02 二人の九条
「九条将軍」
簡易な皮の鎧を纏った兵が片膝をつき、目の前の青年に頭を下げた。九条将軍、と呼ばれた青年は刀についた煤のような物を白い布で拭き取っている。
「ご報告申し上げます」
兵は頭を下げ、言葉の一つ一つを丁寧に口にした。目の前の青年は相変わらず、その兵の方など見ずに淡々と自分の刀の手入れを続けている。
「森にいた怪は撤退したようです。ですが…その森で変わった格好の娘が倒れておりまして」
「人の形を取る怪もいる。あやしいのであれば殺せ」
「ええ、そうですが…普通の娘なのです。格好は変わっておりますが」
ですので、ご判断を…と兵は額に汗をかきながら言葉を続けた。青年は何も映していないかのような漆黒の瞳を一瞬だけその兵に遣った。
「分かった、案内しろ」
「はい!」
面倒だと言わんばかりに、青年は先を歩く兵の後を着いて行った。
その森の奥では。
「お前の格好、変わっておるな」
「どこから来たんだ?陰の世界の者か?」
「まさか本当に怪なんじゃ…」
「こんな呆けた顔の怪がいる訳無いだろう」
さっきまで自宅近くの曲がり角にいたはずの彼女は、今、全く見覚えない無い森の中、全く知らない、着物を着た変な人たちに囲まれてあーだこーだと言われていた。
不快極まりない。まるで説教でも受けているかのような状況に、彼女はただ苛立ちが募った。ぎゃーぎゃーと騒ぎ立てていた男たちだったが…ガザ、という木の葉を踏みしめるような微かな足音が聞こえた途端、急に静かになった。
「…娘、頭を下げておけ」
徐々に近づいてくる足音に、周りの男たちの顔にも緊張が走った。
頭を下げておけ?その言葉に、彼女は眉間に皺を寄せた。
絶対に頭なんて下げてやるものか。彼女は座り込んだまま、木の間をすり抜けてやって来た人影をただじっと睨みつけるだけだった。
先ほどまで彼女を取り囲んで騒ぎ立てていた人物たちは皆、口などついていないかのように黙って頭を下げている。彼女はただ、傅かれているその相手を睨んだ。
黒い短髪に、冷たさを感じさせる硝子のような漆黒の瞳。周囲の男たちは着物のような格好をしているのに、その青年だけは黒いズボンに黒い半袖のような服を身に纏っている。腰には革のベルトを巻きつけ、それに刀を差していた。
青年を先導していた兵は、彼女の様子を見て、慌てて「頭を下げろ」という素振りをして見せた。彼女はそれを無視して、ただ近づいてくる冷たい雰囲気を纏う青年を睨むだけだった。
そんな彼女の様子に、青年は何の反応も示さない。目の前の娘を見下すかのように、無表情にただ目を遣るだけだった。
「面白い娘だな。どこから来た」
彼女の目の前に、持っていた刀を突き立て青年が問うた。
刃先にかけて赤みを帯びた刀は、柄の周りに細かい鱗のような文様が連ねられている。そんな刀を突き立てられても、彼女は動じることは無かった。どうせ模造刀だろう、良い年した大人がサバイバルごっこのようなことをしているのだろう、と思っていた。
そう思っていたからだろうか。何故か、彼女は青年に対して恐いという感情が湧いてこなかった。
目の前の青年を見上げながら彼女は、大きく首を振る。
「知らない」
「おかしな格好をしている。どこの者だ」
どこ、と尋ねられ、彼女は困惑した。国籍?それとも住んでいる町?学校?どこ、という大雑把な質問は何を知りたいのか分からない。
それに、何だか答えてやるのも腹が立つほどに、青年は高圧的だった。
「……名は」
名を知りたいなら、自分から名乗るのが礼儀。そんなことも知らないのか、この男は。彼女は内心、毒づき、そして頑なに口を閉ざした。
「名は何と言う」
苛立った様子も見せず、青年は彼女にもう一度問うた。彼女を睨みつけるかのような瞳は、相変わらず寒々しく、そしてどこか底知れぬ恐ろしさを感じさせた。
これ以上、逆らうのは賢明では無いだろう。サバイバルごっこなんてしている大人だ。なんだか危なそうな人だ。
彼女はそう思い、自らの名を口にした。
「……九条志乃」
渋々口にした名。
その名を言った途端、周りがざわつき始めた。