戦いはまだ終わっていない
「私たちに今臨在関わらないで」
そう言葉にした紅音の表情は無表情だった。たとえ背を向けていても、表情を作ってしまうと本心を読まれる気がしたから。
「………まぁ、そうなるよね」
蒼也には紅音の考えていることが理解できていた。
紅音の考えていることはただ一つ。恵美を巻き込みたくない。ただそれだけだった。
自分は巻き込まれたくないとか、蒼也が嫌いだとか、そういった感情は微塵もなかった。
むしろ、紅音は蒼也には申し訳ないとさえ思っていた。紅音の命と心、その二つを救ったのは間違いなく蒼也なのだから。
それを理解した上で、紅音は蒼也を拒んだ。
言い訳もせず、妥協もない。ただただ蒼也との関係を完全に断ち切った。
しかし紅音には……一言、たった一言だけ、蒼也に言わなければならないことがあった。
「ごめんなさい。救ってくれてありがとう」
紅音は淡々と無感情にそう言った。
ただ、それは表面上だけの話で、紅音の心の中はこれまでにないほど揺れていた。
蒼也と触れ合っていけば、きっと何か大切なものを見つけられる。そんな予感が紅音にはあった。求めていた何かを手にできると確信していた。
だけど、とその思いを拒むように紅音は強く唇をかんだ。
『そのために、恵美を巻き込むことは死んでもできない。あの子は、私が血の海全てを失った後、初めてできた繋がり……もう絶対に失ったりしない、離したりしない!』
故に、紅音は蒼也との繋がりを拒んだ。恵美との繋がりを護るために拒んだ。
「気にすることはないよ。君の言うことはもっともだ」
蒼也はそう言うと立ち上がり、未だ背を向け続ける紅音にキッパリと言い放った。
「でも、それはできないよ」
「えっ! なんで……」
蒼也の言葉に驚いた紅音は振り返ると蒼也に問いかける。
蒼也はやりきれない表情をするとゆっくりと話を続けた。
「それは恵美さんがまだ《変革》していないからだ」
「それが……どう関係してるのよ」
「いいかい。落ち着いて聞いてくれ」
蒼也はそう言うと紅音から目をそらし、屋上の出入り口を見た。
「恵美さんの《変革》は完全には行われていない。だけど、逆に言えば不完全な《変革》状態ってことなんだよ。今の恵美さんは異世界と現実世界、その二つ世界のどちらにも属さない不安定な状態なんだ」
そこのまで聞いて紅音は自然と思い至った。どんな事でも不安定なモノは安定するために変化をする、という事に。
「……まさか!」
紅音の緊迫した言葉に、蒼也は頷くと緊張した面持ちでゆっくりと言った。
「恵美さんはもう一度異世界に引きずり込まれるよ。近いうちに必ずね」
その言葉は鋭く尖ったナイフのように紅音の心を容赦なく突き刺した。
蒼也はできるだけ優しく話すように心がけながら続けた。
「キツイことだけど、どうしようもない。次に恵美さんが異世界に巻き込まれた時は僕と輝明で現実世界へ連れ戻すよ……それが終わった後は君たちとは関わらないようにする」
この事を伝える前に蒼也が紅音から目をそらしたのは、紅音の心が折れると思ったからだ。
本来、蒼也には恵美を助ける理由なんてなかった。むしろ、新規参戦者というライバルが減るなら好都合のはずだ。
しかし、蒼也にはそうしない理由があった。
『だからイヤなんだ、こんな不毛な戦い……』
蒼也はいつまでも返事がない紅音を心配して恐る恐る紅音に視線を向けた。
しかし、紅音の表情は蒼也の想像とは違っていた。
「………まだ、恵美の戦いは終わっていなかった。そういう事ね」
その力強く握られる拳は、鋭い眼光は、まっすぐ伸びた背筋は、戦うための決意に満ち溢れたものだった。刺さったはずのナイフは、まるで強固な盾のような心には刺さっていなかったのだ。
紅音はまっすぐ蒼也に目線を合わせると、意を決した顔つきで言った。
「矛峰、さっきあんな事を言ったばかりで悪いんだけど………私に、力の使い方を教えて。恵美を守る方法を教えて」
紅音のその言葉に蒼也は驚きの表情を見せた。蒼也の想像よりも、ずっと紅音は強かったのだ。
恵美のために強くあろうとする心が、紅音の柱であり、全てだ。暴走したのは心の支えである恵美を失ったからだ。逆に言えば、恵美を守るためならどんな事にも臆さない誰よりも強固な心を持つ事ができるということだ。
『心の弱い女の子だと思っていたが、認識を改めた方がいいかもしれないな』
蒼也は体ごと紅音の方を向くとスッと垢抜けた顔をすると言った。
「もちろん構わないよ。本当の意味で恵美さんを救うことができるのは紅音さん、君だろうからね。なにより、今の言葉で僕も君の力になりたいと思えたよ」
蒼也はこれまで見せた事のない、心の底から嬉しそうな笑顔をした。偽物の仮面をとった蒼也の笑顔は、紅音には眩しく思えた。柔らかなこの笑顔をずっと見ていたいと、そう思えた。
『って何を考えているんだ私は!!』
紅音はそんな自分の考えが恥ずかしくなって頭に血がのぼる。
「……くそっ!!」
煙でも出そうなほど赤面した紅音は、蒼也から逃げるように屋上の出口まで駆け出した。
「ちょっ、盾宮さん?」
紅音はドアノブを握ると立ち止まった。そして蒼也から顔が見えないようにしながらモゴモゴと声をくぐもらせながら言った。
「………紅音」
「え?」
「私の呼び方……盾宮じゃなくていい。そもそも恵美だけ名前で呼んでるなんておかしいじゃない」
そんなこと正直どうでもよくないか、と蒼也は首をかしげる。
しかしどうでもいいと言ったら怒られそうなので、蒼也は恵美を苗字で呼べない理由を言ってみる。
「いや、そもそも恵美さんの苗字知らないし……」
「もう昼休みも残り少ないし今はここまでね。他の説明は放課後にしましょう。十七時に中央公園に集合ね。遅れたら承知しないから」
紅音の強引な説明に蒼也の話はうやむやになってしまった。
蒼也は放課後に用事はないが放課後が無理だと言ったのは紅音の方ではないか、と思ったりしたがそれも言うと怒られそうなのでそっと胸の中にしまい込んだ。
「は、はぁ。わかったよ、たて……紅音さん」
「じゃあ放課後に……そ、そーや……」
紅音は最後にぎこちなく蒼也の名を呼ぶとさっさと扉を開けて逃げるように屋上から出て行った。
一人屋上に残った蒼也は、頭の中に疑問符をいくつも並べる。携帯で時刻を確認すると昼休みはまだ二十分は残っていた。蒼也には残り少ない、と言うほどでも無い気がした。
昼食はまだだったので教室に戻って弁当を食べようとしたが、ふとクラスの現状を思い出す。
『クラスのみんなは今の僕は紅音さんから重要な話を二人きりでしてるってことになってるんだった。いや、あってるけどニュアンスが違うっていうか……とにかく今教室に戻るとクラスのみんなから質問攻めにあいそうだし、昼休みはここで過ごそう』
そう思い到ると、屋上入り口の日陰まで移動し、座り直す。
蒼也は青々と輝く空を見上げ、紅音の言葉や言動を思い出す。その中には恵美を失うこと、繋がりを失うことに対する怯えを強く感じた。
『紅音さんの人との繋がりに対する思いは、相当なものがあるけど、いったい過去に何があったんだろうか……?』
蒼也は推測して答えが出るような疑問でないことは理解していたのか、いまだ手の中にあった石を投げると同時に考えるのをやめた。
「……しかし、名前とか苗字とか、そんなにこだわる必要あるのか? 最初から名前で呼んだのは恵美さんに対して馴れ馴れしかったかな? いやでも苗字知らないし……」
結局こちらの疑問も答えが得られずに悶々とする蒼也であった。




