18 心を許せる相手
ぐねぐねと曲がる廊下を通り過ぎ、迷子になりそうなだだっ広い屋敷を通り抜け、ようやく玄関口に辿り着くことが出来た。
志乃が普段、過ごしているのは屋敷の一番奥にあり、限られた人たちしか入れないとか何とかで、桃や数人の従者以外の人物を見かけることも無かった。
二十数人にも及ぶ従者が、玄関口で一列に並び、透を見送る様を見て、志乃はやっぱり透って偉いのかーなんて思った。
玄関口で靴を履き、頭を深々と下げる従者たちの前を通り、広い庭へと出た。
透は先に庭を突き進んでいる。
いくら透が進んだところで、頭を下げる従者たちは微動だにしない。透が見えなくなるまで、このまま頭を下げ続けるのだろう。
「…こう…傅かれる生活送ってるからなんだ…横柄な性格になったの」
会話が成り立たない、なんて馬鹿にされることも多々あるが…
透だって、こっちが言いたいことをまるで無視して勝手に物事を推し進めるから、だから成り立たないのではないのか、と志乃は考えた。
その横柄な性格が原因だ、と。
「何をぶつぶつ言っている」
「な、なんでも…!」
心で思っていた事が、思わず声に出てしまっていたらしい。
いつもなら、平気で「横柄って言ったの!」と答えるところだが…
周囲を取り囲むようにして傅く従者たちの前ではあまりな事は言えない。
「まあ、いい。お前の馬を用意した」
透が目配せすると、従者が馬を伴って志乃の前に歩み出た。
透が用意してくれたのは、立派な白馬だった。
「…私の馬?」
「そうだ。気性も穏やかで、丈夫な馬だ」
「そ、そう。でも、言った通り、乗馬したこと無いし。馬に乗れないんだけど…」
人生でこんなにも間近で馬を見たのすら初めてだ。
こちらの世界では、皆が皆、馬に当たり前に乗っているようだ。
馬を連れて来た従者も、目を丸くして驚いている。
「乗馬の経験は全く無いのか」
「言ったでしょ。無いよ。私の世界では…あんまりいないと思うんだけど」
謙遜して「乗れない」と言っていたとでも思われているのだろうか。
志乃の同級生でも、乗馬経験がある者もはいなかった。
普段の生活に馬を必要とする事はないし、馬術をしている者でなければ、馬にも乗らない。
「なら、俺の馬に乗れ」
「…透の馬に?」
「ああ。あれだ」
透が指差した先には、何人もの従者が手綱を無理矢理引っ張って、ようやく連れて来れた…そんな気性の荒らそうな黒馬がいた。
手綱を握っていた一人が、少し力を緩めた瞬間に、馬は思いっきり首を振った。
その従者は勢いよく地面に叩きつけられ、周りが慌てて再び手綱を引っ張る。
見るからに危なそうな馬だった。
「…振り落とされない?」
「頭が良い馬だ。主の言うことは聞くから大丈夫だ」
主は透なのだろう。
透が近づくと、さっきまで不服そうにしていた馬の態度がいきなり変わった。
主の言うことは聞く。
主が落とせ、と言ったら…落とされるのだろう。
「逆に危ない…」
志乃はぶつぶつ文句を言いながら、ゆっくりと馬に近づいた。
透は黒馬の顔を撫でながら、そっと顔を寄せている。
人に対しては、どこか冷たい印象を持つ透も、この馬とは何だか仲良しだ。
「…仲良しなのね」
「ああ。小さい頃から育てたからな」
この家にいる者たちは皆、従者という立場だからだろうか。
透を敬っているだろうけれど、どこか余所余所しくもある気がしていた。
頭を下げて、透と目を合わせることも無い。
馬にはそんな身分だとか、立場とかは関係無いからだろうか。
透がこれほどまでに心を許している存在、というのは、この家ではこの馬以外に見たことが無い。
「名前は?」
「伊吹だ」
「いぶき、ね」
よろしく、なんて笑顔で言いながら志乃は伊吹に手を伸ばした。
あからさまに嫌そうに…伊吹は顔を背け、志乃の手から逃れた。
「…お前のことは嫌いらしい」
「主の言うこと聞くなら、好きになれって言ってよ」
「そこまで命令するのは伊吹が可哀相だ。こいつにも意思がある」
伊吹は自らの意思で、志乃を嫌った…というのだ。
志乃は心の中で「この馬め」と思いながら、引きつった笑顔を見せるだけだった。
「俺が先に乗る。お前は俺の後ろに乗ればいい」
馬のあぶみに足を掛け、透は身軽な身のこなしで馬に乗った。
片手で手綱を握りながら、透は志乃に手を差し伸べた。
「鐙に足を掛けて乗れ。引き上げてやる」
「わ、分かった」
言われるがまま、志乃は鐙に足を掛けた。
差し出された透の手を握り、ぐっと力を込めた瞬間だった。
伊吹が首を横に振り、一歩前に進み出た。
お陰で志乃は、バランスを崩し、その場にしりもちをついてしまった。
「伊吹、これは仕事だ」
透が伊吹のたてがみを撫でながら、言い聞かせる。
不服そうな顔の伊吹も…渋々、それに従ったらしく…一歩下がって、再び志乃の元へと来た。
「い、た…」
「次は大丈夫だ」
透が差し出した手を、志乃は口を尖らせながら握り締めた。
見苦しいながらも、何とか馬に乗ることが出来た志乃は、ひたすら透の服を掴んで馬の上でバランスを取った。
生まれて初めての乗馬は、あまり快適なものではなかった。
馬上からの景色は、高すぎて少し恐怖すら感じた。
「しっかり掴まってろ」
「わ、分かってる!」
たった数歩、ゆっくり歩いただけなのに…志乃の手は少し震えていた。
「こないだみたいに…馬車みたいなので移動出来ないの?」
「この前は街から近かったから馬車で移動しただけだ。今日は距離もあるからな。時間がかかりすぎる。それに、普段は馬での移動がほとんどだ」
怪も恐い、馬での移動も恐い。
大変な仕事を引き受けてしまった。
逃げてしまいたい、志乃は何度目か分からない溜息を漏らした。
馬で数分いて、ようやく屋敷の出口の門に出た。
広すぎる屋敷って、前も思ったが不便以外の何物でもない。
門には衛兵のような人達が立っており、透の姿を見ると、すぐに門を開く作業に取り掛かった。
重そうな門が音を立て、ゆっくりと開かれる。
衛兵たちが4人がかりで開けるぐらいなのだから…相当な重さなのだろう。
「ご武運を」
そんな志乃にとっては不吉な見送られ方をされ、透と志乃は門の外へと出た。




