前へ進め
「俺が先行する。ついてこい蒼也!」
「わかった!」
輝明が化け猫に向かって走り出し、続けて蒼也が走り出した。紅音はその場にとどまり六角形の盾を蒼也と輝明の周囲につける。
「ガァ!」
化け猫はその巨体からは想像しがたいほどのフットワークで右に左に俊敏に動きながら小さな火の玉を放つ。火の玉は全て紅音の盾に防がれるが、牽制の効果は十分過ぎるほどあり、輝明と蒼也は化け猫に近づけないでいた。
輝明は化け猫の動きを見て立ち止まると悔しそうに舌打ちをする。
『この動きにスピード……不用意に近ずくとカウンターをもらう事になるな』
輝明はハンドサインで蒼也に止まるように指示をする。蒼也もハンドサインに気がつくとその場で静止する。
輝明は化け猫の動きを注意深く観察するがやはり動きが読めずに頭を抱えた。
「こうも猛スピードで動かれたら勇気の弓はもちろん接近戦もままならない。あの化け猫、こんな奥の手を隠してたのかよ……こうなったらカウンター覚悟で攻めるしかないか?」
「それだとリスクが大きすぎる」
輝明は化け猫を見失わないように目で追いながら蒼也に言った。
「なにか策でもあるのか?」
「まあ、ね」
化け猫はさらに攻撃、防御、回避、全てのタイミングをずらすように独特な間をした動きを始める。
『くっ! ユラユラと気持ちの悪い動きね』
「…………!」
さらに化け猫の周囲から音が消える。化け猫の能力、《無音》の発動により化け猫の気配はほとんど消えてしまう。ゾッと背筋の凍るような緊張感が三人に走る。
「くそっ、化け猫の攻撃がまったく読めねぇ……」
「だったら盾の枚数を増す!」
無音の暗殺者はナイフのような爪をただ標的を殺すために振るう。
対して紅音は盾の枚数を六枚から倍の十二枚まで増やす。そうする事で、ズレたタイミングと位置を強引にカバーする。
何度か不意打ちを食らうが、続けて強引に防御を成功させる。
「急に本気を出してきた……窮鼠猫を噛むって奴ね」
こんな不安定で強引な防御はいつまでも保たない。その事を理解していた紅音は徐々に焦り始めていた。
そんな紅音の様子を見た輝明は、化け猫を目で追いながら少しふざけた口調で紅音に話しかける。
「噛んできたのが猫なのは秘密な」
自慢げに言う輝明に紅音は呆れて肩から力が抜ける。
「うるさいツンツン頭。揚げ足とってないでさっさとあの化け猫始末してよ」
「寝癖針地獄とでも名乗ろうか」
「馬鹿の相手は疲れるわね……」
毒づく紅音だが表情には余裕は見られない。これ以上は逆効果と判断した輝明はふっと短く息を吐き出し、気を引き締め直す。
『……余計な力は抜けたけど、限界が近い事には変わりないな。やっぱあの黄金の盾の生成は痛手だよな』
輝明の予測通り、黄金の盾を作った消耗があまりにも激しすぎたのだ。その上紅音は初めての戦闘で精神の磨耗が通常よりもはるかに早い。
紅音の苦しそうな表情からその事に気がついた蒼也は紅音に質問をする。
「……盾宮さん、盾はあと何枚まで作れる?」
「ごめん、これが今の限界。これ以上は無理……どころかいつまで持つかも分からない」
「いや、それだけあれば十分だよ」
そう言うと蒼也は新しい武器を作るために、左手を掲げ手の平を広げる。
「輝明は盾宮さんの近くにいてくれ。僕が化け猫を誘い出す」
「どうすんだ蒼也」
「化け猫を爆発の槍で誘導する。盾宮さんは二時の方向にすべての盾を集中してくれ」
「……わかったわ」
「輝明は大技の準備を」
「おっしゃ! まかしとけ!」
蒼也は二人に支持をした後、頭上に十を超える数の爆発の槍を作り出す。
「いけ!」
「グルゥ……」
蒼也の合図と共に宙に浮いた一本の爆発の槍は化け猫の足元に着弾する。
しかし化け猫は爆風に身を任せながら回避をする。
「次!」
続けて何発も爆発の槍を化け猫に放つ。
しかし、爆発の槍は一発も当たらない。それどころか爆発で砂埃が立ち視界を防いでしまう。
紅音は視界を失い、さらに化け猫の《無音》も合わさり完全に化け猫を見失ってしまう。紅音は状況の悪化に不安を感じ、蒼也へ進言する。
「矛峰、こんなに視界が悪かったら防御が……」
「大丈夫だ。紅音さんは蒼也を信じてただ前を見てればいい」
しかし、その言葉は輝明にさえぎられる。紅音は輝明の言葉に納得できず反論しようとする。ただ前を見ているだけで何ができる。どこから来るかわからない攻撃に対してどう対応するのか、と。
だが、輝明の異様な雰囲気を放つ背を見て紅音は黙ってしまう。
『こいつら、本気だ……』
その背中に宿る覚悟に、気迫に、殺気に、思いに、彼女は圧倒されたのだ。
「くるぞ、構えろ盾宮さん」
蒼也の言葉に紅音はハッと我に返る。
我に返った紅音に待ち受けたのは無音の恐怖。前、後、右、左、どこから来るのかもわからない攻撃に、紅音は恐怖していた。必然的に注意が散漫する。
しかし、二人の背中を見ると、紅音はふと二人の言葉を思い出した。自分にできる事を思い出す。
『……落ち着け。二人は言った。二時の方向、前だけ見ていればいい。恐怖を捨てて盾を一か所にまとめろ』
紅音は十二枚の盾を一か所にまとめる。
その時、紅音の頭の中に鋭い痛みが宿る。限界が近いことは明白だ。
しかし、ここで倒れるわけにはいかない。傷けられた親友のために。自分を救ってくれた少年のために。
『何より、私を肯定してくれた人たちのために』
突然、紅音は頭の中で何かが繋がった感覚がした。いや、暴走により外れてしまった物が元に戻ったと言うべきかもしれない。
「違う、一ヶ所にまとめるんじゃない。一つにするんだ。それが、六角形の盾の能力なんだから」
そう、六角形の盾は個々で真価を発揮する盾ではなかったのだ。繋がることで、一つになることで、初めてその真価を見せる。
「これなら行ける!」
脳裏に浮かぶ能力の使い方に従い、右手に意識を集中し、開いた手のひらをゆっくりと閉じる。すると十二枚の六角形の盾はお互いに繋がり合い、大きな一つの盾となる。
「………………!!!」
化け猫が無音の殺気を放ちながら、砂埃から姿を現す。凶器の炎をまとった化け猫の刃爪が、背を向ける蒼也を襲う。
「……矛峰!!」
紅音は大声で蒼也に叫ぶ。そこで紅音は蒼也が笑っていることに気がついた。
勝利を確信した、余裕を見せるような微笑みだった。
『知っていたよ。前に同じタイプの奴と戦った事があってね。どうやら嗅覚で感知する事に変わりはなかったみたいだね。だったら僕の爆発の槍で誘導されたお前は、そこから攻撃してくる、ってね』
蒼也の思惑通り、化け猫は二時の方向から姿を現したのだ。爆風で視界を奪われたのはなにも紅音たちだけではなかったのだ。砂埃は三人同様に化け猫からも視界を奪う。
さらに三人に関しては視界を失う事で化け猫のフットワークに惑わされる事がなくなるという利点もある。つまり、砂埃から出てきたところを防御してしまえばいいのだ。
爆発の槍で化け猫の位置を誘導すれば視界を失った化け猫は嗅覚で判断した最も近い位置にいる人物を攻撃する。
そう、砂埃で視界を失った化け猫は紅音の盾に気がつかずに攻撃を仕掛けてくる。
「盾宮さん!!」
「わかってる!」
紅音の巨大な盾と化け猫の焔を纏う爪はぶつかり、激しい火花を散らす。
「ガァ、ガァァァァ!!!」
「くっ!」
あまりの衝撃に紅音は一歩後退する。獄炎を司る破滅の爪は、紅音の皮膚を焦がす。
紅音の心の中を恐怖心が支配する。死の恐怖は人を硬直させ、無力にさせる。
『焔……血の匂い……殺意……この感覚、あの時と……《血の海》の記憶と被る……』
瞬間、脳裏に浮かんだのは鉄臭の記憶。
死の記憶。
鮮血の記憶。
灼熱の記憶。
紅音の頭の中でなんども《血の海》の記憶が恐怖とともにフラッシュバックする。
喉に吐き気の塊が込み上げる。激しい頭痛が襲う。
「こんなッ……この程度で……」
「盾宮さん!」
しかし、そんな恐怖を目の前にしても紅音の目は死んでいない、死なない。戦意を失うこと無く、燃え上がる。
「今は……今の私には、力がある!!」
紅音の闘気に呼応するように巨大な盾は激しい青色の輝きを放つ。
「ガァァァァ!」
『引くな! 前へ、前へ進め!!』
一歩、前へ進む。
頭痛に襲われ、身体中に傷を負い、忘れられない不幸を思い出し、それでも前へ進む。
勝利への一歩をふみだす───────!!
「吹き飛べぇぇ!!」
「ガァ……アァ……ァァア!!」
青い盾はさらに発光し不可視の衝撃波を放つ。衝撃波は化け猫の焔の爪を体ごと弾き飛ばす。
吹き飛ばされた化け猫は宙を舞い、完全な無防備となる。
しかし、紅音自身も反動で大きく飛ばされてしまう。半壊したアスファルトの道路を勢いよく転がる。当然、紅音の身体中はアスファルトの破片で傷つけられ、体中に様々な種類の傷を負う。
『くそ……意識が……』
やはり紅音はすでに限界を迎えており、六角形の盾はその実体を保つことができずに霧散してしまう。
「盾宮さん!」
「……くっ」
盾は消失してしまったが蒼也の叫びもあり、紅音は何とか意識だけは保たせた。
紅音はボロボロの体に鞭を打ちながら上体を起こすと必死に叫ぶ。
「大丈夫……それよりもトドメを!!」
「ああ!」
「ナイスだぜ、紅音さん!」
紅音の盾から発せられた衝撃波により、完全に無防備となった化け猫に輝明、蒼也の順に猛スピードで接近する。
「こいつで……!!」
輝明の持つ白い長剣、勇気の剣から光が漏れ出す。無垢な光は善も悪もなく、ただ目の前の敵を葬るために輝く。
輝明は宙に浮く化け猫の真下に潜り込むと猛烈な勢いで飛びながら長剣を振り上げた。
「獅子白牙!!」
「ギ、ガ、アアアアァ……」
獅子の牙は化け猫の腹を直撃する。白い剣線をまともに食らった化け猫は真っ赤な鮮血をまき散らしながら、真上へ数メートル飛ばされる。
「ガアアアアアアアア!!!!!」
それでもまだ化け猫は死なない。鮮血で真っ赤になった体を震わせながら業火を口内に溜める。その真紅の火球は着弾すればこの周囲一帯を消し炭にするような圧倒的な火力を内包していた。
しかし、そんな圧倒的な力を目の前にしながら蒼也は笑っていた。
絶望した諦めの笑みではない。
その笑みは勝利を確信した時のものだ。
「蒼刃の大十字槍」
蒼也は右手に作り出した蒼色の巨大な十字槍を手にすると、腰を落とす。素早く狙いを定めるとぐっと体をひねる。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
ひねった体を一気に引き戻し、落とした腰をバネのように勢いよく伸ばす。力が最大まで溜まった瞬間右腕から全力で十字槍を投擲する。放たれた十字槍は蒼い一筋の光となり、流星のような勢いで化け猫へと突き進む。
「…………!!」
化け猫は回避や防御はおろか、声を上げることさえなかった。十字槍は灼熱の業火をも穿つとそのまま化け猫の頭部を貫通し、まるで大地から空へ昇る流星のように空に青い線を描いた。
「がぁ、ぁぁがぁぁあぁ……」
頭部を貫かれた化け猫の体はボロボロと崩壊を始めた。風に乗せられるように化け猫は消えていった。
蒼也は緊張が解けたのかふぅ、と重い溜息を漏らす。
「なんとかなったか……」
「ナイス蒼也、紅音さん。お疲れ様」
「……お疲れ様」
紅音は表情には出さないが素直に喜んでいた。気が抜けたのか起こしていた上体を勢いよく倒してしまう。アスファルトでついた傷が痛むのか、少し顔を歪ませる。
「……っ!」
「大丈夫かい?盾宮さん」
「……いや、ダメっぽい……意識、が……遠く……」
紅音は重い目蓋をなんとか持ち上げようとする。
しかし、ほっと安心してしまった所為かここまでの疲労全てが目蓋にのしかかり、ゆっくりと閉じてしまう。
「……」
「……盾宮さん?」
蒼也は紅音が突然黙ってしまったので慌てて紅音の元まで駆け寄ると手首に手を当てて脈を測る。蒼也は紅音の命に別状がない事を確認すると安心して溜息をつく。
「学校でまた会おう、紅音さん。次会う時に色々と説明するよ」
紅音の体は徐々に実態を薄め、やがて消えてしまった。蒼也が言っていた通り、恵美と同じく《この世界》から《元の世界》に戻ったのである。
蒼也は紅音が消えるのを見送ると、化け猫の消えた場所を見ていた。
「……蒼也」
「あぁ、分かってる」
蒼也の体が紅音と同じく実態を失っていく。蒼也はこの世界から消える瞬間、自分に言い聞かせるかのように呟いた。
「正真、待っていてくれ……必ずお前のいる世界に作り直してみせる」
徐々に薄れる蒼也の背中からは決意が溢れていた。殺意にも似た、固く、鋭く、青く、黒い決意─────




