぞ?


 なにやら、

 喜色満面といった様相ではあったけれども。

 とてつもない速度により、こちらへと駆けてきたんだからね。


 そのおかしな立ち振るまいは、

 俺にはこう見えていたんだよ。

 とち狂い、暴走している露出狂の魔の手から、

 最愛の兄へと、助けを求める弟の図に……。


 なにをやっていたんだ、俺は。

 睡魔なんていう野郎。

 不貞のヤカラに負けるだけならばいざ知らず、

 なにを眠りこけていたんだ、俺は!


 正直に心が、張り裂けそうだよ。

 まるで後悔の念が爆発の憂き目にあい、

 グズなこの身ごと、木っ端微塵にでもしているかのようだった。


 しかし幸運にも、いまだ巻きかえせる位置にいる。

 危うかったけど間一髪、間にあったようなんだよ。


 なぜならば、

 ルゥの身につけている衣服は乱れてなんていない。

 脱いだ形跡すらないほどにだ。

 新品そのものだったんだよ。

 それはつまり、事後ではない。

 悪しき凶行はいまだ成されていない。

 という真相を、暗に示してくれていたんだから。


 そして、この部屋。

 荒廃しきった室内も、重要なポイントのひとつだった。


 そう、これこそが俺の論拠。

 スカーが狂乱におちいった証拠であり、

 手がかりともなっていた。


 たしかに俺はこの部屋を、

 一度もおとずれてはいない。

 当初からだ。

 荒廃したような造形となっており、

 そういった様式美のもとにデザインされた部屋。

 という可能性もあった。


 だが、しかしだ。

 どうにも俺には、こう推測できてならないんだよ……。

 それはいわゆる脅迫。

 その悪さがすぎる二文字にほかならなかった。


 つまりはこういうことだ。

 普段からルゥはかわいい。

 とほうもない愛らしさを、

 ほとばしらせつづけているのは周知の事実だ。


 それに、スカーはやられたんだ。

 なかば魅入られるように、とち狂ってしまったんだよ。


 だからこそだ。

 凶悪にすぎるその身をもちいて、

 手ごめにしようと画策したんだろうね。


 しかし、怯えながらもだ。

 さすがのルゥは、断固として拒否をしたんだ。


 となれば、行きつくさきはひとつ。

 思い通りにならぬ苛立ちは、その身を焦がすかのよう。


 そして、どのような手段かはさだかではないけど。

 この部屋を荒れ果てさせるという行為により、

 自らの強さを、明晰にも誇示してみせたんだよ。


 その理由は言うにおよばずだった。

 自らのものとならないのならば、

 お前もこの部屋のようになる。

 との、脅し。

 暗意の脅迫と呼んでも、差しつかえなんてなかった。


 やってくれる。

 ほんとうにやってくれるじゃないか、スカー。


 スライムたる本性を。

 野生をあらわにしたようだな。

 いままでの俺は、彼女の品性を勘違いしていた。


 たとえるのならば、

 清らかな川のせせらぎのような、気立てのいい淑女だ、ってね。


 だけどまさか、まさかだよ。

 露出狂とショタコン。

 という凶悪なる(へき)をあわせもつ、

 いわゆる両刀使いだったとは想定外にすぎるだろ……。


 まったく、困ったものだよ。

 人を変態だ、変態だ。なんて誤解して騒ぎたてていた。

 けれどもきみこそが、はなはなだしき変態性じゃないか。


 もはや、目の前にいる淑女は。

 鮮血の翼粘体スカーレット・スライムは、

 俺など足下にもおよばない、

 変態の権化と呼んでも差しつかえなどなかった。


 ……しかし、待てよ。

 そうか? そうなんだろうか?

 ほんとうにスカーは、邪悪なるスライムなんだろうか?


 いいや、違うね。

 なぜならばもとより、

 スカーには多大な感謝をしている。

 それに、俺は知っていたんだよ。

 彼女は決して、悪どいスライムなんかじゃないんだ。

 ってね。


 うん。そうだな。

 なによりも、情状酌量の余地は残されていたんだよ。


 なんの役にも立たない俺たちを、

 情け深くも迎えいれてくれた。


 それにわざわざ魔法を用いてまで、

 ルゥを風邪の魔の手から遠ざけてくれたんだよ。


 あまつさえ、

 着る服まで用意してくれたんだ。

 そんな病魔の恩人たるスカーが、性悪な淑女なわけがないんだから……。


 そうか。そうなんだよ。

 それならば、導きだされる答えはひとつじゃないか。


 ……そう、神様のせいだ。

 性悪な心根をもつ神の悪戯により、

 スカーは暴走しとち狂ってしまったんだよ……。


 なぜならば、ルゥのかわいさは天上の域。

 見るものすべてを狂わせる魅力に、満ちあふれていたんだから、ね。


 ようするにだ。

 こんな異様なほどに愛敬のある顔立ちで、

 生まれさせた神様のあやまちなんだよ。

 それこそがことの発端であり、唯一の原因といえるんだから。


 わかる。その気持ち、わかるよ。

 スカーは哀れな被害者だったんだよ。


 とアンリは噛みしめるかのよう。

 しきりに何度もうなずいていた。


 露出狂とショタコン。

 という名の特殊性癖。

 残念にすぎる両刀使い。

 そのように判別された偶像へと、

 憐憫のまなざしは向けられていた。


 わかる。わかるよ。

 それも俺は、理解しているよ。


 いまもなお、

 スカーは固まってしまっている。

 だけどその意図は、手に取るように把握できていたんだ。


 そう、それは自身の悪行のほどだ。

 バレてしまったことにより、

 そうとうな精神的ダメージを負っているんだろう。


 ならば、どうにかしてあげたい。

 スカーの暴走を(いさ)めてあげたい。

 自制をうながしてあげたいのは、やまやまなんだけど。


 頭の弱い俺には、わからないんだ。

 スカーを真っ当な道へと。

 更正させてあげるにはいったい、

 どのような手段をもちいればいいんだろうか……。


 困ったものだよ。

 いまの俺にできることなんて、

 軽めの注意くらいのものなんだから、ね。


 そのうえ、

 常軌を逸した愛らしさが、いつも近くにあるんだぞ?

 そのような状況下では、きびしい。

 更正への道筋ははるかに遠く、

 暗雲につつまれてでもいるかのようだった。


 となるとやはり、

 俺たちの共存はむずかしい。

 そのように察せられてならなかった。

 だが共存せずして、未来(さき)はないんだよ。



 なぜならば一から、

 生活基盤をつくりなおすのはキツいものがある。

 そのうえそれまでのあいだ、

 またあんな不可解の極地たる森。

 大自然のなかで野宿するのは、ルゥにはキツいだろうしね。


 もちろん、兄としてはだ。

 教育上、弟には、屋根のあるところで寝てほしいんだよ。


 となればやはり、か。

 スカーのよろしくのない気炎を。

 灼熱じみたリビドーを、鎮火させなければならないんだけど……。


 いやはや、まいった。

 こころのそこから困った。そう、言わざるを得なかった。


 それを為すには、

 新たなるもう一つの懸念が。

 要因が、重くのしかかってくるんだから。


 それは、スカーの強さだった。

 かくいう俺が、

 そこらの子供と変わらないほどに、弱いのは周知の事実。


 おおかたではあるけど、

 これだけ愛らしいんだよ?

 ルゥも、似たようなものなんじゃないだろうか。


 そうだと仮定するのならば、

 やはりこの状況はまずいんじゃないのか?


 このような荒れ具合。

 荒廃しきった部屋の惨状からかんがみるに、だよ。

 むろんのこと、

 それを実現させたのはスカーにほかならないんだ。


 俺には比較すらもできないけど、

 練達の師たる、おじいちゃんクラスとも察せられていたんだからね。


 ハッハッハッ。

 笑ってしまうほどにまずい事態だけど一瞬、じゃないか?

 なだめようとすれば最期。

 もはや俺など、瞬間的に消し飛ばされるんじゃなかろうか?


 うん。まあ、ね。

 俺が消し飛ぶだけならば許容範囲。

 けれども残されたルゥが、悲しむのはよういに想像できた。


 そのうえだ。

 輝かしかったはずの将来は、

 とたんに絶望的になってしまう。

 生来からの真っ直ぐな心根が、曲げられてしまうのはあきらかなんだよ。


 ええ、ええ。

 かくいう私こそが、保護者のスライムです。

 露出狂とショタコンの両刀使いですけどなにか?

 なんて、論外にすぎるだろ……。


 お得意の無表情の裏側で、

 アンリは焦燥に駆られている。

 ほんの微細にゆれる蒼き瞳は、苦悩の色をやどしていた。


 しかし、それも当然なのだ。

 どれだけ思考をまとめ、

 整理してみても無駄骨。

 起死回生となる光明など、

 いっさい、嗅ぎ当てられてはいなかったのだから。


 それならばと視線が、

 ひとりでに向かうさきは明白。

 自身よりも数段賢い。

 との判断をしている、ルゥのほうであった。


 しかしながらである。

 やにわに、アンリの目が見開かれていったのだ。


 そこには、

 頼りにでもされているかのような目が。

 あわい光りをおびる瞳が、存在していたのだから。


 フゥと、ひとつだけ短めの息を吐く。

 みるみるうちに、

 アンリの目がさだまっていった。

 その瞳は、強烈なまでの情動をやどしている。

 鋭敏な印象をはらんでいた。


 そうだ。そう、じゃないか。

 なにを弱気になっていたんだ。

 なにを思い悩んでいたんだ、俺は……。


 スカーが強い?

 おじいちゃんクラスかも知れない?

 それがどうした。それが、どうしたというのだろうか。


 そう、信じるんだ。

 スカーは心優しきスライム。

 ほかでもない、彼女の品性を信じるんだよ。

 なぜならば彼女はかならず、

 話せばわかってくれるはず、なんだからね。


 そして、ゆらいではならない。

 動揺してはならないんだよ。

 森のなかで、

 俺は強固な意思で持って、決心していたんだから。


 ルゥを、最愛の弟を守る、と。

 悔しくも、守れない事態におちいった暁には、

 ルゥだけでも逃がす。

 時間をかせぐために、俺が盾となり死のう。

 ってね。


 それに、だ。

 トラウマがなんだというのか。

 弟のトラウマひとつ払拭できずして、なにが兄だというのか。


 ……ないない尽くしにすぎている、兄ではあるけど。

 俺にはたしかにあった。

 為さねばならない、先決なことがあったんだよ。


 そう、それは、ルゥをただ勇気づけること。

 怯えた心根を、

 正常へと戻してあげることにほかならなかった。


 頭が弱い自身に、

 そんな大それたことができうるのかはわからない。

 だけど、安心させてあげるくらいはできるはずだ。


 とアンリは満面の笑みを口許に浮かべた。


 ついで、空中に待機していた武器。

 釘バットを右手に掴む。


 ルゥはいまだに真っ赤なままだ。

 困惑しているのか。

 目を白黒とさせていた。

 その様を、アンリは柔和なまなざしで見つめる。

 必要以上に、にぎやかな声音で口をひらいた。


「さあ、ルゥ。これを見てみろ。凄いんだぜ。

 だけど少し待っててくれ。

 危ないから、そこから動いてはダメだぞ」


 目をキラキラさせているルゥ。

 そのような様子をしり目に、アンリは距離を取った。


 細心の注意をはらう。

 釘バットのグリップを、両手で力強く握りこんだ。


 なにもない空間へと正眼に構える。

 ふいに横凪ぎの軌道により、おもいきりスイングした。


 もちろん、

 大森林内の悪鬼羅刹とは比べるべくもない。

 だが亜人種にしては、アンリの腕力は優れているのだ。


 閑寂しきった室内に、

 気持ちのいい風切り音が鳴った、瞬間であった。


 なんと、不可視のそよ風が発生したのである。

 それは振ったさき。

 特殊性癖を内包する石像の方角へと、向かっていった。


 (おびただ)しき紅の頭髪が舞い踊る。

 より一層として、

 一糸もまとわなくなっていくさなか、アンリは上機嫌に笑った。


「ハッハッハッ。どうだルゥ、すごいだろう?」


「ギギィー」


 ついさきほどまでの狂騒。

 部屋を荒廃させた暴風。

 竜巻と比較するのならば、

 大人と乳飲み子のような格差にほかならなかった。


 だというのにもかかわらずだ。

 ルゥは驚嘆といった面様のまま。

 過剰なまでの反応(リアクション)により、返答をしていた。


 あまつさえである。

 そこまでするだけの価値が、あるのかはさだかではない。

 さりとて、

 スタンディングオベーションによる大歓声であった。


 鳴りやまぬ拍手の音が響きわたる。

 アンリはさわやかな笑顔により、意気揚々。

 心地のいい汗をかきながらも、ご満悦であった。


 そうだ。

 このままトラウマを、

 上書きしてやろうじゃないか。

 風を発生させた回数だけ、トラウマは払拭されていくんだから。


 との意味不明な理論により、

 つぎつぎと、釘バットを振りまわしつづけていた。


 そろりと出現しては、

 たち消えていくつむじ風。


 それに合わせてちくいち、

 拍手の音が鳴りひびいている。

 そのたびにあらわになるのは、

 不憫な被害者(スカー)の、キメこまやかな白き柔肌であった。


 まさに混沌(カオス)なる様相である。

 だが、アンリは気にもとどめない。

 にじむ額の汗を、特攻服の袖口でぬぐった。


「俺にもよくわからないんだけど、この釘バットはさ。

 振るうと風が発生するようなんだよ」


「キギィ」


「いやー、ルゥがそこまで喜んでくれるとはなぁ。

 力のかぎり、振るったかいがあるというものだよ」


 まるで街中の広場で、

 無垢な子供たちが集い、遊んでいるような光景であった。


 なんとも平和な一時である。

 けれども長くはつづかなかった。


 とてつもない乱暴者が。

 それをこころよく思わない不届き者が、乱入してきたのであった。


 廃墟と見まがう鏡張りの部屋。

 室内に、甘々な叫声がこだましたのだから。


「ヒェー! ヒェー!」


 ながらくである。

 沈黙を保ってはいたが、ヒェーであった。


 その叫声の主は言わずもがな。

 教育上、よろしくはない石像へと、

 変わり果てていたスカーであった。


 突如として部屋内に、

 深紅の煙りが充満していく。

 色香のただよいすぎた姿態は、覆い隠されていった。


 アンリとルゥ。

 仲良しの義兄弟はそろって、身動きを止めている。

 唖然と目していた。


 ほどなくして、

 煙りが四散していく。

 するとそこには、優美なる少女の面影はなかった。


 ようするに、

 粘液(スライム)外形のご登場である。


 手のひら大のオーブ。

 球状の中身は、急激に波打っていた。


「ヒャヒャヒャー!」


 ヒャヒャヒャーである。

 またしても新たなる言語を、

 ひっさげてのお出座しであった。


 こぶりな二翼を、たいそうにも羽ばたかせている。

 まさに縦横無尽だ。

 あちらこちらの中空を、

 とち狂ったかのように飛び回っていた。


 体躯の内容物は、重力にしたがいうごめく。

 なまめかしきピンクの色合いにより、明滅していた。


 コイツにはまことに窮したものだ。

 またしてもご病気、ご錯乱でも再発したのだろう。


 とでもルゥは言わないばかりだ。

 半目のままに嘆息していた。


 アンリは無表情のままだ。

 その眼前に、スカーはピタリと急停止した。

 切実なまでの叫声が上がる。


「た、たしかに! スカーにも落ち度はありましたよっ!

 自分がいま、裸であるのを忘れてしまうほどに!

 ひさしぶりの亜人外形でしたので!」


「うん。うん。なるほど。なるほど」


「ですが! ですがですよ!

 言うにことかいて!

 露出狂とはなんなんですかっ!? 露出狂とはっ!」


 どうやら、露出狂との嫌疑。

 あらぬ疑いをかけられていたのが、

 癪にさわっていたようだった。


「それに、なんという濡れ衣なんでしょうか……!

 いちおう、弁明しておきますが!

 スカーはムリヤリ裸を見せつけたり! ムリヤリ胸を押しつけてなんていませんよ!?」


「え? そうなの? ほんとうに?」


「ほ、ほんとうですよっ!

 と、というか! アンリさんと違い、私もルゥさんもおん」


「ギ!」


 それは言わせねぇーよ。

 とばかりである。

 ルゥは肩をいからせると、声でさえぎった。


「いきなりだな、ルゥ。いったいどうしたんだ?」


「ギィー」


 なんでもないのです。

 とでも言っているかのよう。

 ルゥは媚びるような声音である。

 ゆったりと首を左右に振っていた。


 アンリの脳内は大混乱。

 クエスチョンマークが乱立する、お祭り騒ぎとなっていた。


 おもむろに小首をかしげる。

 生まれた疑問点に、真っ向から対峙していった。


 それにしても、

 俺とは違うとはいったい。

 二人に関連していて、

 俺だけに関連していない事柄とはいったい……。


 それに、濡れ衣と弁解しているようだけどさ。

 ギィー、との声。

 愛らしさ全開な叫びは、こう言っているんじゃないのか?


 嘘を言うな、と。

 濡れ衣などではない。

 お前は露出狂の変態に違いないではないか、とね。


 俺には、そんなふうに察せられたんだけど、な。


 スカーはあわてふためいている。

 ボソリとつぶやいた。


「そ、そうでした! あぶないところでした!

 ……あやうく、私の胸がもぎ取」


「え? 胸がなんだって?」


「ギィー」


 お気になさらないでください。

 などと思しき、もの柔らかな声色。

 それによりルゥは、

 アンリの気をひいたようだ。

 そしてスカーにだけ見える角度に、顔を移動させる。

 そこから、説得力のありすぎるメンチをきっていた。


「それで胸がどうし」


「い、いいんです! いいんですよ、アンリさん!

 そ、それはひとまず横に置いときまして……。

 信じてください! 私は露出狂ではないんです!

 どうかわかって下さいよぉ!」


「うーん」


「っといいますか!

 なにをカッコつけて、うーんなんですかっ!?

 疑っているあなたのほうこそが!

 変態のうえに! 真の露出狂でしょうがっ!」


「ええ……」


「どうして! どうしてそこでドンびけるんですか!?

 はっきりと言いますが! 私のほうがドンびきなんですからねっ!?

 全裸こそイデオロギー!

 とかわけのわからないことを言い放つあなた! あなたこそがほんものの露出狂でしょうが!

 しかもおまけに! おじいさんも露出狂だと聞いています!」


「いや、おじいちゃんは服を」


「いまは! なにも聞きたくなんてありません!

 それならばコレはそう! 一子相伝に違いなんてありませんよっ!

 まさしくへんてこりん!

 露出狂の集合体みたいなものなんですから、あなたの一族はー!」


 またもや、

 蓋世の才の名をほしいままにする祖父は、

 預かりしらぬところで、露出狂の烙印を押されていた。


 アンリの表情は希薄ではある。

 だが内心では、思い悩みつつも面食らっていた。


 然りである。

 判事(アンリ)の考えでは、容疑者(スカー)が、

 露出狂とショタコンの両刀使いであるのは、周知の事実なのである。


 そのうえ、

 痴漢行為の物的証拠もおさえてあるのだ。

 あまつさえ、

 ルゥの反応からかんがみてもだ。

 うずたかく積み重ねられた状況証拠さえもが、

 スカーは黒だと証明していたのだから。


 だというのにもかかわらず、

 一貫して、被疑者(スカー)は否認しつづけているのだ。

 そういった事態そのものが、

 彼の範疇では、理解のおよばぬしろものであった。


 アンリは内心でひとりごちる。


 うん。そうだな。

 スカーは、たおやかなる淑女を自称しているんだ。

 だからこそ羞恥心からか。

 否認したいという気持ちは、手にとるように理解できていた。


 しかしということは、だ。

 やはり戻れる。

 スカーはまだ、戻れる位置にいるんだよ。


 更正への道は永い。

 そして、とても険しいものと予想していたけど。

 決して、閉ざされてはいなかったんだ。


 だからこそのいまなんだよ。

 凶行状態におちいっていないいまこそが、肝要なんだからね。


 アンリの堅固なる表情筋は、

 かすかにしか仕事をしてはいない。

 だが歓喜により多少、ほくそ笑んでいた。


 その様を見て取ったのだろう。

 スカーはブルリと体躯を震わせる。

 とまどうような声がこぼれた。


「い、一族もろともが。

 露出狂の疑いをかけられているというのに。

 どうしてそんなに、自信満々に笑っていられるの……?

 怖い……。なんておそろしい王、なんでしょうか……!

 ルゥさん、助けてください! 怖いんですー!

 やっぱり怖いんですよ、この人ー!」


「おう? オウ?」


 オットセイのような、

 鳴き声をもらす滑稽なる王。


 それをよそに、

 スカーはルゥにすり寄るのだが。


「ルゥさーん!」


「…………」


 義弟(ルゥ)はというと我関せずであった。

 口を真一文字に引き締めたまま。閉口しつづけていた。


 そして、義兄(アンリ)のほうも気にもとどめない。


 時間がないんだよ。

 いまこそがスカーを、正当な道へと歩ませるチャンスなんだから。


 と内心でつぶやいていた。

 面様なきらめきを帯びるまなこにより、

 敢然とこう言ってのけた。


「スカー、どうでもいい。

 どうでもいいんだよ。

 そんな一族もろともが、だ。

 露出狂だなんだという些末な疑惑はそう、今は些事」


 スカーは怯えているのだろう。

 粘液の体躯は、おぼろげなモスグリーン。

 そのような色彩により、ゆるやかに点滅していた。


「い、いやいや、どうでもいいって。い、いまは些事って……。

 け、決して、些末なことではないと思うんですが……?

 そ、それにもとはといえばですよ?

 あなたが自分のことを差しおいて」


「スカー、待て。止めるんだ。

 いまはなによりも、優先しなければならない大事(だいじ)があるんだよ。

 俺にもルゥにもそして、ほかならぬきみにも、ね」


「だ、大事……?」


 どうにか、踏みとどまってくれ。

 出会った当初のきみは、

 それはそれは人情味のある、善いスライムだったじゃないか。

 とアンリは痛烈に思う。

 まるで悲哀と痛切が入り雑じったような声が、

 静黙とした部屋に響きわたった。


「そう、大事なんだよ、スカー。

 たしかにきみは、一度道を踏みはずしたかもしれない。

 過ちを犯したのかもしれない。

 それは、変えることのできない事実だ。しかしそれは過去、なんだよ。

 いまのきみは完全に正常。

 ……ならば戻れる。まだ戻れる位置にいるんだ、きみは」


「え、ええ?」


「スカー、だいじょうぶだ。

 恥ずかしがらないでいいんだよ。

 誰にだってあやまちはある。道を踏み外すことだってあるさ。

 だけど大切なのはそこから、なんだ。

 罪を背負い、どのように贖罪していくのかが肝心なんだよ。

 俺は、君を信じているんだ。

 きみはとても心優しい。

 だからこそ金輪際、身を焼くようなリビドーごときに、負けるはずがないって、ね」


「つみをせおう。りびどー……。

 リビドー……、って!

 あなたはまだ! 信用していなかったんですか!?

 ですから! 何度も言うように! 私は露出狂などでは」


「だいじょうぶ。だいじょうぶなんだよ、スカー。

 俺はすべて、わかっているからね」


「ほ、ほんとうですかぁ?

 それでは誤解は解け」


「スカー。きみはもはや、俺たちの仲間じゃないか。

 そばには、微力ながら俺がいる。

 それに頼りがいのある、とても賢いルゥもいるんだよ」


「仲間と言ってくれるのは、とても嬉しいんですが。

 なにやら、話のながれがおかしいような……」


「そうだ。俺たちは仲間なんだ。

 さあ、すばらしき未来に夢をはせよう。

 そして一緒に、立ちなおっていこうじゃないか」


「たちなおって! や、やっぱり!

 ぜんぜん信用してなんていないではないですか、この人はー!

 なんなんですか、その優しげなまなざしは!

 心に染みいるかのような、真摯な声はー!」


「うんうん。わかっているよ」


「ぜったいにわかってなんていないし、どうやって誤解を解けば……。

 ですが、禁句は言えない。

 言えばいつかは、胸をもぎ取られてしまうし……。

 ……は、八方塞がりとはこのことですー!」


「うんうん。

 だいじょうぶだ、スカー。いったん落ち着こうじゃないか。

 俺はすべて、わかっているんだからね」


 アンリは、噛み締めるようにうなずいていた。


 慈愛に満ち満ちた心暖まる科白。

 ではあったのだが、

 球状の体躯は、絞りあげられるように揉んどりうっていた。


 頼りがいがあり、とても賢い。

 とのお誉めの言葉。

 評価をいただいたルゥは、感きわまっているのか。

 その瞳はウルウルとしていた。

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