05 志乃と透
化物が立ち上がろうとしている様を見て、志乃は慌てて渡された刀を先ほどの竹刀のように構えた。さっき……抜けと命令されたのと同じであろう刀が、今は刃の部分がどす黒く錆びている。
短時間にあの男、何錆びさせてんだよ。何やったらこんな風になるんだ。
志乃はいらつきながらも、刀を持つ手に力を込めた。志乃が握ると、刃の黒い錆が少しずつ剥がれていく。その様子に志乃は息を呑んだ。
錆が全て剥がれ落ちた後、刀は再び綺麗に研ぎ澄まされたかのような輝きを取り戻していた。
「さっきと同じように眉間を狙えば良い」
見てたのか!じゃあ助けろよ!と、志乃は一瞬、青年を睨みつけたが……今はそれどころでは無い。青年も刀を構えているが、助けてくれる素振りは全く見せ無い。
自分で何とかしなければならないのだろう。どちらにしろ、むかつく男の手を借りるつもりなど無かった。
化物が地面をがり、と爪で一度引っかいてから、勢い良く飛び上がった。志乃は、使い慣れているはずの竹刀よりも、ずっと手に馴染むその刀を再び強く握り締めた。
飛び掛ってきた化物の眉間目掛けて、刀を突き出す。何故か、竹刀を握っていた時よりも、心が落ち着いている気がする。緊張や不安、恐怖も、不思議な程、何も感じられなかった。
刀を突き出した時には、化物を捉えていた。狙うことなく、自然と体が動いたような……そんな不思議な感覚を覚える。志乃の刀は、真っ直ぐに化物の眉間を貫き、そのまま力を加えることなく、化物の体をも貫いた。化物は血の代わりに、その切り口から砂を撒き散らし、土の塊となって地面に転がり落ちた。
志乃は、その様に暫く魂が抜けたかのように、呆然と立ち尽くした。
「優秀なもんだな」
すぐ傍で青年の声が聞こえてきて、志乃は我に返った。たった今、人生初めての化物退治を終え、志乃は何とも言えない表情で青年を見た。命の危険を無事に回避出来たことに安心したのか、自然と涙が溢れてきた。
「……泣くな」
冷たいと感じていた青年の言葉が、ほんの少し温かく感じる。それでも、やはり高圧的に放たれたその一言に、志乃は顔を顰める。
「……何よ、命令?」
「そうだ」
「むかつく……」
ごしごしと目を擦り、志乃は目の前に立つ青年を睨みつけた。命令を聞くつもりは無いけれど……いつまでも弱みを見せるつもりはもっと無い。泣きながらも、志乃は青年を真っ直ぐ睨みつけた。志乃を見下ろすかのように見る青年は、先にこの睨みあいから目を逸らした。
「……ここは危ない。とりあえず着いてこい」
「あ、ちょっと……!」
さっさと歩き始めた青年の後ろで、志乃は慌てて荷物を集め始めた。渡された刀もとりあえず、竹刀と一緒に袋の中にぽい、としまい込む。慌てふためく志乃のことを無視して、青年はどんどん歩みを進める。
「待ちなさいって!えっと……九条!」
思わず叫んだ名に、志乃も可笑しくなる。同じ苗字を呼ぶのは、どこか変な気分だ。だが、青年のことは「九条」と言う名だということしか分からない。
「……透だ。九条透」
振り向いた青年は、今まで見た中で一番穏やかな表情をしていた、ような気がした。
「志乃」
「呼び捨て?」
「俺のことも呼び捨てにしていい」
「九条」
「違う、名だ。お前も九条だろう」
「……透」
「そうだ。これからはそう呼べ。俺が許す」
どこまでも偉そうなヤツ。志乃は透を見て、小さく溜息をついた。
それでも、ほんの少しだけ。この九条透という人物に対しての印象は良くなった……気がした。