山か海か
「まさかこんな事になるなんて……」
放課後、ホームルームが終わってすぐに蒼也はいつにも増して面倒くさそうな表情でうなだれていた。
昼休みに輝明が校内で迷い、職員室で保護されたわけだが、蒼也は事情を話すようにと先生に呼び出しをくらっていたのだ。
『紅音さんに用事があると嘘の理由を言って集合場所を校舎裏にしたけど、まさか本当に用事ができるとは思ってもみなかった』
どうやら輝明は最初のうちは生徒と嘘をついて校内を案内をしてもらおうと思っていたが、話している過程でここ市立戸神西高等学校の生徒でないことがばれてしまったようだ。不審者と疑われた輝明はなくなく蒼也の知り合いだと話したらしく、その事実が正しいかどうか確かめるために蒼也は職員室に向かうこととなった。
文句を言っていても仕方がないのでとにかく準備を始めた蒼也に、後ろから少女の声が聞こえた。
「大変そうね蒼也」
声につられて蒼也が振り向くと紅音と恵美がすぐ隣に立っていた。
「なんだ、ハーレムルート突入か蒼也? ヒューヒュー」
ついでに真後ろの席には野次馬こと清春もいた。
きっと相手にすると付け上がるので、蒼也は清春をそっとしておく事にした。
「紅音さんに恵美さん、誘ってもらったのに待たせちゃってごめんね」
「え、スルー?」
「大丈夫、ゆっくり待ってるから焦らなくてもいいよ〜」
「ありがとう。それじゃあ職員室に行ってくるよ」
そう言うと蒼也はカバンを持って職員室へと向かっていった。
「アイスエイジ……」
相手にされず悲しみを抱く清春は心に到来した氷河期に耐えることしかできなかった。
そんな可哀想な清春を見かねた恵美は一緒に帰ろうと誘うことにした。
本音を言うと蒼也がここまで人をぞんざいに扱う事が珍しく思えたので、その理由が知りたいというのもあるのだが。
「清春くんもどう〜? 人数は多ければ多いほどいいと思うんだけど〜」
「我が世の春が来たァ!!」
血が出るんじゃないのかという勢いでグッと拳を握りながら叫ぶその姿は春を過ぎて夏真っ盛りな気がしないでもない。とにかく熱いし暑い。
恵美はそんな暑い清春にどう対応したらいいのかわからず、とりあえず一緒に喜んで見る事にした。
「よ、よかったね?」
清春は若干恵美が引き気味であることを悟ると、清春はツッコんでくれる友人もボケを返してくれる悪友もいないことを思い出し我に返って恥ずかしそう言った。
「……と、誘ってくれるのは嬉しいんだけど今日用事あるから先に帰らせてもらうわ。それじゃまた明日」
「う、うん。それじゃまた明日」
恵美は清春の後ろ姿に向かってヒラヒラと手を振ると紅音に向かって言った。
「それじゃ、私たちもいこっか〜」
「そうね」
そうして二人は校舎裏へと向かった。
その頃、職員室の端にある簡易の壁で作られた応接の間では輝明が回るタイプの椅子に座りながらクルクルと回っていた。
「ちぇー、どう考えたって不審者じゃないに決まってんじゃん。なんでこんなところにいなくちゃいけないんだよ」
ぶーぶーと子供のように文句を垂れる輝明に紅音たちの担任の女教師、王は呆れ顔で答える。
「他校の生徒がウチの制服着て入ってきてたら事情を聞きたくなるわよ。親の連絡先も言わないしどこの生徒かも言わないしで、困ってるのはこっちなんだから」
「だから言ったじゃん、制服は蒼也に借りた。親はいない天涯孤独。高校には通ってないですって」
「じゃあアンタ今何やってんのよ」
「勇者やってる」
真顔で答える輝明に、王はぺちんと額に手を当てるとジョブが勇者ってゲームの主人公かよ、と胸の内でツッコむ。
しばらくすると職員室のドアからコンコン、とノックが鳴りドアが開いた。
「失礼します、二年E組矛峰です。王先生に呼ばれてきたんですけど」
「こっちだ矛峰」
王は応接の間から顔と手だけを出して蒼也を手まねきした。蒼也は王の指示に従い応接の間に入っていく。
「おす、蒼也」
のんきに笑う輝明に蒼也は力のない苦笑いで応えた。
輝明は蒼也のなんとも言えない表情に、言い訳をするように言った。
「いや〜、ここまで来たついでに蒼也のクラス覗こうと思ってたら面白そうな教室をたくさん見つけてさ。気がついたら職員室にいた」
たぶん高校の美術室とかパソコン室とかは輝明にとって珍しくてワクワクしちゃうんだろうな、夢中になりすぎて自分がどこにいるか分からなくなっちゃったんだろうな、と蒼也は適当な予測を立てる。
蒼也はバカな戦友の愚行を王へ謝罪する。
「…………すみません先生、友人が馬鹿な真似を」
「え、本当に友人なの? このイガグリ庇ったところで矛峰になんのメリットもないし嘘つかなくともいいのよ」
「そこまで尖ってない!」
「じゃあモミジバフウの実か?」
「大して変わらないじゃないか!」
モミジバフウとは別名アメリカフウと呼ばれるフウ科フウ属の植物である。歩道に落ちてるイガイガした木の実、と言えば伝わる人も多いだろう。とにかく王からすれば輝明はイガイガした果実らしい。
そんな二人の口喧嘩(?)を見て、蒼也は強く思うのだった。
『僕はウニを推薦する』
山ではなく海を推したい蒼也であった。
その頃、校舎裏で蒼也を待っている紅音と恵美は暇を持て余していた。
「遅いね〜」
「退屈ね」
「私は紅ちゃんと一緒だと楽しいよ〜」
恵美の突然の不意打ちに紅音はふい、と恵美に背を向けながら小さな声で呟いた。
「…………うるさい」
「紅ちゃん照れてる〜」
「照れてない」
紅音は恥ずかしさのあまり、そのままツンと背を向けたまま動かなくなってしまった。悪意には強いのに好意には弱い難しい性格の持ち主である。
その様子を見た恵美はチラリと校舎の窓を覗いた。すると嬉しそうに微笑む紅音の顔が映り込む。
『よかった……また紅ちゃんに笑顔が戻って』
恵美は嬉しそうに微笑むと、笑顔を忘れる前の紅音のことを思い出した。
小学生の頃は優しくて、明るくて、思いやりのある、紅音はそんな普通の女の子だった。
変わったのは小学校から中学へと進級する春休みのことだ。
海外旅行中に巻き込まれたテロ事件。
恵美は詳しいことは知らないが、両親を亡くしてしまったということは聞いている。
《血の海》と呼ばれるソレは紅音の全てを変えてしまった。
数度にわたる自殺未遂。極端に減った口数。人を突き放すような口調。絶望した瞳。
一年が経ち、中学二年に進級してからは自殺を試みることもなくなり精神状態は安定したものの、すでに紅音はクラスから、いや、学校から孤立していた。
「あれ? 眠り姫と恵美じゃん。こんなところで何してんの?」
男の言葉にはっと恵美は意識を現実へ向けた。
周りを見てみるとクラスの三人のガラの悪い男が笑いながら話しかけてきていた。
当然ながら紅音は毛を逆立てる猫のように警戒心満タンの表情で男たちを睨んでる。
紅音は恵美を背に隠すように移動すると三人の男に威圧的に言った。
「何か用? 私たち、人を待ってるの。用がないなら話しかけないで」
「あ? なんか俺ら気にくわないことした?」
「こ、紅ちゃん……別に何かされたわけじゃないしそこまで言わなくても」
確かに恵美の言うとおり何かをされたわけではない。紅胸は言い過ぎるのは悪い癖ね、と胸の内で呟くと頭を下げた。
「…………ごめんなさい、言いすぎたわ」
頭を下げる紅音を見て三人の不良はニヤニヤと笑いながら言った。
「いや、まぁ別にいいんだけどよ。ただこんな人目のつかないところで可愛い子が二人も揃ってたら何もしないのは罪だよな?」
「前言撤回するわ。消えろカス」
「切り替え早すぎね?」
スピード違反でUターンをする紅音にさすがの男たちも呆れを隠せなかった。
しかしすぐに先ほどまでの悪い笑顔を取り戻すと、三人の男は紅音たちを追い詰めるようにジリジリと距離を詰め始める。
「……や、やめてください」
「や〜めない。大丈夫、一緒に気持ちよくなるだけさ」
男たちの目は下心に溢れており、恵美の背筋が恐怖で凍る。
紅音はチッ、と舌打ちをするとなんとかこの状況を覆そうと辺りの様子を注意深く観察した。すると不思議なことに意識を集中させた物からいくつかの情報が脳裏に浮かび始めた。
『なにこれ? 鉄、アルミ、木……周囲にある物体の素材が脳裏に浮かぶ』
紅音は不思議な力に疑問を抱きつつも今は悠長に考えている暇は無いと、改めて男たち見据える。すると、三人の男の手から未成年者にはありえない情報が出てきた。
紅音はわずかに苦笑いしながら言った。
「ニコチン、タール、それにこれは……なるほど、アンタたちタバコ吸ってるでしょ」
「お、正解。どうしてわかったの?」
「……匂いでわかるわ」
紅音は適当な嘘をついて誤魔化しながら、一つの作戦を思いつく。
ニヤニヤと余裕を見せる男たちに紅音は力強い声で言った。
「交渉を提案するわ」
「交渉?」
「そう。私たちはアンタたちがタバコを吸っているという事実を黙秘する。その代わり私たちを見逃して。もちろんここで私たちに乱暴をすれば全て先生に言いつける」
「……へぇ。アンタ、顔は可愛いのに全然可愛くないね」
「媚びを売るのは得意じゃないの」
男は紅音の言葉に眉をピクリと動かすと低い声で言った。
「だけどここで見逃したところでお前らが黙秘するとは限らないだろ」
「あら、案外頭の回転は速いようね。そのまま頭蓋骨との摩擦で燃え尽きればいいのに」
物理的に脳が回転している事にされた男たちは眉間に深いシワを寄せながら言った。
「あんまり俺らを甘くみんなよ……というかちょくちょく毒吐くのやめてくれない? 地味に傷つくわ」
男の一人はそう言いつつポケットから手に収まるサイズの長方形をした機械、携帯を取り出した。男が表面をタッチするとフォン、という機械音と共に携帯の頭から空中にホログラムの画面が浮かび上がる。
そこで男はニヤリと笑うと廃棄された机の上に携帯を置いた。
「頭が良さそうな二人なら俺が何をする気なのか分かるよな?」
目的は当然撮影。男は紅音と恵美に乱暴をしている様をビデオで撮ると言っているのだ。
紅音はその事実を察すると眉間に深いシワを寄せた。
「…………とことん下衆ね」
「いつまでそんなことを言えるか楽しみ────!!?」
男が全てを言い終える前に男の顔面は地面に叩きつけられていた。
「がっ……ふっ……!?」
「悪人ってのはどこの世界にもいるもんだな」
まるでギャグ漫画のような勢いで地面に突っ伏した男の後ろでは、輝明が余裕の表情で立っていた。
「アンタは確か……輝明ね」
「よっ、二日ぶりだな紅音さん」
文字通り突然現れた輝明に、紅音以外のその場にいた全員が呆然とした。
そもそも在校生でない輝明を知る人物はこの場に紅音だけなので、お前誰? と誰もが思っていただろうが、あまりにも派手な登場にその言葉すら出てこなかったようだ。
「だから日に二度しか移動できないんだから慎重に使えって言っただろ」
さらに校庭の陰からもう一人、蒼也が最近癖になりつつあるため息を吐きながら出てきた。
どうやら輝明は蒼也の忠告を聞かずに、矛盾世界と現実世界を行き来する方法を使い一瞬にして男の背後を取り、そのまま押し倒したようだ。
蒼也がやれやれと首を振る一方で輝明は満足げに頷きながら楽しそうに話す。
「やっぱり勇者の登場は悪の手先から姫を助けに来るってのは盛り上がるシーンだよな」
「勇者なら魔王を倒せ、魔王を」
呆れて首を振る蒼也に、呆然としていた男の一人が我に返ると蒼也の背後から拳を振り上げる。
「んだテメェ!」
しかし、蒼也はその拳に視線を向けないどころか、振り向くこともせずに腕だけを動かして男の拳を受け止めた。
「な……」
「悪いね、空間把握には自信があるんだ」
「……ば、……」
化け物────男はそう口にしようとするが蒼也に拳を強く握りつぶされ短い悲鳴とともに後ずさった。
男の拳から手を離した蒼也はクルリと男の方に向き直ると少し明るめの声で言った。
「申し訳ないけど、この二人は僕と一緒に帰る約束をしてるんだ。ここは一つ、引いてくれると助かるよ」
「んだと!」
蒼也の言葉に逆上した男は、地面から立ち上がりながら蒼也に殴りかかろうとする。
しかし、その勢いもすぐに止まってしまった。
男の動きを止めたのは、蒼也の放つ冷たい視線だった。
次に何をしてもおかしくはない、何をされても不思議ではないと確信できるほどの暴力に慣れた目だった。
そしてもう一度、念を押すように蒼也は重ねて言った。
「ここで引いてくれると助かるよ……少なくとも君たちの五体は保証される。僕の言っている意味、分かるよね?」
「「「…………!」」」
ここで引けば五体は保証されるそれはつまり、引かなければどうなるかわからない、と蒼也は言っているのだ
蒼也の言葉の意味を理解した瞬間、その場にいた三人の男の背筋が瞬時に凍る。
しばらく男たちは身動き一つとる事ができなかった。動いてしまえば、蒼也に何をされるか分からなかったからだ。
「で、どうするんだい?」
「……っ」
蒼也の言葉にふと我に返った男たちは、ひねり出すように悪態をついた。
「冷めちまった……行こうぜ」
「ああ……」
逃げるように早足で校舎裏から離れる男たちの背を見ながら、蒼也は安心で息を吐くと言った。
「ふぅ……まさかこんな事になってるなんて……遅くなって悪かったね」
「ううん、助かったわ蒼也……正直もうダメかと思った」
紅音は冷静さを装ってはいたものの、やはり相当の恐怖を感じていたようだ。
恵美も安心しきってしまったのか、腰を抜かしてヘナヘナとその場に座り込んだ。
「助かったよ〜。ありがとう蒼也くん……と、あなたは? 制服を見たところ西高の生徒みたいだけど〜?」
「俺は輝明。蒼也の友達だけどこの学校の生徒じゃないよ」
恵美はではなぜ西高、正確には戸神市立戸神西高校の制服を着ているのか、と疑問に思ったが口には出さなかった。正直そんなことを深く考えるほどの余裕は今の恵美にはない。
恵美の心境は、窮地を救ってくれた勇者に感謝の気持ちでいっぱいだ。
「ありがとう輝明くん。本当に助かったよ〜」
「なに、情けは人の為ならずってね。俺は俺のために君たちを助けたまでだ」
ニッシッシと嬉しそうに輝明は笑う。なんだかんだと言いつつも感謝されるのは嬉しいのだろう。
蒼也はポケットから携帯を取り出し時間を確認すると言った。
「もう三時半過ぎだし、そろそろ帰ろうか」
「そうね。輝明、アンタも一緒に来るの?」
「もちのろんさ」
校舎裏にあるもう一つの校門を出て、四人はようやく下校を始めた。




