7:どうせ無職ですよ!
「あーあ、手を縫うなんて思わなかった」
私の負った怪我は、命に別状はなかったものの結構深かったらしく、傷口を何針か縫われてしまった。
グルグルと包帯を巻かれている私の手は今、何も掴めない状態だ。
そんな私の身の回りの世話をしてくれながら、櫟が言う。
「……とっても痛そうです」
「うん、痛い。でも神経まで切れていなくて良かったよ。お医者さんが、傷が残るかもしれないけれど手は元に戻るって……」
でも、それまではトイレに行くのも一苦労だな。
あの後、家に戻った私は、警察に詳しく事情を聞かれた。私を心配した両親からも、電話がかかって来た。
逃げ出した榊は、まだ捕まっていないらしい。一体、どこにいるのやら。
色々なことが起こりすぎて、もう私の精神は限界である。
「あの、薺さん」
「なあに? 櫟君」
「あのマンション、逃走中の犯人に知られているんでしょう? もし良かったら、今日は僕の家に泊まって行きませんか? 薺さん、一人暮らしですよね……今日も、ご家族の方が来られていなかったし」
「うん。でも、どこかのビジネスホテルに泊まるわ。今から実家に帰る時間はないし、櫟君にそこまで迷惑は掛けられない」
「その手で?」
櫟が、私の両手に目をやる。
「そんな状態で、生活出来ると思っているんですか? 着替えは? お風呂は? 食事は?」
「いや、でも……流石に櫟君の家には」
「僕は構いません。寧ろ薺さんが来てくださらないと、心配で夜も眠れません。それとも、他に泊めてくれるお友達が?」
「……いません」
辛い告白だった。
近所に頼れる友人がゼロって、かなり悲しい。
櫟は、私の部屋から必要なものを運び出してくれる。
彼が運んでくれるスーツケースの中には、当分の生活に必要なものが詰め込まれていた。
……まあいいか。こっちにいる方が、次の仕事も探しやすいし。
色んな事件が重なりすぎて、私は全てのことがどうでも良くなりつつあった。
「櫟君のお家って、あのカフェ?」
「はい、カフェの二階が住居になっています。一人暮らしだし、部屋は余っているので心配要りませんよ」
「……本当に、何から何までごめんね」
私は、手が直るまでの間、櫟の家に世話になることにした。彼の熱心な勧誘に負けたのだ。
実家から離れたこの場所で頼れる人間は、彼の他にいなかった。
※
『昨日の午前十二時頃、中天市夕日町で無職の二十四歳の女性が、刃物で刺される事件が発生しました。この女性は……』
「あーもう!」
腹が立ったので、チャンネルを変える。包帯でグルグル巻きになっている手でチャンネルを押すのは至難の業だ。
しかし、変えた先のチャンネルでも同じニュースをやっていた。
『夕日町で、二十四歳無職の女性が刺された事件ですが、犯人は未だ……』
ちきしょう! 無職、無職って連呼すんな! 掌だけでなく、心まで抉られるなんて最悪の気分だ!
何で、いちいち職業を言うのかな! ちょっとくらい気を使ってよ! 元会社員とかでいいんじゃないかなあ!
私は仏頂面で、テレビ画面の禿げたアナウンサーを睨んだ。
「どうかしました? 薺さん」
険しい表情の私を不審に思ったのか、櫟が声を掛けてくる。
「な、何でもないよ。仕事探さなきゃなぁって……」
どうせ、無職ってことは彼にバレているだろう。ニュースで何回も連呼しているしな!
「焦らなくて大丈夫ですよ。今は、早く手を治すことを考えましょう」
「櫟君、お医者さんみたいなことを言うね」
ニコニコと笑いながら、櫟は私の前にグラスに入った飲み物を置いてくれた。
「ジャスミンティーです。手が使えなくても、ストローがあれば飲めるでしょう?」
「ありがとう! ちょうど、冷たい飲み物が欲しかったんだ。色々と本当にごめんね、面倒ばかり掛けて……」
両親には、友人の家で世話になっている旨を伝えている。彼等は個人で商売をしているので、簡単に家を空けられないのだ。
「僕は嬉しいですよ、薺さんと一緒に暮らせて……新婚夫婦みたいですよね」
「んぐっ!? げほっ、げっほ!」
ジャスミンティーが器官に入った! 何てことを言うのだ!
涙目になって、私は櫟を見上げる。
「と、年上を揶揄うのはやめてちょうだい!」
「……えっと、薺さんよりも僕の方が年上だと思いますけど?」
「櫟君って二十歳かそこらでしょう? 私は二十四歳だよ?」
「……ほら、僕の方が年上だ。薺さんは、二十四歳なんですね。若いなあ」
若いって、アンタ一体何歳なのさ!?
私の視線に苦笑いすると、櫟は店の奥へと去って行った……
不思議な子だ。