十二話「あのテーマを聞きながら」
ぼっち、という言葉をご存じだろうか。一人ぼっちの略称で、集団の中で孤立していたり友達がいない者を指す言葉だ。そしてそれは、現在の俺を指す言葉となっている。
洞屋景、24歳、コンミン第一狩猟兵訓練校在籍。友達、なし! うははははー! 笑うしかない。
朝、クラスに出席したらクラスの雑談が消えた。視線を向ければ目を逸らされる。視界外から聞こえてくるひそひそ声。おう、歳食ってもこの状況は心に来るのう……!
≪だいじょーぶですよスケクロさん! 私がいますから!≫
≪おお! ありがたや脳内彼女ならぬ脳内フレンド! 何と心強い事か!≫
本来なら現実逃避じみた妄想を指す言葉だが、こっちはガチ本物である。
≪えへへへー……ところで、なんでこんな事になってるんでしょうかね?≫
≪そりゃ、あれっすよアドミンさん。この星の絶対者である貴族とトラブったわけですから、関わらないようにしてるんですよ。正しい反応っすわ≫
≪ええー? だって、スケクロさんがあそこで頭下げなかったら、みんな退学だったかもしれないんですよ? それなのにこの態度ですかー?≫
≪そういうものだからしょうがないんですよ。それに、昨日よりはマシになってます≫
そう、昨日は大人という異物への視線だった。今日のは違う。申し訳なさそうな表情をしているのが、見えるのだ。彼ら彼女らとて、好きでこんな反応をしているわけではない。
俺が彼らの立場だったらどうする? 同じことをしただろう。ならばとやかく言う必要はないし、その気にもならない。
≪……スケクロさん、優しすぎませんか?≫
≪優しさじゃないですよ。俺は俺で同じように処世術っすわ。おいてめぇら! あれだけしてやった俺に対してその態度はなんだ! っていったら、それこそあのクソ貴族と同じです。そうなるつもりはないので、これでいいんです≫
≪なるほど。立場で相手に強要するという意味では同じですね≫
≪でしょーう?≫
何より、今の俺には優先するべきことがあるのだ。この程度の事に拘っていられない。そう思いながら昨日の席に座る。前の席の男の子二人が居心地悪そうに身じろぎした。
しばらくするとコウ先生が教室に入ってきた。挨拶して授業が開始されるという流れは、世界が違っても変わらぬことらしい。じろり、と俺を一瞥してから先生は話し始めた。
「早速だが資格試験の話だ」
げぇ、とか、うへぇ、とかあちこちで聞こえてくる。分かる。だけど頑張っておかないと後で苦労するぞぅ? 俺のようにな!
「筆記は頑張って詰め込めとしかいえねぇ。大抵、前年の問題と似たようなのが出るから、問題集の数をこなせ。難しいものは出ないが、油断してると落ちるからなそのつもりでな。何回でも受けられるが金掛かるのを忘れるなよ」
うおお、筆記試験があるのかー。勉強しなきゃなぁ……勉強……。
≪コンピューターが付いた筆記用具とか、簡単に暗記ができる炭水化物とか……≫
≪チート、だめ、ぜったい≫
≪ですよねー≫
まあ、頑張ればなんとかなるだろう、ひたすら苦労するだろうけど。まあ、今は置いておく。その時苦しめばいいんだ!
「実技は基礎体力と専門技能な。専門は自分に合ったやつ選べ。闘士はひたすら殴るだけだがクッソ体力いるし、治療士は道具の暗記と使用で頭煮えるからな。どれ選んでも生半可じゃ受からんから覚悟しとけ」
専門技能……ゲームでいう所のクラスとかジョブか。ゲームでもそうだが、チームで戦うのなら皆が同じことをする必要はない。役割分けは重要だ。俺は……ヤツへのカウンター戦術の事を考えると、防御の訓練を重点的にやらなきゃならない。となるとここでいう甲士、タンク役をやることになりそうだ。
まあ、その辺も先の話。今はただ、ヤツを打倒するために体力づくりと技術訓練だ。
そんなことをAR教材を見つつ考えていたら、手に何か当たった感触。見れば、ペンとそれを包んだ紙があった。
隣の席の子の方を視線だけで見る。彼はしっかりと先生の方に目を向けていた。……ただし、先生の見えない位置、テーブルの下で手を動かしている。え? ……これを開けってこと? そういうジェスチャー?
開いてみる。紙、の代用品だろうか? 少しつるつるした手触りのそれにはこう書かれていた。
『大丈夫?』『ひどい事されなかった?』『昨日はありがとう!』『オッサン根性スゲーな!』
筆跡はそれぞれ違う。いろんな人の感謝と心配の言葉が、たくさん綴られていた。……昨日から涙腺が脆くて困る。流石に今泣くわけにはいかないから我慢だが。
わざわざペンが付いてきた所を見ると、これに返事を書けという事か。……なんでこんな手段なのだろう? ARのチャットじゃいかんのだろうか? まあ、いい。
≪直接いうわけにはいかないから、こういう方法で接触してきたわけですか。なんだかスパイみたいですね!≫
≪学生に戻った気分ですわ。昔は俺もよくやったもんです≫
さて、お返事を書くのはひと手間必要だ。俺はこの世界の文字を知らない。読めるのは翻訳システムのおかげである。なので、まず翻訳システムを通して返事を入力。表示される文字を紙に書き写す、という方式。直線の多い文字でよかった。曲線だらけだったらもっと苦労しただろう。
『ボコられたけど、治療したからもう大丈夫』
返事を書いた紙を同じようの丸めて、テーブルの下で隣の彼に差し出す。隣の彼はプロだった。上体をほとんど動かさず受け渡しを成功させたのだから。先生の方からは何を行ったかわかるまい。熟練の技術であった。
そっから先は愉快だった。クラスのどこかから息をのむ音や、声を抑えるしぐさが伝わってくるのだ。ああ、今手紙はあそこにあるんだなぁ、という感じだ。
その後も、授業を受けつつ簡単なやり取りを続けた。ついでにこのやり取りの理由を聞いてみた。ログが残るものは誰かに読まれるから危ないそうだ。実にSFである。
そんなクラスメートとのやりとりをして思う。ぼっちだけどぼっちじゃねぇわ。学校生活たのしいなぁ!
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基本的に、この学校は座学より実技訓練の方が多い。頭を使わなくていいわけじゃないが、やっぱり体が資本である。なので多くの時間が基礎体力の向上に割り振られている。俺としてもそれはありがたい。最後に物を言うのはパワーである。
今は学校の外を走っている。決められたランニングコースがあり、それを時間いっぱい走り続けるのだ。流石に、初日のようなデットヒートはしない。体力強化のために自分を追い込むだけである。で、そんな風に走っていたら、また同じメンバーになった。
騎士爵家のお二人、リアーヌ・ブランさんとジルベール・バランド君だ。やっぱりこの子らも、子供のころから鍛えていたのだろうか。ほかの子らとは体力が全然違うように見える。
しばらく、三人でコースを走る。学校は都市の外縁部に位置している。なのでとても殺風景だ。この星は外じゃ緑が育たない。一応街の中であるから、見えるのは人工物だけだ。もうちょっとこう、異世界で未来世界な風景を楽しみたいが……観光じゃないしなぁ。
そんなことを考えていたら、唐突に服の袖をつかまれた。両側から、つまり二人から。
「こっち」
「え? え?」
リアーヌさんが引っ張る先は、何の変哲もないビルの陰。でもそっち、コースじゃないよ?
「急げ」
「いや、ちょっと!?」
ジルベール君からも押され、無理やり路地裏に連れ込まれる。なにこれ。事案? 事案発生なの? ウスイ・ホンなの? 二十四のフツメン男のウスイ・ホンって一体誰得なの?
「ここなら誰にも見られることがない」
周囲をうかがったリアーヌさんは俺に向き直ると、なんと頭を下げてきた!
「強引に連れ込んで済まなかった。本来ならもっとちゃんと礼をしたかったが、実家に累が及ぶためできなかった」
「最大の感謝を。あそこで身を挺してヤツを止めてくれなかったら、俺たちもクラスの連中も、皆破滅だった」
「いえいえとんでもございません。勝手にやったことで済んで、頭を上げてくださいまし」
よかった、ただのお礼だったか。運動のものとは別の嫌な汗かいてしまった。
≪というか、スケクロさんはそういう本読み過ぎなんじゃないでしょうか。BLは読んでませんよね?≫
≪やめて! 助平心を読まないで! っていうかどこでそんな言葉を覚えましたか≫
≪……そっちに落ちたのがいるんです。私たちの中で≫
悲報。お腐れ趣味が大いなる方々に感染。そんなどうでもいい話はさておき。
「皆さんの立場はなんとなくですが察しておりますので。あの時は一番身軽な自分が行くのがベストでしたんで」
「とはいえ……結局、貴方一人に被害が及ぶことになった。……オレール・ウトマンは、味を占めてしまった」
……ほおう。少しばかり、口の端がつり上がってしまった。
「具体的に、どんな感じなんですかね?」
「仲間に、『武勇伝』を語っていた。戻ってきたときに、また呼び出されるだろう。次はさらし者にされる」
ジルベール君の語る内容にむかむかとこみ上げるものがあるが、今は抑える。重要な点がある。
「戻ってきたら、という事は今は学校にいないと?」
「そう。ウトマン達も狩猟兵。封鎖区画でモンスター退治をしている」
「中で好き勝手暴れて、手に入った金で豪遊。金が切れたらダラダラと錆を落として、また封鎖区画へ繰り出す。貴族でも平民でも、狩猟兵なら比較的よくあるパターンだ」
なるほど。命の取り合いなど、そうそう短期間に繰り返せるものではないという事か。ゲームキャラならともかく、生きているのだから息抜きもしたかろう。
「何日置きとか、わかります?」
「一番短いサイクルでも一日戦ったら、休憩と訓練で二、三日取る。装備の修繕や補充も必要だから」
「貴族の狩猟兵はそんなに切羽詰まってないからな。特に連中は遊び半分だ。遊びに三日、遊びながら訓練にさらに三日だ」
脅威の週休六日制。……うらやましいを通り越して逆にだるくなりそうだ。という事は、これからだいたい週一で呼び出されてボコられるわけか。訓練中ずっと俺を殴り続けるとかそういうことはさすがにないと思いたい。仮にそうだったら、まあ、その時はその時だ。ある意味一番問題なのは、もう呼び出されない事だからな。あいつをぶん殴る機会が失われてしまうから。
「そういうわけだから、やはりここは一旦退学して別の学校へ行くのを進める」
「俺たちも何とか家のツテを当たってみる。貴族としては最下級だから、正直自分でも期待が持てないが……」
二人は逃げろと言ってくれている。ありがたいことである。確かにまあ、普通はそう考えるだろう。
≪アドミンさん。しばらくは我慢の日々になりそうだけど、大丈夫?≫
≪私はへっちゃらですけど……痛いのはスケクロさん、ですよ?≫
≪身体の痛みなんざ一時間で治るのは体験済みですからねー。……まあ、なるべく早く勝てるように頑張りますんで≫
≪うん、頑張ろう≫
意思統一は成った。こうなればもう、逃げるという選択肢はない。
「ご心配していただいてうれしい限りです。が、自分はここに残りますんで」
「……何故? どう考えてもあなたにメリットはない」
「ここで辞めるともっとデメリットが増えそうなんですよ。仮に辞めたとしても、スムーズに違う学校に入れるかどうか疑問です。お貴族様が一声かければ、俺の転校なんてあっさり邪魔できそうですし」
二人の顔が曇る。何となくそうだろうな、とは思っていってみたが案の定だ。
「それに、今やめたら他の人が呼び出されるようになるだけだと思うんですよ。俺が辞めて、次の人も辞めてさらにさらに……結局、みーんないなくなってしまう。そうなったらあの時俺が頭下げた意味がなくなっちまうじゃないですか。だったらここで俺が殴られ役として踏ん張った方がいい」
なにせスケアクロウだし。お、俺今うまいこと言った。
≪ええー……?≫
≪いいじゃん別に! 俺の前の職場の鈴木班長よりはマシだよ? あのダジャレキングよりは≫
あの人、ほったらかすと延々ダジャレいってくるからね! 仕事させろっての!
「根本的解決になってない。あいつらがいつまでもあんたを殴るだけで済ませるとは思えんぞ。事故だって起きるかもしれない」
む、とジルベール君の言葉に言葉が詰まる。確かに、それについては全く以てその通りだが。
「まあ、ベストじゃないですけどこれが今は最もベターな選択肢なんで。じゃ、そろそろ戻りますか。あんまりさぼってるとバレそうなんで」
二人を背にして走り出す。逃げるような形になってしまったが、まあ致し方があるまい。二人に累が及ぶのは避けたいし。しかし、根本的解決かー。確かに、あいつぶん殴っても何の解決にもならんなー。下手すると、いや下手しなくても悪化するな。変な罪とか着せられて逮捕されそう。
あいつとその仲間の横暴を止められさえすればいいわけなんだが……権力への対抗手段といえばより強い権力か暴力か、あとは……醜聞?
≪なるほどー。その手がありましたか≫
≪その手ってどの手? というか、思いつきはしましたけど具体的な方法も手段も俺は持ち合わせていないんですが≫
≪その辺は私が何とかしますから、スケクロさんはあのヤローをぶっ飛ばすことだけ考えててください。ええ、せっかく殴られるんだから利用しない手はないですよ≫
≪アドミンさん、何する気……?≫
≪ふっふっふ。こうご期待!≫
不安がいっぱいである。
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有名な映画がある。愛する人のため、支えてくれる友のため、何より己を証明するため。圧倒的な実力を持つチャンピオンと戦ったボクサーの話。
もしかしたら映画本編よりも有名になったあのテーマに乗せて、主人公が過酷なトレーニングをこなす姿は記憶に焼き付いている。
あの映画の主人公は金がなく、トレーニング方法はめちゃくちゃだった。俺自身も、まあ金はない。だけどスポンサーは多世界組織で、トレーナーは最高だ。
俺は特訓を重ねた。研修があるからと家族を偽り、アドミンさんのオフィスに泊まり込んで一日中訓練漬けにした。
走った。人生で一番多く走り続けた日々となった。どれだけ足の裏に豆が出来ようとひざを痛めようと、回復魔法と謎の高性能治療薬があればたちどころに治った。
型の練習もひたすらこなした。スーツを脱ぐと、補正され過ぎて体中あざだらけになっていた事なんかしょっちゅうだった。
奴に呼び出され、取り巻きにゲラゲラ笑われながら剣を受け続けた。反撃はしない。ひたすら盾で受けることだけに集中した。あいつが疲れると、別のヤツが剣を取る。おかげで最後はいつもこっちの体力が尽きて袋叩きだ。だが、奴らの剣をたっぷり見ることができた。
そして一つ気づいた。
「もしかして、あいつらの剣ってカウンター取りやすい?」
「お気づきになりましたか」
連中の呼び出しの後、アドミンさんのオフィスに戻ってきて思ったことを口に出してみた。赤井さんがそれはもう笑顔になった。
「ARトレーニングは、素人に剣の型を覚えさせるという目的においては、最良のツールです。しかし、対人戦闘技術を鍛えるという目的を持った場合では、不足となります。型が整いすぎるのです。故に、どう動くのかが大変読みやすい」
「うん。連中の動きを一通り見たけど、すげぇ似てた。フェイントも、何度も見ると大分わかるようになるね」
「フェイントという技法は、見慣れてしまうと効果が薄れてしまいますからね。にもかかわらず彼らが多用し続けるのは、対人戦闘用のトレーニングをしていないという証明になります」
「しかも、俺からはほとんど手を出してないからいつまでたっても上手くならない」
つまり。相手が対人戦の素人である+相手の太刀筋を何度も見ている+俺の技を見せていない+俺は対人戦を学んでいる-相手との力量差=俺の勝率、となる。なおあくまで勝率である。これだけ要素をかき集めても、こっちは素人の付け焼刃。相手は数年の訓練とモンスターとの実戦をこなしている。この差は大きい。
それでも、やっと勝筋が見えてきた。それだけでも上出来だ。
「勝っても負けても勝負は一度きり。一回でも手を出せば、あいつらはもう容赦はしない」
あくまで、あいつらは訓練をしているのである。暴力の訓練を。なので、あいつらなりに線引きというものがある。そうでなければ俺はとっくの昔に潰されているはずだ。しかし手を出せばそれも消える。プライドと傲慢さのお化け、悪い意味でガキそのもののあいつらだ。一度キレれば文字通り俺を叩き潰すだろう。
よくて大怪我、悪ければ死である。もちろん新しい身体を作ってもらえばそれで解決、というわけにはいかない。確実に大騒ぎになるだろうし、あの学校にも通えなくなる。それはいろいろな意味で困る。負けて失うものは大きい。
気が付けば、随分と大事になってしまった。アドミンさんにも赤井さんにも頭が上がらない。恩は働きで返さねば。
「うし、やろう赤井さん。時間が惜しい」
「はい。お相手いたします」
オフィスの一角に作ってもらったトレーニングスペース。お互い力場装具を構えて対峙する。
勝負の日は近い。もう一つの準備も順調であるらしい。その時まで、己を鍛え続ける。……今まで、ただ惰性で生きてきた。楽しい事と楽な事だけを追い求め、努力などほとんどしてこなかった。そんな俺の人生初めての勝負である。
勝ちたい。そう思いながら、俺は剣を振った。