矛盾者
「どこまで上がるんだい? その先は立ち入り禁止の屋上しか無いけど」
蒼也は階段を上がり続ける紅音につい質問をしてしまう。
「馬鹿ね、立ち入り禁止だから行くんじゃない。誰にも会わないためにね」
紅音の言葉に、蒼也はクラスの人が言っていた事を思い出す。
『眠り姫は休み時間は常に寝ているが、昼休みだけは別なんだ。昼休みが始まるとすぐに弁当持って教室を出て行く。尾行しようとした馬鹿もいたが撒かれたらしいぜ』
蒼也はそのセリフを思い出すと、なぜ紅音はクラスの人間と関わりを持とうとしないのか、と疑問を持った。
「きみはクラスの人達と友人になろうとは思わないのかい?」
蒼也の言葉に紅音は急に歩みを止める。紅音はしばらくその場で止まったあと、なんでもなかった様にまた歩き出した。
そして、抑えられた怒りと少しの悲しみの混じった声で呟くように紅音は言った。
「…………くだらない質問してないで行くわよ。質問するのは私の方なんだから」
それに、と紅音はさらに付け加える。
「嘘の笑顔しか他人に見せないあなたに、そんなこと言われる筋合いはない」
蒼也は何も言い返さなかった。いや、言い返せなかった。
蒼也には紅音の寂しげな孤独な背中は、崩れてしまいそうなほど、脆く見えたからだ。震える声は、弱さを隠す強い意思に思えたから。
「ついたわ」
たどり着いたのは屋上へのドアだ。随分と古臭く、所々錆びついており、塗装もはがれている。
しかし、見た目が古臭い割には鍵の部分だけ精巧にできていた。鍵穴に小型のセンサーが付いており、鍵に内蔵されたチップを感知するものになっている。つまり、鍵の形とチップ、二つが同じじゃないと開かないということだ。
鍵の構造を思い出した蒼也は紅音に質問する。
「けっこう厳重な鍵がかかってるって先生には説明を受けたけど……」
「そうね」
紅音は淡々と答えるとポケットから針金を取り出す。蒼也にはその行動の意味が分からずつい疑問を投げかけてしまう。
「いや、その針金はなんだい?」
「退屈な質問ね。ドアを開けるための針金に決まっているじゃない」
「そう…………は?」
蒼也は鳩が豆鉄砲を食ったように驚く。そんなことは通常なら不可能だ。チップなんて針金にあるわけがないし、そもそも針金で開けれるような単純な鍵穴ではないのだ。
蒼也は紅音の考えなしに見える行動に呆れてしまう。
「いやいや、昔のドアならまだしも最近のドアはそんなんじゃ無理だよ」
「えい」
蒼也の言葉を無視して鍵穴に針金を差し込む。それからカチャカチャと針金を動かし、鍵穴から引っこ抜く。
すると小さな基盤のついたコードが針金に引っかかって出てきた。紅音はコードについている基盤を取り外すと違う基盤に交換して鍵穴にしまう。
つまり基盤を変えることで鍵を開けるためのチップの種類を変えたのだ。
「…………な……」
それを理解した瞬間、蒼也は言葉を失った。
それから紅音はポケットから鍵を取り出し鍵穴に入れぐるりと回す。するとガチャ、とさも当然のように鍵が開く。
紅音はドアを開け、何もなかったかのように振り返ると蒼也に言った。
「ほら、開いたわよ……ってどうしたの?」
「…………そんな……バカな」
蒼也はことばを失った、と言うより紅音に言葉を奪われた。絶句とはまさしくこのことである。
『この人は何者なんだ……』
紅音は呆然と立ち尽くす蒼也に呆れ顔でグイグイと背中を押す。
「のんびりしてないでさっさと行くわよ。こんなところ見られたらタダじゃすまないし」
「わ、わかった…………君がとんでもない人だってことがわかったよ」
「何か言った?」
「なんでも」
蒼也はなんとか放心状態から立ち直ると屋上へ出る。それから紅音は外から鍵を閉めた。
紅音は屋上の隅に座ると蒼也にも隣に座るようにと隣を手で叩きジェスチャーする。蒼也は少し悩んだ後、紅音に従い隣に座る。
「さて、色々聞かせてもらうわよ」
「わかってる。本当は放課後話すつもりだったんだけど」
「放課後は恵美と帰るから無理」
蒼也には紅音の優先順位が未だに理解できなかったが適当に相槌を打つことにした。
「なるほど……さて、どこから話そうか」
蒼也はそう呟くと近くに転がっていた手のひらサイズの小石を拾った。拾った小石をコロコロと手の中で転がしながら話しを始める。
「そうだね。盾宮さんから聞きたいことがなければ、まずは僕ら《矛盾者》について説明したいんだけど。その方がまとめて説明できるし」
「……」
蒼也は紅音からの返事がなかったのを肯定のサインと受け取った。手のひらの小石を真上に投げてキャッチ、その動作を繰り返しながら説明を始めた。
「矛盾者ってのはあの化け物────矛盾者は《矛盾獣》って呼んでるんだけど、まぁそいつらを倒すために活動してる人達のことさ」
「……どうして危険をおかしてまであんな化け物と戦っているの? メリットはなに?」
蒼也は投げた小石をキャッチすると強く握りしめ、低い声で言った。
「僕らは《願いを一つ叶えるため》に戦ってるんだよ」
「…………!」
紅音は絶句した。そんな夢物語のようなことがあるのか、と。
しかし、あんな異常な事態を見せられて今更信じられません、と言うことも紅音には無理だった。
結論として、紅音は一度驚きはしたものの、その事実をすぐ簡単に受け入れてしまっていた。
「なんだ、もっと驚くと思ってたけど、信じられないって顔はしてないね」
「当たり前でしょ。あんなもの見せられて今更なにを疑ったらいいのよ」
「違いない」
蒼也は適当に笑って返すと話を続ける。
「願いならなんでもいいって訳じゃなくて幾つか制約はある」
「例えば?」
「今の所判明してるのは、世界の創造、破壊。人間の蘇生、殺害。曖昧な願い。すでに叶っている願い。願いを増やすこと。願いの譲渡……あたりかな」
「結構多いわね」
「まぁ、万能ではないってことは覚えておいてくれたらいいよ」
紅音は少し考えてみる。自分なら、なにを望むのだろう、と。
『富? 名声? 力? そんなものはいらない。私は正直、生きるのに飽きてる。高望みなんてしない。強いて欲しいものを言うなら生きることへの興味か。そんな願い、曖昧すぎて叶わないだろうけど』
結局のところ、紅音は叶えられる願いを見つけるに至れなかった。
紅音は自分の欲求の少なさに呆れつつも、とりあえず話を続けた。
「で、その矛盾獣ってのをどれくらい倒せば願いを叶えられるの?」
「一年間に矛盾獣は十種類出現する。その十種類全てを倒したら願いを叶えることができる」
「もし一体でも逃せば?」
蒼也は困ったように笑うと呆れ半分に言った。
「矛盾獣を一体仕留め損ねた時点で一年間奴らと戦う権利を失い、来年度の四月からやり直し。もちろん去年度に何体倒そうが最初からさ…………まったく嫌になってくるよ」
「あんなのを十体……結構きついわね」
「まぁ、簡単に願い事が叶っても困るよね」
紅音はそれもそうだ、と心中で呟くとゆっくりと立ち上がった。
くだらない戦いだ、それがこれまでの蒼也の話を聞いて感じた紅音の正直な感想だった。それどころか、そんな退屈なことのために恵美が傷ついたと思うと、紅音の心中は穏やかではなかった。
『退屈な争いに巻き込まれたわね……いや、そもそもこれは強制参加なの? 恵の記憶喪失もまだ理由を聞けてない……』
紅音は強制参加だとめんどくさいな、とため息をつきながら蒼也に質問する。
「その戦いは強制参加なの? 正直、私は参加する気ないんだけど……」
紅音の質問に蒼也は軽く頭を振った
「いや、参加したくなければ参加しなくていいよ。最初の一回目を除けば自分の意思でしかあの《異世界》には行けないからね。逆に言えば初回は絶対強制参加だけど……」
紅音はその言葉を聞いたと同時に大きな舌打ちをする。それだけ不快だったのは分かるが、蒼也としてはもう少し女の子らしくというか、慎ましい態度をした方がいいのではないかと思う。
「ふざけたルールね………それともう一つ、質問があるわ。恵美はどうして記憶を失っているの?」
「あぁ、それね。彼女の体がまだ矛盾者として《変革》してないからだよ」
「《変革》……?」
「そう、昨日君は感じたはずだ。頭の中で繋がってはいけないナニカが繋がった感覚を。恵美さんはそれがまだない。つまり彼女はまだあの異世界の住人ではないんだよ。矛盾者じゃない彼女は異世界の記憶をこの世界に持ち込めないのは当然のことだよ」
「なるほど……あれが《変革》ね」
変革の衝撃が相当辛かったのか、思い出しただけで紅音の顔はいつもより不機嫌なものとなった。
「まったく……ふざけてるわね、全てが」
恵美がまだ《変革》していないことに安堵すると、蒼也に自分と恵美の不参加を表明する。
「とにかく参加が強制で無いのなら私も恵美も参加しないわ。それと………」
紅音はその先の言葉を発するのに、少し躊躇した。これから自分の言うことは最低のことだと自覚していたから。
それでも、紅音には言わなければならないと理由があった。
何を犠牲にしても、護りたいものがあった。
紅音は一度、唇を強く噛むと蒼也に背を向けてゆっくりとその最低な言葉を口にした。
「矛峰、あなたは今臨在私たちに関わらないで」
その瞬間、紅音の中で蒼也との繋がりは断ち切れた。




