五話「異世界の車窓から」
赤井さんから渡されたのは、下着一式と黒のツナギじみた服とごついブーツだった。ズボンから上着まで一体になっていて、身体にピッタリとしている。それなのに動きを阻害される感じがないのは、流石未来の服といったところか。それを着込んだ後に渡されたのは、これまた黒のロングコート。かなりふっかふかで、真冬の雪国を歩けそうなほどだ。着てみると暖かく、暑過ぎはしない。聞いてみたら温度調節機能がついているとの事。
で、外に出てみた。
「うお、結構冷えますねぇ」
雪こそないものの、朝の街は冷え切っていた。刺すような外気が体温を奪う。しかしすぐに調整機能が働いて、冷たさは感じなくなった。唯一露出している顔でさえ、寒さはない。
「この星は年間を通して気温が低いのです」
「へー……農業大変そうだ」
「ええ。そのため民間に出回る食品は、生産性を第一とした合成食品がほとんどです」
「メシの楽しみが少ないのは切ないなぁ」
「そういうものなのでですか?」
「日本人ですからねー」
振り返って出てきたビルを見る。先ほど窓から見えた摩天楼に比べると、かなり落ちる……というか、比べるべくもない飾り気0のビルだった。なんとなく、地元の築ウン十年のオンボロビルを思い出す。周囲も、地球人の俺が普通と感じてしまうよな路地裏だ。……まあ、未来世界であってもこういうところはあるか。この感じ覚えがある。子供のころ初めて東京行って、意外と普通の街並みがあったことにがっかりしたあの時のやつだ。あの頃は東京は地方より十年進んでいるとか勝手な思い込みがあったなぁ。
「洞屋様、こちらです」
赤井さんが手で指す先あったのは流線形でデザインされた車高低めの車だった。まるでスポーツカーだが、こちらではどういう位置づけなのやら。
「ビルといい服といい車といい、世界が変わっても人が使うものは同じようになるものなんですな」
「おっしゃる通りです。現在大いなる方々が観測されている世界において、世界が違っても人類の文化には類似点が多数見受けられています。まるで生物の収斂進化のように」
「何でしたっけそれ?」
「違う進化の過程を通った生物が同じような姿になる事です。たとえばサメとイルカは似た形をしていますが、それぞれ魚類と哺乳類です」
「ああ、なるほど」
赤井さんは運転席、俺は助手席に乗り込む。内装も細かい差異はあるけど、大体どういう物かは何となく推察できる。
「しかしそれならありがたい。『トイレにあったあの貝はどうやって使うんだ?』とか聞かなくて済む」
「それは一体何のことですか?」
「昔見た映画でね。冷凍刑食らって浦島太郎みたいになった男がカルチャーギャップでそんなことを言うシーンがあってさ。普遍的なものがある方がありがたいっす」
車は静かに走り出す。まあ、当然ながらガソリンエンジンではないようだ。静かに飾り気のない街並みを進んでいく。
「なるほど。とはいえやはり違う世界の違う文明、違う時代でございます。当然差異はございます。たとえば携帯電話ですが」
「ああ、うん。どんなに小さくなってるので? それともすごく多機能?」
「この世界では『身体に入れるもの』でございます」
「は? ……のあ!?」
突如、目の前にアイコンが浮かび上がった。通信呼び出し、相手の名前は……アカイ。
「触ってみてください。あるいは、触ってみようと思ってみてください。それで繋がりますので」
「なんてこった……ARってやつっすか。強化現実」
仮想現実がVRなら強化現実はAR。現実に情報を追加する技術。例えば会社で、その人がどこの部署に所属しているか一目で見えたらどうだろう。広くていろんな人が入り込むような仕事ならば、簡単に見分けがついて大変楽になる。それを煩わしいと感じる人もいるだろうが。
看板をARにしたらどうなるだろう。データを変えるだけでいくらでも張り替えることができる。メンテナンスもデータ送信用の機材だけで済む。……まあ、受信拒否にされたりすると広告主は困るから、またそれなりの手間がかかったりするのだろうけど。
ともかくそんなわけで、ARとは現実に追加される情報や映像のことを言う。そして、センサーと組み合わせることでいろんな操作が可能になる。例えば今のように、目の前のアイコンに触れてみる。実際にはそこにアイコンなんてない。ただ手の動きをセンサーが読み取って触ったという情報が入力される。通話がONになる。
『ご存知でしたか。あまり聞きなれない事と思いましたが』
アイコンが変わって通話中となる。赤井さんは口を動かしていない。どうやって会話するのか……と思ったらマニュアルが出てくる。なるほど、最近書いた文章を読み上げてくれるプログラムがあるが、まさにそれだ。赤井さんがやってるのはチャットなんだ。打ち込んだ情報を自分の声で読み上げてくれる、と。選択すれば文字でもできるし、当然自分で声を出して通話もできる。
「まあ、ゲーム知識ですけどね。これ、映像みえてるけど目とか改造されてるんですか?」
アイコンが通話終了になる。
「コンタクトレンズのようなものを使っています。それだけで随分多機能ですから、目を置き換える必要は軍事サイボーグでもない限り無いようですね」
「でも、データの受信とか処理とか、つまりスマホは体の中なんですよね。バージョンアップとかしたらどーするんです?」
「この世界では錠剤一つで交換可能です」
「マジっすかー」
未来は進んでるなー。未来だから当然かー。さて。何となく操作が分かってきたところで、ARの設定画面を引っ張り出す。案の定、外部情報の受信が全部オフになっている。外の風景がやたらと殺風景な理由とAR。結び付けられることは一つ。試しにフィルタリングを最大にしておいてから、AR受信をONにしてみた。
「ぬぅあーーー!?」
肌色が! おっぱいが! なんじゃこりゃぁ! 朝の街に似つかわしくない卑猥なエロ広告が次々とポップアップしてきたー!?
『おねがぁい! 優しくしてほしいのぉ!』
『最大級の美しさ! 最新流行を装備した女の子を取り揃えております!』
『普通のじゃあもう満足できない? 貴方をかわいい女のへ変える魔法がここに!』
俺は受信をOFFにした。車の中にまで飛び込んできた水着美女が消え去る。あー……朝にエロは辛い。
「洞屋様。このあたりの広告はフィルタリングを突破してきますのでAR受信は切ったままでお願いします」
「そーします」
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車は静かに街中を進んでいった。赤井さん曰くこの辺りはいわゆる下町、庶民の住む場所。俺が最初に見たあの摩天楼はこの星、というか星系の中枢。政治と経済の中心であるらしい。車が進みむに連れて景色は変わり、建物の形が変わっていく。飾りっ気のない長方形のビルから、流線形を多用したデザイン優先の物へ。ああいうビルは作るのも維持するのも金がかかる。下町を抜けたという事か。
「そういえば、何所へ向かってるんですか?」
「近くにある展望台です。街の説明にちょうど良いので」
「ふーむ。自分の目で見たり感じたりしたがるのも、俺たちと変わらないか。ここの人たちも」
「そのようですね」
すぐにその展望台とやらは見えてきた。なるほど高い。東京タワーぐらいは軽くあるだろう。やたらと細く、耐震性を疑いたくなるがまあ未来だし。……便利だなぁ未来って言葉。
「洞屋様。外に出る前に覚えていただきたいことがひとつ。翻訳システムの使い方です」
「翻訳? ああ、そうか。世界も違うし言葉も違うか。あれ、でもさっきのエロ広告……」
「ええ。翻訳されて洞屋様に伝わったものかと」
「完全に日本語だったんだが……調律すげぇなぁ」
「技術課の方々の成果です」
「あと、上の人の趣味?」
「はい」
「クリエイティブな趣味は実益を兼ねるなぁ……」
才能の無駄遣いともいう気がしないでもない。まあ、ありがたく恩恵に授かろう。で、使い方を習う。なんのことはない、先ほどの電話とほとんど同じだった。
「しかし、これ使うと口は動かないから不審に思われそう」
「ここは首都ですので、星系外からやってくる人間も多いようです。翻訳システムを使っている者の数もそれなりにいます」
「あー、そうかー。世界が広いと言葉もたくさんか。地球だってあれだけ言葉がありましたもんな」
そして、展望台の根元に到着する。駐車場は何所かと思ったら、地面にいくつか枠が書かれていた。赤井さんがその中に止めて俺たちが下りると、なんと地下に入っていった。ビルパーキングの地下バージョンといったところか。探せば地球でも似たようなものあるかもしれない。
さて、根本だが結構がらんとしている。まあ、朝で人通りもまばらだし。
「ああ、そうでした。洞屋様、もうARを受信しても大丈夫です。ただし、フィルタリングは最大のままでお願いします」
「了解っす……おおう」
次々に浮かび上がる看板や装飾、広告の数々。飾りっ気のなかった空間が、一気に華やかになった。
『青空展望台にようこそ! 高さ312mの大パノラマをどうぞお楽しみください!』
軽快な音楽とアナウンスまで聞こえてくる。色使いもキラキラのギラギラで、やっぱ疲れるなぁ……。しかし、数字が半端なのはメーター換算されたせいかそれとも元からなのか……まあいいか、どうでも。
「ではこちらへ。料金要求のアイコンがありますので触れてください」
「ういーっす……あの、こっちで使う金ってどうなってるんです?」
「活動費はこちらで出しますのでご心配なさらず」
「ういっす」
というわけで連れ立って展望台へ。なるほど、朝から開いているわけだ。人の姿が全くない。何から何まで全自動。地球もそのうちこんなふうになるのだろうか……いや、一部もうなっているか。
それにしても、目につくカップルのためのサービスの多さよ。料金割引に、映像サービス、ドリンク&デザートサービス……これはもしや。
「赤井さん。ここってデートスポットだったりしません?」
「えー……はい、どうやらそのようですね」
一瞬、視線を宙に這わせた赤井さん。たぶんネットか何かで情報を取得したのだろう。
「男二人で来るのは難易度高いっすなー。朝でよかった」
「……なぜでしょう?」
おや珍しい。赤井さんがきょとんとしてる。
「だって、若いカップルが回りでイチャイチャしてる中に男二人が入るんですぜ? 場違い過ぎて居た堪れないってやつっすわ」
「……そういうものでしょうか?」
「そーいうもんですぜー。まあ、アドミンさんがいっしょだったりするとそれはそれで問題が……」
≪何がです?≫
「おうぁぁ!?」
唐突にアドミンさんの声が聞こえてきた。周りに誰もいなくてよかった。いたら不審な目で見られていたことだろう。
「え。なんでアドミンさんの声がするの?」
≪だって、スケクロさんの精神をその身体につなげているの私ですよ? 声ぐらいいくらでも伝えられますよ≫
「おおう……なんてこった」
つまりそれは、エロいこと考えたら速攻で伝わるという事か!? アドミンさんの胸や尻を見ていたことがばれるというのか!? だめだ、そんなことになったら死んでしまう……!
≪あ、オッパイ見てたのは最初っから分かってましたから気にしなくても。っていうかスケクロさんオッパイオッパイチャットで騒いでいたじゃないですかー≫
「うぁぁぁぁぁぁ……」
死んだ。俺、死んだ。この世の終わりだ。もう死ぬしかないじゃない……ッ!
≪ダメですよスケクロさん。その身体は仮なので自殺しても復活します≫
「そーでしたぁぁぁ……」
≪あと、私はこれっぽっちも気にしませんから。……あ。触ってもいいよってのをご褒美にしたらやる気出たりします?≫
「マジっすか!?」
膝から崩れ落ちていた俺、イキリタツ! とばかりに立ち上がる。俺、大地に立つ!
≪あ、元気でましたね。じゃあ今度何かすごい事したらそういう感じでー≫
「おっしゃぁ!」
今なら俺、魔王とだって戦える! 早く出てこい魔王、俺のご褒美のために!
「……そろそろよろしいですか?」
「……はい」
とっても冷静な赤井さんの声。我に返る。今の狂態を全部見られていた。……ああ、変わらぬ赤井さんの優しいイケメン笑顔が、今はとっても辛い。
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展望室へエレベーターから降りると、一杯に広がる摩天楼の姿。ARによってどのビルがどんな施設か、説明が浮かび上がる。国会議事堂に星間貿易ビル、各省庁のはいったビルもちらほらと。そんな政府の中枢が集まる区画に、頭一つ高い建物が。名前は……。
「……貴族院ってなんじゃろ?」
「その名の通り、この星系を収める貴族の方々についての事柄を決める場所でございます」
「え。宇宙時代なのに封建制なんすか? ……いや、そういう作品もあったけどさ」
「星によっては民主主義で運営しているところもありますが、この世界では少数派ですね」
「ってことはお貴族様とエンカウントする可能性があるのかぁ……うっへぇ」
「我々が立ち寄る場所ではまず出会わないとは思いますが」
「そうであるといいっすけど……」
何というか、トラブルのネタとしか思えない。見かけたら逃げよう。
「この星系を治めているのは国王と5つの公爵家ですが、それよりも上の存在がいます。あちらです」
促されて視線を移すと、政府のビル群をすべて合わせたよりもデカく高い、人工の山のようなビルがあった。ARにある説明を読む。
「新星銀河開発株式会社……住居可能惑星の発見と開発、工業農業採掘各コロニーの設計建築販売、スペースポートおよび軌道エレベーター……もしかして、バカでかい企業だったりします?」
「この世界で最大級の開拓シェアを握っています。……が、それは表向きの姿です」
「マジっすか……悪の秘密結社の隠れ蓑とか?」
「近いですね。悪ではなく正義ですが。この文明の発生した惑星で崇められていた神、至高神ルトラス。その信者たちであるルトラス神殿が起こしたのがあの新星銀河社です」
「宗教団体が企業を……って。あれ、この世界ってガチで神様いるんですよね?」
「はい、おります。ルトラスは世界を作ったとされている神ですので、その関連で惑星開発社になったのでしょうね」
一体どういう流れでそうなったのか。宗教が時代に合わせた結果がこれなのか。この世界の歴史に興味が出てきたが今は置いておこう。しかしまあ、そういう話ならこのサイズ差も頷ける。そりゃあ星系の支配者と世界規模の企業兼宗教団体ではケタが違うだろう。
「と、いう事はこの国の王族や貴族もどっぷりですか」
「ええ。権威的にも経済的にも、新星銀河社なくてはこの星は成り立ちませんね」
「うーん、すさまじい話だ」
「では、今度は逆側へまいりましょう」
この展望台はボールをつぶしたような形になっている。中央にエレベーターがあるので、逆側を見るためにはぐるりと回らなければならない。今まで見ていた摩天楼の中枢区画、中間にある華やかな街並みを眺め、最後に一番外縁にある一般区画が見えてくる。ほかの区画に比べるとどうしても殺風景であるが、まあそういうものだよなと思いながら目線を走らせたその先に、それはああった。
「なんだありゃぁ」
それは壁だった。いくつものパネルを組み合わせて、下町の一部が広く閉鎖されている。まるで何かを封じ込めるように。
「封鎖区画。この世界の魔王発生地点です」
「あそこが……ってことは中は」
「はい、マナ汚染が進んでいます。内部はマナ汚染体……いわゆるモンスターの住処になっており、この星の人々が日夜退治に励んでいます」
思い出される、アドミンさんに見せてもらったあの映像。世界が歪んでいく姿が思い出され、寒気が走った。
「……この街、大丈夫なんですか? そもそもなんで街中にあんなものが」
「人が多く住まえば、マナもまたその地に集います。そしてそうである以上、マナ汚染もまた避けられぬ問題なのです」
「……どういう事なんで?」
「マナは人に影響されます。人の良き所は神に、人の悪しき所は澱んでマナを汚します。人が多く集まれば、当然その澱みもまた当然に。そして澱んだマナは汚染を引き起こし、モンスターや魔王を生み出すのです」
軽く絶望する。思い出される、映像に出ていたあの魔王。あれと永遠に戦い続けねばならないなんて。ずっと世界の滅亡が付いて回るなんて。
「ですが、世界は広いのです。とある世界で、マナの澱みの画期的な処理方法が開発されました。大いなる方々はそれを学び、あちこちの世界で同じ処置を行いまして。結果、それを成した世界での魔王発生率は激減しました」
「マジっすか!」
「ええ。……ですがそれを行うのは大掛かりな仕事になります。何より、現地の人々や神々の協力があってこそ成り立つものなのです。大いなる方々の介入を拒否するこの世界では……」
「何やってんだよここの神様……あそこにいるんですかね? その、ルトラスっての」
「大抵の神々は、自分の異相空間を作っています。ですので本社の大神殿にはいないかと」
新星銀河社のある方を見やる。ルトラスという神は何を思っているのだろうか。自分のおひざ元で魔王が生まれいる現状に。
「何でまた、この危機的状況に意地張ってんだか」
「私の口からはなんとも。……ともあれ、神々への交渉はアドミン様のお仕事。洞屋様のお仕事は別でございます。これからの予定ですが、この街にあります訓練施設に向かいまして……」
≪と、いう予定だったけど変更ー≫
唐突に、アドミンさんの声が頭に響く。
「あれ、なんかあったんですか?」
≪うん。魔王、発生しちゃった≫
……え?