依頼
「そうか、由利香に会ってきたのか」
イギリスへ帰ったシギは、残務整理に追われる樫村に連絡を入れて時間を作ってもらい、日本へ行ってきたことを報告していた。
「ええ。彼女がいる間は日本へ行くのもためらっていたんですが。けど、ホントに偶然、タローの薔薇園でMR.クラマに出会ったのをきっかけに」
「ほーお? 」
樫村は興味深そうにその先を促した。
「彼とすれ違った時、なぜか強烈に由利香のイメージが浮かんだんですよ。その直後は、何でだろうって思っただけだったけど、タローと日本の話をし始めたとたんに、もう大丈夫だよって笑ってる由利香のイメージが、もう一度沸き上がってきて」
「なるほどな」
「まさか彼ら一緒に店を開いていたなんて。しかもそこに椿までいたので、2度ビックリ」
と、少しいたずらっぽい笑みを浮かべるシギを、こちらは、しょうがねえなーと言うような表情で樫村が答えた。
「あの2人は今すごく良い感じなんだ、邪魔すんなよ」
「ハハ、椿単体ならふざけますけど…」
と言ったあと、本当に嬉しそうに俯いて、自分の胸に手を当てながらシギが言った。
「由利香の手から、椿のことを真摯に思う気持ちが、こう、流れてきて」
「そうか」
「良かった。そして、嬉しかった…」
「ああ、そうだな」
そのあと目が合うと、微笑みながらうなずき合う樫村とシギだった。
シギが持ってきた薔薇グッズは、香りの強いものは2階リビングと各自の部屋に(その半分ほどは由利香の部屋にある! )、石けんやバスソルトなどは当然浴室へ。そして、見た目を楽しむものは、店に飾らせてもらっている。あと、ローズティなどは2階と店の半々で活用していた。
「あら、この薔薇とても綺麗ね、本物? 」
「はい、プリザーブドフラワーというものだそうです。丁寧に保存すれば、半永久的にそのままの美しさだとか」
「まあ、素敵ねえ~」
「ほんとね~」
と、それらは客の目を楽しませているが、実は、今日使っているテーブルクロスの四隅には、目立たない白い糸で薔薇の刺繍がほどこされている。これも鷹司からの贈り物だ。
口調がざっくばらんな鷹司は、そこだけ見るとおおざっぱに感じるが、今回送られてきたグッズから、とても繊細に気を遣う人物だとわかる。薔薇に限らず、花々を美しく咲かせるためにはやはり細やかな神経が必要なのだろう。
そんなある日、冬里がグッズのひとつを見ながらシュウにたずねた。
「このお皿ってシュウが選んだわけじゃないよね? 」
「違うけど、どうかした? 」
「うーん、まるでシュウの料理を食べたことあるみたいなチョイスだと思ってさ」
ニッコリと笑って言う冬里に、こちらは首をかしげて考えていたシュウだったが。
「薔薇の手入れを手伝わせてもらったからね。それで何か感じたのかな。確かに、盛り付けはしやすいね」
「だよね。その短時間でシュウの本性を見破るなんてさ。どーんな人なんだろ、ぜひ店に来てもらいたいね。あ、もし駄目なら、今度は僕がイギリスへ行こうかな」
鷹司に興味津々の冬里は、本当にイギリスへ行きそうな口ぶりだ。シュウは今度は可笑しくなって、苦笑しながら答えた。
「本性を見破るって…冬里は私の事をどんなふうに思ってるの? それはいいとして、彼、今度日本に来るときは、うちの店に来たいとは言っていたよ。社交辞令だと思って何も言わなかったけど、冬里が会いたいなら、招待しても良いね」
「うん、ぜひね」
「では、その盛り付けやすいお皿で今日のランチを始めますか。そろそろ店を開けるよ」
「OK」
シュウが玄関を開けて「OPEN」の札を掲げると、庭で水まきをしていた夏樹と談笑していた何人かのマダムが、そのままの笑顔で店へとやってくる。丁寧なお辞儀とともにシュウが声をかけた。
「いらっしゃいませ、ようこそ『はるぶすと』へ」
その日の夜。
店をクローズして最後の点検を終えたシュウは、2階へ上がるとパソコンの電源を入れる。鷹司にメールを送るためだ。
「あれ? シュウさん。何かありましたか? 」
部屋から出てきた夏樹が聞いてくる。リビングにあるパソコンはほぼ業務用で、店に関することに使っているので気になったのだろう。
「ああ、いや。鷹司さんにメールを送ろうと思ってね。冬里が会いたがっているから、今度日本に来る機会があれば、店に招待しようと思って」
「え、そうなんすか? じゃあ、じゃあ。また変則シチュエーションディナーっすね! 」
夏樹が思いも寄らない事を言い出したので、シュウは「え? 」と言ったものの、それもありかと考えてみる。
「…そうだね。せっかく来られるのだから、リクエストをしてもらうのもいいかもしれないね」
微笑んで言うと、夏樹は「ウッシ! 」と、ガッツポーズなどしている。
「だったらメールには、どんな無理なご要望にもお答えします! って書いといて下さいよ、シュウさん」
「…さすがにそこまでは、書けないよ」
張り切りすぎる夏樹にやんわりと釘をさして、シュウはパソコンの画面に目を落とすのだった。
鷹司からは、翌日、早々と返事が来た。
「(お誘い、喜んでお受けいたしますぜー。どっちにしても、薔薇の出来映えが気になると思うからな。あ、けど頼んでおいた造園業の腕は間違いないからその辺は安心しな。俺の性格上の問題だ…。あ、それから…、)」
と、とりとめもない事が書かれていたあと、変わった要望が書かれていた。
「家庭料理、とか、B級グルメっすか? 」
素っ頓狂な声で聞く夏樹を可笑しそうに見ながら、シュウが言った。
「ああ、帰るたび超一流名店にばかり連れて行かれるんだそうだよ。だから、B級というか、家庭の味、日本で言えばおふくろの味? が食べたくなるらしいんだ」
「あー、と、それって…。俺たちが1番苦手とするもの、ですかね」
ご存じの通り、千年人の彼らには家族なるものは存在しない。当然、おふくろの味、ママンの手料理、等々というものも、彼らには経験がないのだ。
途方に暮れたように言う夏樹に、シュウが答える。
「そうだね。けれど、お客様のご要望にはお答えしなくてはね」
だが、この話を聞いてがぜん張り切った者が約1名。
「一般家庭の味ですって? だったら任せて! 私が厳しーく指導してあげるから! 」
由利香が、ニッコリ、いや、この場合はニンマリと笑って言う。
「容赦も手加減もしませんわよ」
と言って、ホーッホッホッホと、悪役のような笑いを繰り出す。
そんな由利香の様子を見て、夏樹が、思いっきり脱力して言った。
「いや、遠慮しときます。それなら椿に教えてもらうっすよ」
「何よそれ! 」
と、このときはおとなしく引っ込んだと思われた由利香だったが、そこは一筋縄でいくはずがない。
後日、椿に家庭料理の話を持ち込んだ夏樹は、ガックリと肩を落とすことになった。
「ごめん、夏樹。由利香に家庭料理教えたら絶交だって言われちゃって…」
「うわっ、その手があったか」
夏樹の脳裏には、またまた高笑いを繰り出す由利香が見えた。
「でもさ」
と、少し躊躇しながら声を落とす椿。
「そういう料理を出す店を教えちゃいけない、とは言わなかったから。よかったらこれ」
差し出されたのは、気取らない家庭料理を出す店、&、B級グルメ店のリスト。その上、ご丁寧に隣の×市のものだ。
「★市だと通ってるのがばれるかもしれないからね。それでなくても夏樹は嘘がつけないんだから、充分気をつけてよ」
ポカンとしてそのリストを見ていた夏樹は、しだいに目がウルウルし出して…。
「ありがとう、椿ー!」
思わずガバッと椿をハグしてしまう。
「うわっ、えーと…」
夏樹の感動から来る行動を無碍に出来ず、なすがままの椿だったが、そのときリビングの出入り口からのんきそうな声が聞こえた。
「見~ちゃった~」
そこに立っていたのは冬里だった。
「椿ー。ダメじゃない、浮気は」
「え? うわき? あ、うわっ、ごめん椿! 」
ようやく状況を把握して、またガバッと離れる夏樹。すると、冬里がスタスタと近づいてきて、ひょいと夏樹の手からリストを奪った。
「あ! 」
「ちょっと見せてね。ふーん、けっこうたくさんあるんだ、さすが×市は都会だね。それにしてもよく知ってるね、椿」
冬里が感心したように言うと、椿は照れたような苦笑いをした。
「俺も一応、まだ独身なんで。自分で料理作ってもいいんですけど、やっぱり面倒なときもあるし…。あ、でもそこ全部行ったことある訳じゃなくて、あくまでリストですから」
そして夏樹に向き直る。
「だから味は自分で確かめてみてくれよな、夏樹」
「おうよ! 」
笑顔の椿に、夏樹はしっかりと答えたのだった。
その時、話が終わるのを待っていたように、カチャリ、と、由利香の部屋のドアが開く。
「椿、お待たせ」
一瞬の差で、支度を終えた由利香が部屋から出てきたのだ。今日もふたりは、これから仲良くおデートだ。
「いってらっしゃい」
「今日はどこ行くんすか? 」
「おしえなーい」
夏樹の問いにペロッと舌を出した由利香は、楽しそうに笑いながら椿の腕をとると、それでもきちんと「行って来ます」を言って部屋を出て行った。
「えっーと、今日はタワービュッフェに行くんだったよね。×市にあるんだよな」
カーナビを操作しようとした椿に由利香が言う。
「×市の家庭料理かB級グルメでも、いいわよー」
「え? 」
「ふふ、実は聞こえちゃってたの。…でも、ありがとう、椿」
そう言うと、キョロキョロと辺りを見回した由利香は、チュッと椿の頬に自分の唇をあてた。
「!! 」
驚く椿に、いたずらっぽい照れ笑いを見せて言う由利香。
「さ、行こ! 運転気をつけてね。大丈夫、椿? 」
「あ、ああ」
ソロソロと動き出す車。店の窓からそれを見送った冬里が言った。
「まだ親愛のキスどまりなんだ、先は長そうだね」
「そうっすね」
こちらは、それでも嬉しそうな夏樹が言い、ふたりはランチの準備をするため、キッチンへと入って行った。




