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ブルーシェイド  作者: 衛陸 正人
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蘇生Ⅲ

 廃ビルは、コンクリートの壁面があちこち剥がれ落ち、鉄骨が剥き出しになっていた。

 まるで朽ち果てた巨大な生物の死骸のように、「死」の雰囲気を周囲に放っている。

 そんな廃ビルの影に、あの青灰色の髪をした青年がじっと身を潜めていた。


「…………」


 青年は、背負っていたソフトケースを立てかけて、廃ビルの壁にもたれかかっている。

 背後を肩越しにちらりと覗き見て、遠くの様子を伺っているようだった。

 青年の視線の先には、大中小、三体の人影があった。

 地平を蒼白く照らす満月の下で、陳腐な影絵のような人影がゆらゆらと揺らめいていた。


 その揺らめきは、仄かな月光の乱反射によるものでもなければ、陽炎、蜃気楼の類いでもない。

 単純に、彼らの挙動不審さゆえに生じているものだ。


 三人の男たちは、時折何かに怯えるような、もしくは叩きつけるような怒声を上げて身を捩じらせ、自分でも理解の及ばぬ感情に身を委ねていた。

 彼らが自分たちに投与した麻薬のせいだ。

 ただ、「麻薬」といっても、彼らの脳を駆け巡っているのは、おさだまりの白光剤(アンフェタミン)などではない。

 電脳麻薬(ハルシオン)と呼ばれる、脳の快楽神経を刺激する目的で組まれたプログラムだ。

 ひとたび電脳麻薬(ハルシオン)をうなじの埋植器(レセプラ)から脳内に流し込んでしまえば、「麻薬」はさながら跳弾のようにニューロンをひっかき回し、使用者を極上の快楽に溺れさせてしまう。

 ――そんな、すこぶる危険なシロモノだ。


「……組み上げた俺が言うのもなんだが」


 青年はぼそりと呟いた。


「アレは効果が強すぎる。脳への負担が重すぎて、並みの人間じゃ複数回の使用に耐えきれない。顧客を依存状態に陥らせられるところが麻薬の旨味なのに、依存する前に脳がイったら商売にならない」


『ふうん。つまりクロム、貴方が作って売ったプログラムは《失敗作》だったってことね』


 立てかけられたソフトケースの中から、女性の合成音声(シンセボイス)が聞こえた。

 ルシールという人工知能(AI)のものだ。

 その声は、どこか青年をからかうような調子を持っていた。


「馬鹿言うな。依存性が期待できないというだけで、麻薬としての効能は絶対に保障できる。……まさかお前、俺がハンパな出来の商品を顧客に売るとでも思っていたのか」


 不満げな青年の反駁を、しかしルシールは軽くかわしてみせる。


『はいはい。麻薬の出来不出来なんて人工知能(AI)の私にはわかりませんけどね……クロム、貴方が麻薬の売人に決定的に向いていないってことだけは、私にもはっきりとわかるわ』


「何だと」


 クロムと呼ばれた青年は眉をしかめた。


『今の状況が何よりの証拠じゃない。だいたい、あんな得体の知れない三人組に分割払いを認めるなんて、はじめからお金はいりませんと言っているようなものよ』


 青年は思いあぐねたように舌打ちをする。


「かといって、一括で払えといって素直に払うような連中でもない。最岸層(リム)ではまともな取引を期待する方がそもそも無駄なんだ。最終的には手荒い仕事に打って出る必要があることを、心のどこかで覚悟しておかなきゃならない。そうでなければ、最岸層(リム)ではやっていけない」


 青年は――クロムは思い出す。

 一週間ほど前、あの三人の男がクロムの構える店に現れ、電脳麻薬(ハルシオン)を売ってくれと頼み込んできた。

 あんたの組むプログラム、最高にイカれてるって評判だぜ、だから俺達にも売ってくれないか。

 見るからに危うい連中だった。

 もっとも、最岸層(リム)ではまともな人間に出会う方がまれだが。


 男たちの申し出を受けたクロムが金額を口にすると、三人は「今はそれだけの持ち合わせがない、とりあえず頭金として半額だけは払う、残りは一週間後にまた払いにくるから売ってくれ」と訴えてきた。

 クロムはあっさりとそれに応じた。

 三人から半額分の電子貨幣(マネー)を受け取り、引き換えに電脳麻薬(ハルシオン)のデータを三人に送信した。

 電脳麻薬(ハルシオン)のデータを受け取った男たちは、埋殖器(レセプラ)からデータがじわじわと脳内を駆け巡っていく感覚を噛みしめ、麻薬のもたらす多幸感にひとしきり酔いしれると、奇声を上げながら店から走り去っていった。

 解っていたとはいえ、ロクでもない客を相手にしたことにクロムは憤りを感じたが、すぐ胸の外に追い出した。


 それから一週間が経過した。

 約束の期限が来ても、三人が残額を払いに店に現れることはなかった。

 三人の方から連絡を取ってくることもなかった。

 すべては梨の礫だった。


 事態は、最初からクロムが予想していた通りになった。

 最岸層(リム)のアウトローたちを相手に商売をするということは、こういうことなのだ。

 クロムはすぐに行動を開始した。準備も万端に整えられていた。

 今度は麻薬の売人ではなく、代金の取立人として。

 残りの金額を――利子付きで――回収せんがために。


 そして――今に至るというわけだ。


「とは言っても……さて、具体的にどうしようか」


 なおも三人組の狂態をビルの影から伺うクロム。


「……ん?」


 そのとき不意に、大・中・小の影のうち、大の影の動きが止まり、ズンと大きな音を立てて前のめりに倒れ込んだ。

 ぶくぶくと太った肉体は、遠目でもわかるくらい激しく痙攣している。

 とうとう肉体が限界を越え、息絶えようとしているのは、誰の眼にも明らかだった。


『ちょっと、まずいんじゃない、あの人』


 ルシールが心配そうな声を上げる。


「確かにマズイな」


 一方で、クロムはまた別の方面から心配していた。


「あのまま死なれたら、それこそ元も子もない。記憶(メモリ)に保存してあるはずの電子貨幣(マネー)を回収することもできなくなる。脳死されたら、記憶(メモリ)もパー、電子貨幣(マネー)もパー。ここまで来た意味がなくなってしまう」


『あら……そっちの心配をしてるのね。で、どうするの。何か策はあるの?』


「奴らの埋殖器(レセプラ)に《侵入(ジャック)》を仕掛ける。脳内の記憶(メモリ)に保存してある電子貨幣(マネー)を盗み取るんだ。これ以外に方法はない」


『相手のセキュリティは突破できそう?』


「大丈夫だ。あれだけラリってれば防火壁(ファイアウォル)なんてあってないようなモンさ。一応、突破用のプログラムは組むけれどな」


 クロムは自分のうなじに指を当てた。

 うなじには、賽の目状に並んだ六つの埋殖器(レセプラ)が埋まっている。

 クロムが意識を集中させると、六基の埋殖基(レセプラ)が恐ろしいほどの速さで蒼く明滅しはじめた。


 クロムは他人の脳内へのハッキング――俗に《侵入(ジャック)》と呼ばれる――を開始した。

 思考プログラミングにより、脳内で使い捨ての攻性オブジェクトを瞬時に記述すると、データを脳内から埋植器(レセプラ)へ転送し、通信波に乗せて外部に送信する。


 はじめに狙ったのは、大、中、小のうち、大の影の男だった。

 通信波に運ばれて、大の男の埋殖器(レセプラ)へ辿りついた攻性オブジェクトは、対ハッキング用セキュリティシステム――通称《防火壁(ファイアウォル)》の監視を難なく突破し、男の中枢神経へあっさり侵入した。

 そして、脳内記憶をサーチングし、男の脳に保存されている電子貨幣を盗み出し、クロムの元へ届ける。

 その一連の流れがつつがなく進んでいく――はずだった。

 だが――。


「……妙だ。なぜ相手からのリアクションが来ない」


『どうしたの?』


 心配そうに声をかけるルシール。

 だが、クロムはうなじに指をあててじっとしたままだ。


 クロムが不可解に感じているのは、送りこんだ攻勢オブジェクトから反応が返ってこないことだった。

 《侵入(ジャック)》を仕掛けた場合、通常であれば相手の脳に侵入したプログラムから定期的に何らかのリアクションが送られてくるはずだった。

 しかし、クロムがオブジェクトを放って以降、男の脳からは何の反応も帰ってこない。

 有り得ない状況だった。


「……まさか」


 不意に、クロムの目が鋭くなる。


『どうしたの? ねえ、一体どうしたのよ?』


 ようやくうなじから指を放したクロムは、苦虫を噛み殺すように顎に力を込めると、唸るように言った。


「道理で反応しないわけだ」


『……え?』


「奴ら、とっくの昔に脳死してやがる」


『うそ……! そんなはずないわ……! だって、あの人たち、さっきからずっと叫び声を上げ続けてたじゃない。それが……」


「…………」


「それが、()()()()()っていうの!?』


 その刹那。

 ひときわ大きい唸り声が巻き起こった。

 クロムたちの視線の向こう、三つの影からではない。

 そのはるか頭上――自分たちが寄り添っている廃ビルの屋上からだった。


 咄嗟に顔を上げ、屋上を確認するクロム。

 その灰青色の瞳に飛び込んできたのは、クロムたちめがけて落下してくる、恐ろしく巨大な鉄骨だった。


「……!」


 鈍色に光る鉄骨が地面に激突し、凄まじい轟音が廃墟に響き渡った。

 鉄骨は二つ、三つと続けざまに落とされ、そのたびに暴力的な音があたりを震わせた。

 やがて鉄骨の雨は止んだ。

 巨大な靄のように巻き上がる土煙。


 廃ビルの屋上には、大中小、三人の男たちが、悠然と立ち尽くしていた。

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