公開処刑
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リヒター王国軍がシュテットルの市街へ進駐を始めたのは、翌日のことだった。大陸暦で言えば、一五三三年七月四日のことである。
そしてこの日は、アントネスクという国名が地図上から消える記念すべき日となった。
リヒター王国のシュテットル方面軍司令官は、ムネトヨ・イガという中肉中背の中年男だが、マッティアの信任が厚い。堅実な作戦指揮能力と公明正大な人柄だが、同時に軍規を乱すことを極度に嫌う人物である。
また、彼は転移者の子孫であり、勇者であるヒスイ・イズモがいうニホンを理解する、数少ない人物の一人だ。
さらに彼は独特の剣術と剣を使う男で、一時、ヒスイに剣術の指導をした事もあった。
武器はいわゆるシミターのように反りのある剣を好むが、しかし刀身を細く仕上げ、突きにも使用できるような形状にしている。そして彼はそれを”刀剣”と名付けていた。
シュテットル方面軍は、異様な速さでシュテットルへ到着した。ナルドリアを発して実に三日で到達したのだから、歩兵達の苦労がしのばれる。
それはさておき、急ぎシュテットルへ向かった方面軍へ齎された情報は、アントネスクの降伏という身も蓋もないものであった。それ故に方面軍には攻略目標が無くなったのだが、代わりに二つの命令が下される事になったのである。
ムネトヨ・イガの下に、総参謀長レティシア・オルテスからの通信が入ったのは、シュテットル到着の前日であった。
「――それから元第三位階騎兵、ブラッドフォード・ノヴァーグがそちらに向かってる。此方で調査したところ、ヤツはサキュバスの眷属だった。故に、その目的はルフィーネ・アントネスクの奪還と思われる」
「ふむ――あの良い目をした若者が、でござるか。して、総参謀長閣下が拙者に望む事は、一体なんでござる?」
「簡単なことだ。ルフィーネの処刑とブラッドフォード・ノヴァーグの処断。貴公ならば上手くやれよう?」
「姫君を囮にノヴァーグを引きずり出せ――と総参謀長閣下は仰せでござるか」
「ふふ――物分りの良い男は、嫌いではないぞ」
「拙者、三十過ぎの女性はちょっと……それに、妻も子もござれば」
「なんだと!? 誰が年増ブスか! 貴様の妻子など滅べばよい! 爆ぜろ!」
「は? いや、とんでもない。そこまでは言っておらんでござる! 総参謀長閣下は、十分お美しいでござる! ていうか人の妻子に対して、何て事を言うでござるか!」
「ふん、知るか! それにしても、あれ程の美貌――ブラッドフォード・ノヴァーグ……惜しいな。生かしてあたしの奴隷にする手もある、か……」
「はぁ、やれやれ、まったく――女性も三十を過ぎると、若く美しい男に弱くなるものでござるなぁ。では、生かしてお連れしましょうか?」
「なんだと!? 誰が色欲ババアか! 冗談に決まっておろう! 敵前逃亡したものなど、奴隷にさえ出来ぬわ!」
「い、いや、だから閣下――拙者、そこまで言っては……!」
いまいち色々と線引きの分からないレティシアが、ムネトヨは大の苦手だった。
軍勢がシュテットルに到着した日は、城壁の外へ陣を敷いただけである。といっても既に降伏の意思を見せている城砦を威圧するなど、ムネトヨには不満だった。
だからムネトヨ・イガは翌日早朝、クラスノフ家の館を訪れたのだ。
ともかく彼は元来からせっかちで、何事も最短距離を進み、合理的である事を求めている。それ故に本来ならば使者を出せば良いだけの場所へ、自ら出向いたのだった。使者が往来する手間を省くには、自らが出向く方が手っ取り早い。そう考えたからである。
すると当然驚いたのはクラスノフ伯だった。
(どうして総大将自らが!?)
彼は動転した頭を抱え館の中を無闇に走り回ると、”はっ”と何かに気付き、ようやくムネトヨの下へ赴いた。
「ルフィーネさまはおられるか?」
しかしムネトヨ・イガは館の門前でクラスノフ伯にこう言い、その後は無言を貫く。
無論、この有様には付き従った百名余の部下達も呆気に取られ、門前を固める他なかった。
てっきり皆、クラスノフ家の当主とムネトヨが支配権の委譲など、簡単な文書のやり取りでもするのかと考えていたのだから、肩透かしもいいところである。
暫くすると護衛に伴われたルフィーネが、簡素な緑色のワンピース姿で現われた。
(ふむ。死を間近に控え、なおも表情を崩さぬか。世が世なら、褒め称えられて然るべき姫であったろうに……)
前日に死の決意を固めていたルフィーネの姿が、ムネトヨには実に毅然とした態度にみえる。色々と残念なことだ。
ムネトヨは足音も高くルフィーネへ近づき、跪くと剣を地へ置いた。王侯に対する礼を、この司令官は見せたのである。
「拝謁いたします、ルフィーネ内親王殿下。拙者、シュテットル方面軍司令官、ムネトヨ・イガにござる。されば――殿下のお命、明日正午に頂戴いたしまする故、お心残りの無きように」
(ぶ、武士だ……)
ルフィーネは引き攣りそうになる顔を何とか抑えて、ムネトヨの顔を見る。
多少平べったい顔は、明らかに日本人の血が入っているだろう。何より彼が地面に置いたのは、日本刀だ。
しかしルフィーネはそれよりも口上に驚いた。
わざわざルフィーネを呼び出したかと思えば、明日の正午に殺すから、それまでに身支度でも整えろ、と、この男は言うのだ。
もちろん、何も言われず殺されるよりはマシかもしれないが、いくらなんでも急すぎるだろう。
「ま、まって。マッティア……さまには会えないの?」
ルフィーネの疑問はもっともだった。
これほどルフィーネの命を狙うマッティアなのだから、自分で殺したいはずではないのか。
その点はムネトヨも疑問だが、重要な点がルフィーネの死にあるならば、あえてマッティアが処刑を見る必要はない。
(――或いは、陛下はこの少女を試しておられる。――いや、まさか)
脳内に漂うもやを振り払い、ムネトヨは総参謀長から言われた言葉をまんまルフィーネへ言う。どちらにしても、ルフィーネに同情は不要なのだから。
それに何事も最短距離が信条のムネトヨだ。まして嫌な仕事は早く終わらせたい。
「――陛下からは、姫が苦しまぬように、と仰せつかってござる。あいや、ご心配めさるな。瞬時に首を落とさば、痛みを感じる余裕などござらぬゆえ」
(ざ、斬首ですか、そうですか)
ルフィーネの顔が、みるみる蒼白になった。
たしかに昨日、死を覚悟したルフィーネだ。しかし明日殺すと言われれば、いくらなんでも早いと思う。
今、緑眼に涙を溜めるルフィーネは、ムネトヨの部下達さえ目を逸らす程の痛ましさだった。
「いくら陛下の御命令でも――このような子供を、なにも……」
部下の一人が、呟いた。
それに眉根をピクリと動かしたムネトヨ・イガだ。
同時に彼の体はブレて、部下の首が宙に舞う。
噴出した血が辺りを濡らし、ついで鞘に刀を収める甲高い音がなった。
「陛下のご命令に異論を挟む者は、誰であれ容赦せぬ。我が配下に不心得者など不要と心得よ」
(――ふむ。毅然とした態度で敬意を抱かせ、怯えて見せて同情を誘う――か。拙者も心して掛からねば)
実はムネトヨも、ルフィーネに同情を禁じえない。それ故にこそ、これをルフィーネの策略と見て取った。
そもそもサキュバスの悪魔付きと聞かされているから、その色眼鏡で見れば、この程度の策略はおかしくないのである。だからこそあえて部下の首を刎ね、軍規を正すムネトヨだ。
ちなみに首を刎ねた部下は、もとより横領などを繰り返していた不心得者。ムネトヨはこれを、綱紀粛正にも利用したのだった。
(それにしても、己の悪に目を瞑り他者の悪だけをなじるなど、リヒター軍人の風上にも置けぬ者であったわ……)
その様を見たルフィーネは、さらに身近へ迫った死を意識してか、小刻みに体を震わせている。
(血がぴゅーって、血がぴゅーって。わたしもああなっちゃうの!? やっぱり嫌だよう)
◆◆
「最後の晩餐」
ブツブツと言いながら肉を噛み締めるルフィーネは、一応しっかりと味わっている。
今の気分は死刑囚そのものだが、別に悪さをした訳でもない彼女は反省のしようもなかった。
とはいえ死を明日に控えて、おいそれと食べ物が喉を通るハズもない。だからルフィーネは口に入れた一切れの肉を、五分位ずっと噛み続けていた。
ここ、クラスノフ家の食堂ではルフィーネを誕生日席に迎え、エヴァリーナ、ゲラーシー、それからスサンヌとニーナが席に座っている。
コンラート・フォン・マンシュタインもいるが、彼はルフィーネの背後に直立不動の姿勢で立っているから、食事には参加していなかった。
ちなみにコンラートはルフィーネ第二の眷属だから、まったくルフィーネの処刑に納得していない。今でも断固阻止すべしと言い募り、いっそルフィーネを攫おうかと考えているイケメン耳長族の少年だった。
「コンラートも食べればいいのに……」
ずっと背後に立たれていると、どうしても気になるルフィーネは、振り返ってコンラートに言った。
今日のメニューはルフィーネの大好物だから、彼女に味覚をガッチリ合わせにいったコンラートも、これは好物に違いないのだ。
ステーキ、唐揚げ、焼肉――と、溢れんばかりの肉料理が並ぶテーブルは、ルフィーネにとってまさに宝の山である。
一人ゲラーシーだけは見ただけで胸焼けを起こしているが、エヴァリーナだって一人で三人前は食べている。これを育ち盛りの男の子が食べたくない訳がないのだ。
”ごくん”
コンラートの喉が鳴り、長い耳が上下する。
「はい、あげる」
フォークに突き刺した唐揚げを、ルフィーネがコンラートに差し出す。
その瞬間、涙を浮かべながら唐揚げを食べる少年は、床に膝をついた。
「や、やはりルフィーネさまは逃げて下さい! このようなことは、理不尽だ! どうして貴方が死なねばならないのですか!」
「……負けちゃったから」
「それは大公閣下の責任ではありませんか! それをどうして!」
「わたしが死ねば、皆が助かる。しょうがない」
「では、わたしもお供します!」
「コンラートは、死んじゃダメ」
その言葉を聞くと、激しく床に拳を打ち付けるコンラートだ。
今のコンラートには、ルフィーネのあらゆる言葉が強制力を持つ。故に彼は今、死ぬ事が禁じられてしまった。
とはいえ、ここまで盛大に心配されると、なんだか気分が落ち着いてきたルフィーネだ。いつもどおりモッキュモッキュと肉を食べ始めると、何気なくワインに手を伸ばす。
(どうせ明日死ぬんだし、いいよね)
子供の体だからと、今まで遠慮していた酒を飲むルフィーネに、周囲は驚きの視線を向けていた。
「あははー。明日、わたしを引き渡したらー、それでアントネスクの人は救われるー。よかったー」
たった一杯のワインで、ルフィーネは頭を上下左右に揺らしている。
エヴァリーナが「せっかくだから付き合って、一杯飲もうかな」と思っていた矢先のことだった。
(最初で最後になるのね……)
そんな思いで目頭の熱くなったエヴァリーナが、出遅れたせいもあるだろう。しかしこの時、エヴァリーナは一つの事に気が付いてしまった。
(引き渡したら? そう、引き渡せば、いいのよね? ふふ、ふふふ、そうよね――そう――その手があったわ。何もルフィーネさまの死までが条件じゃないもの、ね)
「ふっ、はは……悪いけど、私は先に休ませてもらうわ。失礼」
妙な笑いを残し、皆に挨拶をしたエヴァリーナが席を立つ。
「あれぇ、エヴァー?」
「ルフィーネさまも、早く寝なさい。明日は忙しくなるから」
「えー。わらし、明日死ぬしか用事ないらよー。忙しくないらよー」
トロンとした酔眼を忙しなく動かすルフィーネはエヴァリーナが去ると、フラフラしつつスサンヌの席へ行く。
スサンヌはムニムニとルフィーネの頬を触り、幸福感を味わった。
酔っているルフィーネなら、何をしても文句を言わない――そう思っているスサンヌは、最近男子よりも女子に興味がある、危ないお嬢様だ。
しかし一方でルフィーネも、スサンヌの胸を揉んでいる。互いに傍から見れば危うい行動だが、まだ十一歳の為、なんとか救われていた。
「ちょっと、ルフィーネ、また胸をもんで! 一体なんですの!?」
どうしても口元がにやけてしまうスサンヌは、ふと明日の事を考えて目に涙が溜まる。
(どうしてルフィーネが、死ななければならないんですの……!)
「ニャ……ニャ~……フニャッ!」
一方で同じくワインに手をつけてしまったニーナが、瓶を抱えて泣いていた。獣耳が上がったり下がったりと、忙しく動いている。ついでに手の爪を伸ばして肉に刺し、思わず野生を思い出すニーナだった。
もはやどうする事も出来なくなったゲラーシーが、エヴァリーナの出て行った扉を眺めたり、酒を飲んでしまった生徒たちをどうしようかと見つめたりしている。
「うーん。私も飲みますか……」
結局、せっかくだからとグラスに酒を注いだゲラーシーは、溜息をつく。
武人としては能力の高い彼でも、保護者として落第だった。所詮独身男は、こんなものである。
他の大人――とりわけスサンヌの父がこの場にいないのは、ルフィーネに真実を伝え、彼女に死の決意を齎した張本人だからである。もはやスサンヌさえ、父の顔など見たくない――そういって憚らない有様なのだから。
◆◆◆
翌日は早朝から慌しかった。
ルフィーネが処刑される場所は、シュテットルの中央広場と決まっている。いわゆる公開処刑というものだ。
もっともリヒター軍も強かなもので、民衆に教えた内容は、
”人心を惑わす悪魔付きを処刑する”
だった。
これでは処刑される者がルフィーネであることなど、知っている者にしか分からないであろう。知らない者が見れば、悪魔付きとは幼い少女にも化けるのか――という程度の認識になるのだから。
広場の警備は厳重でありつつも、あえて隙を作ってある。
ムネトヨ・イガはこの場にブラッドフォード・ノヴァーグが現われることを想定して、防御陣を敷いた。故に、西門に配置した兵の数は少なく、広場の周辺に兵の主力を隠しているのだ。
無論、マッティアより預かっている位階騎兵三名も広場に配置している。さらに念を入れて、全五十騎を数える派遣軍の魔導甲殻のうち三十騎までも、この周辺に控えさせていた。
なぜそれ程入念にしたのかといえば、ムネトヨはブラッドフォードの戦いを先日、見ていたからである。
(第一位階騎兵より、強いかも知れぬ)
そう感じる彼もまた、マッティアと同じく真実を見抜く眼力をもっていたのだ。
「では、ルフィーネ・アントネスクどの……いや、ルフィーネ・アウグスト・リヒター内親王殿下……お覚悟……」
ルフィーネは石畳の地面に跪き、頭を垂れている。その下には、小さな桶がおいてあった。
それが一体何であるか、流石のルフィーネにもわかる。
(わたしの首が落ちたら、この中に入るんだよね。でも、血の勢いで首って、飛んでいくんじゃなかったっけ? ぴゅーって、ぴゅーって)
ルフィーネの想像は、概ね合っていた。というより昨日その様を見ているのだから、想像ではなく記憶だ。
ただ、桶を置いているのは首を切る男が、ムネトヨだからという理由である。つまり彼は、薄皮を一枚残して首を両断できるのだ。それ故に首は飛ばず、ごろりと地に落ちる。
そんなことが出来るのも、ムネトヨ・イガがリヒター王国の誇る”剣聖”だからだった。
ちなみに昨日、部下の首を宙高く飛ばしたのはわざとである。その方が、遠くからも見えるから――という理由に過ぎない。
”カラァーン、カラァーン”
正午を知らせる鐘が、シュテットルの街全体に鳴り響く。
鐘を鳴らすシュテットルの聖堂は、広場からも程近い。まるで鐘の音が、ルフィーネの死を悼むかのようだった。
ルフィーネとムネトヨの左右には、二騎の魔導甲殻が立っている。肩に数字が書かれているから、それが位階騎士であることは誰の目にも明らかだ。
そして周囲を、リヒターの歩兵がぐるりと囲んでいた。さらにその周りに、”悪魔付き”の処刑を見ようと集まった民衆が群がっている。
ムネトヨの刃が高く掲げられ、天空から注ぐ陽光を反射した。
「うぅ……」
ぎゅっと瞑ったルフィーネの目から、一粒の涙が零れる。
ムネトヨの刀が振り下ろされ、銀色の弧を描いた。
それがまさにルフィーネの首を弾き飛ばすかと思われた、その瞬間――光弾がムネトヨの刃を弾き飛ばす。
轟音を上げて迫る漆黒の魔導甲殻が、ムネトヨ麾下の魔導甲殻を弾き飛ばしながら突き進んでいた。
「姫っ! お助けに参りましたっ!」
足裏の車輪を最速で回し砂埃を巻き上げながら迫るそれは、肩にⅢと書かれたブラッドフォード・ノヴァーグの騎体だ。
ルフィーネの周囲を固める二騎の魔導甲殻は巨大な盾を地につきたて、変形させて砲門を形作る。
しかしその様を見たムネトヨが、怒声を上げた。
「馬鹿者ォ! 貴様等、街を破壊するつもりでござるかぁ! 位階騎士ともあろう者が、白兵戦を恐れるな! ノヴァーグを斬って捨てよっ!」
流石は位階騎士というべきだろう。彼等はすぐさま盾の形状を戻すと、蛇腹剣を構えて迫るブラッドフォード騎の迎撃へ移る。
この状況にポカンと口を開けたルフィーネは、とりあえず今のところ首が繋がっている事にホッとするのだった。




