一話「社会ではよく聞く話」
会社から帰宅。メシ食って風呂入ってパソコンのスイッチをオン。続いてゲーム機のスイッチもオン。さあ、ここ一年ばかりやっているオンラインゲームのデイリークエストを消化するかー、と椅子に座ったところでチャットソフトから着信音。発信者の名前は『Admin』。ゲーム仲間の一人だ。
協力プレイのお誘いかな? と思って画面を見ると、
『うわぁぁぁぁぁん! またダメでしたぁぁぁぁぁぁ! こんばんわ』
アカン感じの悲鳴が打ち込まれていた。風呂上がりだというのに嫌な汗が流れる。寝間着替わりのジャージの袖で拭って返信。
『こんばー。ダメでしたか』
『今度こそうまくいくと思ってたのにぃぃぃ』
『三人目もダメでしたかー』
アドミンさんのお仕事は「人を海外に派遣してその人のサポートをする事」と聞いている。が、なかなか上手くいっていない。前の二人の失敗を踏まえていろいろ頑張って順調だったと聞いていただけに、俺もややショックである。
『あー……で、今回は何が原因で?』
『寿退職ですおめでとうございますうわぁぁぁぁん!』
思わす天を仰いだ。自室の天井しか見えなかったが。
『おめでとうございますーますーますー(エコー)……って言ってる場合じゃねぇや。あっれー? 三人目の人って結構年配じゃなかったでしたっけー?』
『でしたよー。50近かったです。でも、まあ、稼いでいましたから……』
『稼ぐ男はモテるなぁ! ……でも、会社辞めたら稼ぎなくなるんじゃ?』
『蓄えで新しく起業するそうですーははは』
ははは、とか打ってるけれど確実に笑えてないのだろうなぁ。顔を覆いたくなる。
『えーと。で、これからどーするんで?』
『どーするもこーするも、また新しい人を派遣しなきゃならんです。次こそは! 次こそは!』
アドミンさん自身は折れていないようなので一安心だ。さすがにこれでもうやだー! とかいって退職とかいう流れだとさらにてんわやんわになってしまう。
『んで、今回は何がまずかったっすかねー?』
『あー……やっぱり、ちょっとばかりおじさん過ぎましたかねー。仕事一筋の人だったので採用しましたけど、やはり家庭がほしかった、と』
『続けるって選択肢はなかったんすかね』
『私も打診したんですけど、平謝りでご勘弁くださいと言われてしまいました。やっぱり、キツい仕事ですからねー』
まあ、わかる話だ。どんな仕事かは聞いていないが、歳食うと続けられなくなる仕事というものはある。加えて海外での仕事だ。難易度は跳ねあがる。
「日本人だしなぁ……しゃあないべよ」
むう、とディスプレイの前で腕を組む。ついでに椅子の上であぐらも組む。
『新しい人のアテはあるんで?』
『あれば苦労はありませんよ。あーもう、どうしたものだか……。三人目の人だって、やっと探し出した人材でしたからねぇ』
『まー、海外派遣っすからねぇ……前の二人は、なんでダメになったんでしたっけ』
『一人目は、単純にあちらに適応できず。それを踏まえて、二人目はバイタリティのある人を選んだんですが……成果上がったら増長しちゃいまして。現地の人といさかいを起こしてしまい……ならば、人とのやり取りに長けた大人のひとを選んだ結果が……御覧の有様ですよ!』
『あちゃー……』
トライ&エラーとは言うが、失った時間とお金は帰ってこないわけである。よくもまあ、アドミンさんの会社は損切りをしないものだ。
『そもそも、一人抜けただけでアカンことになるのが問題なのでは? 人は増やせないんで?』
『出来ればこんな苦労はしていません! ……いろんなリソースの関係上、一人送って私が担当というのが限界なんですよー』
『苦労するのはいつも下っ端か……と、なると? バイタリティがあって、人付き合いができる若い人、が次の候補、になるのかな?』
『ですねー……スケクロさん、やりません?』
スケクロとは俺のハンドルネームだ。正確にはスケアクロウなのだが、長いので略されることが多い。なお、名前の由来はPvPゲームでカカシに撃つがごとくキルされるから。自虐である。それはさておき。
『HAHAHA……む・り・を・い・う・な』
『デスヨネー……お給料はずみますよ?』
『それはすごく気になるが、今の仕事で何とかなってるしー』
家は貧乏ではないが、弟と妹がそろって大学へ行っている。さすがに二人分の学費は親も出し切れないため、俺も援助しているのだ。なお、俺の分は貸しているだけなのであいつらが就職したら返してもらう約束である。
『あーもう、どこかにいませんかねーやってくれる人』
『見つかるといいっすなー』
ふむう、とぬるくなったお茶をがぶりと飲んで人心地つく。
「まあ、人生いろいろあるよなぁ」
そんな感じにチャットしたりゲームしたりしつつ、その日の夜は更けていった。
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翌朝、晴れ。家族と一緒に朝食を取る。我が洞屋家は五人家族。父の太郎はひょろりとした商社サラリーマン。母の花は立派なヘビー級オカン。弟の凱はいかにも勉強できます系のイケメンメガネ大学生。妹の瑠美夜は人付き合いのよい明るい女子大生。そして俺、長男の景は特に特徴もない工場作業員である。
「アニキ、醤油取って」
「あいよ」
「おにーちゃん、今日駅まで送ってくれる?」
「いいけど急げよ。メシ食ったら俺もう出るぞ」
「俺が送ろうか?」
「父さんとは時間合わないからー」
ほかの家の話を聞いて比べると、うちは随分と仲の良い家族だと思う。兄弟で罵り合うとか、親とケンカするとかいうよそ様の話を聞くと特に。もちろん、家だって思い返せば家族兄弟でのケンカの一つや二つはやったことが記憶にある。だがそれぐらいで、大抵はすぐにどちらかが謝っておしまいだ。
何故よそ様の家は家族だというのにそんなにぎすぎすとするのだろうか。そんな風に思うのだから、家は幸福な一家なのだろう。
「はいはい、さっさと食べないと遅れるわよ、みんな」
母の言葉に、皆慌てて箸を動かす。いたっていつもの朝の風景だった。
渋滞を避けるために早めに出発。ハマると確実に遅刻する。今日は瑠美夜を送るので少しばかり時間のロスがあるが、許容範囲内だ。中古の軽自動車を走らせて、問題なく会社の駐車場にたどり着く。200人近い作業員が働いているため、工場も駐車場も結構広い。都会だったらとても土地を確保できなかったに違いない。
おかしな空気を感じたのは、作業員用の入口に近づいてからだ。なにやら人だかりができている。内容はわからないが切羽詰まった声も聞こえてくる。
顔見知りがいたので声をかける。ブラジルから出稼ぎに来ているホセだ。
「おはよーっす。ホセ、これ何?」
「オハヨウじゃないヨ、大変ヨ! トーサンよ!」
「とーさん? とーさん、とうさん、父さん……倒産!?」
慌てて皆の顔を見てみると、上司に詰め寄る人、顔を覆ってうずくまる人、携帯で誰かに怒鳴り散らしている人など、尋常ではない。
「よう、お前も来たか」
愕然としていた俺に話しかけてきたのは鈴木班長。俺の所属する製造第二班の班長で、仕事じゃ頭の上がらない相手だ。
「班長……一体全体なにがどうして……」
「あっちの工場引き上げようとして、政府に難癖つけられたんだとよ。よくわからん理由でクソ高い金要求されて、にっちもさっちもいかなくなったんだと。まー、前々からそんな噂が聞こえてきてたが、ついにってやつだな」
「それで倒産……? あの国はリスクあるって散々騒がれてたのに!」
「その騒ぎが始まる前から、うちの会社はあっちに工場持ってたからなぁ」
何もかもあきらめきった班長の表情に、俺の血の気はさぁっと引いていった。改めて周囲を見回せば、普段話すこともない課長や工場長も詰め寄られたり叫んでたりする。荷物を取りに来たトラックの人たちに、守衛さんたち、清掃のおばちゃんたちもただただ困惑している。そうすることしかできないのか。俺と同じように。
「……マジで倒産なんすか?」
「上の連中はそういってるな。本社に問い合わせた連中もそういわれたとよ」
班長がタバコに火をつける。ここ、喫煙場所じゃないから怒られる……とか思ったが、もうそんなのはどうでもいいか。
「……何ともならないんすか?」
「何かすればどうにかなるなら、もう誰かやってるだろうよ。万策尽きたから本社も白旗上げたんだよ。俺らはどーしよーもない。そうだな、できることがあるとするならそれは……」
「それは?」
ふう、と班長はぼんやりとした顔で煙を吐き出した。
「ハロワいって失業手当の手続きすることぐらいだな」
その後は、何というか激流に流されるようだった。工場長が改めて皆を集めて、本社からの話をしていたがほとんど頭に入らなかった。皆でハローワークへ行き、手続きを済ませて新しい仕事を探した。仕事はあった。こんな田舎町でも、結構な数が。でも、その内容と給料は納得できるものがなかった。
今までの仕事は夜勤もあるし休みも少ないしで、不満はあった。それでも給料はしっかり出てたから、続けられた。やはり、大きな会社だったからなのだろう。ディスプレイに映し出される求人票に書かれている社員数は大抵が二桁、十人から二十人前後。3桁ですらめったにない。給料も随分と下だ。まあ、工場の方はいろいろ手当がついたからこその給金だったのだけれど……。
妥協に妥協を重ねて数社を選びプリントアウト。時間をつぶしてから帰宅した。
「ただいまー……」
「おかえり。早いね」
居間に凱がいた。正直な所、顔を合わせ辛かった。ハロワ関係の書類をバックに入れておいてよかったと内心胸をなでおろす。
「あー……お前も早かったな」
「今日はそんなに授業なかったから」
俺にはさっぱりわからない本を読みながら、そう返してくる。……凱は、そして瑠美夜も。二人は真面目に大学に行っているのだ。これで大学に遊びに行っているようなチャランポランであれば、こんなにも悩まずに済んだのだが。
「そうか……大学の方、どうよ?」
「ん? 別に普通だけど」
「そうか」
何とも気まずくて自室に逃げようとする。
「アニキ」
「うん?」
「なにかあった?」
背を向けていたおかげで、ひきつった顔を見せずに済んだ。
「……特にないけど?」
「そう。それならいい」
凱は再び視線を本に落としたようだ。俺も自室に引き上げる。……やっぱり、二人には大学に通わせてやりたい。家から通える範囲で、給料のいい場所はほぼない。最低でも県外に出る必要がある。そうなれば実家住まいの今と違って、出費も多くなる。二人の大学費用、両親の介護費用の積み立て、俺自身の貯蓄……金は多い方がいい。
新しい仕事に就くというのは博打的なところがある。その仕事をこなせるか、続けていくことができるか、職場になじめるか……数えだしたらきりがない。
どうせ博打であるのなら。俺はパソコンのスイッチを入れた。
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チャットソフトが立ち上がる。アドミンさんがオンラインになっているのを確認。
『こんばんわ。アドミンさんちょっといいですかね?』
『こんばんわー。はいはいなんでしょう?』
『例の仕事の話、真面目に聞かせてもらいたいんですが』
アドミンさんはタイピングが早い。レスもいつもすぐだ。だけど、この時は少しばかり間が空いた。……今更ながら緊張している自分に気づく。ゲームを起動していないときのゲーミングPCはとても静かだ。ほんの数秒の無音が、やけに染みる。
『急にどうしたんです? 何かありましたか?』
『会社が倒産しました』
『ええ……何ですかそのタイミング。私何もしてませんよ?』
『やればできるんですか』
また、少しだけ間が空く。
『できるわけないじゃないですかやだなはははー』
『今の間について問い詰めたい気持ちでいっぱいですがそれはともかく。で、真面目な話どうなんでしょう仕事』
『本気で本気ですか? ほかの仕事とか探さないんですか?』
『探したことは探したんですが、実はですね』
俺は、現状について説明した。弟達の大学費用のために金がいること、地元では稼げないことなどを。
『えーっと……かなり突っ込んだことを聞くんですけど。なんでまたそこまでご兄弟を支援しようと? 普通そこまでするものなのでしょうか? 私兄弟いないのでちょっとわからないんですけど』
『まー、そうでしょうねー。普通はさすがに躊躇すると思います』
海外への不安はたくさんある。前任者が三人も辞めたような仕事だ。間違いなく楽ではない。
『俺、結構就職で苦労したんですよねー実は。一番初めに入ったところは身体がついていかなくて二年で辞めましたし。その後は就職するのも大変でしたし。やっと入ったと思ったらくっそブラックで速攻逃げましたし。安定して働ける工場に入ったらこれですし』
『スケクロさんの意外な波乱万丈人生に衝撃を受ける私です』
『いやあ、探せば結構見つかると思いますよ? 俺ぐらいな奴は。もっと酷いのもきっといますよ。というか俺過労死も自殺もしてないし』
『うわぁ……』
少しばかりニュースサイトを見るなり検索するなりしてみれば、この手の話題はいくらでもある。誇張されたものも多いだろうが、さりとて火の気のない所に煙は立たないものだ。景気が良くなっている? 中小企業は相も変わらず仕事を取ったり物を取るために値引きを迫られているのに? そしてそのしわ寄せは労働者の給金という形で現れる。その具体的な数字を、俺は今日ハロワで見てきたわけである。
『で。この苦労を弟達にはさせたくないっていうか、大学行っておけば少しはマシなんじゃないかと。……考え古いかもしれませんけど。俺自身の大学コンプレックスもあるんですけどねー。むしろそっちの方が大きいかもしれない』
『ご自身で行こうとは思わないので?』
『金ないっす。働きながら通えるほどの根性ないっす。勉強もう勘弁っす』
『ダメじゃないですか。特に一番最後』
『俺もそう思います。まあ、そんな感じでダメな俺なんですが。それでも、アニキらしいことの一つぐらいしてやりたいわけなんです』
この歳になってもアニメ見てて漫画読んでてゲームやってて彼女いなくて。服とか興味なくて歌や芸能界の流行とかさっぱりで話題もこれっぽっちもないけれど。
『なんだかんだ言っても俺アニキなんで』
たまには恰好つけたいのだ。
『わかりました。とりあえず、上司に話してみます』
『マジっすか。ありがとうございます!』
『ちょっと待っててくださいねー』
ほっと一息つく。……しかし、割と勢いで決めたけど。海外である。当然日本語は通じないはずだ。どうしよう、英語なんてこれっぽっちもできないぞ。……ネット通販で英会話教材を探さねばな。
『お待たせしましたー』
教材選びに通販のサイトを開いたところでアドミンさんが帰ってきた。割と早い。
『どうでしたか?』
『えーと、とりあえず会って話した方がよいという流れになったので……明日とか大丈夫ですか?』
『大丈夫です。問題ありません』
出社する必要もうないしな! いや、細かい手続きがちょっと残ってるか。でも急ぎではない。呼び出しあるかもしれないけれどこっちの方が大事だ。
その後、具体的にどこに集合するかという話となった。場所は電車で40分程度の県庁所在地。近場では一番街らしい街があるところだ。田舎だからなぁ、この辺。
『じゃ、そういうことで明日はよろしくお願いしますね』
『こちらこそ。無理いってすみません』
『いえいえ。こっちも困っていましたし。こんなに早く新しい人入ってくれるなんて思ってませんでしたよー』
『まだ決まったわけじゃありませんけどねー。決まらないと俺が困りますけど』
『私も困りますよー』
さて、となれば明日の準備だ。久しぶりに背広を引っ張り出さねば。……まだ家族に話したくないし、着替えは現地で、どっかのビルのトイレを借りるか。あと、用意するものといえば……。
「あ」
はっとして携帯で時間を調べる。18時を過ぎたばかり。よし、まだ間にあう!
『ちょっと出かけてきます』
『あっはい、いってらっしゃーい』
履歴書と写真! 急いで撮ってこなきゃ! 服は……作業服でいいか!? 汚れてないしいいな! 急げ俺! 財布や携帯をひっつかんだ俺は、自室を飛び出した。