もう一度
紅音が消えた後、残った蒼也はゴシゴシと目を拭い、それからケンジの方を向いた。
「どうして僕の攻撃を避けなかったんだ? 避けようと思えば避けれたはずだ」
紅音の《繋がりの盾》に防がれている間、蒼也の攻撃は静止していた。当然、その状態ならケンジは逃げることができたのだ。しかし、ケンジは逃げるどころか一歩も動かなかったのだ。
ケンジは蒼也の問いに笑いながら答えた。
「なに、貴方の進む道が気になりましてね。それに敗北してしまった私は、これ以上生きることは叶わないでしょう……どのみち死ぬなら死に方など、どうでもいいことです」
「どういう意味だ?」
ケンジは蒼也の質問には答えず飄々と続ける。
「不満だらけの人生でしたが、最後の最後に少しだけいいものを見れました」
その時ケンジは紅音の《繋がりの盾》を、人の心を純粋に投影した、あの黄金の輝きを思い出していた。
『あの盾から流れ込んできた感情……あれを受けてなお、戦い続けることは私にはできない』
それからケンジはじっと自分の右手を悔しそうに見た。その視線は後悔ではなく諦めの色が強い。
『私も人を傷つけすぎたようだ。もう、あの人に会う資格なんてないでしょう……ここが潮時ですね』
ケンジは蒼也から目をそらすと、傍で三人の戦いを見ていた二人の矛盾者の方を向いてこの世界から帰るようにジェスチャーをする。
それを見た二人の矛盾者は少し戸惑ったが、素直にケンジの言うことを聞き入れ、この世界を去った。
二人が去るのを見届けると、ケンジは蒼也に重い声色で話を始めた。
「彼らには話していませんでしたが、私の本当の目的は経験値でも《頂きの称号》でもありません」
「途中からそんな気はしていたよ。経験値が欲しいなら適当なところで逃げるのが定石だ。何も自分が死ぬまでのリスクを背負う必要がない」
蒼也はケンジから気まずそうに視線をそらしながら、死のリスクを背負わせたのは僕なんだけど、と思いながらさらに続けた。
「僕が殺し合いをふっかけた時点で、逃げてもよかったはずだ。僕も半分それを狙ってたし。それなのに君は戦いを続けた……となると、おそらくは狙いは経験値ではないだろうと思ってね」
「さすが、お見事ですね。殺すと宣言しておいて殺したくないと言い放つツンデレさは伊達ではありませんね」
「あはは……」
『凄い棘のある発言だけど言い返せない……』
引きつった笑顔をする蒼也にケンジは言いすぎたと思ったのか、気にしないでくださいといった風に軽く笑いかけた。
蒼也は軽く咳をして一度話を区切ると、話を元に戻した。
「それで、今回の目的は結局なんだったんだ?」
「貴方の命、ですかね」
「動機は? ケンジに恨まれるようなことはした覚えはないけど」
「私に恨みはありません。しかし、貴方の命を狙わずにはいられなかった」
「どうして?」
「……説明する前に、今から攻撃しますので避けるか防ぐかしてください」
そう言うとケンジは右手に小さな短剣を作り出し、軽く(とはいえ十分速いが)蒼也に投げた。
蒼也は突然のことに驚いたが《蒼刃の十字槍》を瞬時に作り出し短剣を弾き飛ばす。
蒼也は弾き飛んだ短剣を見ながら小さくため息をついた。
「どうしてこんなことを? 僕を殺すため……にしては弱かったけど」
「いえいえ殺すためなんて、もうそんな力はありませんよ。ただこうしないと私の身が持たないんですよ」
「……いや、僕の身も案じてくれよ」
「気にしないでください。話を続けましょう」
「そこは気にしてくれよ」
げんなりとする蒼也をスルーしてケンジは話を続ける。
「私は貴方を命を狙うのは命令されたからです」
「こんなこと聞くのはいささか的外れな気もするけど、断ることはできなかったのかい?」
「不可能でした。いえ、今も逆らうことができないのでこうやってチマチマと弱い攻撃をしながら命令に従っているんですけど」
そう言いつつケンジは再び短剣を蒼也へ投げる。今度の短剣も軽く弾くと蒼也は質問を重ねた。
「で、誰なんだい? 僕の命を狙っている奴は」
ケンジは右手を強く握り締めると苦虫を噛み潰したような顔をして言った。
「大君主……《絶対服従属性》の持ち主。《頂きの十人》の中でも最強の男です」
「……ッ!!」
ケンジの言葉に蒼也の呼吸は止まった。
《大君主》、その言葉は蒼也の体を固く強張らせる。
「どうやら知り合いのようですね」
「ああ…………親友だった男だ」
ケンジは少し驚いたが、すぐに呆れたように笑うと言った。
「皮肉な運命ですね。笑わせてくれる」
「……まったくだ」
「細かい事情は存じませんし聞くつもりもありません。ただあの日、私は彼との戦いに敗れました。そして命令を下された。《矛峰蒼也を殺せ》、と。そのことを貴方に伝えたかった」
「どうして?」
「ただの気まぐれですよ」
諦めたような笑みをこぼしながらケンジは続ける。
「さて、そろそろ退場しますか」
「ケンジ……?」
ケンジは右手に小さな短剣を作り出すと、蒼也に言った。
「これからなにが起きてもどうか悔やまないでください。これは貴方の責任ではありません」
「なにを言って──」
ズブリ、とケンジは胸に短剣を深く突き刺した。
ケンジは先ほどの激突の衝撃で心装甲を全て欠損していた。そのため、威力が軽減されることなく、そのままの勢いでケンジの胸に短剣は突き刺さった。短剣はケンジの心臓を穿ち鮮血を散らした。
「うっ……ぐぅ……」
ケンジは短剣を胸から引き抜くと眉間に深いシワを寄せながら、かすれる声で言った。
「思っていたより……痛いですね……」
「な……」
力なく倒れていくケンジに、蒼也はなにもできずにただ傍観することしかできなかった。
ケンジが倒れた後、すぐにショックから立ち直った蒼也は急いでケンジの元まで駆け寄った。
「ど、どうして……」
蒼也にはケンジがなぜ自害をしようとしたのか理解できなかった。
一度勝負に負けたからといってもう願いを叶えられないわけではない。矛盾者同士の戦いに、経験値稼ぎや相手を殺すことでライバルを減らす意外の意味は通常ないからだ。
蒼也の問いにケンジは全てを諦めたような無気力な笑みを浮かべて言った。
「これも命令……でした。失敗すれば自害しろと」
「そんなの従う必要なんかないだろ!」
「貴方も知っているでしょう……従わなくてはならないのですよ……《絶対》に」
「……くそッ!」
ケンジは静かに瞼を落とすと途切れ途切れに話を始めた。
「私の願いは……愛する人を蘇らせる…………ことでした」
「……死者の復活は不可能だ。それはケンジも知っているだろ」
「貴方こそ知っているでしょう……願いの条件は変えられる。事実、不老不死になる、と言う不可能だった願いも…………今では願うことができるようになっています」
ただ、蘇生させるために二度もこの戦いを勝ち残らなければならないのは少し骨が折れますが、とケンジは付け加えた。
「まぁ、なんにせよもう叶わぬ願いですが……なにより、私自身が…………戦うことに疲れてしまいました。あの栗毛の少女のおかげで…………ようやくそのことに気がつけたような気がします」
そう言ったケンジの表情は、とても穏やかだった。
「マリア……もう一度、君の声が聞きたかった」
それだけ言うと、ケンジはもう動くことも話すこともなかった。
しばらくすると、ケンジの体は徐々に透け始め、潰えた願いと共に消えていった。
蒼也はケンジが消えていった跡まで歩み寄ると、膝をついて地面を強く握りしめた。
「すまない……」
悔しさに胸を押しつぶされながらも、蒼也は立ち上がり元の世界に帰った。
◆
蝋燭の灯りが数本と月明かりが照らすだけの真っ黒な部屋。
そんな部屋の中で二人の男がいた。一人は椅子に腰掛け肘をつき、もう一人は椅子に座る男に跪いていた。二人とも、灯りが当たらない位置にいるため姿はよく見えない。
「……報告は以上です」
「ありがとう。引き続き監視を続けるように。下がっていいよ」
「はっ」
跪いていた男の体は徐々に黒く染まり始め、やがて影の中に溶けるように消えていった。
一人になった男は椅子から立ち上がると一つ溜息をついた。
「ケンジは失敗してしまったか……僕の国の民になっていれば死なずにすんだのに」
蝋燭の近くまで男が近づくと暗闇から姿を現した。
男、と言うにはまだ若く青年や少年と言う言葉の方が似合う。そもそも彼が着ている服は学生服、いわゆる学ランなのだから当然と言えば当然である。
「ここにいたのね、陸斗」
陸斗と呼ばれた男の影の中から女性の声が響いた。
陸斗は蝋燭に背を向けると、影から女性が姿を現した。
女性は整った顔立ちだが、目の下の深い隈のせいで少し暗い印象を抱かせる。
影から現れた女性は暗い部屋を見渡すと少し遠慮がちに陸斗にいった。
「私の矛盾は影……確かに影が多ければそれだけ有利になると言ったわ。でもここまでしなくてもいいのよ?」
「そうかい? でも霧野、この暗闇は君だけのためじゃないんだ。気にしないでくれ」
「そう、分かったわ。でもあんまり暗いところにいると視力が落ちるわよ」
「気にしておくよ。それよりもどうしたんだい? 何か用があったんだろ?」
霧野と呼ばれた女性は少し溜息をつくと心配そうに言った。
「蒼也がケンジを倒したって聞いたわ……」
「だから?」
「だから、って……あなたが心配で───」
ヒュン、と空気を切る音が霧野の言葉を止めた。
いつの間にか、霧野の喉元では剣が蝋燭の光を鈍く反射して輝いていた。
『見えなかった……』
霧野はごくり、と生唾を飲み込む。陸斗から発せられる空気は、傷一つ付いていない完全な心装甲があるというのに、強烈な死の恐怖を感じさせる。
陸斗は右手に持った剣を微動だにも動かさないまま低い声で言った。
「それ以上喋るな」
「……っ! だけど!」
「命令だ。《喋るな》」
「…………!!」
陸斗の言葉と同時に、霧野の体にズン、と重い空気がのしかかった。陸斗の言葉一文字一文字が圧倒的なプレッシャーを与えているのだ。
それでも霧野は必死に口を開けて話そうとする、が声が出ない。
いや、出ないのではない、出せないのだ。
陸斗の発した《喋るな》という言葉に逆らうことができず、口を開くことができても喉を震わせることは叶わない。
これが、《服従属性》。
「……くだらないことで力を使わせるな」
陸斗は右手の剣を消すとカツカツと音を鳴らしながら椅子に向かって歩き出した。
陸斗はドン、と勢いよく椅子に座り込むと足を組んだ。
霧野はそんな陸斗を鋭い目つきで睨む。
「そう睨むな、喋りたければ抗え。今のは《絶対》じゃない」
「…………っ」
霧野はしばらく喋ろうと足掻いていたが、やがて諦めた。
仕方がないので態度で示してやろうと霧野は頬をぷくっと膨らませながらツカツカと陸斗の元まで歩み寄ると肘掛にドンと座った。
まるで、離れたりなんかしない。嫌がっても一緒にいてやる、と言っているようだった。
霧野の態度に陸斗は少し驚くと、笑みを浮かべてポンと頭に手を乗せる。
「ごめん、少し気が立ってたみたいだ……大丈夫。お前は捨てない。僕の国の民は誰も捨てない」
霧野は陸斗の言葉を聞くと、満面の笑みを浮かべて陸斗に抱きついた。
陸斗は、喋らない時のほうが素直じゃないか? と思いながらも左手で何度も霧野の頭を撫で始めた。
この時、陸斗は霧野を撫でながらも眉間に深いシワを作っていた。当然、霧野が憎いわけではない。
憎むべき相手は他にある。
『僕を裏切ったアイツらだけは絶対に許さない。輝明、そして蒼也。お前らだけは絶対に』
ぐっと右手を強く握りしめながら、陸斗は思った。
『正真を裏切ったお前らを……僕は許さない』




