蘇生Ⅵ
「カハハハハハッ!」
スミスの死体は起き上がり、気味の悪い笑い声を立てながらゆっくりと歩き始めた。
「全く、どいつもこいつも……」
クロムは悪態をつく。
どこまでも面倒な連中だ。
こちらが予想すらしないことばかり巻き起こすのだから手に負えない。
『アレも動く死体だってワケなのかしら』
ルシールが存外に落ち着いた声を出す。
落ち着きすぎて、かえって間抜けに聞こえるほどだ。
「さあな」
確かスミスは電糸操屍なる装置を持っていた。
死体に単純な動作をさせる装置。
それで偽の自分たちを作り出し、クロム達を罠にかけた。
「それなら事情は簡単なんだが、奴は少し違うようだ」
スミスの足取りは明確な「意思」の感じられる動きだった。
死体を単純に電気で動かしているのとは明らかに違う。
だとすると、息絶える直前に、自分に電糸操屍を取り付けたわけではなさそうだ。
そもそも後生大事にそんな準備をしておく理由があるだろうか?
無意味だ。
クロムはおもむろにルシールを右脇に構える。
歩み寄るスミスに照準を合わせ、ためらうことなく引金を引く。
無数の弾丸がフルオートで連射され、スミスの身体を次々と貫いていく。
「カハハハッ! 無駄だ無駄だ!」
弾丸は文字通り、スミスの身体を貫いていった。
なのに、どういうわけかスミスは倒れるどころか仰け反りすらしない。
その足取りは余裕そのものだ。
不敵な笑みを浮かべながら、スミスはピアスだらけの舌で唇をべろりと舐め回す。
まるで獲物を前に舌舐めずりする猛獣のように。
「……?」
その所作を注意深く観察していたクロムは、ふとある現象に気付いた。
スミスの影に、一瞬だけノイズが奔ったのだ。
それがきっかけだった。
クロムは今、何が起こっているのか、全てを理解した。
「そうか。そういうことか」
呟きながら、静かにルシールの銃口を下げる。
戦意の喪失。
それは降伏とか諦めによるものではない。
ただ単に判ったのだ。
これ以上戦ったところで、もう何の意味もないのだと。
スミスはベルトに釣った鞘からナイフを抜いた。
クロムとは、もう2、3歩で密着するほどの距離まで近づいている。
握り締めたナイフを振りかぶる。
クロムは――動かない。
「あばよ、ヘボ売人」
スミスはナイフを振り下ろす。
振り下ろされた刃が、クロムの身体を――すり抜けた。
同時にスミスの全身がノイズそのものへと変わる。
人の形をした蒼い電光と化し、輪郭がジグザグに崩れて、フッと消えた。
後には何も残らなかった。
ポールとリードの死骸だけを除いて。
『どういう……ことなの?』
何が起こったのか把握できていないルシール。
「《詐欺視》だ」
クロムは淡々と答えた。
その声には、ほんの僅かに悔恨が滲んでいた。
「奴さん、俺の埋殖器に偽物の視覚情報を流し込んでいた。あの三人の中でスミスだけは実物でなく、幻影だったんだ」
AR技術を利用し、相手に嘘の視覚情報を流し込み、騙す。
それが《詐欺視》だ。
埋殖器の登場により、人は視覚や聴覚といった「情報」をデータ化し、他人に直接経験させることができるようになった。
埋殖器は『第六の感覚器』として、人間の持つコミュニケーション能力の可能性を拡張した。
一方で埋殖器は、他人の感覚を乗っ取り、欺罔することをも容易ならしめてしまった。
それは他人の認識を――他人の認識している「世界」をも塗り替えてしまうほどの、非常なる危険性を孕んでいた。
新しい技術がもたらすのは、必ずしも正しい可能性ばかりではない。
埋殖器がもたらした新たな可能性、その負の側面。
それこそが詐欺視だった。
「完全にしてやられたな」
クロムは今更ながらに悔やんだ。
最岸層に生きる者としては、あり得ない失態だ。
しかも、あんな小悪党共に一杯食わされるとは。
恥辱以外の何物でもなかった。
『ごめんなさい。私も詐欺視の気配に気づくべきだったわ。こんなんじゃパートナー失格ね。……でも、いつから騙されていたのかしら』
「俺が奴らに向けてお前をぶっ放した時だと思う。恐らく実物は咄嗟にあのデブの影に隠れて銃弾を避けながら、偽の視覚情報を俺の中に流し込んでいたんだろう。見ての通り、デブの筋肉はタマヨケには十分だったし、俺も射撃に夢中でそこまで気が回らなかったからな」
『じゃあ、今ごろあの人は……』
「とっくにこのビルを抜け出している。幻影が消えたってことは、奴さん自ら詐欺視を切ったか、埋殖器の通信が届かない場所まで遠ざかったかのどちらかだ。逃走を目的としていたなら、後者の方が可能性は高いだろうな」
『あの人達、何か乗り物を用意しているふうには見えなかったわ』
「それなら、まだそんな遠くには離れていないはずだ。急げば追いつけるだろう」
『あらまあ。まだ追いかける気でいるのね』
「当たり前だ。ここまでナメられて黙っていられるか。それに、電子貨幣だってまだまだ回収できる見込みがあるってもんじゃないか。ここで諦めるわけにはいかないさ」
クロムは、スミス達が立っていた場所まで歩いていった。
そこに落ちていた装置を拾い上げる。
「……電糸操屍、か」
巨大な虫のような形のそれをまじまじと見つめる。
「奴ら、どこでこんなものを……」
ふとクロムは、ビルの遙か下方へ視線を落とした。
遠く向こうで、小さくなった人影が必死で走っている。
その行き先を視線で辿っていく。
朽ち果てたフェンスの立ち並びが見えた。
この最岸層と境界層とを隔てるフェンスが。
「奴は……飛び出すつもりでいる。この最岸層から」
何か悪い予感めいたものを感じたクロムは、ルシールをソフトケースに戻すと廃ビルの屋上から飛び降りた。
あの詐欺師の男を何がなんでも捕えて、その脳から三人分の電子貨幣を引きずり出すために。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「カハッ、カハッ、カハハハハッ……!」
喘ぐような吐息に乾いた笑いを混じらせながら、スミスは必死で走っていた。
やはりクロムは強かった。
噂どおりの強さだ。
もしも《詐欺視》で騙せなかったら、自分など簡単に殺されていたに違いない。
ポールとリードがいてくれてよかった。
あいつらのおかげで――あいつらを「利用できた」おかげで、自分はこうして生き延びることができた。
ありがとよ、ポール、リード。
お前等が役に立ってくれたおかげで、オレはこうして生き延びられている。
あばよ、ポール、リード。
お前らには感謝しているよ。
自分にとって最も大切なものとは何か?
自分が最も大切に守るべきものとは何か?
その答えはただひとつ――「自分」そのものだ。
そのためにオレはお前等を利用させてもらった。悪く思うなよ、二人とも。「あの戦争」に行ったことのないお前等には一生かかってもわからないだろうが――この信条こそが、オレが「あの戦争」から得ることのできた、重要で、大切な、ただ一つの「財産」なんだ。
最岸層と境界層を分けるフェンスは、もう目の前まで迫っていた。
そのとき、スミスの耳に聞こえたきたもの。
それは――歌声だった。
年端もいかない少女の歌声。
フェンスのすぐ向こう側で歌っている。
「……カハハハハッ!」
唐突に下腹部に盛り上がってきた欲情を吐き出すように、一際大きい笑い声を上げると、スミスは一息でフェンスを飛び越えた。
その顔は、ピアスで埋め尽くされた長い舌を垂らした、地獄の悪魔そのものだった。




