蘇生Ⅱ
最岸層。
「第六区層」などとナンバリングされてはいつものの、それはほとんど俗語のようなものであって、公式な名称ではない。
もっとも、この島での「公式」とは融社がそれを認めているか否かを意味するのであり、最岸層が「公式ではない」ということはつまり、そこが融社に認められていない場所、融社に見捨てられた場所であるに他ならない。
要するに、最岸層という区層は、人造島の『非公式』を凝り固めたような場所なのだった。
「最岸」とはいうが、海岸から10キロメートルほどの幅をもって円環状に広がるその面積は存外に広い。
人造島の黎明期には島内開発の拠点として、また島の玄関口として栄えていたらしいが、過剰な発展により肥大化した複合企業――つまり今の融社が島を支配するようになってからは徐々に忘れられて、現在は朽ち果てたコンクリートジャングルの残骸が広がるだけの廃墟と化している。
人口密度も砂漠並みに過疎化しているが、そこに住みつく少数の者たちは島のどのような犯罪者よりも凶悪で、また彼らが開発した「ヤバい」技術が区層中に蔓延していると噂されている。
ソプラも詳しくは知らないが、融社が禁じている電脳麻薬の製造すらもが平然と行われ、島の内外に渡って取引されているのだという。
ソプラがいるこの丘は、そんな最岸層と境界層が隣接する場所でもあった。
「…………」
あのフェンスのすぐ向こう側には、この島で最も危険な世界が広がっている。
この丘に誰も近寄ろうとはしない理由はそこにある。
歌の練習をするには絶好の場所であることの裏には、そういう危険性を孕んでいる事情が潜んでいたわけだ。
「ま、まあ、何年も前からこの場所で練習をしてきたけど、危険な目にあったことなんて一度もないし……大丈夫でしょ」
自分で自分を納得させる。
自らの経験と、ここから見える夜景の美しさとが、この場所に潜む危険性を薄れさせてしまう。
確かに、自分からあのフェンスを乗り越えて最岸層へ出ようとしない限り、この場所で危険な目にあうことなど万に一つもない。
それは境界層の誰もが首をそろえて肯く事実だろう。
触れさえしなければ、薔薇はいつだって美しいのだ。
触れさえしなければ。
「さてと、そろそろはじめちゃお」
ソプラは家から持ってきていたポシェットから媒体を取り出すと、早速起動させた。
円盤状の媒体の回路が蒼く輝きだし、通信波を放出し始める。
内部に記録されている音声データは、ソプラが少ない小遣いをやりくりしてダウンロード購入した、アプリ=ハイエイトの1stアルバムだった。
ソプラはその中に収録されている一曲、《Delayed-Raid》を再生する。
言わずと知れたアプリのデビュー曲であり、さっきのライブ映像でアプリが歌っていた曲でもある。
あらかじめ歌声をマスキング処理し、カラオケバージョンにしておいた《Delayed-Raid》の、踊るようなイントロが流れだす。
ソプラは大きく息を吸い込み、深呼吸をひとつすると、全身を震わせるようにして歌い始めた。
いつも見てた景色 変わり映えのない日常
決まりきった日々に 飽き飽きしていたの
突然現れた貴方 最初は戸惑っていた
でもね 記憶思い返すたび ココロざわめいて
――人工芝のライブステージ。
そこに、少女の歌声がこだましていた。