やって来た彼
変わったリクエストをしてきたまま、鷹司からはしばらく連絡が途絶えている。
その時間を利用して、と言うわけでもなかったのだろうが、夏樹は最近、週に1度、ランチタイムをシュウと冬里に任せてどこかへ出かけるようになった。
「あら、朝倉さんは今日もお休み? 」
客に聞かれると、真面目なシュウは、
「はい、申し訳ありません」
と、ただ謝罪するだけだが、冬里は違っていた。
「まあ、今日も朝倉さんお休みしてるのね」
「はい、なにやら新しい味を探求するとか申しまして、今日もどこへ行ったのやら、津々浦々を飛び回っております」
「まあ、そうなの? 大変ねえ。くれぐれも身体には気をつけるよう伝えてね」
「ありがとうございます」
大まじめに言う冬里に、客は夏樹が日帰りでとんでもないところまで行っているように思うのだが、実は隣の×市に行っているだけなのだ。
家庭料理の勉強と称して、椿にもらったリストの店にとりあえず行ってみて、店構えや雰囲気から、これは、と思ったところに入り、味の探索をしているのだ。外回りで×市に行く用事があるときは、椿も合流することがあるようだ。根が真面目な椿らしいとシュウなどは思っていた。
今日も×市に行く事がわかっていた椿は、夏樹と待ち合わせて、以前、1度入ったことのある店へとやって来た。
「ここはいい雰囲気だろ? 料理の味もなかなかいいんだ」
「へーえ。ふーん。うーん」
店の外観を見回して、何やらうなっている? 夏樹を可笑しそうに見て、椿はかかっていたのれんを手で押し、カラリと戸を開ける。
「いらっしゃい」
こじんまりした店の中はカウンターだけで、しかも、少し広めのカウンターには、ドンッと言う形容詞がついているかのような大鉢に盛られた総菜が、いくつも置かれている。店はあいにく満席だったが、奥の方に座っていたサラリーマンらしき二人連れがちょうど席を立つところだった。
「おばちゃん、お勘定」
「はいはい。えーっと…」
レジはなく、カウンターと直接やり取りをして代金を支払った二人が店を出て行ったのだが、見ると、テーブルの上は綺麗に片付けられている。
「あれ? いつの間に…」
夏樹が不思議そうに言うと、カウンターの中にいた肝っ玉母ちゃんという感じの女将さんが微笑んで言った。
「うちはね、片付けはセルフサービスなの。こんなふっといおばちゃんだから、そっちに出るとね、ただでさえ狭いのに、ってお客さんに怒られちゃうのよ」
「へえ、そうなんすか」
言いながらおしぼりとお茶を受け取ると、1度来たことのある椿がこの店のシステム? について説明してくれる。
「ここは好きなおかずを好きなだけ選べるんだ。その皿の数で値段が変わっていくんだよ」
「ほんと? じゃあ椿、俺、色んな味を試したいんだけど、一人で食べられる限界もあるし。2人で違う種類選んでシェアしてもいい? 」
「ああ、いいよ」
椿が了解すると、夏樹は嬉しそうに、定番の肉じゃがと切り干し大根の煮物、きんぴらゴボウに青菜のおひたし、等々これぞ日本の家庭料理! というチョイスをする。
椿は白和えや豚の角煮、変わったところではタマネギのステーキを「美味いんだよ、これが」と言って嬉しそうに頼んでいた。それぞれが綺麗に盛り付けられたお盆に、炊きたての御飯と味噌汁、漬け物がついてくる。
二人とも「美味い! 」を連発しながら、あっという間に綺麗に平らげる。そのあと、本当なら夏樹は料理についておばちゃんに色々聞きたかったのだが、狭い店なので居座るわけにもいかず、外に何人か待っている気配がありありとしていたため、あきらめて早々に勘定を済ませて店を後にした。
「あーあ、料理の秘訣、聞いてみたかったなー」
「ハハ、じゃあこんどはランチ終了のギリギリに来て話を聞いてみれば? 」
そうか! と言う感じで、パチンと指を鳴らした夏樹は、
「椿、このあとお茶を飲む時間くらいない? 」
と聞いて了承を得ると、近くにあったチェーンのカフェに入る。
「美味かったなー。あれがおふくろの味ってやつかー」
夏樹が感慨深げに言うと、椿も満足そうに言う。
「ああ、あの店のはホントに美味いね。けど、」
「? 」
「おばちゃんはみんなの母ちゃん、って感じだけど、料理人はあと何人かいるし、味も一定してる。そこはやっぱりプロだよね」
「えーと、どういうこと? 」
椿が不思議なことを言うので、夏樹が聞く。
「夏樹もわかるだろうけど、家で母親が作る料理ってさ、同じものでも毎回微妙に味が違ったりしない? 」
「あー、うー」
そう言われても、と思う夏樹だが、ここは椿の話を黙って聞く。
「それって、味付けする調味料の量を、だいたいこんなもんー? って作ってるからだと思うんだよね。それが家庭の味っていうか、同じような献立なのに、毎日食べても飽きない味なんじゃないかって。で、そういうのを本当のお袋の味って言うんだと、…夏樹、どうしたの? 」
途中から頭を抱え出す夏樹を不思議そうに見ていた椿は、次のセリフでその意味を理解する。
「ああ! でもそれってー、毎日食べてるから思うもんだよな。1回きりのディナーで、どうやって違いを出すんだよー! 」
「あ、ハハハ」
ちょっと余計なことを言ってしまったかな、と思う椿だったが、
「でもさ、夏樹はおふくろじゃないんだから、そこまで徹底しなくても。あ、そう言えば」
「こんどはなに? 」
「味が変わらないって言えば、鞍馬さんはすごいよな。洋風の日替わりランチについてくるポタージュ、何度食べても、ああ、この味だって思うんだよな。あれってまさか調理実習みたいにすり切り何杯とか、何グラムとか、量って味付けしてるんじゃないよな」
それを聞いた夏樹は、なぜかシュウが白衣を着て、試験管からフラスコに調味料を入れている姿を思い浮かべて吹き出してしまう。
「ブハッ、まっさかー。けどさ、椿だから言うけど、シュウさんのポタージュって毎日同じ味付けじゃないんだぜ」
「? 」
「季節によってジャガイモの種類も違うし、人の味覚ってさ、暑さや寒さや、その日の天候にも左右されるから、そんなことを加味して毎日微妙に味付けを変えてるんだよ」
「へえ、そうなんだ。けど、食べると」
「そ、同じ味に感じるんだよ」
「すごいな、そこまで考えて作ってるんだ」
「だから普通の料理の時は、はかりは使わないよ。シュウさんがスケール使うのは洋菓子を作る時だけ。西洋菓子ってのは、だいたいこれくらーいって、材料を量らずに作るとえらいことになっちまうからさ」
「へーえ。鞍馬さんでも? 」
「ああ、そうだよ」
今度は椿が何かを考えるように黙りこむ。そしてちょっと可笑しそうに言い出した。
「鞍馬さんなら、手に乗せただけで正確に何グラムってわかってしまいそうだよな、けど、やっぱり違うんだな」
「当たり前じゃん! 」
あきれたように言った夏樹が、何かを思い出したように聞いてくる。
「でもさ、でもさ、椿。俺のは? 」
「俺のってなに? 」
「和風ランチの味噌汁も味が変わらないだろ? 」
「だって味噌汁は毎日具が違うだろ、だから味は変わって当たり前」
「えー?! 」
と言ったきり、少しふくれていた夏樹だったが、その日の夜、店では「明日からしばらく、俺に洋風ランチを任せてほしいんすけど! だめならせめてポタージュだけでも! 」と、シュウに頼む夏樹の姿が見受けられたのだった。
夏樹が変わらぬ味と、微妙に変わる味(おふくろの味)の間で行ったり来たりしているうちに、季節はそろそろ長袖がほしいと思う頃に変わっていた。
鷹司からはまだ何も言ってこないが、少し前に頼んであった薔薇は届いていた。残念ながら、やはり花はなくて、けれども青々とした葉っぱが綺麗に生い茂っている。
「やっぱり、お花は来年までお預けね」
と、由利香は寂しそうに言うが、こればかりは季節のものだ、仕方がないだろう。
そして、薔薇の植え付けが終わってしばらくたった頃。
「(今度の土日から2週間、日本に行くことが決まったぜ)」
と、鷹司からメールが入った。
店には、旅の最後に立ち寄る予定にしているとのことだ。薔薇の様子を見たいからと、昼前に着くように行ってもいいか、と聞いてきたので、シュウは、歓迎しますと返事を返しておいた。
不思議なことに、鷹司から連絡があったその日から、レディヴィアンに小さなつぼみが見受けられるようになった。季節が秋に入ってから、しばらく肌寒い日が続いていたのだが、ここ何日か暖かい日が続いているからだろうか。
「あ、またつぼみが増えてるわ。なんだかこの子たち、鷹司さんが来るのがわかるみたいね。可愛いー、けなげー」
由利香がそんな風に言うのを「似合わないっす」と言って、またはたかれそうになる夏樹だった。
そして約束の土曜日。
ランチ営業を終えて、夏樹が玄関に「CLOSE」の札をかけて店に入ったと思うやいなや、カランと誰かが入ってきた。
「えーっと、すんません、もうランチは終了…」
そこまで言って振り返った夏樹が、その人を見てなぜか言い直す。
「I'm sorry. Lunch has ended」
と言うのも、そこには茶色がかった金髪の西洋系外国人が、ニッコリ笑って立っていたからだ。
彼は夏樹の言ったことがわかったのかわからないのか、黙ってまじまじと夏樹の顔を眺めている。
「あれ? 英語通じないのかな、じゃあドイツ語? か、フランス語?」
もう一度言おうとした夏樹に向かって、
「なかなかお目にかかれないレベルのいい男。…わかった! あんたが夏樹だな」
と、流ちょうな日本語でしゃべり出したのだ。
「へ? 」
そこへ裏口から、シュウが店へと入ってくる。
「ああ、鷹司さん。ずいぶん早かったのですね。連絡を頂ければ駅までお迎えに上がるつもりだったのですが」
「おう! クラマ、久しぶりだな」
「鷹司さ、ん? って、ええーーーー?!」
驚く夏樹の声に「なんだなんだ? 」と面白そうに答える鷹司がいた。
「シュウさんってば、ひどいっすよ! まさか鷹司 太郎なんて名前の人が、こんな風貌をしてるなんて、夢にも思わないじゃないっすか! 」
「ごめん、夏樹。そういえば言ってなかったかな」
「聞いてないっす! 」
すねる夏樹に苦笑しながら、立ち話も何だからとソファへ鷹司を案内したシュウが、お茶を運んでくる。
「どうぞ」
「お、サンキュー。まあまあ夏樹、その辺で許してやりな」
「そ、悪気があってのことじゃないんだから」
当然、この場には冬里もいて、いたずらっぽく笑いながら夏樹をなだめている。
2人に言われると、納得しないわけにも行かず、しぶしぶ了解した夏樹だったが、そこは切り替えの早い彼のことだ、さっさとお茶を飲み終えると、すっと立ち上がって言う。
「じゃあ、俺はディナーの用意がありますんで」
「お、今夜の晩飯は夏樹が作ってくれるのか? 」
鷹司が楽しそうに言うと、夏樹は少し照れたように言う。
「はい、って言っても、家庭料理って言っても、やっぱ俺はプロっすから、なんちゅうか、本当に鷹司さんが納得するおふくろの味じゃないかもしんないすけど。けど、一生懸命作らせてもらいます」
すると、鷹司はうんうんと今度は嬉しそうに頷いて言った。
「ああ、楽しみにしてるぜ、よろしくな。…さてと、じゃあ料理のことは料理のプロに任せて、だな」
鷹司が早めに来たのは、やはり薔薇の事が気に掛かっていたからだ。彼もそのあと、そそくさとお茶を飲み終える。
「さっき店に入る前にチラッと見たんだが、なかなか良く手入れしてるじゃねえか。さすがクラマだな。けど、念のためもういっぺん見させてもらうぜ」
と、こちらのプロは庭へと出て行ったのだった。
そして夕刻を迎えると。
今日のディナーには、鷹司の了解を得て、由利香と椿も招待されていた。夏樹が作った総菜は、例の肝っ玉母ちゃんの店のように大皿に盛り付けられ、好きなものをとって食べるスタイルになっている。大勢の分を作る方が味も良くなるし、皆で食べる方が家庭の夕食、と言う感じがするからだ。
個室のひとつに、また畳コーナーが作られ、大きなちゃぶ台が置かれている。そこに鷹司や由利香、椿はもちろんのこと、今日はシュウや冬里、夏樹も座って、皆でワイワイ言いながら料理をつつき合った。
「美味い! たしかにうちの味じゃないが、なんて言うんだー、こんな飾り気のない料理は久しぶりだぜー。夏樹ーありがとうー」
鷹司はアルコールの酔いも手伝ったのか、ご満悦の様子だ。
「しかも、この飯のうまさ! 白米がこんなに美味いもんだとは思わなかったぜー」
「当然。僕が炊いたんだから。でも、お褒めにあずかって光栄です」
こちらは今日の御飯担当の冬里が言う。
「今日の御飯もお釜で炊いたんすよね」
「うん、本当は薪で焚けばもっと美味しいんだけど、さすがにここでは出来ないよね」
「薪? キャンプにつきものの飯ごう炊さんだな」
「まさか。本当におくどさんで薪で炊くんだけど。けっこう好きなんだよね、あれ」
「いつの時代だ」
鷹司が笑って言うのを「さあ? 」と、いつものごとくうまくはぐらかす冬里。
その横で、おいしい、おいしい、を連発していた由利香が、いったん箸を置いて言う。
「それにしても、ホントに美味しい。夏樹よく修行したわねー。いつでもお嫁に行けるわよ」
「そうっすか? 夏樹うれしいー。なわけないじゃないっすか。だったら、由利香さんに伝授しますよ」
「いやよ、あ、じゃあ椿に伝授しといて」
「了解っす! 」
「おいおい」
などと和んで楽しんでメインの食事が終わったあと。
今日は、シュウが最後の水菓子を担当していたのだが、イレギュラーなことをあまりしないシュウが、珍しく和食のデザートにケーキを作っていた。
しかも、そのケーキというのが、昭和の中頃に一般的だった、バタークリームでデコレーションされたもの。ただ、そのデコレーションが、鷹司に出すことを意識してか、クリームで作られた薔薇だった。
「なんでまたケーキ? 」
と、由利香が驚いて聞くと、シュウ意外なことを答える。
「実は、坂の下さんにお聞きしました」
「親方に? 」
「はい、坂の下さんが子どもの頃は、誕生日やクリスマスケーキというと、決まってこのバタークリームを使ったものだったそうです。あまり美味しいとは思ったことがないようですが、懐かしいと言われていたので、作ってみようかなと」
「そうなんだ。私、バタークリームのケーキ初めて」
「俺もだよ」
椿も続いて言う。
「ね。でも楽しみねー」
シュウが作っていたのは、ホールではなくて一人ずつ小さな丸形のもの。
皆、それぞれ興味深そうにひとくち口に入れる。
「美味しい! 」
「うん、さすがは鞍馬さんだね」
「ふうん。昭和生まれの人が嫉妬しそうだね」
「う、美味いっす! 」
と、鷹司以外はそんな感想だったのだが。
同じようにケーキをひとくち口に入れた鷹司は、なぜかフリーズしてしまっていた。
「ここは? 」
ケーキを口にしたとたん、鷹司のまわりから景色が消え、そのあと彼は心地よい場所にいた。ふと見ると、微笑んでこちらを見ている少女がいる。
鷹司はなぜとはなくその少女の名前を知っていた。
「彼女がヴィアンか? 」
「はい、そうです」
「レディヴィアン。イメージにぴったりじゃないか、俺って天才かもな」
「そうかもしれませんね」
そこにいないのに、シュウがあたかもそこにいるかのように答えを返す。
しばらくすると、鷹司は、見たこともないような広大なお屋敷の、見たこともないような薔薇園を見下ろしている。
そこではヴィアンがシュウに話しかけていた。
「ところで、料理人の貴方がお庭で何をしていらっしゃるの? 」
「ええ…実はこの薔薇の花に恋をしておりまして。少しでも長く咲いていてくれれば良いなと。それで手が空くとこのようにお世話しに来ております」
「! 」
ポカンとしていたヴィアンの頬が次第にバラ色に染まっていったところでイメージが薄れていった。
鷹司は思わず苦笑しながら、そこにいないはずのシュウに向かってつぶやいていた。
「やっぱ、キザすぎるじゃねえか」
「鷹司さん? 」
いったいどれくらい時間がたっていたのだろう。由利香が心配そうにかける声が聞こえて、ハッと我に返る。
「あ、なんだい」
「いえ、ケーキを食べたまま固まってるから、ケーキお嫌いなんじゃないかって」
「いやいや、ケーキは大好物だぜ。いやあ、あんまり美味いもんだから、我を忘れちまった」
すると、由利香はホッとしたような顔で微笑んだ。
「そうですか、だったら良かったー」
そのあと、チラッとシュウの方を睨んだような気がしたのだが、見間違いだったか。
由利香は気がついたようだ。わざとのように一人分ずつの丸いケーキ。それはシュウが鷹司のものだけに、本気を込めたかったからだろう。なぜそんなことをしたのかまではわからなかったけれど。
「本当に楽しい夕食だったぜ。ありがとう」
夕食の時、ひとりアルコールを口にしていなかったシュウが、「宿泊先までお送りします」と運転手を買って出る。鷹司は遠慮することなく行為に甘える事にした。
「また絶対来て下さい! 」
「今度は僕たちが行けばいいんじゃない? 」
「それ、いいかもー」
「賛成」
口々に言う皆に軽く手を振ると、車は静かに走り出した。
道中ずっと物思いにふける鷹司に余計なことを聞くわけでもなく、シュウは運転を続ける。そろそろホテルが近いな、と思ったところで、鷹司は言ってみた。
「なあ、クラマっていったい何者なんだ?」
「…」
シュウは、ただチラッと鷹司を見て微笑むだけだ。
その態度に、肩をすくめて答えをあきらめた鷹司は、ホテルに到着すると礼を言って車を降りた。
手を上げて「じゃあな」と歩き出そうとしたとき、シュウの声がした。
「ただの料理人ですよ」




