2:それ、不法侵入だから!
会社を辞めた翌日、特にすることもない私はマンションの近くをぶらぶらと散歩していた。
平日に、こんな風に外を歩くなんて久しぶりだ。
すぐに次の職を探す気にはなれなかった。また同じことが起こったらと思うと、気持ちが萎えてしまう。
ああ、家賃の支払い、どうしようかなあ。
とりあえず、仕事を探さなきゃいけないけど、リストラされた人間を雇ってくれるところなんてあるのかなあ。
私は、どこへ行っても要領の悪い人間なのだ。本当に、嫌になる。
学生時代は成績が良かった筈なのに、大学を出て就職した途端に私は役立たずになり下がった。
努力をしても要領の悪さは直らないし、気をつけていてもミスをする。
リストラされても仕方ないと一番分かっていたのは、他でもない私自身だったのだ。
「この世は、生きづらいわ〜」
誰もいない児童公園のベンチに座る。
平日の朝っぱらから、いい年こいた人間がこんな場所にいたら、不審がられるかもしれない。
まあいいや、世の中にはシフト制で働いている人もいるし。
私は、気にしないことにした。
しばらくの間、ボーっと空を眺めていると、何か柔らかいものがツンツンと私の脚をつついた。
驚いて、下を見ると——
「あれ、お前……」
そこには、昨日の白い狸がいた。
「また出たの。山にお帰りって言ったのに……犬に吠えられても知らないよ?」
昨日のように抱き上げて、フワフワの毛玉を膝に乗せる。人に慣れているのか、狸は大人しく私の腕の中で丸くなった。
可愛いなあ、どこかで飼われている子なのかな? 珍しい色だし。
しばらく、白い毛皮を撫でていると、丸くなっていた狸が立ち上がった。
「キューン」
一声鳴いて、私の膝から地面に降りる。
「キューン、キューン」
何故か、少し足を進めつつ、私の方を振り返って鳴く狸……
「ついて来いってこと?」
そんな筈はないだろうけれど、することのない私は狸の後を追ってみることにした。
狸は、慣れた様子で公園を抜けた先の住宅街の坂道を上って行く。
平日の朝なので人通りは少ない。既に登校や出勤の時間は過ぎている。
どんどん自然のある場所から離れて行っているんだけど……大丈夫だろうか。そんな私の心配を余所に、狸はテケテケと私を振り返りながら歩き続けていた。
同じ街だけれど、住宅街に用事なんてないので、私はこの辺りに来たことはない。なんだか、ちょっと新鮮な気分だ。
それにしても、この狸……どこまで進むのだろう?
白狸は、坂の頂上で足を止めた。後ろを振り返ると、遥か下に私の住んでいるマンションが見える。マンションの更に向こう側には、駅も見えた。いい景色だ。
「キューン!」
景色に気を取られていた私の注意を引くように、鋭い声で狸が鳴く。
白狸は、舗装されていない細い小道に入り込んだ。普通は気付かないような、人が一人ちょうど通れるくらいの細さの道である。
「へえ、こんな所に通り道があるんだ」
私は、狸の後をついて行く。しばらく歩くと沢山の花の咲いた広い庭に出た。
色鮮やかな夏の花々が、庭一面を埋め尽くしている。庭の奥に、木でできた小さな可愛らしい家がポツンと建っていた。
庭の周囲は木に囲まれていて小さな林になっている。この辺りは、まだ開発が進んでいない地域なのかもしれない。
「あれ?」
ふと前を見ると、さっきまでいた白狸が消えている。
この周辺も自然が多いので、林の中へ帰って行ったのか……
気まぐれな奴だ。
狸も消えたし、いつまでもここにいるわけにもいかない。この場所は他人の敷地だ。
不法侵入を咎められる前に、失せよう。
私はくるりとUターンする。
「待って!」
不意に後ろから掛けられた声に、ギョッとして振り返る。やばい、住人に見つかった!?
「すみません、道を間違って入っちゃって……すぐに出て行きますので!」
「待って、行かないでください!」
何故か悲痛な色を帯びたその声に、私は思わず足を止める。
家の扉から、一人の男の子が私をじっと見つめていた。