04 赤目
ひたすら早足に志乃は森を真っ直ぐに突き進んだ。
何も考えずにただ突き進んだ志乃だったが。数分後には薄暗い気分の悪くなるような木々の間で呆然と立ち尽くしていた。
「……どうしよう」
完全に迷子だ。
どことなく空気が冷えてきて、寒気さえしてくる。勢いのまま、適当に歩を進めてしまったことを今更後悔した。
「……道、変えようかな」
どこがどこかも分からないけれど。志乃はとりあえず、来た道を少し引き返すことにした。
だが。
引き返そうと足を踏み出したその時。志乃の耳に微かな獣の唸り声が聞こえてきた。
その唸り声が聞こえた方に目を遣ると……薄暗い木々の間から、赤い光が二つ、ゆらゆらと光っていた。
唸り声と共に、その赤い光が徐々に近づいてくる。
野犬か何かだろうか。志乃は持っていた部活道具の中から、一本の竹刀を取り出した。
背筋を伸ばし、すっと構える。目の前の光を静かに見ながら、もし、襲い掛かられたとしても、いつでも対応出来るように少し息を整えた。
暫くして、木々の間から一匹の赤目の獣が現れた。その獣は志乃が見た事の無い姿をしていた。
背中には、尖った棘が何本も突き出しており、その頭は犬のようでありながら、その鋭く、あまりにも大きな牙は下顎よりも遥かに長い。足の爪は犬というより、猛禽類のように鋭く尖っていて、尻尾が三尾もあった。
背筋に悪寒が走り、竹刀を持つ手が微かに震えた。
野犬なんかは恐くは無い。だが……こんな化物は、見たことが無い。
志乃は浅くなる息を整えることも出来ず、ただ目の前の化物から一歩、後ずさることしか出来なかった。化物は小さく地面を蹴り、志乃目掛けて走ってきた。
縮まる距離をどうすることも出来ず、志乃は覚悟を決めた。震えている手をどうにか落ち着け、もう一度竹刀を握りなおす。
化物が地面を蹴り、志乃の首目掛けて牙を剥き出し飛び掛ってきた。それを志乃は一歩踏み込んで、竹刀を化物の額に突きつけた。
一瞬だけ、化物の動きが鈍くなったが……志乃の一撃など気にも留めない様子で、化物はそのまま襲い掛かってくる。
あ、と思った瞬間には避けきることが出来ず、志乃は化物に右肩を爪で引っかかれてしまった。
少し制服が破れただけで済んだのは、幸運だった。襟元が破れ、薄っすらと血が滲み出る。はあはあ、と志乃は肩で息をしながら、再び襲い掛かって来ようとする化物に備え、竹刀を構えなおした。
どう考えても不利だ。
このままでは……時間の問題だ。どこか分からない場所で、こんな化物に食い殺されるのはご免だ。
志乃は必死でどうにか逃げ延びる方法を考えようとしたが、僅かな暇も目の前の化物は与えてくれない。
再び志乃に襲い掛かろうと、化物は地面を蹴った。
どうしよう、一瞬出遅れた志乃は、目の前に迫った化物の牙から自分の身を庇うかのように竹刀を横向けに己の前で構えた。
ああ、噛み殺される。
ぎゅっと目を瞑り、次に来る痛みと衝撃を覚悟した志乃だったが……キィイ、という甲高い鳴き声と共に、化物が地面に倒れる音がしただけだった。
あれ?
志乃が目を開くと、そこには喉をナイフのような小さな刃物で貫かれた化物が横たわっていた。
「…だれ…が」
ナイフのような刃物が飛んできた方向を見ると、ガサガサ、と草を掻き分ける音が聞こえてきた。志乃は緊張した面持ちで、その音の方向を見つめた。
そして、薄暗い木々の間から現れた人物に、何ともいえない安堵感を抱いた。
「お前は頭が悪いのか」
先ほどの高圧的な青年の、腹が立つ言葉も、生きるか死ぬかの戦いの最中だった志乃にとっては頼りがいがあるように……感じられるはずなどなかった。
むかつくその青年の顔を見て、少し安心してしまった自分が志乃は情けなく思ったほどだ。
「……あんた」
「これを持て」
そう言って、青年は持っていた刀を志乃に向かって投げつけた。割と強く投げられたその刀を受け取り損ね、志乃は刀の柄の部分で顔面を強打してしまった。
「危ないでしょ!!」
刃の部分が顔面に当たってたらどうするつもりなのよ!と志乃は怒るが、青年は聞いてもくれなかった。
「さっさと構えろ。また襲われるぞ」
はあ?と眉間に皺を寄せた志乃に、青年は顎で先ほどの化物が倒れた方を差した。何て態度の悪い男……と思った志乃の目に飛び込んで来たのは、矢を貫かれたまま立ち上がろうとしていた化物の姿だった。