キアンの怒り
メルティックは重い体を引っさげて家へ戻ってきた。
いつもと違い、アインのお帰りの挨拶はなかった。
二人はこの前、喧嘩してからまだ仲直りしていないのだ。
‘まだ、怒っているのかな’
誰が間違っているのか、誰が謝らなきゃいけないのか、
メルティックはよく知っていた。
彼は今まで自分がやっていたことがひどい事だと思っていたから。
キアンに逆らってはこの村で生きていけないという恐怖心が、
そして、それでは姉を守れないという危機感が
メルティックの行動から倫理という単語を削除してしまったのだ。
‘けど、後もう少しだ’
しかし、そんな今までの悪事ともサラバだ。
メルティックは考えもしなかった幸運に巡り合い、
毎日それに感謝しながら自分を鍛えている。
今のレベルは8。10になるのも時間の問題だ。
即ち、もうちょっとがんばるとキアンにへいこらしなくても姉を守れるはずだ。
そうなるとキアンが自分にさせた全ての醜悪なことについて
キアンたちを連れて謝らせることもできる。
メルティックは実は邪悪な人ではなかったのだ。
装備を外しながらメルティックは笑った。
レイのことを考えたのだ。
彼に出会わなかったらどうなったのだろうか。
彼は姉を除き、メルティックが最も感謝している人だ。
‘10レベルになると…パーティーに入れてくださいとお願いしなくちゃ’
メルティックはレイと行動を共にしたかった。
もちろん熟練した冒険者が自分のようなひよっこを入れたがるのかは疑問である。
レベルの差も大きく、戦力に成り得るか否か非常に疑わしい。
しかし、レイはとても優しい人で、
メルティックの成長にも大きな関心が持っていた。
入れてくださいと何度もお願いしたらついには許可してくれるはずだ。
最初はみんなのお荷物だろうけど、いつか受けた恩を十倍、
いや百倍返しすると決心していた。
‘そんなことができるかな’
メルティックはベッドの上で横になり、フフッと笑い出した。
レイと一緒にいながら彼から受けた恩を返す。
彼のおかげでこれからの生活が変わるのを考えると
メルティックが一生をかけても返せないほど大きい恩かも知れない。
レイはメルティックの命を救い、
その人生の可能性を導いてくれた恩人であるからだ。
‘とにかく兄貴が共に行動を許可すると村の人々に謝った後、
この村を出よう。姉さんのことは今までの働きで何とかなるだろう’
彼は今後の姉のことを心配しなかった。
3ヶ月ぐらい生活できるお金は稼いだので、
その後、必要な分は冒険者になってから稼いだ分を送るといいと思ったのだ。
姉と一緒にいられないのは悲しいが、
外でいっぱい稼ぎ、姉の病気を治せる大金を手に入れる方が重要だった。
メルティックは今後のことを心の中で決めたからか笑顔になった。
しかし、それもほんのひと時であった。
「うん?」
彼の表情から先ほどまでの笑顔が曇り、無言で固まってしまった。
今になっておかしいと思ったのだ。
家に何の気配もない。
メルティックの鋭い感覚に気配が感じられないというのは
家に誰もいないという意味である。
しかし、アインが外に出かけたとしてもこんなに遅くまで戻らないはずがない。
彼の姉は体が良くないので、外で長い時間活動するのは無理である。
メルティックは不吉さに体を起こし、急いで姉の部屋へ行った。
いつもよりドアを強く開けると中から姉の匂いがした。
メルティックは手で一度ベッドの上を擦った。
布団とシーツの位置がいつもと違い、片付いていない。
メルティックの表情が固まった。
アインの性格でそういうのはありえないことだ。
即ち、誰かが姉の部屋へ入ってきたことを意味する。
それなら答えは一つだ。
拉致。
‘いったい誰が? 何で?’
メルティックは頭の中がくるくる回るようだった。
彼は全神経を集中した。
「……!」
姉以外の体臭を部屋の中で感じたのである。
人数は二人。
彼は血の気が引き、戦慄が背筋を乗って上がった。
気を引き締め、その体臭にもっと集中した。
何と彼が知っている体臭のようだった。
‘誰の体臭だ?!’
まもなくその持ち主の顔が浮び上がった。
共にキアンに従う二人の少年のだった。
‘彼らがなぜ?’
不吉さに肋骨に響くほど胸の音が高鳴り、冷や汗が流れ始めた。
その体臭は色んなところで出ていた。
彼はその場所を一つ一つ手で擦ってみた。
すぐに一番体臭が強く留まっているところの一つから
大きな手がかりを見つけた。
それはベッドのそばにある小さいテーブルの上に折りたたまれた紙だった。
彼はその紙を広げてみた。
そして、指先でそこに書いてある文を読み始めた。
-キアン様の別荘の倉庫へ来い。
「くそ!」
メルティックは紙を握りつぶし、部屋を飛び出した。
そして、誓った。
「姉の身に何かあったら絶対許さない!」
見えない二つの目がその誓いと共に熱く、ずきずき疼いた。
しかし、彼はそんな苦痛に全く反応しなかった。
***
キアンの家は村の湖の近くに別荘を一つ持っている。
そこの倉庫でキアンは下っ端たちと一緒に時間を潰したり、
次のいたずらを計画していた。
メルティックがその倉庫のドアを蹴飛ばしがら中へ入った。
「貴様ら!」
「お、来た来た」
「すごい鼻息だな」
ドアが開いて中の情景が表れた。
目が見えないメルティックにもここの光景が分かってきた。
干し草の上にキアンが座っており、
その両側に彼の部下たちが護衛するように立っている。
そして、左側に立っている少年の隣に、縄で縛られている人がいる。
メルティックが探していた少女だ。
「メルティック!」
アインはメルティックに向けて差し迫った声で叫んだが
そこには何の意味も含まれていなかった。
それしかできないのは、
今の状況でメルティックに救ってくれと言うことも
逃げなさいということもできないためである。
それでその叫びは単なる悲鳴だったことに変わりはない。
メルティックの表情が真っ青になった。
「こ、これはいったい何のことだ?」
「お前が身のほども知らずでしゃばっているからだ!」
「そ、それは何のことでしょうか。私はただ…」
キアンの怒気を含んだ声にメルティックは苦笑いをしながら弁解しようとした。
しかし、キアンはその話を切ってしまった。
「レベルを上げていたよな。
それもわけわからない奴に媚ながらな」
「いえ、それは…」
「その上、そいつに俺の悪口をいっぱい言ったって?
とんでもない奴だな」
「そんなことしてない!」
慌ててメルティックは叫んでしまった。
レイの助けによってレベルを上げているのは間違いない。
そして、そのためにキアンの招集命令を何回も無視したので、
後で何か言われるかもしれないのは覚悟していたことだ。
しかし、レイにキアンの悪口を言った覚えはない。
キアンをいい人だと思ったからではない。
不安だったためだ。
レイを信じているのとは別に、
自分の言葉が漏れるかもしれないからである。
メルティックはずっと恐怖に追われながら生きてきたので、常に気を張っていた。
いつ自分に悪いようになるかも知れない悪口を言うはずがない。
しかし、キアンの胸の中ですでに真実は決められているようだった。
「ないだと?随分生意気になったな」
「ありません」
「命令は無視、敬語も無し。
大人しく黙っていると付け上がるか?」
「いいえ、滅相もありません」
メルティックは入ったときと違い、
硬くなったままできるだけ謙虚に答えた。
キアンに従っていたこともあり、今は姉が人質に捕らえられている。
キアンに服従することに何の拒否感もなかった。
「なら俺の言うことを聞いたらいいはずなのに、
どうして冒険者なんかにくっついて、俺の悪口などをいいやがるんだ?
それも俺の招集命令まで無視しながら…
俺を甘く見すぎてるな?」
「いいえ」
「キアン様を馬鹿にしたよな?」
「そうでなければキアン様の命令を無視して
その流れ者と共にいる理由がないじゃん?」
キアンの隣にいる二人の少年が煽り立てるように話した。
メルティックは込み上げる怒りを辛うじて堪えながら彼らに弁解した。
「い、いや。ただ俺はお金を稼ぐために…」
「へえ、お金はキアン様から頂くので充分だったんじゃない?
キアン様は太っ腹な方だけどな」
「それは…」
「まさかキアン様と手を切るつもりだった?気に入らなくて?」
「……」
メルティックは答えられなかった。
それが本音だったからである。
キアンはそれに呆れて物も言えなかった。
自分の忠実な犬として残忍なことも躊躇わないでやってきたメルティックが
そんな考えをしていたとは思ってなかったからだ。
キアンはため息をつきながら話した。
「それが正解だったようだな」
「た、ただそっちのほうがもっと稼ぎやすいと思って…」
ついにキアンの怒りが爆発した。
「黙れ!誰のお陰に今まで食っていると思ってるんだ!」
キアンが歯ぎしりし目をかっと見開いて叫ぶ姿に、
メルティックは歯を食いしばるだけだった。
彼としては何もできない状態だったから。
「見ましたか?」
「あいつ、恩を仇で返そうとじわじわ準備していたんですよ。
まさに飼い犬に手を噛まれたことですね」
「貴様ら!」
メルティックの憎しみが二人の少年に向かった。
その地位を自分に奪われた今の彼らは
何かに魅入られてしまったと表現するほうが相応しいほどだった。
「あら、怖い。
レベルが上がったから私など何とも思わないってことかな?」
「まあ、キアン様も見下している奴だからそれも当然だよな」
「貴様ら、死にたいのかよ!」
「お前こそどこで大声を出すんだ!」
キアンが立ち上がり、自分の下っ端たちを庇った。
メルティックの体が怒りと恐怖に震えた。
彼はずきんずきんする目の痛みが一層強くなるのを感じながらキアンに謝った。
「申し訳ありません。
これからは余計なことは考えないでキアン様に忠誠を尽くします。
今回のことはぜひ許してください」
メルティックは跪き、キアンに頭を下げた。
「ふうん。お前の言葉をどうやって信じるんだ?」
「どうすれば信じてもらえますか?」
「そうだな。一つ考えておいたことがあるんだ。
おい。連れて来い」