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パラドックス・メイカーズ  作者: 三角
Chapter2:矛盾者
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変わりつつある紅色の心

「それにしても退屈だ」


 蒼也が屋上で昼休みを過ごしていたその頃、紅音の方はと言うとトイレの鏡の前にいた。手であらゆる方向に頬を引っ張ったり顔を洗ってみたりと、とにかく忙しそうにしている。


「笑ったらダメ。笑ったらダメ。笑ったらダメ……」


 紅音は繰り返し何度もそう唱えるも、鏡に映る自分の表情はなんとも情けなく砕けた笑顔だった。

 サクランボの様な赤みを帯びる頬、緩やかなUの字を描く唇、うるうると柔らかな輝きを帯びる瞳。誰がどう見ても喜んでいるようにしか見えない。


『くそ……戻らない』


 結局、昼休みの残り時間全てを鏡の前ですごすことで、紅音はなんとか表情を戻すことに成功した。


「なんとか授業始まる前に戻った……」


 予鈴はすでになっており、紅音は急いで教室へ向かった。紅音は走りながら蒼也に言われた言葉を思い出していた。


『蒼也は私にクラスのみんなと仲良くする気はないか、って言ってた。あの時はついキツイ態度とっちゃったけど……』


 紅音は今まで、繋がりを失うのが怖いから誰かと繋がるのを拒んでいた。


「それじゃ、ダメなのよね……」


 確かに一度、蒼也との繋がりを拒んだ。だがそれは恵美を危険から遠ざけるためであって、蒼也自身を否定するつもりはなかったのだ。


『もう誰かと繋がることに怖がってばかりじゃダメだ。今を生きるって決めたんだ。まずは蒼也と仲良くなれるようにしないと……』


 考え事をしながら走っているうちに紅音は教室付近までたどり着いた。教室前で走っていると目立つので歩みを遅める。


『……今蒼也に会うと顔が崩れそうだし、なるべく顔を合わせないようにしよう』


 紅音が教室のドアに手をかけたと同時に後ろから声が聞こえた。


「あれ? 紅音さん先に戻ったはずじゃ……」

「ふわぁっ! そ、蒼也!!」


 昼休みの残り時間を屋上で過ごした蒼也は昼休みをトイレで過ごしていた紅音と教室に戻るタイミングが重なってしまったのだ。


『まずい、また顔が……』


 紅音は自分の顔が赤くなって崩れていく事を察知すると猛烈な勢いで下を向いた。


「と、トイレに行っていたのよ。蒼也こそどうしてこんなに遅かったの?」

「え? あぁ……校内を適当にぶらぶらしてたんだ。まだよく分からなくてね」


 本当は紅音と帰るタイミングが合わないように屋上にいた、とは蒼也は言わなかった。


『本当のこと言うと変な誤解を招きそうだ』


 この程度の嘘はいつもの紅音なら見破っていたかもしれない。

 しかし俯いて顔が見えない上にテンパっている今の紅音はそれどころではなかった。とにかく崩れた顔を見られないようにするのが精一杯だ。


「そ、そうだったの」

「さっきから俯いてるけど、どうかしたのかい?」

「なんでもないわ。早く教室に入らないと先生来ちゃうわよ」

「……? まぁ、そうだね」


 蒼也は疑問符を頭の中にいくつも浮かべながら教室の中に入り、二人はそれぞれ自分の席についた。

 蒼也は次の授業の準備をするために机から教科書を引き出そうとすると後ろから人差し指でトントン、と軽く叩かれた。

 蒼也は粗方何を言われるか想像できていたので、少し気を重くしつつも後ろを振り返る。


「どうした? 佐々木()()


 くんの部分をやたら強調して呼ばれた少年は、ニヤニヤと笑いながら心底楽しそうに言った。


「決まってるだろ……ってかくん付けはやめてくれよ蒼也」

「じゃあなんて呼んだらいいんだ?」

「俺には清春(きよはる)ってじぃちゃんがつけてくれたスンバラシィ名前があるんだ。名前で呼んでくれよ。あるいはあだ名でも構わないぜ」


 清春は蒼也が転校してきて初めて会話した生徒だ。

 最初は紅音と接するときと同様に柔らかな口調で話していたが、清春が距離を感じると言ってきたので蒼也は喋り方を変えたのだ。


「う〜ん……」


 蒼也は手を顎に当て数秒考え込むとハッとあだ名をひらめくと自慢げに言った。


「じゃあハルルンって呼ぶことにする」

「以外! それは女子につけるあだ名ッ!」

「じゃあサダハル」

「それ白い大型犬の名前じゃねぇかァァァァ!! つーか最初の“サダ”はどこから来たんだよ!」

「じゃあハルキヨで」

「……うんまぁ悪くないな。それでいこう」

「よかった、あだ名が決まって。それじゃ」


 そう言うと蒼也はすっと自然な動きで前を向く。


「おう……ってそうじゃないだろ! なに勝手に終わらせてるんだよ!」

「どうしたノゾミール?」

「佐々木違いだよ! つかもうあだ名変わってんじゃねぇか!」


 清春はふぅ、とため息をつくと気を落ち着させて話を続けた。


「そうじゃなくて紅音さんとはどうなったんだよ。誤魔化そうとしたって無駄だからな」


 清春はそう言ったが、もちろん蒼也も誤魔化すのは無理だと思っていた。しかし清春の反応が楽しくてつい弄ってしまった蒼也だった。


「まさか、そんな事するはずないじゃないか。紅音さんとは別になにも────」


 なかったよ、蒼也はそう言いかけて口をつぐんだ。普通に考えてなにもなかったと言って信じられないだろう。


「蒼也?」


 なんとか誤魔化そうと蒼也は考えるが特にいい案も思いつかずにとっさに適当なことを言ってしまう。


「と……友達になったんだ、よ?」

「は?」

『……無理があるか』


 蒼也は冷や汗をかきながら清春の反応を伺う。

 対する清春は意味のわからない、と言った表情をしていたが、しばらく考え込むと何か思いついたようでうんうん、と頷いた。


「どうした? 清春……」

「蒼也、なにも言わなくていい」

「は?」


 清春はニヤニヤと笑いながらそっかそっか、と納得したように頷き続ける。


「つまり“友達から”ってことだろう?皆まで言うな……俺にはわかる。そっかそっか、眠り姫は素敵なナイト様と交友関係を持ったわけだ」

「いや」


 蒼也が否定しようとすると清春は手を突き出して止める。


「いい。なにも言うな。俺は応援してる。それだけだ」

「えっと」

「さぁ、授業が始まるぜ。前を向いて教科書を開くんだ蒼也。安心しろ、誰にも言わない。男と男の約束だ……」

「……わかった。ありがとう清春」


 蒼也は聞く耳を持たない清春がめんどくさくなってしまったのでこれ以上言及するのをやめて前を向いた。


『誰にも言わないって言ってるし大丈夫だろう』


 その頃、コッソリと後ろの席から話を聞いていた紅音は机に顔を伏せながら顔が元の形に戻るのを待っていた。


『蒼也が私を友達と言った………これはもう友達ってことでいいの? いや、結論を出すのはまだ早いわ。本人に直接確かめないと……』


 そんな紅音の様子を見た恵美は不安そうに眉をひそめる。


『蒼也くんと何かあったのかな。紅ちゃんは何かあっても言ってこないから不安だな〜……』


 それから放課後。

 紅音と恵美はいつものように二人で下校していた。

 いつになく気の抜けた表情を浮かべる紅音に恵美は心配になって声をかけた。


「こうちゃん」

「……」

「ねぇこうちゃんってば〜」

「え、あぁ……ごめんめぐ。どうしたの?」

「もう、今日のこうちゃんなんか変だよ〜。どうかしたの?」

「ううん。なにもないわ」


 恵美は事情を話してくれない紅音と接してすこし嫉妬していた。

 もちろん紅音にではない。紅音が気にしているナニカにだ。恵美は紅音の自分への対応が少し淡白なのが寂しいのだ。


「そう言えば蒼也くんと何かあったの〜?」

「え? いや………」

「その反応、図星だね〜」

『しまった。こうなった恵はなかなか諦めてくれないのよね……でも矛盾者の戦いの事を話すわけにはいかないし……』


 紅音はとりあえず矛盾者の部分だけ省いて話をする事にした。


「昨日、めぐといつの間にかはぐれちゃったじゃない? そのあと蒼也と会って……その、友達になったのよ。今日二人で話してたのは蒼也が恵美の事は名前で呼ぶのに私の事を苗字で呼ぶから、名前で呼んでって言ってきただけよ」

「…………え?」


 ポカン、と口を開けて放心する恵美に紅音は慌てて話を続ける。


「あ、でも向こうは私の事を友達って思ってくれてるかどうか分からないし、もしかしたら一方通行の友情かもしれないわ………」

『もう関わらないでって言っちゃったし……』


 しばらくしてふと我に返った恵美は紅音の言葉を思い出し瞬間的なパニックに落ち入るが、深呼吸をして心を落ち着かせる。

 あらゆる状況でも瞬時に冷静になり、思考する事ができるのは恵美の無自覚な長所だ。


『蒼也くんと友達になれてるかどうかって……なんでこんな恋する乙女みたいになってるのかな〜……恋をしているわけでもないのに』


 そこまで考えてから恵美は紅音が《血の海》以来友達を作らなくなった事を思い出した。いや、作らないどころか恵美以外の元々の友達との繋がりも全て断ち切っていたのだ。

 そんな紅音がなぜ急に友達を作ろうとしたのか。


『紅ちゃんが変わった時に蚊帳の外だったのは少し悲しいけど……そっか友達作る気になったんだ』


 恵美は自分の知らないところで紅音になにがあったのかが気になったが、ここで言及しても仕方がないと判断した。

 なにより今は、珍しく悩みを話してくれた事に、そして紅音が友達を作ろうとしてる事を喜ぼう。そう考えた恵美は嬉しそうに言った。


「こうちゃん、蒼也くんと友達になったんだ〜。よかったね〜」

「……まだわからないわ。もしかしたら嫌われてるかもしれない」

「大丈夫だよ〜。だってこうちゃんは本当は誰よりも優しいって、私知ってるもん」


 紅音は顔を赤くするとボソボソと小さい声で言った。


「………う、うるさい」

「えへへ、ごめんね〜」


 恵美は笑顔を崩さずに嬉しそうにそう言った。

 その言葉に、紅音は嬉しくて恥ずかしくて、なにも言う事ができなかった。

 しばらく歩くと二人の帰り道が分かれる公園についた。

 恵美はいつものように手を振って別れの挨拶をする。


「それじゃ、また明日ね〜」

「ま、まって……」

「ん? どうしたの〜」


 恵美を呼び止めると紅音は周囲を誰もいない事を念入りに確認する。


「こうちゃん?」

「……その、ありがとう。さっきの言葉嬉しかった」


 小さな声で、しかし確かに紅音はそう言った。

 恵美は親友が珍しく素直に喜びを伝えてくれた事に驚き、また嬉しく感じた。

 確かに、恵美は紅音を変えたのが自分ではなかったのが少し悔しかったし、嫉妬した。

 それだけ紅音の理解者であると自信があったからだ。

 しかし紅音を変えてくれた人物への感謝の念はその悔しさや嫉妬心の何倍も大きく、恵美の心を満たした。

 それだけ、紅音への思いが強かったからだ。


『きっと、もっと変わっていけるよ。こうちゃんなら』


 恵美は満面の笑みを浮かべると、目をつぶって紅音の言葉を噛みしめるように言った。


「そっか、喜んでくれたんだ……そう言ってもらえると私も嬉しいな」

「そ、それじゃ。また明日」


 紅音はそれだけ言うと逃げるよう自分の帰る方向へと行ってしまった。


「また明日〜」

『……それにしても周囲確認が念頭すぎる気がするな〜。まだ完全に心を開いたわけじゃなさそうだね〜』


 恵美の予想通り紅音が完全に心の扉を開くのはまだまだ先の事だろう。

 だが、その扉は確実に開きつつある。


「……恵美は私が守ってみせる」


 家に着いた紅音はぐっと拳を握りしめ、鏡の前に立ち、自分を見ていた。


 鏡の中に写るその瞳は、確実に扉の向こう側を見据えていた。


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