変わった日常
ピピピピピピピピ…………ピ
午前七時、目覚まし時計が控えめな音を鳴らす。しかしその音は五秒と待たずにすでに起きていた少女によって消された。
「……おはよう」
少女は目覚まし時計に挨拶をするほどいい気分だった。
それは土曜日の朝だからなのか、それともこれから友人と会うからか、理由は本人にも分からないがとにかく気分がいい。
テレビをつけてニュースにチャンネルを合わせると、独裁国の増加とテロによる国民の不安など世界情勢の不安定感が強く報道されていた。
ただ、その情報も今の少女の頭には残らない。今は気分がいい。朝食を食べながら大変そうだと他人事のように聞き流し、食べを終えるとテレビを消して出かける準備を始めた。
服を選ぶのに三十分、髪を整えるのに三十分、苦手な化粧に挑戦して一時間。あっという間に二時間が経って午前九時。
苦手な化粧は上手くできなかったので、すっぴんで行くことにした。そもそもまだ学生の身分だし、あまり化粧をしすぎるのもよくないだろう、と自分に言い訳をして荷物の準備をする。
ものの数分で準備を完了させると鏡の前に立つ。最後に気になる点を微調整し、よし、と気合を入れて少女は玄関へと向かった。
液晶パネルに手をつけて解錠すると、いつものように「行ってらっしゃいませ」と機械音声が流れる。
「行って来ます」
いつもより元気な、まるでトリップでもしているかのような返事。もしも玄関の機械音声に感情があったなら、エラーを起こすほど驚いていたことだろう。
こうして少女の……紅音の退屈だった朝は終わった。
◆
集合場所である三之宮駅内に到着した紅音は、天井からぶら下がっているスイカほどの大きさの銀の鈴を見上げる。
銀の鈴、通称銀鈴は待ち合わせの目印としてよく使われるらしいが、基本的に公園で待ち合わせをする恵美としか遊ばない紅音は先日初めてその存在を知った。
身近なものでも視点を変えなければ見えないものもあるものだ、などと適当に考えるとチラリ、と誰にも悟られないように腕時計を見る。時刻は午前九時半を少し過ぎたあたり。集合時間は十時なのでまだ三十分弱の余裕がある。
『早く来すぎたわね』
軽くため息を吐くと紅音は二体目の《矛盾獣》との戦闘の後を思い出していた。
矛盾世界から戻った紅音は先に戻っていた輝明と恵美の二人と合流し、蒼也の帰りを待った。
帰ってきた蒼也は何かを隠しているようだったが、全員が疲弊していたこともあってその場は解散した。その後、学校で蒼也から次の土曜日に話がしたいからと、二人で三之宮で喫茶店に行くことになったのだ。
そんな状況で、紅音は心に燃え盛る炎を灯していた。
『これはチャンス……紛うことなきチャンスだわ。ここでいい感じに遊んでいい感じに話をできれば完璧な友人となるはず……!』
やる気の矢印がどこを向いているのか、その方向で合っているのか、残念ながら紅音の周囲にエスパーはいないため、紅音を止める者はいなかった。
「あ、こうちゃんだ。早いね〜」
密かに燃える紅音は自分を呼ぶ慣れ親しんだ声にふと我に帰る。前を向けばそこには先日の戦いで《黒薔薇》の《矛盾》に覚醒した唯一無二の親友、恵美だった。
「奇遇ね」
「ん? 奇遇というか必然というか〜……」
紅音は、おや、と一瞬何かが引っかかった気がするが気のせいだろうと奇妙な感覚を他所へ追いやる。
「まぁ銀鈴集合は鉄板よね」
「それはそうだね〜」
「あれ?」
やはりなにかすれ違っている。紅音はその疑問を口にする前に今度は後方から呼びかけられる。
「早かったな二人とも」
「輝明くん。おはよう〜」
「ん。はよっす」
輝明はリンゴが入りそうなぐらい大きく口を開けてあくびをする。そんな呑気な輝明の様子を見て、紅音は一人困惑していた。
あれ、なぜさも当然のように二人とも集まってるの? と。
ここまで綺麗に揃っていると嫌でも全てを察してしまうものだが頭がその事実を認めたくないようで。なんとかその結論を否定する材料を探そうとするも、それは新たな刺客によって簡単に阻まれる。
「僕が最後みたいだね」
と、輝明と恵美がいることがさも当然のような口ぶりで犯人は現れた。
あろうことか、この野郎は紅音にだけ他に誰がくるのかを伝え忘れていたのだ。
「はよっす」
「おはよ〜」
「おはよう」
人の気も知らずに挨拶を交わし合う三人。そこに何事も無かったかのように平然と混じる蒼也に、ため息まじりに紅音は言ったのだった。
「蒼也、タンスの角に小指をぶつけてみるかはない? 安心して。きっと最高級のタンスを用意してみせるから」
「なんで!?」
そのあまりにも理不尽な要求に蒼也は叫ばずにはいられなかった。
所変わって喫茶店。
全ての事情を察した蒼也は、不機嫌そうにジト目で睨んでくる紅音にコーヒーを一杯奢ることにした。それでも紅音の機嫌は直らなかったが、ひとまずは許された。
それぞれ飲み物を注文して店の端の方にある四角い机に四人は座る。座席には蒼也と紅音、輝明と恵美がそれぞれ向かい合う形で座ることにした。
「それで、話ってなに?」
「刺々しいなぁ……」
言いながら蒼也はそれは普段からか、と失礼極まりないことを心中で呟く。
「恵美さんと紅音さん……二人の今後の話をしたくてね」
「今後って、なんの今後よ?」
「矛盾世界でのことだよ。二人はもう戦う理由ないだろうし、今後は戦いに参加しないってことでいいかな?」
なぜわざわざそんな質問を? と、紅音は考えを巡らせる。蒼也には紅音や恵美に戦いに参加してほしくない理由があるはずだからだ。
『たぶん私たちを心配して、ってことじゃないわね……』
紅音はコーヒーをかき混ぜながら蒼也の表情を観察する。蒼也はどんな返答を求めているのか、どう返事をされると困るのか、考え、感じ、読み取る。
蒼也の表情はいつもの仮面を被ったような作り物の笑顔。だが、作られたモノには、作り手の心が宿るものだ。
それを見抜けないほど、紅音の勘は鈍くなかった。
『ライバルが増えるのが嫌……ってところね』
現在の状況を分析することで相手が目的に至るために使っている手段を見つける。そして、手段がわかれば目的を逆算できる。
目的がわかればそれを逆手に取ることもできるというもの。紅音はようやく知りたかったことを知るチャンスを得たのだ。
紅音はここぞとばかりに一歩踏み込んだ質問をする。
「そういえば……私、まだ蒼也の願いを聞いてない」
「僕の願いは関係────」
「ないわね。ただの興味本位よ。だけど……」
コーヒーを混ぜる手を止めて、紅音はなんでもないように言う。
「私はこれからも矛盾世界で戦うわ。そして、私の目的と蒼也の願いが同じならチームに入れてもらえると嬉しいんだけど」
「は!?」
「え!?」
先ほどまで黙って聞いていた輝明と恵美は声を上げて驚いた。蒼也も驚きはしていたようだがそれを表に出すことはしなかった。
紅音は重ねて強く言った。
「願いが叶う、そのチャンスがあるなら手を伸ばすわ。誰だってそうよ」
平然と紅音は嘘をついた。清々しいほどの真っ赤な嘘だ。紅音は願いなんて持ってないし、あっても命をかけるほどのものではなかった。
ただ、前半の興味本位というのは本当だ。蒼也という人間を知りたい。そのための揺さぶりだった。
「話してくれない? 蒼也の願いを」
「敵に回るかも知れない人に話はできないよ」
「そうかも知れないわね。話さなかったら確実に敵同士。でも、話したら味方になるかも知れないわよ」
なんでもないようにコーヒーに口をつける紅音に、蒼也は軽く苦笑いを浮かべる。
この瞬間、この喫茶店の隅っこは間違いなく戦場だった。いかに相手の情報を引き出すか、自分の情報を守るか。卓を挟んでの頭脳戦。
どうしてこんなことになってるの? と、恵美は視線で輝明に問いかけ、よーわからんと、輝明は首を横に振った。
紅音と蒼也、互いに人付き合いを考えてするタイプだからこそ起きてしまった悲劇だと、素直な人間関係を築いてきた輝明と恵美には分からなかったのだろう。
いや、誰かさんは分からないふりをしているのかも知れないが。
「なるほど、ね。分かった。僕らの願いを言うよ。たしかにそれが最善策みたいだ」
「なんだ、もっと渋るかと思ってた」
退屈そうに息を吐く紅音に蒼也は笑って返す。
「これ以上粘ってもいつか聞き出されてしまいそうだしね」
紅音は以外と簡単に折れた蒼也に、少々拍子抜けをしてしまう。
蒼也は絶対叶えると言いながら、輝明は次の機会でもいいのではと平気で言う。そんな二人の温度差から紅音は未だに願いに対する執着心が理解できずにいた。
蒼也は顎に手を当てて数秒考え込むと、よしと小さな声で地震に気合いを入れる。たとえ蒼也と言えども緊張するときは緊張するようだ。
「それじゃあ、僕らの願いを伝えるとしよう。願わくば、これを聞いた紅音さんが同士になることを、あるいは戦いへの参加を考え直してくれることを祈っておくよ」
紅音が興味本位で聞いた蒼也の願い。その行動が、紅音と蒼也の運命を決定させ、恵美を戦地へと導き、輝明は宿命を背負うことになる。
世界はこの瞬間、たしかに変化へと一歩進んだ。戻れない道へ、引き返せない道へ。
「僕の願いは、矛盾世界の破壊。矛盾世界を無かったことにしてこの世界を一から全てやり直すことだ」




