シュテットルへ
◆
お菓子をモッキュモッキュと頬張るルフィーネは、未だメタボリックから程遠い。というより彼女はいくら食べても太らず、適正体重を維持している。成長期とは、実に恐ろしいものだ。とはいえ食後のお腹はパンパンで、とても見られたものではないのだが。
ルフィーネ達は今、馬車で移動中だ。
しかし乗り物酔いがなければ常に口寂しいルフィーネは、大量に持ち込んだお菓子を食べていた。
もちろん庵時代と違って、彼女は周囲に気遣いもしている。きちんと分け隔てなくお菓子を分配する彼女は、既に六年生の人気者だった。ナルドリアの聖女として、当然のことである。
ルフィーネの持参したおやつは大好評だ。
何しろルフィーネはおやつの為に馬車を一両追加した程なのだから、気合が入っている。しかも持参した菓子はルフィーネが考案したものが殆どで、どれも地球テイストだった。
たとえばチョコレート。
こちらの世界にもカカオ豆はあったものの、基本的にココアとして飲用にするだけだった。それにバターや砂糖を加え、チョコレートを生み出したルフィーネは、知る人ぞ知る天才である。
もっともルフィーネがチョコレートの生成方法を知っている理由は、わりと情けない。何しろバレンタインデーに絶対チョコレートをもらえなかった庵だから、手作りした事が原点だった。
凝り性の庵は、チョコレートとはなんぞや? というところから調べたのである。
そして二月十三日にそっと机の中へ忍ばせた自らの手作りチョコレートを、翌早朝、徐に取り出し机の上に置いた日のことは、庵にとって黒歴史に他ならない。
もう一つはポテトチップス。
これはルフィーネにとって、絶対に外せないアイテムだった。
何しろヒキコモリといえば、ポテチとコーラだ。それが無ければ、どんなヒキコモリも地獄になる。だからルフィーネはルフィーネとして物心がついた頃から侍女に命令を下し、ジャガイモをスライスさせ、油で揚げていた。
やがて体が大きくなるとルフィーネは自ら厨房に立って、納得の味を捜し求めた。質感としては、コイ〇ヤよりもカル〇ーを目指していたのだ。
最初は塩味しか作れなかったが、味見役のエヴァリーナが、
「しょっぱいだけじゃあ、ねえ?」
なんて言ったことから、今では様々なバリエーションが生まれているので、男子生徒に大人気である。
ついでに言えば、質感こそカル〇ーを目指したが再現したいフレーバーは、「わさ〇ーフ」だ。とはいえ、わさびの無いこの世界では現在の所、諦めざるを得なかった。
諦めたといえば、コーラの作成も半ば諦めているルフィーネだ。
ルフィーネはコーラの原料を”糖類””カラメル色素””酸味料””香料””カフェイン”と記憶している。
その中でコーラをコーラたらしめている要因は香料にあるのだが――いくら味を思い出しても流石に、一つ一つの香料を判別するにはいたらない。それにローレライ城から余り出られないルフィーネには、香料という名のトレジャーをハントしに行く事が出来なかった。
ともかく――それらのこだわりお菓子を持参した代わりに、衣服の持参を忘れたルフィーネである。なので、わりと体格の近いスサンヌの服を奪い、現在は着ているのだ。
「ふー、おいしかったー」
手に付いたチョコレートを、ルフィーネは首もとのスカーフで拭う。
「なんてことをしますの!」
その様を見たスサンヌが、悲鳴を上げた。
ちなみに左手についたポテチの油は、スカートで拭ったルフィーネだ。こうして彼女の着ている水色のブラウスには茶色の染みが生まれ、白いスカートは油に塗れた。
「そ、その服、お気に入りですのよ!」
「わたしも、気に入った。スサンヌの服、好き」
「じゃあ、なんで汚しますの!?」
「洗えば、いっしょ」
この時代、洗濯というのは大変だ。
しかしヒキコモリエリートから王族へ華麗なクラスチェンジを遂げたルフィーネには、洗濯という概念がない。なので、服は勝手に綺麗になるものなのだ。
まさか誰かが苦労して手で洗い、あまつさえ頑固な汚れを落とさねばならい――などとは知りもしないルフィーネだった。まったく、知識が傾きまくっている少女である。
「貴女という人はっ! 侍女達が大変な思いをするでしょ! 表へ出なさい! その腐った根性を叩きなおしてあげますわ!」
「じゃあ、スサンヌ、先に外へ出てて」
「わかりましたわ!」
スサンヌは馬車から飛び降りるが、ルフィーネは一向に表へ出ようとしない。それどころか、袋から新たなチョコレート菓子を取り出して、ペロリと食べていた。チョコレートとクッキーは、混ぜても美味しいのだ。
「アデュー」
口の周りを拭きつつ、窓越しにスサンヌを眺めるルフィーネは、優しげに微笑んでいる。
所詮は「お菓子>スサンヌ」だ。なんで食べる事をやめなければならないのか、ルフィーネには分からなかった。
「……」
ガラガラ――普通クラスの生徒達が乗る馬車が、スサンヌの前を通り過ぎてゆく。
「あれ、スサンヌさまじゃない?」
「どうして、腕を組んで恐い顔をなさっているのかしら?」
「……」
数台の馬車が通り過ぎた頃、流石のスサンヌも慌ててルフィーネが乗る馬車を追う。彼女は肉体を魔法で強化し、凄まじい速度で追いついた。
「ルフィーネッ! 貴女、本当に何を考えていますの!」
「まあまあ、スサンヌもこれ、食べて」
「あら、なに? 海草と塩? あら、あら? 不思議と合いますわね?」
「えっへん! のりしお味!」
「のり? ……なんですの?」
二人は並んで座り、仲良くポテチを食べる。もちろんニーナも側に座り、同じお菓子を頬張っていた。
◆◆
旅に変化が訪れたのは、ナルドリア出発より五日目のこと。ようやく一向は、シュテットルの街へ到着した。
シュテットルの街には、クラスノフ家の居城がある。とはいえ幼年学校の遠足で、その居城に寄る事は無い。あくまでも討伐任務という体で、物事が進むからである。
なので各クラスごと、数名が宿の確保に動く。この際、あまり教師は口出しをしない。何故なら、自力でクラスの人員が宿泊出来る場所と食料を確保する――ということも課題だからだ。
もちろん教師陣とて鬼ではない。だからある程度の場所には根回しがしてあるので、あとは生徒達がそこへ辿り着くだけのことである。
――とはいえ根回し済みの場所は様々だ。大人数が宿泊できる宿屋から、果ては公園で野宿――という所までピンキリ。そのどれになるのかは、まさに生徒達の腕次第なのだった。
「さて、我が特別クラスの選任者は、誰になるかな?」
現在、特別クラスの全員が馬車から降りて、中央に立つ教師の言葉を聞いていた。
実はこの教師も魔導甲殻騎兵の資格を持っているので、それなりにやり手である。
とはいえ実際に万が一の事があれば彼が魔導甲殻を操り、事態に対処する事になるのだ。という訳で、この選任は、自らも口をはさみたい担任教師だった。
「当然、私ですわよ!」
ほらきたな――そう言わんばかりに、教師は口元を歪める。
スサンヌであればお付の二人もいるし、何よりも地元の令嬢だ。これ以上の適任はいないだろう。
ならば安心か――。
「ルフィーネさんも、行きますわよ!」
え――? という顔を、教師は浮かべた。
ルフィーネは、馬車から出てきてさえいない。何しろ寝ているのだ。既に彼女は待機するつもりなのだから、当然だった。
教師だって、アントネスクの令嬢を起こしたくない。触らぬ神に祟りなし――だ。
なのになぜクラスノフの令嬢は、アントネスクの令嬢を呼ぶのであろうか? 自身と二名の従者で宿を探せば、それが一番早いだろうに――教師は不思議だった。
「いってらっしゃい」
案の定、ルフィーネは馬車の裾から白いハンカチを振っている。
「だーかーらー! いきますわよ、ルフィーネさん!」
「なんでわたしが……」
半分しか目を開かないまま、のそのそと馬車から降りたルフィーネは、不満だった。せっかく移動が終わったのだから、ゆっくりしたいのだ。
「ふむ――」
しかし教師は、顎に指を当てて頷いた。
ルフィーネ・アントネスクとスサンヌ・クラスノフならば、六年生の中でも最上位の成績を収める二人である。ならば、確かに彼女達へ託すことが特別クラスの総意にもなるだろう。
ただ、問題はここがスサンヌ・クラスノフの膝元ということだ。つまりルフィーネは何もしなくても、宿が見つかってしまうだろう。
どうせなら教師は、ルフィーネの真髄を見たかった。
アントネスク家からは、ルフィーネが”サキュバスの悪魔付き”だということを聞いている教師だ。ならば、この事態にどう対処するのか興味が沸いたのだ。だから彼は、この様に言った。
「スサンヌさん。ここは、ルフィーネさんに任せてみませんか?」
「え? 私は行かずに、ですか?」
「そうです。貴女がいたら、ルフィーネさんは貴女に頼れば済んでしまうでしょう?」
「そ、そうですわね。でも、ルフィーネ一人では、ここの土地勘がまったくありませんわよ?」
「ええ、彼女には、ここの土地勘がありませんね。でも、軍が戦場へ移動するとき、初めての場所で、土地勘が無いなどと言っていられますかね?」
「それは――」
「で、あれば。ルフィーネさんがシュテットル領の事を知らないというのは不勉強ですし、知らないとしても臨機応変に対応出来るならば、それはそれで指揮官にふさわしい」
「そ、そうですわね」
教師に言い包められてしまったスサンヌは、つまらなそうに口を尖らせている。その様は、まさにお転婆なお嬢様そものもだ。
そして教師は糸の様な細目をルフィーネへ向けると、手を”パン”と叩いて言い放つ。
「はい。では、そういう訳でルフィーネさん。このクラスを代表して、宿泊施設を探してきてください」
「げふぅ」
教師の言葉に、ルフィーネは片膝をついた。
差し当たり、今後の面倒さを考えてダメージを受けたルフィーネは、無駄に想像力が豊かである。
(一人見知らぬ街で、スマホも無いなんて――迷子フラグだ)
絶望のルフィーネは、泣きそうになった。
しかし、今の彼女にはスマホが無くても、友がいる。
「あ、じゃあ、私も行きます」
徐に名乗り出たのは、ニーナ・ベッテンコートだ。
彼女はルフィーネの脇に手を入れて、強引に立ち上がらせると、ニッコリ微笑んでいた。
こうして一人で見知らぬ街を散策するという状態は、なんとか避けられそうなルフィーネが、ホッと溜息を漏らす。
「うん、そうですね。ニーナさんは、ルフィーネさんの補佐をお願いします」
教師も頷き、ニーナの提案を認めた。
この教師はそもそもアントネスク軍の軍人である。だからルフィーネが後の幹部候補であることも理解してるし、ニーナが手足となるならば、それもよいと考えていた。
ルフィーネの能力を把握し、彼女の部下になるであろう人物を見定めておく――教師としては、上に対する報告も必要だから、一石二鳥である。
それにしても――と、教師は思う。
所詮ニーナは獣人族だから、軍の幹部までは上れない。
いくら奴隷の身分から解放されて二代目だからといって、差別が無くなる訳が無い。まして、純然たる貴族と、解放奴隷の子供が同列など、あり得ることではないのだ。
(気の毒なものだ)
糸目の教師は、ニーナの頭を撫でた。そしてそっと彼女の耳元に近づき、言い含めたのである。
「万が一のときは、ルフィーネさまを必ず守りなさい」
「無論。命に代えても」
ニーナの返答に声は無い。口の動きだけで答えたそれは、既に暗部の教育が施され始めている証拠だった。
教師も暗部出身であればこそ、優しい笑顔を浮かべてニーナに頷く。
「やっぱり、私も行きますわ!」
一方で、そんなやりとりをまったく理解しない人物がいた。
ルフィーネとニーナが腕を絡ませて立っていたら、スサンヌが鼻の穴を膨らませながら彼女達へ近づいてきたのだ。
スサンヌは、ニーナに触れたくて仕方がない。
「あ、いや――だからスサンヌさんがいては――ここは、地元でしょう?」
「私、口出しは致しません! ただ、二人だけでは心配でしょう!」
スサンヌは声を荒らげた。その剣幕に教師はつい、真実を語りそうになってしまう。
「いや、私が影から見ていますので、心配はありませんよ、それにニーナさんは」――と。
しかし、明かしてしまえば生徒の自主性が損なわれることになる。教師とて、そんなことは分かっているのだ。
十歳といえば、現代の日本でこそまだまだ子供だが――地球で言う所の十七世紀程度の文明しか持ち合わせないこの世界では、既に半人前と見做される年齢である。
半人前であれば、ある程度のことはこなして欲しい。そうでなければ、困るのだ。
「わかりました。では、スサンヌさんは余程の事が無い限り、アドバイスなどしないように。或いはそれも、発見があることでしょう。我慢という名の、ね」
教師は細目を僅かに開き、意味深な発言をした。
(ここは一つ、搦め手でいきますか……考えてみれば、この子達は特別クラス。しかもこの三人ならば、多少の試練は必要でしょうからね)
「わかりましたわっ!」
大きく頷いたスサンヌは、瞳を輝かせてニーナの髪を撫でる。
スサンヌの口元は幸せそうに波を描き、今にも涎を垂らさんばかりであった。