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ブルーシェイド  作者: 衛陸 正人
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楽園Ⅴ

 二年前の誰がこの事態を予想できただろう。

 ソプラだって未だに信じられないでいる。

 今ではマリアに関するあらゆる情報――画像、動画、音声を記録した媒体(ディスケット)を所持しているだけで、融社の監視対象に挙げられてしまう。


 ソプラは思い出す。

 発禁になってから間もない頃、近所に住んでいた青年が融社に殺害された。

 彼は熱狂的なマリアのファンであることで近所でも有名で、ソプラとも顔馴染みだった。

 青年がマリアを忘れられるはずがないと誰もが思っていたし、青年がこれから辿る末路にも薄々ながら勘付いていた。

 事実、青年は全島民に発禁の公布がなされた後も、マリアの映像や歌声のデータを消去せず、密かに再生して楽しんでいた。


 その日、武装した融社の傭兵たちが青年の家に大勢乗り込んでいった。

 「傭兵」とは、融社に金で雇われた兵士たちのことだ。

 融社の手先として武力行使を行う「私設軍」たる傭兵の一群が、いったい何のために青年の家へ押し寄せてきたのか。

 それは、融社に抑圧されて暮らす境界層の人間なら、誰もが理解しきっていることだった。


 傭兵の突入からわずか数分後。

 彼らが青年の家から抱えて出てきた黒いビニール袋は、成人男性ひとりを詰め込むにはうってつけのサイズだった。

 青年は、皆が思い描いていたとおりの最期を迎えたのである。


 それから数日後。

 境界層(マージナル)のとあるゴミ捨て場に、青年の無残な死体が捨てられていたのが付近の住人に発見された。

 青年の埋殖器(レセプラ)はうなじから引き千切られるようにして抜き取られ、眼球は蒸発して眼窩が落ち窪み、毛髪は頭部の皮膚ごと黒く焼け爛れていた。

 青年が、脳に仕舞い込んでいる記憶(データ)を無理やり抽出(サルベージ)されたのを伝える死に様だった。

 青年の脳は、さながらゼリーを瓶に入れて無茶苦茶に振り回した状態でああったに違いない。

 もちろん、頭蓋を切り開いて中身を確かめる者など誰もいなかったが、無理な「抽出」が脳にどれだけの負担をかけるのか、人造島に生きる者なら誰もが知っていた。


 抽出されたデータは、青年が大切に守っていたマリアに関する記憶(データ)だ。

 青年は、自らの記憶を他人に引き出された挙句、残酷にも殺されたのだった。

 

 青年は見せしめだった。この区画に住む人々に向けての。

 融社がわざわざ傭兵に命じ、ゴミ捨て場に死体を捨てさせたことにもその意図が伺える。

 「マリアの歌声を忘れろ」という、融社からの命令メッセージ

 爾来、その区画で青年と同じ末路を辿った者は現れていない。


「マリア、か……」


 発禁とされた理由については全くもって不明だったが、人々の間では様々な憶測が立てられた。

 融社はあくまで、マリアの「映像」や「歌」を見たり聞いたりすることを禁じている。

 「マリア」という人物そのものについての記憶を脳内に保持していることまでは(監視はされるだろうが)禁じていなかった。

 あの青年は、記憶(データ)を再生し、実際に映像や歌を楽しんでしまったからこそ殺されたのである。


 ということからすると、融社は「マリア」という存在そのものを、人々の記憶から消したいとまで考えているわけではなさそうだった。

 考えてみればそれも当然で、人造島に住む何億もの人間からマリアの記憶を一斉に消すことなど、いくら融社といえど無理に等しい。


 もしかしたら、マリアの歌声や映像を楽しむことが、人々に何かしらの「影響」を与えており、その「影響」こそが、融社にとって不利益を生む何かの原因となっているのではないか――。

 そんな推測を立てる者もいる。


 そのとき、幻像(スクリーン)に流れている映像が切り替わった。


『会場のみんなー! 元気かなー! アプリはいっつも元気だよー!』


 インカムを付けたアプリ・ハイエイトが、ステージの上から観客に手を振っている。

 幻像(スクリーン)に新たに流れ始めた映像は、アプリの過去のライブを録画したものだった。


 融社が島民に向けて配信する幻像(スクリーン)は、基本的には融社の製品CMや、島民に対する告知事項以外が流れることはない。

 しかし、広告塔であるアイドルの人気を高めるために、たびたびアイドルのライブ映像を放送することもある。

 融社側としては、広報戦略の一環に過ぎないのだが、その一方でこういったライブ映像が、境界層(マージナル)の住人たちの数少ない娯楽になっているのも事実だった。


『みんなも一緒に歌ってね! アプリのデビューシングルから一曲、いっくよー!』


 アプリは、詰めかけた大観衆を前に、天使のように歌い、妖精のように踊っている。


「あ……」


 ソプラの注目が、アプリとは違うものに移った。

 彼女が歌い踊るステージの、その遥か上方。

 人型の機械的なシルエットが、小さい飛行機のように縦横無尽に飛び回っていた。


「《クラウドサーフ》だ……!」


 クラウドサーフ。

 それはアイドルと切り離して語ることのできない存在だ。


 クラウドサーフという人間について一言で言い表すことはできない。

 だが、敢えて言うなら「アイドル専属のプロデューサー」といったところだろう。

 その職務は多岐に渡り、アイドルの楽曲制作を行ったり、融社幹部との打ち合わせに参加して担当アイドルのイメージ戦略を練ったりするのが主な業務だ。


 しかし、何にも増して重要な仕事は、《鳴奏機(ストラム)》と呼ばれるフルアーマータイプの強化外骨格を装備して、楽曲を(ライブ)演奏することにある。

 それは全て、《鳴奏機(ストラム)》に内臓された百種類以上ものDTMソフトによって行われる。

 だからクラウドサーフになるためには、音楽的センスのみならず、高い電脳処理能力が求められる。


 《鳴奏機(ストラム)》は、本体であるフルアーマー型の強化外骨格と、《飛行版ボード》と呼ばれるサーフボード状の飛行ユニットとでワンセットになるよう設計されている。

 ライブの総合演出を担うクラウドサーフは、常にあらゆる角度からライブ会場全体を俯瞰できる位置にいる必要があるために、飛行機能を持つ飛行版ボードを必要とするわけだ。


 雲のような大観衆(クラウド)の上空を、飛行板ボードに乗って駆け抜け、飛び回るその姿から、雲乗り(クラウドサーフ)はその名を与えられた。

 アイドルがライブの花形なら、クラウドサーフは裏方の花形であり、特に少年たちにはアイドルよりもむしろこちらに憧れを抱くことも少なくない。


「よっ、ほいっ、はっ……と」


 幻像(スクリーン)を見ていたソプラは、ふとベッドから立ち上がり、幻像の中のアプリの振り付けを真似して踊りはじめた。

 ずっと前から練習していた振付けだった。

 今やアプリの一挙手一投足を完璧に真似られるほどマスターしているのだが、歌いながら、しかも終始笑顔で踊り続けるとなると、これがなかなか難しい。

 

 本当なら、あわせて歌の練習もしたいところなのだが……。


「こんな夜に、家の中で大声で歌ったら、下の酒場で絶賛仕事中のお母さんに怒られるに決まってるよね……」


 それに、いつ「仕事を手伝いなさい」と呼び出されるかわかったものではない。


「いつもみたいに、家の外で歌の練習をしてこよっと」


 家人に見つからないように階段から一階に降り、薄暗い裏口から外に出ると、ソプラは街外れの丘に向かって駆けていった。

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