12:ウルウル瞳!
「薺さん……」
キラキラウルウルした翠色の瞳で私を見つめる白狸。自然と彼に話す口調が優しくなってしまう。
「どうしたの?」
「す、好きです。僕のお嫁さんになってください」
「この間も言ったように私、そういうのは……」
可愛い白狸の言うことに、つい頷いてあげたくなってしまう。
だが、私の理性がそれを止めた。
こんな上手い話があるわけがない。きっと幻覚だ。
昔話で、「起きたら肥溜めの中」なんて物語があったじゃないか。ちょっと嫌なことが続いたからって、こんな甘い話に乗せられるわけにはいかない。
「薺さん……ダメ、ですか?」
「いや、だから」
「お付き合いも、してくださいませんか?」
「私、あの時言ったよね。そういうことは、まだ……」
白狸の目が更にウルウルし始める。
ああ、駄目だ。私は小動物全般に弱いのだ。そんな目で見られたら、幻覚だと分かっているのに押し切られそうになる。
「わ、私……」
「嫌だったら、途中でお断りしていただいて構いません。だから、まずはお付き合いするチャンスを下さい」
おおう、櫟はカフェ店員よりも営業マンの方が向いている気がするな。いやしかし……
いくら途中でクーリングオフ出来るからって、簡単に頷いてしまっていい問題ではない。榊の例もあるだけに、異性との付き合いには慎重にならないと。
なのに、そう思うのに……
キラキラとした白狸の瞳から目が逸らせない!
「本当に、ダメ?」
縋るように小首を傾げる白狸の誘惑に、私の理性は呆気なく陥落した。
ああ、後で困ると分かっているのに……私は本当に考えが足りない。
仕事も恋人も失って、家族の元へも戻りづらい今、差し出された温かい手を拒めない。可愛くて白いフワフワの前足なら尚更だ。
例え、それが幻覚だとしても。
私は、本当に愚かだ。
前の会社に就職したときだってそうだ。
田舎くさくて何もない退屈な地元から離れたくて、少しでも高い給料が欲しくて都会へ出て来た。
楽そうな事務員の仕事が見つかって、ネットで応募して面接を受けたら偶然受かって……舞い上がった私は、その時点で就職活動を止めた。
けれど……入社して初めて理解した。
楽なのは、業績が悪くて仕事が来ないからだった。必然的に事務仕事の量も少なくなる。私も出来ることを探し出しては、業務の改善に勤しんでいた。それくらいしかすることがなかったのである。
仕事がないのに社員にそこそこの給料を支払い続けた結果、あの会社は人員を減らさなければならない事態に陥った。
だから、入社して間もない私が切られたのだ。切っても痛手が少ないと判断されて。
「櫟君……」
「何ですか?」
「本当に、私でいいの? 私、年上だし、無職だし、近くに友達いないし、元カレと上手く別れられずにストーカーされるような女だよ? しかも、刺されるし……」
自分で言っていて嫌な気分になった。本当に、私って不良債権以外の何者でもない。
「ええと、薺さんは年下ですよ? 僕の方が上です……百歳ほど」
「……そんなに長生きなの? 狸って」
「一概に狸と言っても、僕らの種族は普通の狸とは違います。人間の言う化け狸や古狸というものに該当しますね」
「妖怪みたいなもの?」
「……ちょっと違いますが、そう捉えて下さった方が分かりやすいかもしれません。その点、狐は色々と呼び名があって羨ましいです」
そう言って、櫟は白髪の少年の方を見た。
「もしかして、あなたも狸? 櫟君と同じ髪色だし……」
私の問いかけに、少年が首を振る。
「俺は狐」
「……そうなんだ」
「髪の色は、体毛の色と同じだ。俺は白狐だから髪も白い」
「へえ。妖怪の世界にも色々あるのね」
「妖怪じゃないけどな……しかしアンタ、馴染むの早いな。自然に櫟のことを受け入れるなんて」
正直、半分は夢か幻覚だと思っている。
昔話に出てくる、狸に化かされた阿呆な武家の若者の姿が脳裏を過った。その若者は、美女に化けた狸に騙されていたっけ。
でも、もう化かされていても良いや。
どのみち、私は可愛い白狸を捨てられない。これ以上失う物なんて少ししかないし、行く当てもないしな。
ニュースの所為で両親や旧友に無職だった件がバレてしまい、地元にも帰りづらいのである。




