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パラドックス・メイカーズ  作者: 三角
chapter3:黒薔薇の王女
26/49

兆候

「ここはどこ……?」


 恵美(めぐみ)が目を開けると、そこは光のない真っ黒な空間だった。

 恵美はなぜ自分がこんなところにいるのか、そもそも自分はなにをしていたのか、思い出そうとするも全く思い出せなかった。

 しばらくその場にいると突然目の前に女性が現れた。

 女性は少し変わった服装をしていた。

 身にまとうドレスも、髪飾りも、全て黒かった。なびかせる髪は少し銀色のかかった紫。深い紫色の瞳は、生気を感じさせないほど深い絶望に染まっている。

 女性の体にはよく見ると棘があった。触れるだけで傷つけてしまう無数の棘。


「あなたは?」


 恵美は目の前の女性に呼びかけた。すると心に直接語りかけるような、女性の声が返ってきた


『私はあなたよ』

「私?」

『そう。これがあなたの姿。醜い醜い、黒い薔薇……それがあなた』


 恵美は女性の雰囲気に圧倒され、一歩後ずさった。それと同時に目の前の女性も後ずさる。


「……まさか」


 恵美は恐る恐る右手を女性に向けて伸ばすと、女性も同じタイミングで左手を伸ばしてきた。

 いや、その表現は正確には違う。

 気がつくと、恵美の姿は目の前の女性と同じ姿だった。女性の姿は、鏡に写る恵美自身の姿だったのだ。


「鏡……じゃあ、これは私自身……?」

『そ、私はあなたで、あなたは私』


 恵美の右手が鏡に写る右手に触れた瞬間、鏡に亀裂が入った。

 割れて歪んだ鏡に写った無数の女性は僅かに微笑むと言った。


『私は、あなたが手にする力よ』

「ちか……ら……? それはどういう───きゃっ!」


 恵美が質問が終わる前に、鏡の亀裂は無数に増え、勢いよく砕け散った。


「……わっ!! って…………アレ?」


 気がつくと恵美の視界には部屋の天井が写っていた。

 恵美にとってはいつもの天井、いつもの部屋だった。しかしそのことを受け入れるのに数秒かかった。


「……夢、だったの?」


 恵美は裸足でペタペタと歩いて鏡の前に立った。そして鏡に手を伸ばし映り込む自分を指でなぞる。


「夢でよかった〜」


 鏡に映るいつもの自分の姿にほっと息を吐くと学校へ行く準備を始めた。

 それから数十分後、恵美はいつもの待ち合わせ場所で紅音と合流し学校に向かっていた。


「────って感じの夢を見たんだよ〜」

「……黒い薔薇、ね」


 通学中、恵美は夢の内容を紅音に説明した。

 もちろん夢の内容に悩みを抱いたり不安を持ったりしたからではない。ただの雑談である。

 しかし、紅音は少し夢の内容に違和感、と言うより嫌な予感を感じていた。

 夢の中の女性の言っていた『私は、あなたの手にする力よ』という言葉が紅音にはどうにもひっかかるのだ。


『変革の影響なのは確かね。おそらく今後手にする矛盾の力が関係してるんでしょうけど。ま、今なにを推測しても答えを得る事はできないわね。蒼也に相談するしかないか』


 それにまだ昨日の顛末を聞いてないし、と紅音は心中で呟いた。

 それから紅音は恵美の頭を優しく撫でると微笑みながら言った。


「大丈夫。そんな夢、気にしなくていいよ」


 すると、恵美はありえない光景を見たかのように驚いた表情をして黙り込んだ。


(めぐ)!? どうかした?」


 恵美は深刻な表情をして紅音を見ると呆然と呟いた。


(こう)ちゃんが優しい……」

「……怒るわよ?」


 ジト目で睨む紅音に恵美は早口でまくしたてる。


「だって皮肉屋で無愛想で冷静でツンデレな紅ちゃんが優しかったんだよ! 誰だって驚くよ!」

「……ツンデレは余計よ」


 紅音が人に優しく接するとは、普段おっとりとした口調で話す恵美でさえ早口で話すほどの自体らしい。

 そう思うと優しく接したことが途端に恥ずかしくなった紅音は顔を真っ赤にして言った。


「バ、バカな事言ってないで、さっさと学校行くわよ!」

「あ、まって紅ちゃん! 謝るから待って〜!」

「待たない!」


 カツカツと逃げるように早足で逃げさる恵美の後を恵美は慌てて追った。


「よかった。また一歩昔の紅ちゃんに戻ったね」



 ◆



「ちょっといいかしら」


 前髪が人の字の形をした少女、紅音は昨日と同じく昼休み蒼也に話しかけた。

 コンビニ弁当をレジ袋から取り出そうとしていた蒼也は、目の前で仁王立をする紅音を見て心中でため息をする。なぜクラスの注目の集まる昼休みに話しかけてくるのか、と呆れずにはいられない。

 しかも紅音はなぜかご立腹のようだ。表情は笑顔だが目だけが笑っていない。


『これは面倒なことになりそうだ。紅音さんもそうだけど、特にクラスのみんなからの視線が辛い……』


 案の定、クラスでは眠り姫(紅音)転校生(蒼也)に恋をしたとか、転校生は眠り姫に弱みを握られているだとか、実は幼馴染だったとか、根も葉もない噂が飛び交い始めていた。


『このわけのわからない誤解もいつか解かないといけないな』


 蒼也は先の事を考えてげんなりとしながら、袋を持って席から立ち上がると笑顔で答えた。


「もちろん、構わないよ」


 そう答えた蒼也の表情は未だ、昨日と変わらない嘘の笑顔だった。

 それを見て紅音は少し落ち込んだが、人の心は簡単に変われるわけではない。自分自身も含め、少しづつ変わっていこうと紅音は思った。


「それじゃ、行くわよ」

「うん」


 二人は昨日と同じく屋上に行き、話をすることにした。

 当然、ドアの鍵は紅音がチップを変えることで強引に開けた。蒼也としては紅音が凄いのか学校の警備がザルなのかが気になるところではある。というより後者だったら色々と問題がありすぎて心配なのだが。

 蒼也はドアの鍵を外から締めると紅音に向き合うと改めて話を切り出した。


「で、今日はどうしたんだい?」


 不思議そうな顔をする(あるいはフリをする)蒼也に、紅音はA4サイズの紙を蒼也の胸に強くに押し付けると不機嫌そうに話を始める。


「どうしたんだい? じゃないわよ、白々しいわね。この手紙はどういうことなのよ」


 蒼也は落ちそうになる紙を慌ててキャッチすると改めて手紙の内容を確認する。

 手紙の内容は『事の顛末は明日話します。今日はおとなしく家に帰って体を休めるように。矛峰より』と書かれてある。

 蒼也からすれば別段怒られるような内容には思えず、今度こそ本気で不思議そうな顔をする。


「紅音さんはことの顛末を知りたいだろうと思って今日話すために置手紙したんだけど……」

「もちろんそれも知りたいけど、それよりまずはこっち。どうして先に現実世界に戻ったはずの私より先に現実世界に戻ってたのよ」


 ああ、と蒼也は何か納得したように声を上げると言った。


「別に何てことはない話だよ。昨日言ったけど一応元の世界に戻る方法を確認するよ。矛盾者は《矛盾世界》……言い忘れてたけど、今まで戦ってきたあの世界の名前は《矛盾世界》って名前なんだけど……とにかく矛盾世界から帰るには意識を失うか、自分の意思で帰ろうと強く思うかの二つの方法がある……ここまで覚えてる?」

「当然でしょ」


 ツンとした態度で答える紅音に、蒼也は軽く頷くと話を続ける。


「で、前者の意識を失った場合なんだけど、どうやら意識を取り戻すまで現実世界に戻るのを遅らせてくれてるみたいなんだ」

「……なるほど、よく考えたら意識がない状態で現実世界に放り出されたくなんかないわね」

「その通り。とくに紅音さんみたいな年頃の女の子には危険すぎるよ」


 蒼也の言葉に紅音は密かに自分の胸に手を当てると、一切引っかかるものがないことにゲンナリとした。そして珍しく虚しそうなどこか遠くを見るような目をして呟いた。


「……私の体にそこまでの魅力があるとは思えないけど」

「え、何か言った?」


 完全な独り言のつもりが、蒼也から反応がきたため羞恥心で顔を赤く染めながら叫んだ。


「何も言ってないわよ! セクハラで訴えるわよ!」

「理不尽だなぁ」


 紅音は困ったように笑う蒼也を見て、先ほどの独り言が聞かれなかったことを確信すると冷静さを取り戻し、話を続けた。


「ゴホン……まぁ、監視カメラがあるから滅多なことでは犯罪なんて起きないだろうけど、もしかしたら目出し帽とかで顔を隠して犯行に及ぶ人もいるかもだしね」


 紅音は知る由も無いが、国の監視カメラは敷地内を除き死角が無いように設置されているため目出し帽をかぶったぐらいでは犯行ルートから個人を特定されたりするので犯人の特定は可能である。

 しかしバレることが分かっていても犯行に及ぶ人間がいないとは限らないので用心にこしたことは無いのだが。

 蒼也はうんうん、とわざとらしく頷いた後さらに付け加えた。


「ついでに世界間の移動中は怪我の回復もしてくれるみたいだから矛盾世界で怪我をしても大抵は治ってるよ」

「サービス精神旺盛ね」

「でもこれだけの好待遇なら誰だって戦うことへの対抗心が薄らいでいく。確実に倫理観は変になるだろうね……正直この対応も悪趣味な気がしないでもないんだけど」

「…………」


 やれやれ、と首を振る蒼也を紅音はじっと見つめた。蒼也の態度に違和感があったからだ。

 そもそも叶えたい願いがあって、そのために戦っているのなら傷の治療等の対応は得はあっても損はないはずだ。

 それなのになぜそれを嫌がるのか、紅音にはそこが引っかかっていた。


「…………ねぇ、蒼也」

「ん? どうかした」

「あなた、本当に願いを叶えたいの?」

「もちろん、叶えたいに決まってる」

「そ、ならいいんだけど」

「……?」


 不思議そうな顔をする蒼也を尻目に紅音はさらに考えを巡らせた。

 紅音には蒼也の願いを叶えたいという言葉は嘘ではないと思った。目が嘘をついていなかったように見えたからだ。

 ではなぜこの戦いに嫌悪感を抱いているのか。

 蒼也の願いとはなんなのか。

 紅音はしばらく考えてみるがやがて考えても無意味と悟り諦めた。

 紅音は目を閉じてから一つ、軽いため息をついて気持ちを切り替えると再び話を始めた。


「さて、それじゃ今日聞きたかったこと二つ目……昨日は結局どうなったの?」

「ああ、ケンジと他の矛盾者たちは元の世界に帰ったよ。次は負けないってさ」


 いつもの嘘っぽい笑顔で話す蒼也に、紅音はなんの疑問も抱かずに言った。


「できれば次がないことを祈りたいわね」

「僕もそう思うよ。また勝てるとは限らないし、人と戦うのはどうにもなれない」


 ため息まじりに話す蒼也は本気で嫌そうな顔をしていた。

 どうやらよっぽど人と戦うのは嫌いらしい。


「ま、そう思うなら今度は避けることね」

「そうするよ」


 紅音は改めて蒼也の様子を伺ったが、別段普段と変わらない様子に思えた。


『どうやら落ち込んだりしてないみたいね……よかった』


 安心した紅音はさっさと屋上出口に向かうと言った。


「今日の放課後、もし空いてるなら一緒に帰らない? 恵美にアンタのこと紹介したいし、なによりまだ恵美を守る方法を聞いてないわ」


 それに恵美の夢のこともあるし、と紅音は付け加えた。


「そうだね、じゃあ一緒に帰ることにするよ」

「じゃあ、待ち合わせ場所は同じクラスだし教室でいい?」

「うん、わかっ────いやいやいや、ちょっと待って」


 蒼也は軽く頷きかけてからすぐに全力でかぶりを振った。それはもうすごいスピードで。

 蒼也のただならぬ反応に紅音は珍しくギョッと驚くと、恐る恐る言った。


「ど、どうかした?」

「えっと……なんていうか」


 蒼也は忘れていたのだ。紅音がそこそこの人気者であるということを。

 もし蒼也が紅音と待ち合わせをしていることがバレようものなら、たちまち学校中にわけのわからない噂が流れるに決まっている。

 そしておそらくはファンクラブの人間は黙っていないだろう。

 今でこそクラスの人間が勝手にまき散らしている噂で済んでいるからこそ、ファンクラブからの反応はない。

 しかし待ち合わせという行動をファンクラブに知られてしまうとどうなるか、答えは簡単だ。

 報復がくる。

 そこまでの答えを導き出した蒼也は一瞬で顔を青くした。


「蒼也?」


 紅音は蒼也の顔を覗き込んで様子を伺うとなぜか顔を真っ青にしていた。

 そんなに誘われたのが嫌だったのか、と紅音が落ち込みかけた瞬間、蒼也はぼそりと言った。


「…………校舎裏」

「え?」

「用事があるんだ。集合は校舎裏にしよう……」


 蒼也は殺気がこもるほどの真剣な眼差しで紅音に言った。

 その謎な気迫に押され紅音は一歩後ずさった。人間得体の知れないモノには近寄りたくないものである。


「わ、わかったわ。それじゃまた放課後に」

「うん。あと屋上の施錠だけど少しここに残りたいから鍵だけかしてくれるかい?」

「ええ、かまわないわ。チップは変えずにそのままだからこの鍵でいけるわ……それじゃ」


 なぜ突然様子が変わったのか紅音は不思議に思いながらも、蒼也に鍵を渡すと教室へ戻っていった。


「…………ふう」


 一人屋上に残った蒼也はしばらくしてから軽くため息を()くと柵にもたれかかって空を見上げた。

 胸の内にあるのは罪悪感と後悔、そして迷いだ。


「次は負けない、か……よくもそんなことが言えたよな」


 それは蒼也がとっさについた嘘だった。

 実際に紅音に話すまで蒼也は迷っていた。本当のことを話すべきなのか、それとも隠すのか。

 そして結局は嘘をついてしまった。


「……こんな嘘が平気でつけるくらい、()は変わっちゃったんだな」

「そうだな、お前は変わったよ。蒼也」


 再びため息を吐こうとする蒼也を男の声がさえぎった。

 蒼也は屋上出入り口の上にある貯水タンクの方を見るとそこにはツン毛の少年、輝明が座っていた。

 蒼也は輝明を見ると、途中で遮られたため息を再び吐いてから言った。


「…………どうしてそんな高いところに?」

「開口一番それかよ。ま、お前の空間認知能力は化物みたいなもんだからな。途中で気がつかれてたんじゃないかとは思っていたよ」


 そう言うと輝明は貯水タンクから飛び降りると隣座るんぜ、と言って蒼也の隣に腰掛けた。

 蒼也は呆れるような視線で輝明を見ると言った。


「念のため聞くけど、どうやって学校に?」

「矛盾世界に一度入ってから《矛盾世界の学校屋上》に行って、現実世界に戻った」

「やっぱり……」


 現実世界から矛盾世界へ移動するときは、矛盾世界に移動した時と同一地点に移動する。逆に矛盾世界から現実世界へ移動する時も同じなので、それを利用すればこのように現実世界でのあらゆる障害物を無視して移動することが可能である。


「監視カメラもあるし、あんまり多用すると不法侵入で捕まるからやめとけよ。それに一日に矛盾世界に行ける回数は二度だけなんから、無駄使いするなよ」


 蒼也の言葉に輝明は手をひらひらさせながら笑って言った。


「大丈夫大丈夫。あ、西高の制服貸してもらったから」


 輝明は蒼也の制服を無断で借りて入ってきたらしい。二人の身長はほぼ同じなのでサイズは問題無いようだ。

 蒼也は呆れた様子で空を再び見上げた。

 しばらくして、蒼也ら小さな声で呟いた。


「本当にこれでよかったのかな?」

「なにが?」

「詳しいことは説明すると長くなるから省くけど、紅音さんに嘘をついたんだ。とびっきりの大嘘を」


 それを聞くと輝明はなんでもないように笑うと問いかけた。


「どうして?」

「傷ついてほしくなかったから」

「なら、ついていい嘘だったんじゃないか?」

「…………俺は、嘘が嫌いなんだ」

「だったら話せばよかったじゃないか」


 輝明の言葉に、蒼也はなにも答えなかった。

 しばらく二人の沈黙は続いた。

 屋上には春特有の気持ちのいい風がそよぎはじめ、輝明は目をつむって手を頭の後ろに組んで眠りにつくようなリラックスした体制をとった。

 そして、しばらく続いた沈黙は輝明の言葉で破られた。


「傷ついてほしくないなんて嘘だ。お前は恐れてるんだよ。紅音さんとの繋がりが壊れることを。だから繋がりを保つために嘘に頼る」

「…………」


 沈黙で応える蒼也に輝明は続けた。


「確かにその嘘で隠し続けることは紅音さんの心を守ることになるかもしれねぇ、傷つけることはないかもしれねぇ。だがお前の心はどうなる? ずっと嘘をついた罪悪感に蝕まれ続けるのか?」

「だけど……紅音さんは真実を知って傷つくかもしれない」

「傷つかない繋がりなんてない」


 輝明は強く、そう答えた。


「触れ合えば傷つくこともある。冷たいこともある。癒されることもある。温かいこともある。それが人と繋がるってことだ」


 もし、それらのことがまったく起こらない関係があるとすれば、それは()()()ということなのだろう。繋がってすらいない、関係にすらなっていない関係なのだろう。

 そんな希薄な関係に、意味なんてあるだろうか。

 そんなもの無いに決まっている。

 だから、と輝明は言う。


「信じろ、彼女の心を。なに、辛いのは紅音さんも蒼也もお互い様だろ? 友達は持ちつ持たれつってな」


 輝明は笑って最後の言葉を付け加えると、すっと立ち上がり屋上の出口へと向かって行くと去り際に頑張れよ、と笑いながら言ってそのまま帰っていった。


「……お前は遠慮を知らないよな」


 輝明はいつも遠慮もクソも無い、しかし的を得て確かなことを口にする。

 そんな彼を、蒼也は少し羨ましそうに見送りながら言ったのだった。


「紅音さんに、後で本当のことを言いに行こう」


 その後、校内で迷子になった輝明は職員室で保護された。

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