槍の領域
「いったいなにが起こったの……?」
紅音は目の前で起こった複数の出来事が理解できずにいた。
蒼也はケンジの必殺の一撃をまともに食らい、無残にも敗北するはずだった。
しかし、結果はそうでなかった。
時は、ケンジが詠唱を始めたところまで戻る。
「奮い立て! 我が剣の従者よ! 汝の刃は我が誇りの具現、その誇りに従い、万を切り裂く剣となれ!!」
ケンジが詠唱を終えた後、剣から激しい光が放たれたかと思うと、突然蒼也の動きが鈍ったため隙だらけになってしまった。
ここで一つ、紅音の身に不可解なことが起きた。
『……なに? 頭になにか……幻惑、と絶対切断……あの剣の属性』
紅音にはなぜか、剣に付加されている属性が理解できたのだ。
『……蒼、也……! 早く、この情報を……伝えないと!』
紅音はそう考えたが、盾の操作と攻撃の回避が精一杯で、すでに叫ぶ気力は残っていなかった。
紅音は蒼也が戦っている三分の間に徐々に追い詰められ、ギリギリだったのだ。
そもそも、紅音の矛盾が守りに特化している能力だとしても、初心者が経験者二人を相手にするのはどう考えても分が悪すぎた。
「切断せよ! 剣の従者!!」
「くっ……蒼也!」
紅音には、ケンジの剣にはすべての物質を切断できることが理解できていた。もちろん、振り下ろされた剣線が蒼也の体を縦に半分に切断できることも。
確かに、普段の蒼也ならどうにかして回避や防御をしていたかもしれない。
たが、この時は違った。
光の幻惑で惑わされた蒼也ではなにもできない。
そう、紅音の知る限りでは。
「……なっ!?」
そう漏らしたのはケンジだった。
完全に無防備だったはずの蒼也は、しかし狙っていたかのような正確さでケンジの手首に槍を当て、ケンジの一撃を迎撃していた。
「くっ……!」
心装甲のおかげでケンジの腕が切断されることはなかった。
ケンジは槍を当てられた衝撃を利用して蒼也との距離を置くために後退する。
そして、現在に至る。
「いったいなにが起こったの……?」
紅音は蒼也が助かった安堵したが、同時に理解できない状況に困惑し、一人つぶやいた。
紅音を襲っていた二人の矛盾者は驚きで何もできずに、その場で立ち尽くすことしかできなかった。
紅音にはケンジの剣が蒼也の脳天めがけて振り下ろされる瞬間、蒼也の体が無意識に動いたように見えた。
蒼也は大きく息を吐き出すと少し焦りの混じった風に言った。
「危なかったよ……今のは、死んでた」
「どうして……貴方は完全に無防備だった。あのタイミングでどうして動けたのです!」
蒼也はぐっと額の汗を拭うと、すでにいつもの焦りのない口調に戻っていた。
「《槍の領域》、槍の攻撃範囲に入れば僕の意思に関係なく自動迎撃する技だ」
「なっ……」
ケンジと他の二人の矛盾者は驚きのあまり絶句してしまう。
「……それほどの技を持っているとは、さすが頂きの十人、と言ったところですか……どうりで、意識がお連れの女性に集中しているのに、防御が完璧なはずだ」
ケンジはそう呟くと、再び剣を構える。
「ですが、その技の正体が分かれば対処はできます。私の武器の属性は《絶対切断》、次は武器ごと切断します」
他の二人の矛盾者も、諦めないケンジの様子を見ると、再び紅音に襲いかかる。
「いや、もう終わりだよ。ケンジ、君の負けだ……君が絶対属性を使えるとわかったら、もう生かしておくことはできない」
まるですでに勝利したかのように蒼也は言うと右手の爆発の槍を消す。
蒼也の言葉に、ケンジは眉をひそめると低い声で言った。
「……どういう意味です?」
「君を殺す。そう言ったんだ」
冷たい声で確かに蒼也は殺す、と口にした。
「……え?」
紅音は蒼也の言葉を信じることができず、小さく声を漏らした。
自分を助けてくれた恩人が、そのような冷たい言葉を言うことが紅音には考えられなかった。
呆然とする紅音を見て、ケンジは紅音を襲う矛盾者に指示を出した。
「二人とも。もうそこの女性を攻撃しなくとも結構ですよ。もう抵抗する力は残っていないでしょう」
ケンジの言葉に蒼也は意外そうに言う。
「なんだ、紅音さんへの攻撃を止めてくれるのか。一応そこの二人を倒す準備はできてたんだけど」
「そんなことだろうと思いましたよ。だからこそ攻撃をやめさせたのです。他のことに集中していなければ、私にここまでの遅れをとることはないでしょう」
蒼也の言葉に驚く紅音にケンジは淡々といった。
「別に驚くことはありませんよ。自分の願いを叶えるために、私たちは戦っているのです。その障害となる人間は殺すのが一番手っ取り早い。私もさっきは蒼也さんを殺すつもりで剣を振るいました」
殺すのが当たり前。それが常識。
そんな風に語るケンジの表情は紅音には悲しげに見えた。
しかし、その表情も一瞬で消すとケンジは続けた。
「安心してください。あなたがどこまでこの戦いに関わるつもりかは計り兼ねますが、普通の対人戦闘で人が死ぬのは稀なことです。誰もかれもが殺人者になれるわけではありませんからね。もっとも、心装甲があるので滅多なことでは死なないのですが」
紅音はケンジの言っていることに納得できずにぎゅっとこぶしを強く握ると鋭い声色で言った。
「じゃあ、どうして二人は殺し合いをしているのよ」
「さっきも言ったでしょう。邪魔だからですよ。この世界で人を殺せない人間は本気で願いを叶える気がない、遊びで参加してる奴らです……逆に言えば、人を殺せる人間は本気で願いを叶えるために戦っていると言ってもいい」
まぁ、常に例外は存在しますが、とケンジは笑って付け足した。
「そんなの、おかしいわ。そんな簡単に……命をかけれるようなことなの? そこまでして、願いを叶えたいというの?」
紅音の言葉に、ケンジは目を細めてここではない、どこか遠くを見つめるように空を見上げた。
「叶えたいですね……少なくとも、私の願いは命を天秤に乗せるだけの価値がある」
ケンジは視線を蒼也に合わせると、刃を目の前の敵へまっすぐ向けて言った。
「もちろん、私はこの勝負降りるつもりはありません……ここで果てるか、それとも生きて望みに近づくか」
「そうだね。ここで決着をつけよう」
蒼也は右手を前へ突き出して、詠唱を始める。
「その槍は万物を貫きし、神王の槍。天秤に意思はなく、ただ審判を下すのみ。ならば、我が意思を天秤へ乗せ、審判を狂わせよう。その審判を我が裁きの刃としよう。我は神槍の担い手」
どす黒い空気が蒼也を包み込み、覆い隠す。
紅音は一度、この槍を見たことがあった。その記憶は曖昧ではっきりと思い出せない。
しかし、今の紅音には、その槍が持つ属性が目に見えるように理解できる。
「やめて蒼也!」
紅音の叫びも虚しく、黄金の槍は蒼也の右手に現れた。
槍は蒼也の手に触れた所から黒く染まり、禍々しい輝きを放つ。
「万物を貫く槍!」
その槍の属性は絶対貫通。
心装甲をも穿つ絶対の力は、目の前の標的を殺すため具現した。




