「僕」
本当の「僕」は誰?
僕たちがあの日見たのは、いつになく不気味で黒い地震雲だった。
それは細く長く、それでいて目下の人間たちをあたかも観察するように宙に浮かんでいた。雲といううっすらと存在感の薄いものが黒く色づいて視界の端にこびりつくようになった途端、気づけば僕たちはその雲に注目していた。それはまるで、「気づいてくれ」と言わんばかりに主張を訴えかけていたからだろう。
それは見事に的中した。
街行く人々は皆足を止め、その光景を見つめた。中には写真を撮ってSNSに呟く者もいた。それだけその雲は観衆を惹きつける魅力を持っていたのだ。
僕も当然それを見つめていた。
だが、他の人とは違う気持ちを抱いてもいた。耳に挿したイヤホンを無意識に抜き、口を開けて直後歪ませた。
唸った。僕はその雲を見て嫉妬の唸りに浸っていた。
「良かったね」
その言葉の後に僕は目を逸らした。
反射的に、目からも皮肉が漏れてしまいそうだったからである。
この無意識な行動で確信したのは、僕はどうやら他の人と考え方が違うんだなと思った。他の人はたぶんアレを見て、さぞ気味悪がっていたのかも知れない。
でも僕は違かった。その雲に感情移入していたのだ。なぜなのか、なぜなんだろう。
……僕はあの雲を、自分のような人間に置き換えていたのかも知れない。
……今までずっと存在していたにも関わらず、他の人たちは見向きもしなかった。見向きもされなかった。
……けれど、自分を変えたことで皆んなに存在を強く訴えかけることができた。
……でも僕は。
「僕は…ッ。……まぁ…いいか」
僕は震える口元を堪えながら、もう一度堪えながらにそう呟いた。そしてイヤホンを取り出すと、再び耳へと挿し入れた。
そうでないと何やら自分に腹が立ちそうな、そんな気がした。