06 嫌な予感
信用出来るかどうか。
多少の不安はあったものの、森の中でよく分からない化物に食い殺されるよりはマシだろう、と志乃は透について行くことにした。透のことは、高圧的で横暴な男、と認識していた志乃だったが、何故か恐いだとか、不安といった思いを抱かなかった。
森を抜けた後、志乃はよく分からない馬車のような乗り物に乗るように促された。
馬が四角い箱を引いている様は、まさに馬車だった。今時、車じゃなくて馬車なんて……疑問には思う。だが、気にしてはいけない。さっきから、おかしい点はいくつもあった。それらを変だ、と思えば……認めたく無い事実を認めてしまう気がする。
志乃は出来るだけ、何も考えないようにしながら、馬車に乗り込んだ。
先ほどの化物退治でぐったりと疲れていた志乃は、気がつけば眠ってしまっていたらしい。透に起こされて、外に目を遣ると……少し小高い丘の上に建つ大きな屋敷が見えた。
「……何あれ」
「俺の屋敷だ」
無駄に広いその屋敷は、志乃が通っている高校の敷地面積の倍ぐらいはあった。グラウンドと同じ広さの庭が屋敷の前、真ん中、後ろと広がっているようだ。
第一の門をくぐってからも、馬車からは降りずに、そのまま移動する程に広い。そして、広い表の庭を突き抜け、第二の門に辿り着いた後、馬車から降りて徒歩で屋敷に向かっているが、屋敷の玄関に辿り着くのに数分はかかった。
着いて来い、と言われて着いて来た志乃だったが、あまりの広さに何だか疲れてしまった。それがこの透の家だと言うのだから、広くて凄い!というよりは、広くてうざい!という気持ちだった。
玄関に辿り着いた志乃と透を迎えてくれたのは、10人を越える使用人っぽい人たちだった。玄関に入った途端、綺麗に三つ指をついて頭を下げる使用人たち。その衣装は日本の羽織袴の姿そのもので、白に赤い袴はまるで神社の巫女さんを思い出させた。
「おかえりなさいませ、九条殿」
一人の見目麗しい女性がにっこりと艶のある微笑みを浮かべ、そっと透の元へと近づいてきた。もしかして、愛人かなーなんてことを思いながら、志乃は透の後ろからその人物をちらちらと見ていた。
「ああ。こいつの荷物を持ってやれ」
「畏まりました。お客人、お荷物を」
麗しい女性が志乃にも同じように微笑みかけ、そっと手を差し出した。こんな綺麗で細い女性に、自分の汗の匂いが詰まった部活動具を渡すのは忍びない。
「……いえ、いいです。大切なものなので、自分で持ちます」
そう答えると、女性は少し困った表情で「あら」とだけ呟いた。
「なら自分で持て」
透を睨みつけると、さも興味無さげにそう言われた。この透の態度がまた、志乃を苛立たせる。
「自分で持つって、言ったわよ。別に透に言われなくても、持ちます」
ふん、と志乃は言いたいだけ言って顔を背けた。
周囲に並んでいた使用人たちは一様に驚いた顔をしていたが……そんなことどうだって良い。金持ちだろうが、何だろうが、志乃は透に命令される立場では無い、そう思っている。そんなに世話になるつもりも無い。さっさと帰りたいと、そう思っていた。
志乃は、帰り道を教えて貰えば、なんとか帰れると思っていた。ここがどこだか分からないけれど、自宅からそう遠く無い……はずだ。志乃が知らなかっただけで透のようなお金持ちが市内にいたのかもしれない。さっきの化物のことは、なんかの突然変異ってことで済ませている。
本当は嫌な予感がして仕方ないし、認めたく無い事実を必死で否定している。だが、今、志乃は己を強く持つ為にも、自分にそう言い聞かせていた。
それからだだっぴろい屋敷の中をぐねぐねと案内され…また数分歩いた後、志乃は広くて何も無い部屋へと通された。
「ここで待ってろ」
「はいはい」
いちいち命令口調なのが本当に腹立つ、志乃は口を尖らせて、いかにも面倒臭そうに返答した。いくら志乃がそんな態度を取ろうとも、透は表情一つ変えない。そしてそのまま、さっさとどこかへと消えてしまった。
一人取り残された志乃は、思い出したかのように自分の鞄を漁り始めた。
そうだ、携帯!
携帯さえあれば、母と連絡が着く。GPSで現在地を確かめて、迎えに来て貰えば……そう思って、志乃は鞄の中の携帯を取り出した。
どこか分からない場所に落ちてから、色々なことがありすぎて……気がついたら、知らない人たちに囲まれてるし。そしたら偉そうな透に会うし、化物にも会うし。馬車みたいなのに乗せられたらもう、眠くて寝てしまってたし。携帯電話という便利な存在を使うことなく、ここまで来てしまったことが悔やまれる。
もう。本当に……最初から、こうすれば良かったんだ。
期待を胸に、志乃は携帯を開いた。携帯は「圏外」となっており、かつ、ディスプレイに表示されていた日付が明らかにおかしかった。全ての年月日が0になっている。
「え、ちょっと……どういうこと……」
志乃は焦りながらも、GPS機能を開いて見るが……何もかもが「圏外」だ。
「……電波も届かない、山奥?」
そうだ、街に出たら、電波も届くはずだ。気持ちを落ち着け、志乃は一つ息をついた。
その時。
「入るぞ」
言うと同時に部屋の扉が開かれ、無遠慮に透が入ってきた。
「術師を連れてきた」
「……え?何って?」
何連れてきたんだ、と志乃は眉間に皺を寄せた。ずかずかと部屋へと入ってくる透の後ろから、人の良さそうな老婆が現れた。
「おや、九条様。このお方が?」
「ああ。多分そうだ。色々と説明も頼む」
「分かりました」
老婆は頷き、そしてゆっくりと志乃の前にやって来た。