蘇生Ⅴ
およそ10秒に渡って続いた銃弾の嵐が止む。
銃身から排出された薬莢が落ち、乾いた金属音を立てる。
この周囲で音と呼べる資格のあるものは、それを最後に全て失われた。
薄いカーテンのような静寂が、廃ビルの屋上に覆いかぶさっていた。
銃撃で生じた風圧が消え、クロムの漆黒のロングコートの裾がふわりと戻ってくる。
薄く溜息をつくクロム。
ゆっくりとした動作で天を仰ぐと、呟いた。
「……結局、こうなるのか」
麻薬の売掛金を回収するつもりが、逆に相手の罠にハメられた。
このままでは命まで落としかねない。
そんな危機的状況に陥っていることを理解した時点で、債権回収など考えていられる段階はとうに過ぎていた。
戦うしかなかったのだ。己の命を守るために。
だからクロムは銃の引き金を引いた。
今でも銃口から立ち昇る、仄かな硝煙の香りは、望まないはずの殺戮の余韻だった。
『結局、こうなるのね』
クロムの言葉をなぞり返すルシール。
2人の言葉は同じでも、そこに込められた意味はまるで違う。
クロムのは電子貨幣を回収し損ねたことへの後悔で、ルシールのは彼らの悲惨な末路に対する哀悼だ。
人間が持つべき感傷を持った機械。
機械がするべき計算をした人間。
皮肉な構図だった。
いずれにしろ、あの三人の債務者たちは、自分たちが拵えた債務の返済を渋ったがために、かえって何よりも大切な資産を取り立てられてしまったわけだ。
だが、奪ったクロムとて何か得をしたわけではない。
クロムが欲しかったのはあくまで電子貨幣だ。
彼らの命ではない。
結局、何かを得られた者などどこにもいなかった。
この場の誰もが、喪失者だった。
「…………」
クロムは視線を前方に戻すと、三人組の死体を再度確認した。
チビのポールはうつ伏せに倒れ、デブのリードは横倒しになり、リーダー格のスミスは仰向けのまま異常に長い舌を口の端からだらりとはみ出させている。
三人とも事切れているのは明白だ。
脳は活動を停止し、内部に眠る記憶は冥界の闇へと呑み込まれてしまった。
もはや取り返す術はない。
死者を蘇らせる術がないのと同じように。
「……ダメ元でも試してみよう」
それでも電子貨幣の回収を諦めきれないクロムは、僅かな可能性に賭ける思いで、うなじの埋殖器に手を当てた。
再度侵入を試みる。
うなじに埋まった六基の埋殖器が、ランダムな点字の配列を形作るように蒼く点滅する。
続いて発生する通信波。
まずはチビのポールへと、侵入を開始する。
「…………」
だが、結果は皆無だった。
案の定、ポールの脳は完全に機能を停止しており、埋殖器は閉ざされた黄泉の門のように沈黙するばかりだ。
――やはりダメだったか。
舌打ちをひとつ立て、クロムは次にデブのリードへ矛先を変える。
侵入。
「……驚いたな。コイツはまだ息がある」
リードは生きていた。
彼の埋殖器から僅かな生体反応が返ってきたのだ。
ライフル弾の雨を喰らっても息があるとは、よほど強靭な筋肉を身に纏っていたらしい。
それでも虫の息であることに変わりはない。
となれば、時間との戦いだ。
クロムはすぐさまプログラムを組み上げると、リードの埋殖器に飛ばし、脳内へ流し込んだ。
流れるように脳内の記憶領域をスキャン。
保存されている電子貨幣をありったけ盗み尽くし、自分の脳へと回収する。
それで債権の取り立ては終わり。
すべてが丸く収まった。
そうなるはずだと思っていた。
「……!」
突然、仰向けに倒れていたリードの巨体がビクンと跳ねた。
ビクン、ビクンと、陸揚げされたばかりの魚のように痙攣する。
そして、
「VOOOOOOOOOOOOOOO!」
爆音のような怒号がリードの巨体から上がった。
「VOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOWWWWWWWWWW!」
リードは一息に起き上がり、もう一度吼えた。
不意を突かれたクロムは即座にルシールを構える。
野獣のようなリードの咆哮。
空間そのものを揺さぶるかのように、ビリビリと空気が振動するのを感じる。
『まだまだ元気そうね、あの人』
安堵半分、不安半分といった調子でルシールが呟く。
「ああ。瀕死どころか、暴れるほど力が有り余っているときた」
クロムも軽口めいてそれに答える。
「VOOOOOWWWW!」
怒りで完全に我を失っているリードは、手近にあったポールの死骸を片手でむんずと掴みあげると、クロム目掛けて力任せにぶん投げてきた。
肉塊同然の物体となったポールが、猛烈な勢いで迫ってくる。
クロムは即座にルシールの引き金から指を放すと、前後が逆になるよう銃身全体を持ち替え、細長い砲身部を片手で掴んだ。
そのままグッと力を込め――その細腕にどこにそんな力があるのか――ルシールの鈍重なボディを左から右へ、ブン、と振り払う。
バキッと弾けるような音とともに、ポールの身体はルシールのボディに見事ヒットし、右方へ薙ぎ払われた。
そのまま屋上の外へ放り出されたポールは、重力に引かれてはるか地上へと自由落下していった。
「VOWWW! VOOOOWWWW!」
リードが再び咆哮を上げて、今度は自らの巨体をもって突進してきた。
ただでさえ背の高いクロムの、さらに倍はあるほどの巨大な肉の塊が、みるみるうちに距離を詰めて迫ってくる。
クロムはルシールを目の前に立てかけると、片足で一歩後ずさった。
銃身にかけた手に力を込めて体重を支えつつ、思い切り地面を蹴って、棒高跳びの要領で一気に飛び上がる。
中空でクロムの華奢な身体が半回転するのと、リードが剛拳を振り上げて襲いかかるのは、ほぼ同時だった。
しかし、わずかに勝ったのはクロムの方だ。
リードの拳を宙でかわしたクロムの、その細長い脚が弧を描いて、リードの頭上に鉄槌のごとく踵が打ち下ろされる。
天頂から頭蓋が割れ、汁気を含んだ生々しい音が鳴る。
「VO……GA……」
絞り出すような呻き声を断末魔の叫びに代えて、リードは絶命した。
巨大な身体が倒れ、廃ビルの屋上をズゥンと揺らす。
クロムは着地すると、砕けたリードの頭を見下ろして、溜息をついた。
「また取りっぱぐれか……」
それは凄惨な死に様に対する嫌悪によるものではなく、やはり電子貨幣の回収をしそびれたことに対する後悔によるものだった。
クロムという名の男はどこまでも商売人なのだ。
他人の命などよりも、自らの利益をこそ重視してやまない。
リードの死骸から視線を外すと、クロムは三人目――スミスの亡骸へと視線を移動させる。
今しがた起こった戦闘などどこ吹く風というように、仰向けに倒れている。
今度こそはと、クロムは再度うなじに手をやると、スミスの脳内へ《侵入》を仕掛けた。
もうお前しか残っていないんだ――そう願いながら、意識を集中させる。
その時だった。
「カハハハハハッ!」
スミスの死体から、けたたましい笑い声が上がった。




