泣かないで
紅音は右手を前に突き出しながら二人に向かって歩き出した。
そして蒼也の質問に、紅音はいつものように皮肉で返した。
「そのセリフ、蒼也が言うの?」
ただし、その表情は紅音にしては珍しい、悪戯っぽい笑顔だった。
つまるところ、紅音が言いたいのはこういうことだ。
「バカという方がバカ、お人好しはアンタよ。この捻くれ者」
遠慮も配慮もない、ただの悪口。
しかし、その言葉は今伝えたい紅音の本当の気持ちでもあった。
お前は嘘をついている。正直になれ、と。
紅音は言いたいことを吐き出せてスッキリしたらしく、悪口を言い終えた後は今までにないぐらい落ち着いた顔つきになっていた。
「アンタがどんな願いを叶えたいかは知らない。だけど、見ず知らずの私を助けておいて、今更そんな冗談は笑えないわよ」
蒼也の隣まで来た紅音は、優しく微笑んだ。
しかし、蒼也は槍に込める力を緩めることをせず、紅音に言った。
「紅音さんは右も左も分からないただの被害者だった。でもケンジは違う。状況を分かった上で僕に挑んできた。なら、それ相応の対応をするまでだ」
「だから、その対応の仕方は、蒼也が本心からしたい対応の仕方なのかって聞いてるの」
紅音の質問に、蒼也は僅かに間を空けてから淡々と言った。
「そうだよ」
「うそ。そう顔に書いてる」
間髪入れずに紅音は返した。
蒼也の表情は、平坦だった声とは裏腹に泣きそうな表情を浮かべていた。
紅音は心の準備をするように大きく深呼吸をすると、言った。
「自分に嘘つくのはもうやめよ? 私も、もっと素直になるから。だから、本当の蒼也のことも教えてくれる?」
「その口調……」
蒼也は少し驚いて紅音を見る。
紅音の口調はいつもの刺々しいモノから、柔らかい、優しい口調に変わっていたからだ。
「へんかな? ずっと前はこんな風な口調だったんだけど、人を避けるようにしてたらあんなキツイ喋り方になっちゃった」
あはは、と紅音は恥ずかしそうに笑う。
それからすぐに蒼也の目を見て、紅音は静かに言った。
「ね、聞かせて? 蒼也の思いを」
「僕は……」
蒼也が何かを言おうとした瞬間、結界に大きな亀裂が入った。
「僕は……」
蒼也は俯向くと、さらに右手に力を込める。目の前の結界を壊し、その先に槍を進めるために。
「僕は……ッ!」
ピシ、と小さなガラスが割れる音がした瞬間、巨大なガラスをハンマーで叩きわったような大音響と共に結界と繋がりの盾が壊れた。
割れた結界は砂つぶのような大きさになり、キラキラと光を反射しながら雪のようにゆっくりと落ちていった。
蒼也を中心に、公園の一角が七色の光を帯びる。
光に満ちた幻想的な空間で、唯一黒い光を放っていた万物を貫く槍は、その姿を徐々に虚ろにしていった。
完全に槍が消えると、蒼也は右手を下ろして言った。
「本当は、殺したくなんかない」
蒼也の槍は紅音の盾だけを貫いていた。結局、蒼也にはケンジを貫くことはできなかったのだ。
紅音は蒼也の言葉を聞くと、すぐに表情を明るくした。
「蒼也の思い、きっちり届いたよ。私の心に」
紅音は突き出していた右手を下すとさらに続けた。
「私、ずっと感じてたんだ。私と蒼也は似てるって。大切な人を失うことを強く恐れてる。だから人を避けている」
でもね、と紅音は強く否定する。
「怖がりながらも、それでも私に手を伸ばしてくれた蒼也を見て思ったの。蒼也となら、私は先に行ける。蒼也の隣を歩いていけるって。歩きたいって、思えたんだ」
紅音はそう言うと、相当無茶をしていたのか、糸が切れたように力なく崩れ落ちる。
蒼也は地面に倒れ込みそうになった紅音の体をすんでのところで支えると、ゆっくりと寝かせた。
紅音の体はすでに限界だった。
「紅音さん、大丈夫?」
「ええ……大丈夫。慣れない喋り方してたから……疲れただけ。少し眠るわ」
紅音はそう強がりを言うと、薄っすらと目を開けた。そして右手で蒼也の頬を慰めるように撫でると笑いながら言った。
「泣かないで……」
「泣いてないよ」
「そっか、よかった」
安心したように言うと、紅音は静かに目を閉じた。程なくして意識を失った紅音は徐々に実体を無くし、元の世界へと帰っていった。




