ルフィーネ内親王 1
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燦燦と降り注ぐ陽光が大きな窓から入り、室内を照らす。光が赤い絨毯の上に落ちると、格子付きのアーチ模様が鮮やかに広がった。
広い部屋の壁には黄金の唐草模様が描かれ、荘厳な気品を醸し出している。
豪奢でありながら洗練された空間――といって差し支えないであろうこの部屋は、大陸西方の強国――聖王国リヒターの第二王子、デルフィーノ・アウグスト・リヒターの家族が住まう離宮の一室だった。
「ふぉ、ふぉぎゃあああ! ふぉぎゃああああ!」
その室内を支配したのは、赤ちゃんの元気いっぱいな泣き声だ。
小さな支配者を見つめる周囲の大人たちは、皆一様に安堵の笑みを浮かべていた。
何しろ第二王子妃にとって初の出産である。万が一の事があってならないのだから。
赤子は今、侍医の手から乳母に引き渡される。
流石に王族ともなると、母がすぐ我が子を抱くという事は無いのだ。
だがそれよりも――泣き声の主は、その元気に似合わず――焦り、戸惑い、訳が分からなくなっていた。
(どこだ、ここは? お、俺はどうなった? このメイド風な女たちは、一体なんだ? っぷ! いきなり顔を拭くな! ぷえっ! ……ああ、そうだ、俺、死んだんだ……よな? ここって、天界とかか?)
それもそのはずだった。
今生まれたばかりの赤子は、その内部に安田庵の精神を宿している。ましてや、彼の記憶も持っているのだ。
――しかし、彼の精神は肉体に引きずられて、言葉を喋ることが出来ない。だから無様に泣き叫んでいるのだが――もっとも喋れたところで、この場は日本語など通じない。その事に気が付けるほど庵の精神は豪胆ではないし、知能も高くなかった。
「元気な女の子ですよ! マルガリータさま! 瞳の色がお妃さまそっくりの緑色で……! 髪は、デルフィーノ殿下譲りの素敵な黒色ですっ!」
「――あら――よかった。リヒターの王家は黒髪が多いから――私と同じ、金色だったらどうしようかと思ったわ」
王妃はぐったりとしながらも、我が子の容姿を伝え聞いて安堵した。
実際のところ容姿よりも中身が問題なのだが、今のところその件は問われていない。
庵は自分を抱え込む女を見て――それから目をクルクルと動かしてみる。
布に包まれている事を自覚した庵は、身体のサイズに違和感を覚えていた。
先ほどから庵の視線が向かう先は、茶髪女の鼻の穴だ。
時折その女性が揺れるので庵は訝しんでいるが、彼女はあくまでも庵をあやしているだけだった。
(巨大な女に抱きかかえられているのでなければ……俺が縮んだってことか? うん。手が劇的に小さい。それに、なんか丸い。これはもう、赤ちゃんだ……。
それにしても、なんだこの人、鼻、高いなぁ。でも、鼻毛見えてら……。
ていうかこれ、もしかして転生? 俺、赤ちゃんからやり直し? しかも、俺を抱っこしている人が外国人っぽいから……ここは異世界だな。へへ……異世界奴隷ハーレム、俺も出来ちゃう? 俺の時代、来ちゃう?)
庵は、短絡的だった。
状況の判別が何も出来ない状況で、全てをぶんなげ異世界へ転生したと直感する。
そしてその事実が嬉しくて、泣いた。
「うえぁぁぁぁぁん!」
実際、前世で碌な目にあっていないから、もう一回人生をやり直せるなら赤ちゃんから――とは思っていた庵だ。
といって、庵は多少の現実感覚なら持ち合わせていた。
(これで当面、働かないでも生活が出来るな……なんなら、ママンのおぱーいも吸い放題なんじゃないか? やった!)
そもそも前世で死に至ったのは、無理して外へ出て働こうとしたからだ――そう考えた庵は、あの時の改心など何処へやら――すでにゲスの極みを発動させていた。
もっとも元来が小市民の庵だ。ここが世界に冠たる大国の宮殿だとは気付いていない。なので、自分は大人になったら冒険者とか、その辺りになるのだろう――という程度に考えている。
なので効率よく勉強をして、ある程度の実力をつけよう――それで女奴隷でも買って――奴隷ハーレムライフだ! と、泣きながら夢を膨らませていた。
「うぇえええええあああああん!」
こうして聖王国リヒターにおける第二王子デルフィーノ・アウグスト・リヒターの長女として転生した安田庵は、自らが女児である事に気づかないまま、なるべく働かないで、奴隷ハーレムを目指そうと決意したのである。
◆◆
「ふうぇああああああああん!」
生後数週間が過ぎた庵は、幸福感と絶望を同時に味わっていた。
庵は、生まれて初めて母親と妹以外のおぱーいを見た。そして吸った――だけでなく、舐めたし楽しんだ。
何しろ腹が空いたと泣き喚けば、侍女と云う名のおぱーいが目の前に差し出されるのだ。しかもおぱーいを差し出す侍女の数は、七名。そのうち四名は食糧補給が不可能なおぱーいだが、庵にとってそれは問題にならない。
食が満たされなくても、性が満たされる――はずだったからだ。
だが、庵は気づいてしまった。
生前の庵だったら、うら若い乙女のおぱーいを前にすれば、股間の如意棒が筋斗雲に乗り大猿に化けること間違いなし――だったはずだ。
しかし今の庵の股間からは如意棒のみならず、貴重な宝玉までもが失われていたのだ。こうなれば、もはや筋斗雲には乗れない。
(ば、馬鹿な! 俺のヘソまで反り返るエクスカリバーが! 騎士王の象徴が、ない――なんて!)
円卓の騎士を愚弄するかのような発想はおくとしても、事実、庵はショックだった。
せっかく異世界に転生したならば、奴隷ハーレムだけは外したくなかったのだ。それなのに、これでは一歩間違うとハーレム要員である。
ミイラ取りがミイラになるなど、それだけは断固として避けたい庵だ。
(あひゃ、や、やめてくだしゃい、ご、ご主人様。――とか、言いたくないよ……)
自分でその様を想像してみて身震いする庵――それはそれでゲスである。
それはさておき、庵は大半の時間が退屈だった。
実際のところ、庵の身体は赤ちゃんだ。
基本的に、寝て、起きて、おぱーいを舐めて吸って飲んで、ボーっとして――というサイクルを繰り返すだけ。「舐めて」の部分を除けば普通の赤子とさして変わらない庵は、精神がちょっとだけ発達している分、退屈を感じてしまうのだ。
「はふぅー」
庵は溜息をついた。それから天井を眺めてみる。
天井は緋色で、金色の紋様が色々と施された豪華なものだった。
天使がラッパを吹いているような絵も見えた。
(俺の部屋なんだろうか……)
庵がチラリと視線を右に動かすと、自分が納まる揺り篭の縁が見えた。それも金だ。
揺り篭の中にはガラガラと鳴るオモチャがおいてあるが、そんなものよりパソコンかスマホが欲しい庵は、小さく欠伸をした。
(やっぱり暇だな――泣くか)
「うえぇぇあああああおおん! やふぉおおおおい!」
庵は様々な泣き方を開発した。
それは、己の意思を伝える為に必要だったからだ。
元ヒキニートの庵に、わざわざ言語を勉強する意志など無い。
泣けば大体の想いが伝わるなら、問題はないのだ。
この時の庵は、刺激を求めた。
今、ふと侍女の横顔が視界に入ったからだ。
今日の侍女は、庵の一押しだった。
そばかすが初々しい、ツインテールの侍女である。
庵は激しく泣いた。
意味は、ハラヘッタ――ボニュウクレ! だ。
だが、この侍女は乳母ではない。故に、母乳など出ない。
無論、このことは庵も知っている。
――つまり庵は今、赤ちゃんプレイを存分に楽しむつもりなのだ。
庵は考え方を改めていた。
(もしかして侍女に囲まれている今が、ハーレムなんじゃないですかぁ?)と……。
「くふふ……くふふ。おぱーい」
庵の笑顔はニタリとして、赤ちゃんらしくない。
三十五歳の狡猾さを、このようなところで如何なく発揮する庵は、本当にゲスである。
「はいはい、姫様、只今……え? いま、なんて? 言葉……?」
侍女は小さく首をかしげる。
今、大切なルフィーネ姫が言葉を話したように聞こえたからだ。
しかしそれはリヒターの公用語ではなかったので、侍女もこの後、誰かにいう事はなかった。
(空耳、よね?)
結局侍女は笑顔で素肌を晒し、瑞々しい自らの胸を庵の邪悪な口元へ差し出した。
「あっ……」
庵の舌使いは、エロい。来るべき日に備え、練習を積んでいたからだ。もちろん来るべき日など無かったが、今更ここで、彼の妙技が如何なく発揮されたのである。
侍女は思わず妙な声を上げてしまったが、この場に誰もいなくて助かった。
後にこの侍女は恋人が出来るのだが――その男と喧嘩をした際、この時の舌使いを思い出す。
そして恋人をなじるのだ――。
「貴方より、赤ちゃんの方がよっぽど上手だったわ!」と。
男は聖王国を去ったという――。
ちなみに転生後の庵は、ルフィーネ・アウグスト・リヒターという立派な名前が授けられている。
しかし未だリヒター語を理解しない庵は、
(ルフィ、ルフィって五月蝿いなぁ。未来の海賊王がどこにいるんだよー?)
と、思っているに過ぎない。自分の名前さえ、まだ理解していないのだ。
世界に冠たる強国の一つ、聖王国リヒター。
――その第二王子の下に長女として生まれながら、残念な成長しかしないルフィーネ内親王に、はたして未来はあるのだろうか。




