激動の大陸
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大陸暦一五二八年は、ジェーネヴァ大陸にとって激動の年であった。
七王魔国の残党が一斉に蜂起して、ゴードの城を陥落せしめた。その際、皇帝であるゴードも命からがら城を脱した程である。
だが、それでもゴードの帝国は瓦解しなかった。何故なら、勇者であるヒスイ・イズモが健在だったからである。
ヒスイは七王魔国の残党が蜂起したとき、ちょうど魔導甲殻騎兵の主力三百を率い、マディソン大渓谷にいる邪竜帝ラムシュタイン・ウィルの討伐中だった。
その後、ヒスイは竜帝を倒して渓谷を抜けると、魔国軍の別働隊に囲まれてしまう。その数は別働隊といいながらも、十万を超えていた。
おりしも竜帝との戦いによって、魔導甲殻騎兵隊の半数を失った状態で、これである。ヒスイ以外の者は皆、絶望の淵に沈んだ。
しかしだからこそ、ヒスイだけは怯まなかった。
「――ぬるい!」
彼女は新型の魔導甲殻”神護羽衣”を操り、戦場を疾駆した。
彼女に付き従う百五十の魔導甲殻騎兵は、絶望から立ち直ると、ただヒスイの後を駆ける。
結果は――十万の大軍を突破し、あまつさえヒスイは敵将を討ち取っていた。
――――
「油断した……」
城を追われたゴードは、愛人を小脇に抱えてほうほうの体で逃げ出した。
そもそも、自身の魔導甲殻さえ部下に貸し出し、竜帝の討伐へ向かわせたことが間違いだったのだ。何も、そこまでする必要はなかった。
「魔族や悪魔を舐めているから、こうなるっすよー。しかもボクの魔導甲殻まで貸しちゃってー。これじゃボク、単なる足手まといじゃないっすかー」
ゴードの愛人が、小脇に抱えられたまま不平を漏らしていた。
馬に乗るゴードは半裸で、隆々とした筋肉が月夜に輝いている。その一方でシーツにくるまれた愛人は、ボサボサの青い髪が夜に溶けそうだった。
「これは余の策だ。つまり――ヒスイが主力を率い、竜帝を討伐に行く。すると、我が城と余が手薄となるだろう? さすれば好機とみた抵抗勢力が一斉に放棄――それを竜帝を倒したヒスイが、一網打尽にするという深慮遠謀である」
「なんで全部ヒスイだのみっすか! しかもこっちが一網打尽にされてるっす! どうするっすか!」
「むう。それはお前が弱いからだ」
「何言ってるっすか! ボクのせいっすか!? 大体、ボクはこれでも第二位階騎兵だから弱くないっす!」
「そう言うが――何度やっても、お前はヒスイに勝てんだろう?」
「おぉ!? そりゃアンタもでしょうが! 魔導甲殻に乗ったヒスイに勝てるヤツなんて、この世にいるんですか!? しかもあいつ、勇者ですよ!? 女勇者! まったく、言うに事欠いてなんてことを!」
「いや、余、生身の勝負なら勝てるから。余、結構強いから。お前とは違うから」
「なんだと、このボンクラ皇帝! だったら後ろの敵をさっさと蹴散らすっす! ……あんっ」
「ミラ、あまり生意気な事をいうと――こうだっ!」
ゴードは小脇に挟んだ女の胸を揉んだ。
「な、生意気って、ボクの方が年上じゃねぇっすかぁ……」
急にしおらしくなった女は、敏感だった。
それもそのはず。彼女はそもそもが炭鉱族なので、酒と性行為が大好きなのだ。故に、今もゴードといたしていたら、その最中に襲われて――逃げた、という顛末である。
ちなみに彼女の名前はミラ・アールシュといい、当年とって、ちょうど百歳になるピチピチの乙女だ。決して、ロリババアなどではない。
とはいえ身長百五十センチと炭鉱族女子の中では大柄なミラだが、百九十センチのゴードに抱えられると、まるで子供のようである。
そう――ゴードの趣味は、少しだけ怪しいのだ。
それから、この世界の炭鉱族は耳長族が狭い洞窟で暮すようになった結果、進化して小さくなった存在である。なので、決して墫のような体型ではない。
というわけで炭鉱族と同様に、この世界では耳長族も酒に強く、性欲も旺盛だった。
こうして、皇帝と炭鉱族の逃避行は三週間ほど続き、とある宿屋で突然終わりを告げる。
部屋に鍵もかけず、昼間から互いを貪る皇帝と第二位階騎兵を見たヒスイが、頭を抱えて頬を染めていた。
「陛下、ミラ――いい加減、真面目にやってください」
「うおぉぉ! ん? ヒスイ」
「はぁぁぁんっ! ん? ヒスイ」
それから八ヶ月が過ぎた頃――。
皇帝と合流したヒスイ・イズモは、そのまま魔国を再び纏め上げた。
彼女にとって魔王の残党を倒すという行為は、まさに神託を果たすということ。故に、日本へ還る為にはどうあってもヒスイは戦わねばならないのだ。
ゴードも決して遊んでいた訳ではない。彼は己の力量を根本から上げるべく、身分を隠して北の大陸へ渡り、ザオ・イウンの弟子となっていた。その際、護衛と称してミラ・アールシュも同行したが、彼女も同時にザオ・イウンの弟子になっている。
そしてアルギュロス帝国は大陸暦一五二九年を、皇帝不在のまま迎えた。
とはいえ、国内を再統一した功績はすべて宰相たるヒスイ・イズモの功績であったから、それで何がどうなるものでもない。
むしろヒスイに一片の野心もないからこそ、ゴードは己の気の向くままに、強さを求めることが出来るのだ。
また、ヒスイの統治は公正だった。
彼女の目的は、あくまでも魔王を滅ぼすことである。故に魔王の残党がいれば根こそぎ滅するが、反面、魔王とかかわりがないと分かれば、魔族と云えども無碍に扱うこともない。
そしてヒスイは西方にいる友人に度々手紙を送り、それを唯一の楽しみとしているのだった。また、普段は無口な彼女が唯一心情を吐露する相手こそ、この友人であったらしい。
「親愛なるエヴァへ――
私は、神が信じられなくなりそうです。
神は私に、魔王を滅ぼせば地球――私の国がある世界です――へ還してくれる、と約束をしてくれました。
だから約束通り魔王をすべて、私は滅ぼしたのです。なのにそれから暫くの間、神からはなんの音沙汰もありませんでした。
けれどある日、次の神託が降りました。”魔王の眷属を滅ぼせ”と。
もちろん私は、その指示に従いました。眷族も滅ぼしたつもりです。――だけど、未だに私はこの世界にいます。
どういうことでしょうか? そう思っていた矢先です。昨日、また新しい神託が下りました。
いずれ新たなる魔王が誕生する――それを滅せよ。その時こそ、日本へ還してやろう、と。
エヴァ。貴女なら、このような神を信じますか? 私はもう、自分が何をしているのか、わからなくなってしまいました――」
◆◆
大陸暦一五二十九年、この年、ルフィーネは七歳になる。
学校の方は意外にも順調で、成績も常に上位を維持し、さらには幾つもの治癒魔術を会得していた。そのお陰で今のルフィーネは、アントネスク大公国の人気者である。
ちなみにアントネスク公国は前年、大公国へと名称を改めていた。無論、リヒター王国を主とする光の民の連合が認めれば王国となるのだが――現状でそれは望めないだろう。何故なら、リヒター王国そのものが内乱の最中にあるのだから。
ある日のこと、学校帰りに何気なく馬車の外を眺めていたら、お腹を押さえて蹲る人を見たルフィーネは、慌てて馬車を降りた。
「ぎを見てせざるをゆう無きなり」
馬車をおりながら論語の一節を口に出すルフィーネに、勇などない。しかし、この言葉が正しいという価値観ならば、前世から備わっていた。
なので路上で蹲る町人Aに治癒魔法を展開――その結果、「聖女」の称号を賜ったのである。
何しろ夕方、人も多い時刻にアントネスク印の馬車が止まったと思ったら、小さな公爵令嬢が出てきて、急病人を助けたのだ。これを聖女と称えなければ、誰もナルドリアで生きては行けまい。
――――
「悪魔付きと言われ国を追われた我が娘が、アントネスクでは聖女と言われているのか……義兄上には、なんと礼を申していいか」
「ふはは! 礼など! ルフィーネはもとより聖女であったわ! 何しろ、このワシに道を示してくれたのだからな!」
今、リヒター王国の南半分を統べるデルフィーノと、アントネスクを大公国と改めたブルクハルトが、連合軍の総旗艦ヴィングスコルニルの艦橋で笑みを交わしている。
去年一年で、状況は一変していた。
いよいよ眼下にリヒター王国の王都リヒテンシュタインを見た彼らは、万感の想いを抱く。
まず、ブルクハルトは犯罪組織でさえあった空賊の一部と手を結び、南海の安全を買った。
彼らに別の空賊を狩る権利を与え、アルギュロス帝国、及び北リヒター王国の商船拿捕を命じたのだ。つまり空賊を国営とし、海と空の警備に役立てたのである。
無論これには、未だに反発も多い。特に、空賊によって奴隷として連行されて来た獣族などは、断固として反対をしていた。しかしブルクハルトは、それでも全軍を北方へ向けたかったのである。
そしてブルクハルトは領土拡張の意志を示し、また、光の民の連合から脱退する事を宣言した。ちょうど、一年前の夏のことである。
ナルドリアの夏祭りの最中、ローレライ城を解放したブルクハルトがデルフィーノと共に露台へ立った。
「かつて英雄アパム・ラパムは言った。人も魔も、共に生きる隣人である――と! 今、魔族や悪魔は危機に瀕している! 故に! 私は我が国アントネスクを発展させ、光と闇、そのどちらに属する者でも幸福に暮せる国を創ることを、ここに宣言する!」
「――私はデルフィーノ・アウグスト・リヒター。リヒター王国の国王である。私の名によりブルクハルト公国の独立を認め、大公国として承認するものである」
集まっていた群衆は、もとよりブルクハルトに心酔していた。何より、この時に合わせて五隻のヴィングスコルニル級飛空艦を離水させたのだ。
白、赤、青、黄、黒――五色の軍艦がそれぞれにあげる祝砲の威容に、誰もが息を呑む。
そして歓声に包まれる中、ブルクハルトとデルフィーノは休戦協定を破棄。いよいよ兵を北進させたのである。
北進はまったくの順調とは言えず、幾度かの小競り合いがあった。為に時間が掛かったのだが、しかし、その都度ブルクハルトは勝利を収め、今、彼はその手ごたえを感じている。
マッティアの魔導甲殻は強力だったが、ブルクハルトの近接攻撃とデルフィーノの遠距離攻撃のコンビネーションの前に、彼は度々敗走した。
また、リヒター王国軍の序列騎兵も、悉くがエヴァリーナの前に壊走している。
「これならば、勝てる」
確信を抱くブルクハルトは艦橋から艦隊を眺め、改心の笑みを浮かべていた。
艦艇総数――二十三隻。うち、ヴィングスコルニル級が五隻だ。
ヴィングスコルニルの火力は、何ら魔法防御の施されていない地に撃ち込めば、大地を変形させる程のものである。加えて小型艦艇の火力でさえ、飛竜を楽に撃墜出来るほどだ。
さらも参加兵数も二十万に達し、空前の規模を誇る。そして二百の魔導甲殻騎兵が控えているのだから、まさに万全の体制だった。
大陸暦一五二九年、盛夏――。
太陽は天高く上り、ヴィングスコルニルの純白に輝く外殻を照らす。
「ハァ――ハァ――」
エヴァリーナは艦内の格納庫で魔導甲殻に搭乗し、命令を待っていた。無論、総攻撃の命令だ――。
長い銀髪が、汗で顔の回りに纏わり付く。
魔力を空調へ回せば、内部を快適に保つ事も出来る魔導甲殻だが、今のエヴァリーナはそれをしない。何故なら、決戦が近いからだ。今は少しの魔力でも、攻撃に回したかった。
以前に比べれば、エヴァリーナの攻撃性魔力――攻魔力は一五〇〇〇にまで上昇している。この数字は、単純に考えて竜王に匹敵するほどだ。しかしそれでも――エヴァリーナは勝利を疑っている。
彼女はただ一度だけ、見たのだ。敵の序列騎兵の一人が、自身に匹敵する攻魔力を示した数値を。
「マッティアの序列騎兵は、攻魔力を自在に変動させている――ならば――」
だからこそ今までエヴァリーナ達は勝利を収めながら、彼らを誰一人として討ち取れていない。今、彼女は不安だった。
「罠かもしれない――」
”ゴウゥゥン”
その時、艦が揺れた。
激しい衝撃に、エヴァリーナの魔導甲殻がバランスを崩す。彼女だけではない――すべての魔導甲殻が、ガラガラと壁に叩きつけられていた。
「敵襲だ――! しかし臆するな! そのまま総攻撃に移行せよっ!」
力強いブルクハルトの声が、エヴァリーナの耳朶をうつ。
所詮、戦争をしているのだ。
此方が攻撃をしかけるまで、敵がただ待ってくれるということもない。
「エヴァリーナ・メルカ、出る! 全員、続け! 死ぬなよっ!」
「「了解!」」
後部ハッチが開くと、エヴァリーナは後ろ向きに飛び降りた。
彼女の視界に映る景色が、瞬間、流れ行く雲に変わる。




