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番外編 狸と里帰り(後)

 私と櫟は、壁に耳をくっつけながら顔を顰めていた。

 無理やり棗をあの男と結婚させようとしている双方の母親は、棗が何を言ってもどこ吹く風だ。

 言葉の通じない人間相手に、棗は懸命に説得を続けている。その顔は、今にも泣き出しそうだった。


「女の年齢はクリスマスと一緒、二十五歳を過ぎると売れ残りなんだぞ。お前はもう二十四じゃないか」


 棗の父親まで、そんな古い伝説を持ち出して娘を説き伏せようとしている。

 彼女と同じ年の友人である私にとっても、腹の立つセリフだ。


 両親達とは対照的に、棗のお見合い相手であるヤスオは、やる気がなかった。

 ママに手を握られ続けているのに飽きてきたのか、全身を使って貧乏揺すりを始めている。


「うーう、うーー!」

「まあ、ヤスオちゃん。もうちょと待ってね、棗さんがオーケーしてくれたら帰れますからね」


 ヤスオの母親が、息子の手を握りながら優しく語りかけている。

 お見合い会場全体が、棗を責めるような空気になった。


「棗、いつまで意地を張っているの。ヤスオさんに失礼でしょう?」

「だから! 私はこの人とは結婚できないって言っているじゃないの!」

「まあ、棗さん。そんなこと言わないで……ああ、そうだ。ここは若いお二人に任せてみたらどうだろう」


 今まで静かだったヤスオの父親がゆっくりと口を開く。

 棗の両親は、それはいい考えだと顔を輝かせた。ヤスオの母親は、息子が心配そうな様子だったが、夫に説得されて部屋を後にする。

 お見合いの席には、棗とヤスオだけが取り残された。

 ――どうしよう、出て行くタイミングがつかめない。


「ヤスオさん、ごめんなさい。何度も言うように、あなたと結婚することはできません。私には、心に決めた相手がいます」


 お見合い相手に向かって、棗は申し訳なさそうに頭を下げた。

 面と向かって結婚を断られたヤスオはというと……


「うーうっ、アーーーー!」


 怒った様子で奇声をあげながら、机を乗り越えて棗に掴みかかった。彼は、普通に喋ることができないのだろうか?

 何を考えているのかよくわからないけれど、自分の思い通りにいかなくて癇癪を起こす子供のような行動だ。見た目は三十歳くらいなのに……

 見合い相手に興味はなくても、自分が振られるという状況が許せないのかもしれない。


「棗!」

「棗さん!?」


 私と櫟は、鍵のかかっていない部屋の窓を開けて、棗を助けるべく中へと乗り込もうとした。

 しかし、それよりも早く動く影がある――杏だ。

 彼は、無言で部屋の中に駆け込むと、ヤスオを掴んで投げ飛ばした。小学生姿とはちぐはぐな怪力だ。

 ヤスオは壁に頭をぶつけたらしく、隅っこで伸びている。


「え……杏?」

「帰るぞ、棗。今までは静観していたが、もう我慢の限界だ」

「ちょっと待って。私、ちゃんと断らなきゃ……」

「世の中には言葉の通じない相手もいる。お前の両親や、その男達がそうだ……悪いが、俺はもうあいつらにお前を預ける気はない。あいつらの頭の中は、娘よりも商売のことばかり。棗と離れて少しは頭を冷やせばいいんだ」


 彼の言葉に、棗は困ったように瞬きを繰り返す。


「で、でも。若女将の私がいなくなったらこの旅館は……」

「この町で俺に隠し事をしても無駄だ。もともと赤字だったんだろ? お前の両親の時代に合わない経営方針で客は減っていく一方、労働環境も悪化して従業員も居着かなくて、現状は頼みに頼んで他所から手伝いに来てもらっている状態だろう。設備を新たにする金もない。そろそろたたみ時だ」


 杏の言葉に、棗はしゅんとした表情で黙り込んだ。

 それにしても、棗の実家が廃業寸前だったなんて……うちの両親の旅館は大丈夫なのだろうか。心配だ。


「ねえ、杏は知っていたの? この旅館への援助と引き換えに、私がヤスオさんと結婚しなければならなくなったということを」

「まあな。ちなみにヤスオとやらの母親は、息子を利用し、この宿を乗っ取った後で売り払う気だった……どちらにせよ、お前の実家は存続できない」


 そう言うと、杏は強引に棗の手を引いて神社の方へと歩き出す。


「行くってどこへ?」

「しばらくは、俺達の世界にいろ。ほとぼりが冷めたら、こちらに戻ればいい」

「俺達の世界って、どこなの?」

「この世には、人間達がいる世界とは別に、狭間という名の世界がある。そこには、人間以外の様々な種族が住んでいて、その中には俺のような犬が集まる場所や、そっちの狸が住んでいる場所、あとは狐や兎の住む場所なんかもある」


「でも……」

「若女将がやりたいのなら、犬の世界にも宿があるぞ?」


 棗は、困ったように視線を動かし、ようやく私達の存在に気がついた。


「薺、私……どうしよう」

「あのさ、棗は杏君のことが好きなの?」

「うん。彼がいるから、今回の見合いも断ろうと思ったんだ。失敗したけど」

「なら、私は杏君と一緒に過ごすのもアリだと思う。私も、なんだかんだ言って櫟君に助けられたから……今は、人間以外のモノ達が来るカフェ兼案内所で働いているの」


 私の答えに、棗は不安そうに瞳を揺らした。


「杏に甘えていいのかな、私。なんだか、義務から逃げているような気がして……」

「昔から、棗は責任感が強すぎるよ。他所の家のことだけど、棗の一生を売り渡して犠牲にしてでも旅館を維持していくっていう考え、正直私は賛同できない。それに、杏君なら大丈夫だってば。彼は、幼い頃からずっと私達を見守ってくれていたんだよ?」


 なんと言っても、彼はこの町の神社の狛犬なのだ。確実に安心できる相手である。


「棗……」


 小学生姿の杏の姿が霞み、徐々に大人の男の姿へと変わっていく。

 杏は、櫟よりも少し年上の茶色と黒の虎毛の男性姿になった。彼は櫟とは違ったタイプのワイルドなイケメンだ。


「正式に、俺と祝言を挙げて嫁になってくれ。俺は、一生お前を守ってみせる」

「あの、杏」


 照れて俯く棗の顎を持ち上げた杏は、その場で彼女に口付ける。

 なんだか恥ずかしくなった私と櫟は、そそくさとその場を後にした。

 問題も解決しそうだし、これ以上はね……


 そして、後日――彼らの結婚が決まるのだが、棗はあの家を勘当されてしまったようだ。

 早く、棗の両親の目が覚めれば良いと思う……



 私達は、そのまま実家に戻った。

 いろいろあったせいで、もう夜だ。皆で夕食を食べて、私と櫟は用意された部屋に向かう。


「薺さぁん、やっと二人きりになれましたー!」


 部屋に着くなり、櫟が甘えたように私に飛びついてくる。


「ちょっと、櫟君!」

「僕、もう我慢の限界です。抱きしめていいですか?」


 いちいち尋ねられると恥ずかしいんだけどな……

 そっと頷くと、櫟は嬉しそうに私の背中に手を回した。


「はあっ、薺さん、いい匂い。大好きです」

「ふふっ、私も櫟君が大好きよ?」

「可愛い……薺さん」


 緑色の瞳がふんわりと細められる。予想通り、すぐに櫟の唇が私の口を塞いだ。


「今年も仲良くしましょうね?」


 吐息が感じられるほど傍で、櫟が私にそっと囁く。

 顔を上げて櫟の目を見返すと、彼の後ろにある窓から外の景色が見えた。

 冬の夜空にくっきりとした星空が広がっている。


「うん。今年もよろしく……」


 私は、愛おしいという気持ちを込めて、目の前の櫟を見つめた。

 可愛い白狸との甘い生活は、まだまだ続きそうだ。

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