幽霊屋敷
私と優奈はとある幽霊屋敷の玄関に立っていた。
屋敷の周りには邪魔な雑草が花を隠し、お世辞にも綺麗とはいえない大きな庭園が広がっていた。
真上にあるお日様は屋敷を照らしていたが、古い建築物のおどろおどろしい雰囲気は隠せていない。
私たちがこの屋敷に来たのには、もちろん理由があった。
話は3日前にさかのぼる。
私たち、花川優香と優奈は双子の姉妹である。
始まりは、私こと優香が、とある友人からとある噂を聞いたことからだった。
「町はずれにあるお屋敷には幽霊がいるんだって」
他愛ない噂。屋敷の幽霊。でも、私は妙に気になった。だから、私は霊感のある優奈を無理やり連れてここに来た。
この3日間は屋敷を調べるのに有効に時間を使ったつもりだ。一応大体のことは頭の中に入っている。
ここは昔数十人のカルト教団の人間が住んでいたらしいが、数十年前に忽然と姿を消した。何か妙なことがあったわけでもなく、突然、何の前触れもなく数十人の教団員全員が行方不明となった。それ以来、この屋敷はずっと空き家らしい。管理人も所有者も同時に消えたため、建前上は市が管理しているが、壊すことにもお金がかかるのでそのまま放置されているのが今の屋敷の現状だ。
カルト教団についても少し調べた。
教団名は星の智慧派。正当な宗教団体ではなく、邪神を崇めている。崇めているのは変な黒い箱とナイアルラトホテップという聞いたこともないような邪神らしい。最も、そんなもの私は信じていない。無宗教である私が信じるものは自分自身の目だけだ。存在が確かめられなければ、神や仏もいないも同じ。それが私の考えだった。そんな私だからこそ、このオカルトじみた屋敷を調査するのにも恐怖なんてものはない。
「優奈、準備はいい?」
「よくない、けど仕方ないよ。姉さんが無茶するのを黙って見ることなんてできないから」
「ふふっ、ありがと。じゃあ、開けるね」
私はドアに手を掛け、ゆっくりと開けた。
正面玄関から中に入ると、前には無造作に置かれた人形が私たちを出迎えてくれる。玄関ホールからは左右への道が続いていた。左は広い客室のようで、机や椅子がいくつか並べられていた。右は通路が続いており、奥の方で左に曲がる角がある。
私はまず左にある客室に入った。
周囲を観察してみて、私は強い違和感を覚えた。
机の上にはコーヒーカップや固まった黒い板状の物体(おそらくチョコレート)が置いてあった。チョコレートは食べかけであり、ここにいた人たちはティータイム中、突如として消えたように推測できる。 優奈もそれに気づいたようで、首を傾げた。
「優奈、何か感じる?」
「この屋敷に入った時から何かは胸にモヤモヤした感じはあるんだ。でも、まだその原因は掴めない」
「そう、やっぱ外が明るいからねー。幽霊屋敷は暗くないと」
「もう、姉さん。あんまり危ないことしちゃダメだからね」
「わかってるって」
私たちは玄関ホールへ戻り、右の通路へと向かった。
右の通路の途中には、右手に喫煙室のような小さな部屋があり、左手に真昼にも関わらず薄暗い空間があった。角を曲がって奥には2階に続く階段が見える。
私は階段を上る前に、左手にある薄暗い部屋に入った。
部屋に入ってすぐ、目の前の大きな幾何学模様に驚かされた。奇怪な模様は床全面に書かれていて、見ていると何だか頭がおかしくなりそうだった。この部屋は床に書かれた模様以外には何もなく、入って左手に見えるはずの窓は全て木の板で打ちつけられており、太陽の光は当然入ってきてはいない。
「これは、カルト的だねぇ」
「……姉さん。ここには何もなさそうだし、次に行きましょ」
その時の妹の様子が、少しだけ変であることに気づいた。
この場所に長居したくない、焦りのようなものが声に含まれている。
「優奈、何か感じたかい?」
「この、模様……あんまり見たくない」
「確かに、見て楽しいもんじゃないね」
「姉さん、気づいてないんだね」
ん? 気づいてない?
私が何に気づいてないというんだ?
「この模様、よく見てみて」
私は模様をよく見てみる。改めて見てもよくわからない変な模様だ。少し暗くて見えにくいが、模様には何もおかしな点はない。もっと近づいて見てみる。すると、錆びた鉄の匂いがした。今まで気づかなかったが、部屋全体の匂いが外とはまるで違った。濃厚な鉄の匂い。
……血の匂い。
その瞬間、私の視界が変わる。
黒い模様は鮮やかな赤へと変わった。模様だけではない、壁も天井も、部屋のドアの外さえも、視界に映るものは全て赤に染まる。
「姉さん」
妹が私の肩に手を掛ける。
振りむいた私の目に映ったものは、全身血だらけの妹の姿だった。
「きゃああああ!!」
「どうしたの? 姉さん!」
「え、え、何なの? 今のは?」
「姉さん! 落ち着いて」
「え、優奈…」
私は血まみれでない普通の妹を見て、ようやく安心した。
まだ心臓のドキドキしていた。今のは……白昼夢? 私としたことが、怯えでそんなものを見るなんて。
こんな姿を妹に長く曝すわけにはいかない。私は平静を取り戻した。
「もう、大丈夫よ。次、行きましょう」
「待って。姉さんは気づいたよね。この模様は、血で書かれていること」
「ええ、そうみたいね」
「……姉さんもあんなになっちゃったし。やっぱり、危険だよ。ここは」
「そうかもしれない。でもね、ここに私たちの命を脅かすのがいる? こういう廃墟はね、ホームレスさえ気をつければ危険なんてないの」
「そうかなぁ?」
「そうなの。わかったら、次行くよ次」
私は妹の忠告を無視して、部屋を出た。
私はあの変な白昼夢を見て、この屋敷のこと、そして、カルト教団のことがさらに気になってしまったのだ。絶対にここで何が起こったのか調べてみせる。私は強くそう決意した。
階段まで行き、周囲を観察する。
階段の左側には壁があり、この壁の向こうが幾何学模様のある部屋だろう。階段は左側へと伸びていた。階段奥の空間もあり、トイレや風呂が見えた。
私は2階へと上る。
古い階段は今にも壊れそうだ。ギシギシと唸り声を上げている。
2階につくと、一目でそこが何に使われる場所かわかった。
奥には巨大な垂れ幕があり、1階で見た幾何学模様が書かれている。床はところどころに黒い跡が残っていた。左右に見える窓ガラスは割れ、大きなカーテンもひどく破られていた。垂れ幕の前には大きな机があり、ここで教祖が教団員たちに教えを請いていたと思われる。
机の上には1冊の本があった。私はそれを手に取ろうとすると、妹が背中を掴んできた。
「姉さん。その本は、止めた方がいいよ」
「何か感じるの?」
「うん、嫌な感じがする」
妹のカンはよく当たるし、信じていないわけでもない。ただ、今止まるなんて私にはできなかった。
この本には何が書いてあるか、それが抗えないほど気になってしまっていた。私はもうこのカルト教団の秘密を家に持って帰らなきゃ、満足できそうにない。私は再び妹の忠告を無視して、その本を開いた。
本の内容は手記だった。
1ページ
我ら星の智慧派の遂行なる目的は今ここに成就される。
世界の我らが同志もこの儀式により、ニャルラト■テプのお姿を遂にこの目で見ることが……続きは見たこともないような文字や紙が破れていて読めない。
2ページ
儀式は我々が■へと■■するも■であり、■れはPHK氏から頂いた■論を用い、幻想は■■と成った……続きは見たこともないような文字や紙が破れていて読めない。
3ページ
■く■■ペ■■■ロンは地下にある。闇を■■■■ものは誰にも閲覧■せない。
■■書は禁■の儀式で■うが、それでもよい。我々の念願は達せられる。
「んー、ところどころ見えないな。でも、大事なことがわかった。この家には地下がある」
「行くの?」
「もちろん」
「もう、止められない……か」
優奈は本当に残念そうに言った。その言葉が少し耳に残った。
地下への入り口の見当はついていた。1階のあの幾何学模様が書いてあった部屋だ。あそこほど怪しい場所はない。
私は部屋に入り、近くにあった火かき棒で床を叩きながら怪しい場所を調べる。すると、1箇所だけ反響音が響く場所を見つけた。注意深く見ると、地下へと続く扉があった。
「見つけた!」
私が喜んで言うと、妹はため息をついた。
「姉さん。行かない方がいいと思う。こんな嫌な感じ初めてだよ」
「……ここで行かなきゃ私は後悔する。だから、行く」
妹はもう一度深いため息をつくと、「じゃあ、私はここで待ってるから」と言った。
確かに、私に面倒が起きた時には、助けを呼びに行く人が必要かもしれない。
「ピンチになったら助けてね」
「もう、姉さんったら」
私たちは軽口で笑い合った後、地下の扉を開けた。
地下は階段が続いていた。そして、かなり暗い。外の光でかろうじて下は見えるが、奥はまったく見当がつかない。懐中電灯は持っていなかったので、携帯の明かりで先へ進んだ。
古い階段が唸る音は、静寂の中ではよく響いた。1歩1歩下りていくごとに、空気が冷たくなっていく気がする。徐々に現実との境界線を越え、別世界に迷い込んだかのような錯覚に囚われた。私は気を引き締めて奥へと進む。
地下階段は長かった。入口が見えなくなるくらい歩いて、ようやく広い場所へと出た。
そこは、祭壇だった。床には例のごとく幾何学模様が書かれていて、幾つもの本が無造作に散らばっていた。奥の祭壇には金属の箱があり、中を開けてみると、不思議な形をした多面形が入っていた。
「何だこれ?」
「姉さん。何か見つけたの?」
そんな時、聞こえたのは優奈の声だった。待ってる、とか言いながら、この姉のことが心配だったのか。そう考え、少しニヤけながら返事をしようとしたところで、気がついた。
どうして階段の音が聞こえなかった?
ここの家の階段は古く、歩けばうるさい音が鳴る。でも、私が下りてきたときには何一つ物音は聞こえなかった。だとしたら、優奈は下りていない。
そして、声についても優奈にしては無機質すぎる感じがした。何も感情が込められていない声。そして、気づいてしまった。
もし、優奈でないとしたら、この声は、誰だ?
私は多面形を置き、階段の方へ振り向く。
いつからいたのか、暗闇の中には3つ、真っ赤な光が輝いていた。携帯を掲げると、その全貌が微かに見えた。それは、巨大な蝙蝠だ。しかし、悪魔のような羽は一切動いていなく、その空間に固定されているかのように、ただそこに存在していた。
怪物の赤く光る目を見ていると、心が滅茶苦茶に壊されている気分になる。あの光は人にとって有害なものなのだ。逃げようにも、逃げ道にはそれがいる。
どうすれば、どうすればいい?
もう、選択肢なんてなかった。
私がこの地下に降りた時、もうこの運命は決まってしまった。
こんなことになったのは、妹の警告を無視してここに来てしまった私だ。私が一番悪い。
だから、最後に謝らせて、
「ごめんね、優奈」
「謝るくらいなら、こんなところに来ないでよ!」
地下に響く妹の声、それは無機質なものではない、本当の妹のもの。
「優奈!」
「逃げるよ、姉さん」
私たちは地下から脱出するために走った。走って走って、ようやく地下から抜け出し、屋敷から出た。
「助けるのなんて、もうこれで最後だからね。もうこういうところには近寄らないこと。いい?」
「優奈ぁ」
「情けない声出さないでよ、もう」
私は優奈のおかげで助かった。もう妹に逆らえない気がするが、そんなことはどうでもいい。
カルト教団も三つ目の怪物も、もう関わらないことに決めた。関わって死んでしまえば意味がない。
しかし……、あれは気のせいだったのかもしれない。さっき、優奈が降りて来た時と同時に、あの怪物は消えた。優奈に当たって消えた。
それは、もしかしたら、優奈の中に……いや、きっと気のせいだ。
妹がいて、私が生きている。今は、ただそれだけでいい。