4:白狸の家庭訪問!
「うーん、今日は雨かぁ。洗濯物が干せないなあ」
網戸越しに曇天の空を見上げて、私は溜息をついた。
私はマンションの一階に住んでいるので、部屋の窓を開ければ小さな庭に出られる。
洗濯物を干すスペースと、申し訳程度の鉢植えを並べるスペースがついているのだが、私は何も並べていない。
「キューン」
「えっ!?」
聞き覚えのある鳴き声を聞いて、私は窓の外を見た。
「白狸!!」
民家の庭や公園に現れていた狸が、ついに自宅に出現した。
なんでこんな場所にいるんだ!? というか、最近やたらと白狸との遭遇率が高いな。
この狸、よほど街中を徘徊していると見た。
「キューン、キューン」
白狸は、二本足で立ち上がってカリカリと網戸を引っ掻く。
網戸を開けると、狸は私の部屋に上がり込んで来た。遠慮のない奴め。
トコトコと床の上を歩き、私の膝の上に落ち着く。
「お前、人懐っこいね」
餌を欲しがるでもなく、こんなに近くに寄ってくる動物は珍しい。
狸はクンクンと私の手の匂いを嗅ぎ、ペロリと指を舐めた。
「あら、よく見ると変わった目の色してるのね。緑色なんて」
今までちゃんと見ていなかったが、狸の目は茶色がかった緑色をしている。
最近、これと似た色の何かを見たような気がするけれど……気の所為かな。
すぐに思い出せないし、まあいいか。
しばらく狸と戯れていると、スマホが鳴った。ディスプレイ画面を見て、私は眉をひそめる。
「榊……」
少し前に別れた元カレの名前が、ディスプレイの中で光っている。
無視をしていたら、連続で電話が掛かってきた。鬱陶しいなあ。
狸が、心なしか不思議そうな顔でディスプレイを覗き込んでいる。
「ちょっとごめんね」
私は、狸を退かしてスマホを手に取る。意を決して通話ボタンを押した。
『もしもし、薺?』
「……何の用?」
『もう一度、会えないかなと思って』
「会って、どうするの?」
私の問いかけに、榊は黙り込む。
『どうか話を……』
「話なら二週間前にしたよね? 別れようということになったよね?」
『俺は薺とやり直したいんだ。俺が悪かった、頼む、もう一度考え直してくれ!』
榊の言葉に、私はしばし沈黙する。
「……ごめん。私、前にも言ったように、榊との未来が描けないの。だから、これきりにしよう。じゃあね」
私は、そっと電話を切った。
「キュ、キューン」
狸が再び私の膝に乗り、白い頭をスリスリと押し付けてくる。
「お前、どうしたの? 心配してくれているの?」
ヨシヨシと撫でてやると、狸は気持ち良さそうに喉を鳴らした。
「大丈夫だよ、ただの元カレからの電話だから。もう別れたのに、しつこいよね……」
こっちだって、好き好んで厳しい言葉を吐いているわけではない。そうしなければならないから、一生懸命伝えているだけなのだ。ああ、精神的苦痛が……
「別れようと決めたのはね、お金を貸してくれって言われたからなの。二十万……私の一ヶ月の手取り以上だよ? 酷いよね、そんなお金ないのに」
狸が私の話なんて分かるわけがないけれど、口に出すことで心が少しだけ軽くなるような気がする。
愚痴なんて、他人には聞かせられない。言葉の分からない狸相手が丁度良いのだ。
「彼ね、借金を作っていたみたいなんだ……親戚の連帯保証人になってしまったらしくて。私と付き合い出す前から、あちらこちらでお金を借りていたみたい」
「キューン、キューン」
「私もね、もう少ししたら結婚したいとか人並みに思うわけよ。その時に、借金のある相手は考えられない……薄情な女だって言われても、現実的に無理なんだもん」
私の給料なんて、平均的なOLレベルだ。
榊の借金はすごい額らしいし、親戚一同はお金にだらしのない性格らしい。
榊自身も、就職と同時に意味の分からないまま連帯保証人欄に名前を書かされたそうだ。下手をすれば、将来彼の親戚達にたかられる可能性もある。
今でさえ、借金を返せないでいる榊。私に二十万も借りようとした榊。
そんな彼と結婚をすれば、将来生活に困ることは目に見えていた。
「彼のことは好きだったけれど……やっぱり、酷いのかなぁ。私、薄情者かな」
「キューン……」
二週間前に榊と話した時、彼は「結婚なんてまだ先の話」、「もうお金を貸してなんて言わないから」と私に縋った。それを、私はあっさりと突き放したのだ。
ものすごく、罪悪感を感じるけれど。心情的に榊と関係を続けることは、もう出来なかった。
「あーもー、この世は生きづらいよ……」
そう言って床の上に寝転がると、狸が歩いてきて私の顔をペロペロと舐めた。