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ブルーシェイド  作者: 衛陸 正人
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散逸 - Prologue -

 クロムは雑兵袋から取り出した媒体(ディスケット)の電源をオンにした。

 円盤状の装置が起動音を上げ、蒼い輝きを放ちはじめる。


 媒体(ディスケット)から通信波が正常発信されているのを確認すると、焼け焦げた黒い大地にそれを置く。

 自分も地面に腰を下ろすと、自らのうなじに意識を集中させた。


 度重なる戦闘を経て疲弊した身体。

 朦朧とする意識。

 それらを背負いながら、うなじの埋殖器(レセプラ)に意識を集中させるのは困難を極めた。

 気を抜けば拡散してしまう意識を必死で取りまとめながら、クロムは媒体(ディスケット)から発せられるデータを埋殖器(レセプラ)で受信することに努めた。


 やがて、人型の影が目の前に浮かび上がる。

 それは年若い女性の姿だった。

 腰元まで長く伸びた深青色の髪。

 血液と蜂蜜を混ぜ合わせたような深いワインレッドの瞳。

 見渡すばかりの焦土と瓦礫の山にはまるで似つかわしくない、蒼玉サファイアのような美しさが、そこに現れている。


 それは幻影ヴィジョンだった。

 幻影は、まるでそれ自体が意思を持っているかのように、クロムに愛おしげな眼差しを向ける。

 母性の象徴である豊かな胸に片手を当て、ゆっくりと深呼吸をひとつすると、幻影はクロムに微笑みかけた。

 そして、深く息を吸うような素振りを見せると、静かに歌い始めた。


 拡  張  現  実オーギュメンテッド・リアリティ


 まさしく、拡張された現実だ。

 とっくに人々から飽きられてしまったそれまでの「現実」は、幻影とか幻聴というような味付けを足され、その可能性を拡張した。

 このオーギュメンテッド()リアリティ()技術が普遍化されてから、すでに数世代ほどの時が経過していた。


 目の前の女性の幻影は、媒体ディスケットから埋殖器レセプラを経由し、クロムの脳に直接送信されてきた情報データに過ぎない。

 歌声だって同じだ。

 クロムの脳内で連鎖する神経細胞ニューロンの発火が聴覚情報という概念を成す、ただそれだけの事象。

 つまるところ拡張現実の正体とは、単なる電子情報でしかないわけだ。


 だが、たとえ幻影や幻聴であるとしても、聴く者の魂を震わせるような美声は、まさに唄の女神のそれに違いなかった。

 少なくとも、クロムにとってマリアは女神そのものだった。


 戦地に追いやられた傭兵にとって、故郷に残してきた恋人の存在とは生きる希望そのものといっていい。

 だからクロムは、マリアの姿や歌声をデータ化し、媒体ディスケットに保存して戦地に持参してきたのだ。

 いつでも再生でき(出会え)るように。


 戦いに疲れた時は、これで君を想い出そう。

 戦争が、君との暖かい記憶を失わせてしまわないように。


「…………」


 極度の疲労からか、クロムのまぶたが自動的に落ちた。

 黒ずんだ灰だらけの大地と鈍色の空は消えて、暗闇の中にマリアの姿だけが浮かぶ。

 「現実リアル」が遮断されても、「幻影ヴィジョン」が消えることはない。

 なぜなら、生来備えている肉眼の視覚を遮断したところで、もうひとつの感覚器官であるうなじの埋殖器レセプラからは、絶えることなくデータが脳に送られてくるからだ。

 だから、たとえ目を瞑ったとしても、クロムの視覚からマリアの姿が消えることはない。

 それは目とは別の場所からクロムの内部に入ってくる情報なのだ。


 牢獄に囚われた罪人のような顔で、クロムは溜息をついた。

 この《戦争》はいつ終わるのだろう。

 傭兵として派遣された自分は、果たして無事に帰還することはできるのだろうか。

 共に派遣された傭兵たちは、そのほとんどが死んだか、行方不明になった。

 いずれ自分も同じ道を辿るのだろう。

 この地に捨てられた、何千、何万という傭兵たちと同じように。


 自分は、生きて帰り、再びマリアと会うことはもうできないのだろうな、とクロムは思った。

 全てを終え、無事に故郷へと帰って、マリアとの新しい生活を始めることは夢と終わってしまうのだろう、と。


「…………」


 いや、夢で終わらせてはならない。

 叶えなければならない。

 なぜなら、自分は約束したのだから。

 この《戦争》を生き抜いて、再びマリアの元へと帰ってくると。

 そうでなければ、自分を選んでくれたマリアに申し訳が立たないではないか。

 様々な犠牲を払って、自分たちは想いを成し遂げたのだ。

 それをむざむざ無駄にすることがあってはならない。

 絶対に。


 帰る。

 俺は帰るんだ。


 クロムは強く決意した。

 そして、その決意を果たすことを、心に誓った。


 全ての音が消えたのは、その時だった。


 一瞬にしてクロムの身体を爆炎が包んだ。

 人ひとりを容易に爆散させられる威力を持った四足歩行式の自走式(オートマティック)無差別地雷(ランダマイン)――通称「爆破狼エクスプルフ」。

 その「狼」が、矢のような勢いで接近していたことに、クロムは気付かなかったのだ。


 狼は、蹴り上げた焦土を後方に撒き散らしながら、四脚をフル駆動させて標的へ――クロムへぐんぐん迫っていた。

 狼は至近距離まで差を詰めると一気に飛びかかり、クロムの右腕に噛み付いた。

 極限まで研磨された牙状のくさびは、兵隊服を突き破ってクロムの二の腕まで食い込んだ。

 反射的に狼を引き剥がそうとして身体をくの字に曲げたが、遅かった。

 即座に狼は起爆システムを作動させ、自爆した。


 すべては一瞬だった。

 一瞬のうちにクロムの運命は決まった。


 ――いや、そんなものは最初から決まっていたのかもしれない。

 遠のく意識の中で、クロムはそう思った。


 バラバラになった身体の傍らで、幻影が、乾いた大地に歌声を響かせ続けていた。

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