introduction
現在進行中はこちら含み二つになります。
その方が気が楽です。
あと、あらすじが無い方がより読み手の純粋な気持ちで読めるような気がしたのであえて簡潔に……いえ、思いつかなかっただけです。
「introduction」
──いつもと同じ。
ー今日も明日も。
ー単調に積み重なっていくこの”過程”。
ー良い意味で言えば”経験”。
ーだが悪く言ってしまえば”作業”。
人は毎日、経験する木である。
例えば、生まれてすぐ「パパ」「ママ」と、やたら体の大きい生き物たちに羨望の眼差しを向けられたり、例えば、好きでもないのに教えられた二つの車輪を携えた金属の塊へ跨った際に転倒して膝を大きく擦りむいたり、例えばこれから、僕たちを生んだ生き物たちのようにまた、似たような集団の輪を囲む際に必須となってくる異性間での交際などといったことも全て「経験」から発展する木の枝に過ぎない。
木の幹という「自分自身」に
華やかな花を咲かせたり、力強く青葉を繁らせたり、はたまた灰色が似合う枯れ木とかにするのは他でもなく木の幹である「自分自身」の意志に直結してくる。
だから木の枝である「経験」は
後から生えて備わっていくものであるのだ。
そんな素晴らしい「経験」
だがその側面で「作業」が存在する。
人はどうしても、周りとの同化を好む生き物だ。生まれた時から「パパ」「ママ」と呼ばせたり、わざわざ自転車という危ないものに乗せたり、結婚を強要させたりするのは本質的に”人が人であろうとしたいからだ。”
人は、各々が持つ価値観を共有して「常識」を創り上げる。「常識」というのは残酷なもので性質としては【大多数の共感によって否応無く取り決めてしまう】ということだ。例え、正しいものであるとしても。例え、筋が通っていても。多くの挙手あらばその存在でさえも、まるで赤子の手を捻るように押し流されてしまう。
結局、人は「常識」という概念を強く信じてしまうせいで間違いに踏み込んでしまっていても合法化してしまうということなのだ。
これだから人は「非常識」をせまいと「常識」であろうとする、型に嵌ったつまらない存在になっていく。
そんな「常識」があるから、いつしか人は華やかな花も、力強い青葉も、枯れ木も選ばなくなってしまった。
人間は怖い。本当に。
なぜなら、自ら考えて動く生き物なのに、その本質を捨ててしまうことを「常識」としてしまっているからだ。
そのせいか、いつの日からか人という木は味気なくなってしまった。
もうそれは仕方のないことだから。
生まれた時、初めて世界という土の上に顔を覗かせた時点で人はある意味死ぬ。
それは何故か。
それは芽吹いた子葉に掛ける水はこれまでもこれからも同じだということだからだ。
水をかけた者たちも、その前の者たちも皆同じことをやってしまった。
だから当然、これからの人たちも同じことを繰り返すのだろう。
そう。…同じことを「作業」しているのである。
レザーの革で出来たソファに、まるで背骨が抜かれたように呆れ横たわる【その者】はそう頭の中で考えていた。仰向けになりつつ、【その者】はカチャカチャと複雑怪奇に重なった2つのリングを操作しながら。 その【その者】の手は震えている。
【その者】が明らかに焦燥に駆られている様子は言われなくとも見て取れてしまう。
そんな落ち着きのない【その者】はついに大きなため息を漏らした。
「はぁ……」
──物語はまだ序章に過ぎない。
ー「常識」とは面白いことで
ーいつまでも「常識」ではあり続けないのだ。
ーだからその「常識」がもし崩れてしまう時。
ー人は新たなる「常識」を求めるため、葛藤するだろう。
────As l o n g , A s l i f e .
『……時は満ちた』
この世界のどこかで知恵の輪がパチリと二つに分かれる音が聞こえた。
それはそれはとても良く弾ける音だった。