退屈だったはずの日
ジリリリリリリリリリリ……リン!
午前七時、目覚まし時計が狂ったように音を鳴らす。しかしその音は五秒とまたずにとある少女によって消される。
「……うるさい」
この家の主こと盾宮紅音は毎日午前六時五十分には起床している。
つまり目覚まし時計が鳴る頃にはとっくに起きているのだ。
それでは目覚まし時計をセットしている意味は殆ど無い。
ではなぜ彼女は目覚まし時計を午前七時にセットしているのか。もし目覚まし時計をセットせずに寝坊すると学校に遅刻することが確定だからだ。
しかし、彼女は遅刻することそのものを恐れているのではない。遅刻した後の対応がめんどくさいのだ。そうでなければこんな朝早くから起きようなどと彼女は思わない。ついでに彼女は無遅刻無欠席だ。
『今日の戸神市の天気は一日中晴れです……』
テレビから聞こえる女子アナウンサーの明るい声。彼女は気まぐれに画面を覗くとそこにはつい最近まであった降水確率が表示されていない。天候を操る技術が開発されてから降水確率に意味がなったためなくなったのだが、紅音はまだ慣れていないようだった。
『それでは次のニュースです。新型携帯端末エイトがオレンジ社から発売されると発表され、予約が殺到して……』
彼女は携帯を一年前に新調したばかりなのであまり興味はない様子だった。朝食の食パンを焼かずに(焼くのがめんどくさいから)耳から心底めんどくさそうに食べる。
『前世代の端末より一回り画面が大きくなりさらに操作性が向上しているとのことです。では実際に試してみましょう』
アナウンサーが手にスッポリ収まるぐらいの大きさをした長方形の携帯端末を操作する。フォン、という綺麗な起動音と共に長方形の端末の上部から実態のない画面が出てくる。
確かに紅音が持っている前世代機のモノより少しだけ画面が広いように見える。長方形の端末の表面を指でスワイプさせると空中の画面に表示された矢印が指に合わせて動く。
「もうこんな時間」
テレビの時計を見るとそろそろ学校にいく時間だった。
机に置いてあったリモコンを手に取り、リモコンの液晶画面に映った幾つものボタンの中から電源ボタンをタッチする。すると携帯端末と同じ構造をしたテレビの画面は音もなく消え、あとに残るのは台座だけとなった。
「行って来ます」
誰もいない部屋に向かって小さく呟くと彼女は玄関の壁にある液晶パネルに手のひらをつけ指紋認証と静電気認証をした。
手のひらをつけてから一秒も経たないうちに玄関が自動で開くと認証完了の知らせが機会音声で告げられる。
『行ってらっしゃいませ』
違和感が無いことに逆に違和感を覚えるほどナチュラルな発音の機会音声に見送られながら彼女は学校に向かった。
「……退屈ね」
いつものようにため息を吐きながら。
◆
紅音は登校の途中で親友である舞草恵美と、公園で待ち合わせをしている。
紅音がいつもの時刻にいつもの公園へ行くと、やはりいつものように恵美が本を読みながらベンチに腰掛けていた。
「こうちゃん、おはよう〜」
「おはよう、めぐ」
二人はお互いあだ名で呼び合っており、由来は名前の最初の漢字だ。恵は一文字でめぐみと呼べるが紅音曰く、発音が二文字の方が可愛いとのことらしい。
恵美は本をカバンにしまうとゆっくり立ち上がり紅音の隣に並んだ。恵美は大きく身体を伸ばすとゆったりとした口調で言う。
「今日から二年生だね〜」
「そうね。ついこないだまで中学生だったのにもう高校生、それも二年目。そろそろ飽きてきちゃったわ」
「学生に飽きるなんて、紅ちゃんは相変わらず飽き性だね〜」
くすくすと笑いながら恵美はそう言った。紅音は否定も肯定もせずに適当にそうかもね、などと返答する。
そんな二人の会話を聞いている男性サラリーマンはそんな事を言ってられるのも学生の内だけだぞ、と言った顔をしていた。
しかし、紅音はそのサラリーマンの表情を見てその考えを見抜いた上でこう思った。
『そんな羨ましそうな顔されても困るわね。私からすれば生きる事に飽きていないアンタの方がよっぽど羨ましいわ』
「どうしたの、こうちゃん?」
「なんでも」
紅音は心底退屈そうにそう言うと学校へと歩みを進めた。恐らくは、これから過ごすはずだった退屈な日常にうんざりしながら。
二人は同じクラスではあったが出席番号が遠いため席は離れていた。
教室につくと紅音はすぐに睡眠の体制に入る。チャイムが鳴るまで寝るのはいつもの事だった。
しばらくするとチャイムがなり、朝のホームルームが始まる。
仕方がなく、といった具合で紅音が教卓の方を見ると担任の先生と一緒に見慣れない少年が入ってきた。
少年の容姿は一言で言うと特徴がなかった。強いて言うなら少し前髪が長いか。優しそうな好青年と言うイメージがピッタリはまるような感じだった。
「ハイハイ注目! 早速だけど本日から新しく入ってきた転入生を紹介するわ」
真面目で有名である担任の教師が転校生に目配せで合図を送ると、転入生は一歩前に出て自己紹介を始めた。
「僕の名前は矛峰蒼也と言います。これから約二年間、皆さんとは仲良くしていきたいと思っておりますのでどうかよろしくお願いします」
蒼也が自己紹介を終えるとクラス全員がパチパチと大小異なる拍手で歓迎する。ただ一人、紅音を除いて。
『作り物みたいな喋り方……お面をしないと喋れないのかしら』
紅音はそんなことを考えながら蒼也を見ていると一瞬、蒼也と目があった。にっこりと奥の見えない微笑みをする蒼也に対し紅音も適当な笑みを浮かべる。
「それは私も同じか……」
紅音は自分が鏡のように蒼也と同じ笑みを浮かべていることに気がつくと、皮肉げにそう呟いた。
それから始業式が始まり退屈な校長の話を右から左に聞き流し、始業式が終わる頃には午前十一時になった。
その日、紅音と恵美はショッピングをする約束をしていたので学校が終わると制服のまま繁華街へ向かった。
紅音は十二時に昼食を取ると店が混むので時間を早めるか遅らせるか事で人が多い時間を避ける。今回は時間を早めて昼食を食べるためにフードコートに行く事にした。
「転入生が来るなんて驚きだね〜」
「そうね、不気味っていうか不思議っていうか、よくわからない奴だったけど」
「……? 蒼也くんのどこらへんをそう感じたの? 特にそんな風に感じる事は無かったけど。クラスのみんなとも上手くやってるみたいだったし〜」
「別に、どうでもいいことよ」
紅音は適当に返事を返しながら好物のハンバーグを食べようと箸を伸ばす。
しかし、恵美はハンバーグの入った皿を紅音から遠ざけると目を輝かせて言った。
「よくないよ〜、紅ちゃんが人の事をそんな事言うなんて滅多に無いんだから気になって仕方がないな〜。それに紅ちゃんの観察眼は結構的確だしね〜」
「……ハンバーグ返して」
「蒼也くんの事聞かせてくれたらね〜」
紅音は頬をむくませながら箸を置くと心底面倒くさそうに話を始めた。
「……あいつの言葉、なんだか作り物みたいなのよ。例えるならプラスチック、かな」
「プ、プラスチック?」
「プラスチック」
恵美は頭に疑問符を数個浮かべながらうーんと唸っているとその隙に紅音がハンバーグを奪え返す。
「話は終わり、いただきます」
「紅ちゃんって結構独特なセンス持ってるよね〜」
恵美は口の中で何度かプラスチックと繰り返しながら紅音の言葉の意味を考えてみる。
『作り物、プラスチック……紅ちゃんは安っぽい置物とかをイメージしたのかな? となると蒼也くんはその置物を人に見せることで本当の自分を隠してる……ってところかな』
そこまで推理すると恵美は呆れ半分関心半分で紅音を見る。
『まぁ、その置物がプラスチック製な事に気がついてるのは紅ちゃんぐらいなんだろうけどね〜。普通の人なら本物と見間違うくらいよくできた偽物なんだろうな〜』
恵美は紅音との付き合いは長く、彼女の言いたいことを推理するのは結構得意だ。
ただそれは紅音が面倒くさがってあまり多く語りたがらないので慣れなせれば付き合えないのだが。
『プラスチック……人工的に作られたってのも重要かな。多分、蒼也くんのあの性格や行動はある程度演技なんだろうな〜。紅ちゃんを盲信するわけじゃないけど、注意をしておいても損はないかな。間違った見解だったらゴメンね蒼也くん』
紅音の言葉に自分なりの結論を出した恵美は満足したのか、笑いながら好物の焼きそばを口に含んだ。
「ん〜! やっぱりこれだね〜」
「幸せそうね」
「うん、幸せ〜」
幸福焼きそば空間に包み込まれる恵美を見て紅音は微笑んみながら呟く。
「羨ましい……」
それから二人は目的であるショッピングを楽しむことにした。一人暮らしの紅音にとって恵美とのショッピングは一つの趣味だ。
しばらく二人で買い物を楽しんでいると紅音は蒼也と思しき人物ともう一人、寝癖全開な感じの少年が一緒に歩いているのを見かけた。
『……ま、私には関係ないか』
一方、蒼也の方も紅音の事に気がついていた。
「あの人は……」
「どうした、蒼也」
蒼也は同じクラスの人に出会って少し驚いたがこの繁華街は学校から近い場所にある事を思い出し、すぐに紅音から目を離した。
「……いや、なんでもない。それよりももうすぐ矛盾獣が現れる。警戒を怠るなよ」
「誰にもの言ってんですかい。この勇者さまに敵なしさ」
「期待してるよ。輝明」
蒼也は寝癖全開の少年、輝明の言葉に笑いながら返事を返すと周りを見渡す。
「やっぱり一体目は数が多いから人が分散してるね。僕ら以外に矛盾者は誰もいない」
「そうだな……っと、蒼也!!」
輝明は突然緊迫した様子で蒼也を呼び止める。蒼也も同じく何かに気がついたみたいで輝明にうなずき返す。
「今周期の初陣だ。気合い入れていこう」
「おう!」
二人は拳を合わせると音もなくこの世界から姿を消した。
◆
同時刻、紅音と恵美は奇妙な場所にいた。
「ここは、一体……?」
紅音は困惑のあまりつい言葉に出してそう言った。だが、それも無理はない。何故なら間違いなくさっきまでいた場所と同じはずなのに、一瞬で周りの景色が変わったのだ。誰だって驚く。
さっきまでの面影があるものの建物はすべて廃墟となっており、何百といたはずの人はすべて消えている。さらにはところどころ火災まで発生していた。
『一体何が起きたのよ……』
こうして紅音の退屈な日常は終わりを告げ、日常とはかけ離れた日常、矛盾に巻き込まれていく。




