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薔薇が来る前のひとときに


 梅雨明け宣言が出ると、本格的な夏が来る。


 あれから鷹司たかつかさとは、何度もメールでやり取りをして、ようやく話がまとまりつつあった。

 輸入薔薇はただでさえ育成が難しいので、鷹司が日本で懇意にしている造園業者が間に入り、こちらの気候に合うように少し手を加えてから持ってきてくれるらしい。なので、薔薇がやって来るのはかなり後になりそうだ。

 で、その埋め合わせと言うわけではないが、近いうちに薔薇グッズを大量に送ってやる、とのことだった。


「特にそういうものはいらないと返事したのですが…」

「そうよねー。なんかすごく律儀っていうか、…えーと、あ、返信きてるじゃない? どれどれ。 《そんなわけにはいかねーぜ。お前さんの忘れられないひとを彷彿とさせる薔薇なんだろ? それが遅れたおわびだ。》 って、えー?! なになになに! なにこれー」

 ちょっとしまった、と言う感じで、そのあと、あきれたような顔でメールを閉じたシュウが言う。

「なぜ、どなたも勘違いなさるのでしょうね。特に女性に関して…。言っておきますが、ヴィアンというのは」

「はいはい、えーっと、鞍馬くんと冬里と、それから樫村さんもいたのよね。その頃に仕えていた領主のお嬢様よね」

「そうです」

 珍しく憮然とした様子のシュウを、物珍しそうに眺めていた由利香が言った。

「それはね、鞍馬くんが正真正銘のフェミニストだからよ。男女の区別なく、いえいえ、それどころか、この世のすべての生きとし生けるものがいとおしい~、…って、これ、どっかで似たような台詞聞いたことあるわね。ヤオさん元気にしてるかしら」

 シュウはあちこち飛びまくる女性特有の思考回路に苦笑しながらも、メールの内容から由利香の気がそれたことにホッとした。


「ヤオヨロズさんの事でしたら、冬里の方が詳しいですよ。…そう言えば、由利香さんは今日、椿くんと出かけるのではなかったですか? 」

「そうなんだけど、さっきちょっと遅れるって連絡が入ったのよねー。えーっと、でもそろそろ用意しなくちゃ」

 と、壁に掛かった時計をチラッと確認した後、鼻歌など歌いながら由利香は自分の部屋へと消えた。



 今回の訪問で、樫村にしては珍しい思い違いがあったものの、結局それは福となって由利香と椿の気持ちを近づけてくれることになった。

 あのとき由利香が宣言したとおり、今、2人は、結婚を前提としたつきあいをあらためて始めている。

 椿から色々相談を受けていた夏樹の喜びようは相当なもので、毎日のように、

「由利香さんまだ結婚とか言ってませんか? 」

 と、シュウや冬里に聞いてあきれられている。

「自分で聞けばいいじゃない」

 などと冬里に言われると、

「聞いても由利香さんは、まだ! の一言で終わりっすよ。椿に聞いても、由利香さんの気持ちを最優先にって言うし」

「じゃあ、まだなんじゃないの」

「ええー? ふたりならうまく聞き出してると思ったのになー」

 可笑しそうに答えた冬里に、ぷうーっと頬を膨らませる夏樹だった。



 用意を終えて部屋から出てきた由利香は、リビングに置いてある姿見の前で、髪型や服装をチェックしていたかと思うと。

「うーん、ちよっとバックが」

「チーク濃すぎたかな? 」

「ストッキングの色、おかしくない? おかしいわよ、うん! 」

 などとつぶやいて、そのたびに部屋へと戻る。

 何度目かに部屋へ戻ってしまったところへ、裏玄関からリビングへと続く扉が開いて、夏樹と一緒に椿が入ってきた。

「ごめん! 由利香。遅くなって」

「由利香さーん、椿が来ましたよー。って、あれ? 」

 準備万端で待っているはずの由利香の姿が見えないので、2人は不思議そうに、あちらへこちらへと目をやる。

「由利香なら、さっきからファッションショーしてて、今またお召し替え中」

 と、冬里が可笑しそうに言うそばから、またドアが開いて、由利香が出てきた。

「これでよし! あ、椿、来てたのね。ごめんね、待たせちゃった?」

「い、いや、今来たところ」

「わあお、椿、ジェントルマンねー。殿方は待たされてもそう言うべきよね」

「え? ああ、じゃなくて、本当に今来たから」

「そうなの? じゃあ行きましょ。ねえ、この格好おかしくない? 」

 くるりと回る由利香を見て、少し照れたように「おかしくないよ」と言う椿。由利香はその答えに満足して、2人は「行って来ます」と、仲良くお出掛けしていったのだった。




「あの様子だと、近いかもしれないね、夏樹が待ちに待っている結婚の報告」

「え?! ほんとっすか冬里! そう思いますか、シュウさんも」

 冬里がニッコリ笑いながら言うのを受けて、夏樹が嬉しそうにシュウにも確認する。

「いや、由利香さんはああ見えて、なかなか手強いかもしれないよ」

「ええー、そんなあ」

「また始まった、シュウの心配性。だーいじょうぶだよ、夏樹。遅かれ早かれ、結婚前提なんだからさ」

 ションボリする夏樹を冬里がなぐさめるという珍しい光景の後、シュウが言う。

「そろそろ私たちも出かけようか」

「はい! うー、久しぶりだから楽しみっす、アレンシェフの料理」

「僕もたのしみ」

「そうだね、冬里は初対面だものね」


 イギリスから帰ったあと、シュウは初代アレンの墓へ参ったことを、×市に店を構える子孫のアレンシェフに報告したいと思っていた。電話やメールでは伝えていたのだが、やはり直接会って伝える事が大切だろうから。

 それに加えて、ちょっとした土産物があったので、それも渡したかったのだ。


 今日もシュウの運転する車に乗って、×市まで行く。

 助手席には冬里。後部座席には夏樹が陣取ってなんだかんだとしゃべっている。今日は日曜日なのだが、世間一般で言うかき入れ時なのに『はるぶすと』はその日が休日だ。

「今日のランチは何っすかねー。やっぱ彼には初代アレンの血が脈々と流れてるんすよね。めっちゃくちゃ美味いんすよ、こっちのアレンの料理も」

「ふうーん、そうなの? 」

 後部座席の真ん中から乗り出して言う夏樹は、さっき「危ないよ夏樹、ちゃんとシートベルトしてる? 」と、シュウから注意されたばかりだ。もちろんきちんとシートベルトを着用しているが、話が乗ってくると、ベルトの可動範囲を蹴散らす勢いだ。

 やれやれ、帰りは冬里に運転を任せて、夏樹に助手席に座ってもらった方が良いですかね、と、シュウが思ったかどうか。車は順調にアレンの店が入る趣のある建物に到着した。


「いらっしゃいませ」

 予約をしてあったので、すんなり席に通されたが、昼食時を少し過ぎているというのに、店の横の椅子には順番を待つ客の姿がちらほらとあった。

 案内された席は、店の少し奥まったあたり。どちらかというと厨房寄りだ。後で話をしたいと希望を伝えてあったので、アレンが気を利かせてくれたのだろう。



「うーん…。大満足!っす。けどシュウさん。今日のメインって…」

「ああ、気がついた? 」

「もしかしなくても、初代アレンが残してくれたレシピを再現したものっすよね? 」

「そうだよ」

「でも、なんでですか? あのレシピはシュウさんしか知らないはず…」

 夏樹が指摘したとおり、今日彼らに提供された料理は、以前ここを訪れたときに初代アレンの遺品として、写真と一緒にシュウが受け取ったレシピを応用したと思われるものだ。

「私が彼にも渡したんだよ、あのメモのコピーを」

「そうなんすか」

「ああ、彼は初代アレンのDNAを受け継いでいる。その彼があれを見て作る料理を、どうしても味わいたくなってね」

「はあ…」


 すると、2人の話を聞いていた冬里がふいに「ふふっ」と笑う。

「まったく、シュウの飽くなき探究心にはまいるね。初代アレンのレシピを再現するだけでは飽きたらず、だよね」

「少し躊躇はしたけど」

 シュウが言いにくそうに言うと、そんなことはどこ吹く風と夏樹が話に加わる。

「俺はものすごく興味深かったです! 今度は俺も自分なりに手を加えてみたいっす。良いですよね、シュウさん! 」

「…ああ、楽しみにしてるよ」

「いやったー」


 そこへ、アレン本人が現れる。

「ようこそー、シュウ、ナツキ。Oh! そちらはトウリ? だね。お初にお目にかかります~」

 何とも風情のある日本語で挨拶するアレンシェフに、冬里がニッコリと微笑み返す。

「Nice to meet you, too. アレンのことは、この2人から聞いてます」

「ありがとう。良い噂だといいんだがね」

 と、パチンとウインクするアレン。

「当たり前っすよ! アレンシェフは良いところしかない人です! 」

 夏樹がすかさず言って、アレンシェフに感激のハグなどされている。

「ところで皆々様、今日の料理はいかがでしたか? 実はあの料理は初代が作り上げたものなんだよ、シュウから聞いたかい? 」

 そして、ちょっとイタズラっぽい顔を垣間見せて、アレンシェフが聞く。

「はい! 美味しかったです! 」

「うーん、中世の香りがする料理、でしたね」

 夏樹と冬里はおのおのそんな風に感想を述べたのだが。

「そうですね…」

 ただ、シュウだけは長いこと考える様子を見せる。


「シュウさん? 」

「シュウー、君の口にはあわなかったのかい? 」

 夏樹とアレンシェフがふたりして心配げに聞く。

「あ、いえ。私が考えているより、はるかにアレンの味に近かったので、嬉しくて。やはり貴方は彼の子孫ですね」

 するとアレンシェフは、可笑しそうに言う。

「アレンの味に近いって、シューウ、君はまるで初代アレンの味を知っているような口ぶりだねー。ああ、そうか、忠実にこのレシピを再現してみたのかい? 」

「…はい、まあ」

 少し歯切れ悪く言うシュウに微笑みながらアレンシェフが言う。

「そうだねー、僕も忠実に再現したつもりなんだけど。まあちょっぴりアレンジは入ってるかもね。けど、ひとりひとりニュアンスが違ってくるのは当たり前じゃないかね? 」

「そうですね。いつもながら勉強になります、ありがとうございます」


 そう言って微笑んだあと、シュウは「お渡ししたいものが…」と、鞄の中から何かを取り出した。

「これは? 」

 それは何の変哲もない封筒だったが、シュウがどうぞ、と言うように首をかしげたので、アレンシェフは中身を確認する。

 出てきたのは何かが書き込まれた紙の束。

 夏樹はそれを横から見て、いつもシュウが新作料理を書き留めておくレシピメモのように見えたので、不思議に思った。弟子?の夏樹にならともかく、アレンのように立派に自分の店を持つ者にシュウがレシピを教えるなんて。

 けれど、それは誤解だったとすぐに気がつく。

「この字は、初代アレンのものだね。以前、君にもらったレシピのコピーと同じだ! こんなにたくさん、これをどこで? 」

 なんとそれは、初代アレンが書き留めていた料理のメモだったのだ。

「はい。実は初代の墓に参ったときに、特別にお屋敷の中にも入らせて頂けたのです。と言うのも、私も驚いたのですが、初代が私…の先祖とともに映っている写真が、お屋敷に丁寧に飾られていまして」

「ほう」

「私を見かけたお屋敷の方が、写真から抜け出てきたようだ、と、たいそう驚かれて、ぜひご招待したいと、半ば強引に」

「ハハハ、」


 案内された屋敷の、現在使っている厨房は当然ながら最新式のものになっていたのだが、確かもういくつか厨房があったはず、と思いつつ、聞くわけにもいかないので、おとなしく案内されるままあちこちついて行くと、予想通り使われていない厨房があった。


「今は使われなくなった古い厨房を、少し興味がありましたので、お屋敷の方に了解をとってあちこち触らせて頂きました。そこで偶然見つけたのです」

「そんな事があったのかい。けれど、これはかなり保存状態がいいね」

「はい。彼らも奇跡のようだと感激していました。きっと初代がこれを残しておきたかった思いが通じたのでは、と」

「ううーん、だったらこれは、シュウ、君が持つべきものだよ」

 アレンシェフはそう言ってその束をシュウへ返そうとする。

「いいえ。これはエインズワース家が受け継ぐべきものだと、私は思います。それと、」

 と、少し面はゆそうにしながら、小さな声でシュウが言った。

「申し訳ありませんが、コピーは取らせて頂きましたし」

 その言葉を聞いて、目をまん丸くしていたアレンシェフが大笑いしだした。それは本当に嬉しそうな笑いだった。

「ハハハハ。真面目な顔をして、シュウは抜け目がないねー。わかったよ、これは私が大切に引き継いでいくよ。ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございます。初代もきっと喜ぶと思います」



 店から帰る車の中。

 帰りはシュウの思惑通り、冬里が運転席に、そして夏樹はチョッピリ緊張の面持ちで助手席に座っている。

「でもさ、シュウ。初代アレンのレシピ。コピーとってないよね? 」

 冬里が何気なく言う。

「え? そうなんすかー? うわ、残念っす。じゃあ俺、見せてもらえば良かった」

 すると夏樹が振り向いて、さも残念そうに言う。シュウはそんな夏樹にちょっと微笑むと、自分の頭を指さして言った。

「コピーはとっていないけれど、全部ここに入ってるよ」


「さーすが、シュウだね」

「……」

 冬里は答えを予想していたように言うだけだったが、夏樹は唖然としている。

「全部って、あれ全部覚えたんすか? 」

「ああ…。と言うより、タネを明かせば、すべて当時のお屋敷で出していた料理だからね。きっと夏樹も名前を見ただけで作り方がわかると思うよ」

「あ! そうなんっすか? 」

「そのうち、現代風にアレンジして、またメモにするつもりだから、それを見せてあげるよ」

「わかりました。楽しみにしてます! 」

 そう言うと、夏樹は本当に嬉しそうに笑ってまた前を向いた。


 そして、ナビを見ながら言う。

「えっと、今どのあたりっすかね。あれ? なんか帰る道から外れてるんすけど」

 すると、なぜか冬里がフッと微笑んだあと、

「あたりまえじゃない~、今向かっているのはね~この世界から隔離された…」

 と、いかにも恐ろしげな声で言う。

「え! どどど、どこ行くんっすか?! 嫌ですよ俺! シュウさん、シュウさーん」

 夏樹が涙目でまた振り返るので、シュウはため息をつく。

「まったく…、紫水 冬里」

「あれ? シュウってばまた本気モード? なんか最近メーターの容量どんどん減ってない? 」

「それは冬里のせいじゃないのかな」


 そんな2人のやり取りも耳に入っていないらしい夏樹は、「シュウさーん、シュウさーん、」と助けを求めている。

「大丈夫だよ、夏樹。また冬里が、わざと、伝えてなかったようだけど、このあと3人でフェアリーワールドへ行くことになっているんだよ」

「! 」

 その言葉を聞いた夏樹は、どん底からいっきに天国へと舞い上がったようだ。ババッと前に向き直ると、手を天に突き上げて言う。

「いやったー! 行きましょう行きましょう! こっちも久しぶりっすね。うるさいお姉様がいなくて寂しい、なーんて全然ないっす。さあて、なにに乗ろうかなー」

「ホントに、夏樹はお子ちゃまだね」

「そういう冬里も行ってみたかったんじゃないの? 」

「うん、だって、僕にとってはあっちもこっちも初めてだもん」


 何やら楽しげな会話とともに。

 以前に由利香と来たときとは逆のルートをたどって、3人を乗せた車は、湾岸道路をフェアリーワールドへと向かって行ったのだった。




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